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開幕直前に去った祖国のヒロイン、記憶は今も 北朝鮮、再び東京に姿なく

2021.8.4 13:00 共同通信
1964年東京五輪で来日した北朝鮮選手団の思い出を語る鄭勝子さん=6月、東京都北区
1964年東京五輪で来日した北朝鮮選手団の思い出を語る鄭勝子さん=6月、東京都北区
 「近くて遠い国」と言われる北朝鮮の選手団は前回の1964年大会に続き、再び東京の大舞台に姿を現さなかった。在日コリアンの中には、57年前の記憶を大切に胸に抱き続けてきた人や「今度こそは」と祖国の参加を期待していた人たちもいる。
 ▽人生の宝
 「祖国の人たちが来る。どんな容姿をしてこの地に来るのだろう」。当時19歳だった鄭勝子(チョン・スンジャ)さん(76)=東京都=は、五輪参加のために来日する北朝鮮選手団に胸が高鳴ったのを思い起こす。在日2世。医療関係の道に進もうと、東京都小平市にある朝鮮大学校の医務室で見習い勉強をしていた。
 選手団は1964年10月5日に船で新潟港に到着。10日の開幕に備えて事前調整のために学校にやって来た。鄭さんにはあこがれの選手がいた。当時、陸上女子の世界的ランナーだった辛金丹(シン・グムタン)だ。校庭を走る辛を「暇な時間があれば見ていました」とその姿が今も目に焼き付いている。
 「体の大きな人だったけど、擦れてなくて、はにかみ屋。優しくて、謙虚で…」。宿舎の辛の部屋を訪れ、日常生活の話をした後「練習は大変ですか」と尋ねると「自分が好きでやっていることです」との答えが返ってきたのを記憶している
 辛は朝鮮半島の分断がもたらす悲劇のシンボルになっていた。韓国には朝鮮戦争で生き別れになった父の辛文濬(シン・ムンジュン)さんがいた。南北の激しい駆け引きの末、東京都内で父娘はわずか数分間の再会を果たす。鄭さんは「2人が会ったことはすぐには聞きませんでした。後に報道で知りました」という。
 北朝鮮は前年、国際オリンピック委員会(IOC)を脱退したインドネシアが開催した「新興国スポーツ大会」(GANEFO)に参加。国際陸連(現世界陸連)が東京五輪でもGANEFO参加選手の資格停止を継続するという強硬姿勢が引き金となり、北朝鮮は東京から総引き揚げする道を選んだ。
 「在日朝鮮人スポーツ史年表」には、サッカー代表は開幕前日の9日に朝鮮大学校で在日朝鮮蹴球団と交流試合を行い、7―0で大勝したとある。観戦した在日関係者はあまりの強さに目をむいたという。
 選手らは学校を出て帰国の途に就いた。鄭さんは別れの際にある女性役員に口紅を贈り「絶対いつかは共和国(北朝鮮)に来てください」と言葉をかけられた。「祭りの後のような気分でした。でも、世界中の人が会いたくても会えない辛選手を間近にすることができました。私にとっては人生の宝です」と祖国のヒロインとの出合いを忘れない。
 ▽南北国旗が躍動
 五輪は今年、再び東京に巡ってきた。北朝鮮は4月上旬、「新型コロナウイルス感染症による世界的な保健の危機的状況から選手を保護する」との理由で不参加を決めた。同国は新型コロナ対策で昨年1月末に国境を封鎖。国際スポーツ大会への参加のニュースも途絶えていた。不参加の観測が高まっていたが、現実はその通りとなった。
 大阪府内の朝鮮学校に通った40代後半の男性は、85年神戸ユニバーシアードで北朝鮮選手を応援した時の熱気をしっかり覚えている。選手、役員ら合わせて約130人の選手団が平壌から初めて日本への直行便で成田空港に到着。在日関係者の盛大な出迎えを受け、神戸に向かった。
 男性は「毎日、学校から神戸の試合会場に通い詰めました。柔道会場で競技初日に北(北朝鮮)と南(韓国)の選手が優勝し、スタンドでは在日同胞が振る北と南の国旗が躍動していました」。東京五輪でもそうしたシーンの再現を期待していた。それだけに「北が参加して南との合同チームが勝利したら、(南北に絡む)いろいろな対立を解かすこともできたのではないでしょうか」と無念さが口をつく。
 今回、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)系の組織は北朝鮮選手団の来日に備えて、支援態勢づくりに力を入れていた。関係者によると、応援のためのチケット購入抽選にも組織的に応募したという。東京五輪を機に在日コリアンのトップ選手を育成するための基金も創設した。在日として祖国の選手らを日本に迎え入れることに特別な思いを込めていた。
 ▽青春通り
 北朝鮮は現在も外国との人的往来を事実上シャットアウトしている。食糧難の懸念もささやかれ始めた。8月初めの時点まで、朝鮮労働党機関紙の労働新聞や国営の朝鮮中央通信は五輪開幕や競技について報じていない。
 北朝鮮の首都平壌の西部に「青春通り」と呼ばれる、各競技専用の体育館などがひしめく同国自慢の体育施設がある。筆者もかつて取材で訪れた。ここで鍛える選手たちは東京での五輪にどんな思いを抱いているのだろうか。表彰式で優勝者の国旗が揚がるのをテレビで見るたび、そんな思いになる。(共同通信・豊田正彦)