メニュー 閉じる メニュー

「五輪時想」 時代と人映す選手村

2021.8.6 12:00 共同通信
記者会見する選手村の村長の川淵三郎氏=31日午前、東京都江東区
記者会見する選手村の村長の川淵三郎氏=7月31日午前、東京都江東区
 1964年の東京五輪選手村は、現在の代々木公園、かつての米軍居住地域「ワシントンハイツ」跡地に、選手、関係者8千人余の宿泊施設として造られ、ほとんどが木造の平屋だった。今回の選手村は約1万8千人を収容する、人気のベイサイドの高層マンション群だ。57年で様変わりした選手村に、64年は選手として、今回は村長として、川淵三郎氏は2度も「入村」するまれな経験をしている。
 「オーストラリアの選手団が掲げてくれたメッセージを見ると、選手村に命が宿ったようでとてもうれしかった」
 7月31日行われた会見で、川淵氏は、厳格な新型コロナウイルス感染症対策が敷かれる静かな選手村で、オーストラリアが自国の棟に「心より感謝いたします」「THANK YOU」と二つの垂れ幕を下げている光景を、「命が宿る」と表現した。
 64年、当時サッカー日本代表だった同氏は、「毎日食堂に目をギラギラさせて通ったよね。なるべく普段は食べられない、高そうなものから選んでいた」と笑う。ビーフステーキやエビ、豊富なフルーツにも驚いた。当時は、女性を誘って踊るなど日本の選手にはできず、ディスコでも男性の「壁の花」ができたと時代を映すエピソードを明かす。
 今大会、選手たちは自由に動けない代わりに、自ら発信し連帯する。新競技のサーフィンで銀メダルを獲得した五十嵐カノアは、選手村の充実した食事や移動手段、快適な部屋をインスタグラムで紹介して世界中で注目された。英国では、ジョンソン首相が代表選手と電話をつなぐ「選手村リポート」が好評で、困難なコロナ禍で選手たちがどんな戦いを続けているかを発信する。
 五輪の選手村は、その時代、世界を共に生きる人々の姿を映し出す場所なのかもしれない。コロナ禍でコミュニケーションを取れない状況下で、選手たちは忍耐し、そこからどう競技に向かい、何を得られたのか、何もなかったのか。これらもレガシーになるはずだ。
 川淵村長は64年に期間中2度散髪に行ったが、理容室はいつも満員だったそうだ。選手村でのカットが、半世紀かけてかないますように―。(スポーツジャーナリスト 増島みどり)