×
メニュー 閉じる メニュー

「パラ時想」  違いって何?

2021.9.9 8:00 共同通信
パラリンピックの陸上男子走り幅跳び(義足・機能障害T64)で優勝したドイツのレーム。ファウルとなった6回目には8㍍台半ばの大ジャンプだった=国立競技場
パラリンピックの陸上男子走り幅跳び(義足・機能障害T64)で優勝したドイツのレーム。ファウルとなった6回目には8㍍台半ばの大ジャンプだった=国立競技場
 違いや、進化って何だろう。パラリンピックの陸上男子走り幅跳びで義足のレーム(ドイツ)を見て思った。
 6月に8メートル62を出していたレームは、8メートル18で圧勝した。五輪なら4位の記録である。彼はメダルや順位の対象外で構わないからと五輪参加を願ったが、国際オリンピック委員会が却下した。もし夢がかなっていたら、健常者も障害者も同一機会に互いを阻害しない形で競い合えただろう。
 義足の反発力が人間の脚の力を超えるのか否か。その判定が下せない、という理屈は分かる。公平性の観点だ。一方で、道具を生み、技術を磨いて進化したのが人類でもある。五輪が人間の可能性を示し、社会の進化を促す舞台なら、どこか割り切れないものが残る。
 男女や障害の度合い、多様な違いを超える試みがなされた五輪とパラだった。男女の混合リレーやユニバーサルリレー、トランスジェンダーの参加。力を合わせ、差を埋める努力は、する方にも見る方にも面白く、気付かされるものがあった。
 「違い」で、解けない疑問も残った。新型コロナウイルス禍で、強く五輪中止を訴えたメディアが、五輪開始時より感染者数が増えていたにもかかわらず、高校野球を開催した。甲子園をやめるべきだった、と言うのではない。違いの説明こそ、メディアが果たすべき責任だと思う。
 想像してみる。もし五輪を中止していたら、世界のアスリートとパラ競技者が示す、人間の力を目の当たりにできなかっただろう。私たちは二つの大会をやり切り、明日への夢と、共に生きる気付きを手に入れた。より良い社会へ、違いを超すためのバトンが五輪とパラから渡された。(共同通信編集委員 小沢剛)