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日韓の未来に目、在日3世の崔コーチ 還暦で迎えた野球の大舞台

2021.7.31 16:43 共同通信
イスラエルにサヨナラ勝ちし、喜ぶ韓国ナイン=横浜スタジアム
イスラエルにサヨナラ勝ちし、喜ぶ韓国ナイン=横浜スタジアム
 野球で韓国は日本の強力なライバルと目されている。前回実施された2008年北京五輪で金メダル。今回チームの投手陣を任されているのが在日3世の崔一彦(チェ・イルオン)コーチ(60)だ。祖国に渡って37年。東京の大舞台を「最後の花道」と決めている。
 ▽3度の出会い
 崔コーチとは印象に残る3度の出会いがあった。最初は筆者が駆け出し記者だった1979年の春。名門、下関商高のエースとして選抜高校野球大会に出場した。その大会前のチーム取材だった。2度目は韓国プロ野球、OBベアーズの主戦投手として活躍していた頃のある日。本拠地であるソウル蚕室球場の通路で話を聞いた。
 3度目は新型コロナウイルスのため筆者が渡韓できず、やむなく電話で代表コーチとしての抱負を尋ねた今年6月上旬だった。時折、出身地の山口弁のイントネーションが口をつく。「自分は話し下手ですよ」と謙遜したが、快活で頭の回転の速さを思わせる話しぶりは現役当時と少しも変わっていなかった。
 ▽皮肉な分岐点
 82年にスタートした韓国プロ野球の創成期から、投手とコーチで実績を積み重ねた。84年に専修大を出て、日本のプロを経ずに韓国プロ野球のOBに入団した。新人で9勝し、2季目は10勝。「監督に日本のプロ野球でやりたいと話し、日本のスカウトにも会った」。ところが翌年19勝を挙げ「勝ち過ぎて、日本に戻るのを諦めた」と、プロ人生の分岐点は少し皮肉が入り交じっていた。
 92年シーズンを限りに現役を引退。コーチでも野球人の真価を発揮し続けた。5球団を渡り歩き、OBにいた95年には韓国で初めて先発投手を中5日で回すローテーション制を採り入れ優勝に導いた。「自分には韓国の学校人脈がないし、自ら頼んで移籍したことはない」。それは多くの球団から指導力の高さを買われ、招き入れられた証左でもある。チームでは多くの後輩たちに慕われた。
 ▽砂糖
 在日であることへのわだかまりは「韓国での1年目になくなった」と言う。「移民や留学で世界へ目を向ける」韓国社会で暮らすうち、自分が何人かへのこだわりは薄れた。「韓国人であろうが何であろうが、そういうことは意識しなくなった」と視野が劇的に広がった。
 韓日関係は膠着(こうちゃく)状態が続き、なかなか出口の光が見えない。「国単位で考えていたら一つもプラスがない」と市民の相互理解がまず必要との持論を語る。「隣の家に砂糖を少し貸してほしいと言えるような間柄になればいい」と夢見る。
 ▽キロギアッパ
 子息の教育のために夫以外の家族が外国に移住し、韓国に残って仕送りする夫を「キロギアッパ(ガンのような渡り鳥のお父さん)」と呼ぶ。崔コーチの妻と子ども2人もニューヨークに移り住んだ。「息子は米国にとけ込み、娘は日本志向になった」。娘はその後日本に留学し、現在は日本で会社勤め。家族は日米韓3カ国で活躍している。
 自分が生まれ育った土地での五輪参加に「知り合いが『すごいね』と言ってくれて」と特別な舞台と感じている。野球競技が始まる前日の7月27日に60歳の誕生日を迎えた。韓国で還暦は家族、親戚で盛大にお祝いをする。せっかくの記念日だが、グラウンドでの勝負が目の前。身内から祝福を受けるのは少し先になる。(共同通信・豊田正彦)