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スポーツリレーコラム

2011年10月26日

ゴルファー悩ます「イップス」 パッティングの名手も陥り低迷  

日本オープン選手権第3日、17番でロングパットを沈めバーディーを奪った佐藤信人(2011年10月15日、鷹乃台CC、共同) 10月16日まで行われたゴルフの日本オープン選手権で、3位となった佐藤信人のプレーが印象的だった。2002年には賞金ランキング2位になった実力の持ち主だが、得意だったはずのパッティングで、緊張のあまり動きがおかしくなる、いわゆる「イップス」に悩み低迷。昨年からはツアー出場資格さえ失っていた。その苦悩が垣間見えた4日間だった。

 第3日までは難しいパットを何度も沈めて快進撃し、かつての実力をうかがわせた。それが、首位で迎えた最終日は一転した。練習から手の動きが普段と違っていたそうで、1メートル前後の距離をたびたび外してバーディーなし。がちがちになってボールを転がす41歳の姿に、症状の根の深さを見た。

 止まったボールを誰にも邪魔されずに打つ競技。考える時間がたくさんある分、不安も膨らみやすい。この大会で18位に終わった石川遼の言葉にハッとした。「僕も経験が増えているが、いいものばかりじゃない。ミスの経験も増えてきている。今は、マイナスな経験からくるイメージと戦うのが難しい。以前なら『いけいけ』でやれたが、そうもいかない」。どんなに順風満帆な選手にも、イップスの芽は潜んでいる。

 

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山田亮平(やまだ・りょうへい)1998年共同通信入社。大阪、名古屋支社で近鉄や中日などプロ野球を中心に取材。2005年から柔道、サッカーなどを担当し2007年からゴルフ、08年からスケートも担当。1974年生まれ


2011年07月20日

アイアンショットに焦点 石川遼、安定感求め方針転換?  

itou.misei.jpg 男子ゴルフの石川遼の成績が、このところ乱高下している。日本で続けて予選落ちし、その後の全米オープン選手権では30位。続く国内大会で優勝を争ったかと思えば、その次の全英オープン選手権では147位と散々な順位で予選落ちに終わった。

 その都度、いろいろな感想を漏らすのだが、「ドライバーは悪くない」という自己評価は一貫している。不振の全英オープンでも「やれた部分」に挙げた。確かに、大きく曲がる場面は数年前に比べて明らかに減っている。飛距離を捨ててコントロール重視で打っているわけではない。プロになったころからこだわり、練習に最も熱が入るのがこのクラブ。「練習してきたことが出せている」という言葉は誇らしげだ。

 ドライバーの特徴を「いつも振り切れる点」と言う。ほかのクラブより球は曲がりやすいが、飛距離の微調整は不要。トレードマークでもあるフルスイングを、このクラブで育んできた。それが、かなりの水準に達した自負がある。

 

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 山田亮平(やまだ・りょうへい)1998年共同通信入社。大阪、名古屋支社で近鉄や中日などプロ野球を中心に取材。2005年から柔道、サッカーなどを担当し2007年からゴルフ、08年からスケートも担当。1974年生まれ。


2011年04月20日

「アスリート」の時代到来か ウッズも実感 男子ゴルフに変化の兆し  

 10日まで行われた「ゴルフの祭典」マスターズ・トーナメントの前に、米メディアで話題になった選手がいた。3月中旬の米ツアー、トランジションズ選手権でツアー初優勝を飾った26歳の米国人ゲーリー・ウッドランド。大学の途中までバスケットボールをやっていたという経歴が注目されていた。

 トップ選手ではなかったとはいえ、米国の花形スポーツで大学の奨学金を受けるレベルにあった。185センチとバスケットの世界では上背がないこともあり、大学の途中からゴルフに専念。パワーが魅力で、トランジションズ選手権では石川遼と2日間同組で、ほとんどのホールで石川の先にいた。その翌週、ウッドランドと回ったタイガー・ウッズ(米国)は「落ちてくると思っても、まだ飛んでいる。見たことがないショット。違う競技のようだ」と評した。

 動きに俊敏さや激しさを求められないゴルファーに「アスリート」の印象は薄い。鍛えた体で優勝を重ねてきたウッズは、そんなイメージを変える存在だった。そのウッズが「ダンクシュートを決められる人間がゴルフをやっている。競技が変わりつつある」と言う。

