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旗の下に集う一体感 リーダー見極める季節に 加藤創太(政治学者) リレー評論「解読オリンピック」

2021.7.29 11:00 共同通信
加藤創太氏
加藤創太氏

 

 五輪は平和の祭典と言われる。しかし古代五輪以来、その意味するところは国家を前提としての平和だった。国の代表として選手が競い合う五輪は、国家の主体である政治に対しては脆弱(ぜいじゃく)にならざるを得ない。1940年に予定されていた東京五輪は戦争のため開かれなかった。冷戦時には、米国と旧ソ連双方がお互いの大会をボイコットした。

 

 今回の東京五輪はことさら政治、特に国際政治ではなく国内政治に大きな影響を受けているように見える。自民党総裁や衆院の任期満了が五輪終了後に設定されていることが一つの要因だ。

 よく言われるのは政権が、五輪で高揚する国民意識の下で政権支持率を高めて、その後の選挙や総裁選につなげようとしているのではないか、という疑念である。実際、政治学では古くから、国民の政権支持には「旗の下への招集効果」があるとされてきた。危機時などには、国旗を掲げるリーダーの下で国民は一致団結するため、政権支持率が跳ね上がるという現象だ。五輪自体は危機ではないが、国家を代表して闘う若者たちの姿を見て、国への思いや強い一体感を感じた者、つまりは五輪を見て旗の下に招集された経験のある者は少なくないだろう。

 その一人である私は、だから今回の五輪だけは、冷ややかに見ようと思っていた。政府の一連の対応に反発もあったからだ。しかし情けないことに、そんな思いは開会式まですらもたなかった。開会式前に日本の先陣を切って福島で試合を行った女子ソフトボールチームを見てしまったからである。

 2008年の北京五輪後にソフトボールはいったん五輪競技から外された。5年間ではなく13年間待ったエース上野由岐子(うえの・ゆきこ)選手が福島で力投する姿に、旗の下に引きずりこまれなかった者はいないだろう。

 開幕後も日本の若者たちが快進撃を続けている。彼らの前で政治の理屈をこねくり回すのは無粋で恥ずかしい。今後も旗の下へ招集される者は増えていくだろう。

 ただ今回は、たとえ国民の多くが選手たちの活躍に触発され、旗の下で一体感を感じたからといって、それは直ちに政権の支持率上昇につながらないかもしれない。旗の下に多くの国民が集ったとしても、旗を持つ者を自らのリーダーとして信頼しきれなければ、支持の跳ね上がりは起きないはずだからだ。

 実際、新型コロナウイルス禍の危機の中、日本は先進民主主義国家の中でほぼ唯一、政権支持率が下がった。危機時に醸成される一体感が、自らが選んだはずの政治リーダーの支持へと向かわなかったのである。

 五輪後の政治の季節は、旗の下に招集された国民が、自らの先頭で真に旗を持つべき者を見極める時季となる。それまでは、政治の色眼鏡を外し、選手たちの躍動を堪能しよう。
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 かとう・そうた 1967年生まれ。東京財団政策研究所研究主幹、国際大教授を兼任。