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名門コースに「激闘」の足跡 松山、メダルに一歩届かず

2021.8.1 20:00 共同通信
最終ラウンド、16番でティーショットを放つ松山英樹=霞ケ関CC
最終ラウンド、16番でティーショットを放つ松山英樹=霞ケ関CC
 霞ケ関CC(埼玉県川越市)が会場となったゴルフ男子は見ごたえのある戦いだった。コースは五輪に向けて改修、整備され、国際映像によるテレビ中継の質も極上。マスターズ優勝の松山英樹は「3位」を決めるプレーオフに惜敗してメダルに届かなかったが、屈指の名門コースでの激闘は「五輪ゴルフ」の楽しさを存分に届けたといえるだろう。
 ▽「銅」を懸けた7人プレーオフ
 18番は右ドッグレッグの500ヤード、パー4。グリーン右手前に池が配置されたスリリングな最終ホールだ。コース設計者の狙い通り、このホールで激しいメダル争いが展開された。18アンダーの首位で迎えたシャウフェレ(米国)は第1打を右の林に大きく曲げながら、きわどくパーをセーブして1打差で逃げ切った。
 15アンダーの3位に松山を含む7人が並んでホールアウトした。通常のプロの試合では優勝者には名誉と賞金、2位以下には賞金だけが与えられる。五輪は賞金こそ出ないが、メダルが三つある。この18番で、銅メダルを懸けた異例のプレーオフが始まった。7人の中には松山、マキロイ(アイルランド)、モリカワ(米国)のメジャー大会優勝者がいた。
 最終日の松山はパットに苦しんだ。一時は首位に1打差まで迫ったが15番で短いパーパットを外し、16番からの上り3ホールでもチャンスを生かせなかった。プレーオフでは最初の18番でボギーをたたいて脱落した。
 「金を目指してやっていた。追い越せる雰囲気もあったけど、できなかった。五輪がどういう評価になるか分からないけど、やっぱりメダルは取りたかった」。無念さを率直に吐露した。
 ▽舞台はジュニアの「聖地」
 霞ケ関CCは1929年開場の歴史ある名門クラブだ。57年に国際試合、カナダ・カップ(後のワールドカップ)を開催し、中村寅吉らの活躍で日本に第1次ゴルフブームをもたらした。71年以降は日本ジュニア選手権の会場を引き受け、10代選手が「ジュニアの聖地」と憧れるコースになった。
 このクラブには松山も縁が深い。2009年の日本ジュニア選手権(15~17歳の部)で優勝。10年はアジア・アマチュア選手権で勝って翌年のマスターズ出場権を獲得した。11年、初出場のマスターズでベストアマチュアとなり、それから10年後のマスターズ優勝につなげた。
 17年には、安倍晋三首相がこのコースにトランプ米大統領(ともに当時)を招いた「ゴルフ外交」にも協力した。日米トップ2人の同伴プレーヤーに指名されたのが、米国で活躍中の松山だった。
 日本ジュニア選手権は例年、8月の開催だ。ジュニア選手は炎天下、キャディーを付けずに重いバッグを担ぎ、ショット跡に目土を入れながらプレーすることも多い。松山はそんなことも思い起こしながら回ったのだろうか。
 ▽五輪仕様のセッティング
 使用された東コースは見違えるような「五輪仕様」に仕上がっていた。会場に決定後、費用をかけて改修した。ある著名人が「2グリーンのゴルフ場は大舞台にふさわしくない」などと批判し、ちょっとした論争にもなった。四季のある日本では2グリーンの方が芝の養生、保護の面で効率的だが、クラブは国際基準の1グリーンに変更。総距離も約500ヤード延ばした。
 筆者は改修後にメンバーに同伴を願って“視察プレー”をした。クラブハウスはセレブ感たっぷり。服装規定も厳しく、平日でもプレー費は高額。それでもレイアウトは圧迫感がなく、意地悪なトラップは少ない。レギュラーティー(6419ヤード)から回ると十分に楽しめた。
 五輪前に2カ月間も休業したためメンテナンスも万全だった。外国選手の評価も上々。世界ランキング4位のトーマス(米国)は「コースはとてもピュア。グリーンも素晴らしい。ラフは長く、フェアウエーではボールが完璧に浮いている」と公平なコースを高く評価した。
 男子競技は7447ヤード、パー71の高規格だった。優勝スコアが18アンダーまで伸びたのは、派手なバーディー合戦を好む米国のテレビ視聴者を意識したコースセッティングのためだろう。クラブ側は「そんなに易しいコースじゃないのに」と複雑な心境だったかもしれない。
 五輪で評判をさらに高めたい「富めるクラブ」の意志が通じたのか、記憶に残る激戦となった。地道にジュニア育成に貢献し、必死に五輪準備に取り組んできた努力に対し、オリンピアンが好プレーで応えた形だ。日本のゴルフ発展史とともに歩んできた霞ケ関CCに、新たな足跡が刻まれた。(共同通信・荻田則夫)