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てくてくjapan

ニッポン名場面

2007年11月02日

京都 どうしても行かはるの  

おすすめ度:★★★★★

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嵐山にかかる虹
いいことあるかも


 千二百年の歴史を持つ京都。人を引きつけてやまない古都だが、青春の街、学生の街という顔もある。加えて〝日本のハリウッド〟と呼ばれた映画づくりの伝統も。スクリーンの若者たちを追い掛けた。

 洛東を永観堂あたりから、鹿ケ谷を通って銀閣寺まで歩く。疎水に寄り添って約二キロ続く小径は、哲学者の西田幾多郎が思索した「哲学の道」。

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 ▽鮮やかマジック
 学生運動が活発だった一九六〇年代後半の京都を描く映画「パッチギ!」(二〇〇四年)で、主人公の日本人の高校生が、ナンパを試みて失敗する“甘酸っぱい”エピソードに使われた。

 澄んだ疎水に落葉が流れる様子を見ていると、「涙そうそう」のみずみずしい斉唱が聞こえた。振り返ると、修学旅行中の女子高校生の一団が嬌声を上げていた。誰にでもあった、恐れを知らない楽しい盛り。

 銀閣寺参道は象徴的なロケ地。修学旅行生に身内をからかわれた朝鮮高校の番長たちが、坂道を一気に駆け降りる。普段は静かな土産物店通りが、怒号ストリートに様変わりした。映画の鮮やかなマジックだ。

 賀茂川と高野川にはさまれた葵公園の三角州は、日本人との派手な乱闘の舞台になった。大文字がある東山の如意ケ嶽が、達観したように見下ろしている。

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 そのまま市バスで鴨川沿いを下る。繁華街・四条河原町かいわいは人気ナンバーワンの幕末の志士、坂本竜馬ゆかりの地。映画「竜馬暗殺」(一九七四年)は暗殺までの三日間を描いた。原田芳雄が演じたのは、ギラギラと野望に燃えた竜馬。

 「近江屋」の名残は「坂本龍馬 中岡慎太郎 遭難之地」と小さな石碑がたたずむだけ。観光客らしい女性二人が「いやぁ、ここにあるわ」と熱心にカメラ付き携帯電話で撮影していた。

 高台寺の東、京都霊山護国神社に竜馬は眠る。供養に訪れる人が引きも切らず、どういうわけかカップルが多い。墓がある高台からは、京都市内が一望に見渡せた。

 ▽虹を見たかい
 みっともない思い込みや勘違いから恋や夢にがむしゃらになれる青春の日々を思い、しばらくたたずむ。勢いよくはじけて、突っ走り、その先はちょっと切ない…。あがきながら現実と折り合いをつけて生きる映画人を活写したのが「蒲田行進曲」(一九八二年)だ。

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 傍若無人なスターに振り回されても、慕い続ける大部屋役者。撮影は、太秦にある東映京都撮影所が選ばれた。周辺は日活や松竹、マキノなど大小の撮影所が集中し、映画が量産されていた。

 正門前には若い女性たちの姿が目立つ。お目当ての俳優が出てくるのを待ち構えているのだろうか。ここで松坂慶子が泣き崩れ、あのスタジオで階段落ちが―と想像を膨らませる。

 小雨まじりの夕暮れ、自らの来た道も振り返りつつ、嵐山まで歩く。渡月橋を渡るころ、東の空にうっすらと虹がかかっていた。



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 京都で映画の試写が初めて行われたのは1897年。その後、芝居小屋を経営していた「日本映画の父」牧野省三が製作した時代劇映画が人気を集め、以来、京都は日本の映画文化をリードすることになる。  ↑の銅像は竜馬のお墓の横にあります。遭難之地はうっかりすると見落とします。念のため。