 

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http://www.47news.jp/CN/201104/CN2011041901000741.html


2011年01月12日

「毎日が勉強」 海外遠征で成長するホープ高木美帆 スピードスケート  

 バンクーバー冬季五輪直前に彗星(すいせい)のように現れてからちょうど1年。スピードスケート女子のホープ高木美帆(北海道・帯広南商高)が「スケート道」をまい進している。昨年11月からのワールドカップ(W杯)を初めて転戦し、年明けの1月からは世界スプリント選手権、アジア大会、世界距離別選手権など大きなレースに臨む。ほとんどが初めての体験に「毎日が勉強です」。遠征続きの苦労はあるが、とても楽しそうだ。
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 高木を見ていると、有望な素材に上のレベルを体験させる意義を感じる。まだ無名だった2009年3月、バンクーバー五輪の会場となるリンクで行われた世界距離別選手権を、合宿中でカナダにいた日本のジュニア強化選手として観戦。これが「ここで滑ってみたい」と、五輪出場を意識した初めての機会となった。

 そして夢は実現する。五輪本番で個人成績は振るわなかったが、団体追い抜きで先輩たちの銀メダル獲得を目の前で見た。高木はメンバー登録されていたものの、滑る機会がなくメダルもなし。それが闘志をかき立てたようで「自分はまだ、もらわなくて良かった」と、将来自力で獲得することを誓った。

 

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山田亮平(やまだ・りょうへい)1998年共同通信入社。大阪、名古屋支社で近鉄や中日などプロ野球を中心に取材。2005年から柔道、サッカーなどを担当し2007年からゴルフ、08年からスケートも担当。1974年生まれ。


2010年10月07日

名前の表記に苦戦 記者にも手ごわい韓国選手  

 女子ゴルフで韓国勢の台頭が著しい。終盤戦を迎える今季ツアーで6日現在、賞金女王に最も近いのは米ツアーが申ジエ、日本ツアーはアン・ソンジュ。4日付の女子世界ランキングでは、トップ10のうち4人を韓国勢が占めた。コースでは日米の選手がその強さに手を焼いているが、報道する側にとってもなかなかやっかいなことがある。それは名前の表記だ。
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 日本の新聞では韓国人は漢字で表記するのが原則となっている。しかし、韓国では最近漢字をあまり使わない。学校でもほとんど習わないという。だから自分の名前も、漢字ではきちんと書けない選手が多い。
 
 ゴルフでは、実績がない無名選手でも調子次第で上位に顔を出すことがしばしばある。米ツアーを取材していた時のこと。聞いたことのない韓国選手がトップに近いスコアを出し午前に競技を終えていた。午後は悪天候で、ほかの選手は伸びそうにない。あわてて、顔も分からないその選手を探しに練習場へ向かった。運良く、まだ練習していた本人をつかまえることに成功。「名前を漢字で教えて」と言うと「えー、どうだったかな」。近くにいた父親を呼び、さらに母親を呼び、何とかノートに書いてもらった。書き慣れていないことがはっきり分かる字だった。
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 しかも、それは間違っていた。翌日、母親が寄ってきて「ごめんなさい。こっちの字だったの」。幸い、その選手は記事には出していなかったが、危うく訂正が必要になるところだった。そんな状況だから、漢字名にこだわりのない選手は多い。申ジエとアン・ソンジュも昨年までは申智愛、安宣柱と書いていたが、「日本のファンに正しく読んでもらえない」との理由で本人から要請があり、今の表記になった経緯がある。
 
 一方で、日本ツアーで10年に渡って活躍する李知姫(イ・チヒ)のように漢字の表記を通す選手も多い。李知姫は「名前をある程度みなさんに知ってもらったし、わたしには変える理由はない」と、流ちょうな日本語で説明してくれた。

 日常では漢字の出番が少ない韓国だが、命名には漢字を用いる人が今も多数派という。漢字に詳しい「命名アドバイザー」もいるとか。ゴルフに限らず、日本の強敵として登場する韓国選手がこれから増える可能性は高い。取材のまさに第一歩である「名前の確認」から始める状況は、今後も続くことになる。

【写真】10年来、漢字名で活躍する李知姫(上)と今季から表記を変えた申ジエ(下)(いずれも共同)

 

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山田亮平(やまだ・りょうへい)1998年共同通信入社。大阪、名古屋支社で近鉄や中日などプロ野球を中心に取材。2005年から柔道、サッカーなどを担当し2007年からゴルフ、08年からスケートも担当。1974年生まれ。


2010年06月23日

「いつでもポジティブに」 宮里藍、米本土初優勝で世界ランク1位に躍進  

 米女子ゴルフで、宮里藍の快進撃が続いている。20日までのショップライト・クラシックで今季早くも4勝目。3位で迎えた最終ラウンドで64をマークし、米国本土で初めての優勝を果たした。もちろんミスはあったが「ゴルフにミスはつきもの。ミスはミスとして、いつでもポジティブに」と簡単に言ってのけた。力みのない、笑顔の逆転優勝だった。

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 2007年から08年にかけて、宮里のゴルフをたくさん見た。日本で「時の人」となった後、米国に拠点を移して2~3年目。米ツアー初優勝を期待される中で、極度のスランプに陥った時期だった。

 

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山田亮平(やまだ・りょうへい)1998年共同通信入社。大阪、名古屋支社で近鉄や中日などプロ野球を中心に取材。2005年から柔道、サッカーなどを担当し2007年からゴルフ、08年からスケートも担当。1974年生まれ。


2009年11月11日

五輪はぜひ団体戦で! 2016年大会で実施のゴルフ  

 ゴルフが2016年のリオデジャネイロ大会から、夏季五輪の正式競技となることが決まった。「娯楽ではなくスポーツとして認知されやすくなる」という関係者の声には同感だが、競技方式について一つ注文がある。ぜひ、団体戦でやってもらいたいのだ。
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 今のところ提案されているのは、男女とも60選手による72ホールのストロークプレーでの個人戦。つまり、通常行われているプロのトーナメントと同じだ。これを聞いた日本のトップ選手の片山晋呉はすっとんきょうな声を上げた。「えっ、団体戦じゃないの?  五輪って国と国とで争うイメージ。当然、団体戦と思っていた」 

 米国や欧州、日本など世界の主要なゴルフツアーは年に30前後の大会があり、その中でビッグイベントとして年に4度のメジャー大会が定着している。例えば、男子の全英オープン選手権は第1回が1860年と近代五輪より36年も古く、権威もある。各大会に「金メダル」に相当するジャケットやカップが用意されている。賞金も高額だ。10月の米国の雑誌によると、タイガー・ウッズ(米国)の生涯収入は10億㌦(約890億円)を超えたという。日本でも、五輪に出られそうなレベルの選手は用具契約だけで年に数千万円を稼ぐ。

 ここに個人戦の五輪が加わったとして、選手がどれだけ燃えるだろうか。日本ゴルフツアー機構の山中博史専務理事は先行きを早くも危惧する。「最初は珍しさもあって、みんな出るだろう。でも2度目、3度目はどうか。日程が詰まった中で五輪を優先するだろうか…」

 

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山田亮平(やまだ・りょうへい)1998年共同通信入社。大阪、名古屋支社で近鉄や中日などプロ野球球団を中心に取材。2005年から柔道、サッカーなどを担当し2007年からゴルフ、08年からスケートも担当。1974年生まれ。


2009年04月30日

5度目の五輪、周到な準備で 女子短距離の岡崎朋美  

 3月でシーズンを終えたスピードスケートの選手たちは短いオフを終え、五輪シーズンに向けて動き出す時期を迎えている。大きな注目を浴びる4年に一度のチャンスだけに、五輪にかける思いはひときわ強い。5度目の五輪出場を目指す女子短距離のベテラン、岡崎朋美(富士急)もその時に向けて、周到な準備を進めている。
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 3月半ばの世界距離別選手権は、オープンして間もないバンクーバー冬季五輪と同じ会場で行われた。氷の質がタイムや成績を大きく左右する競技だけに、報道陣も選手やコーチに「どういう氷か」「タイムは出やすいのか」「日本選手の特徴に合うのか」と、リンクの印象をつぶさに聞いた。

 そんな疑問へのベテランの答えはひと味違っていた。氷については「嫌いではない。少し軟らかめで、刃に食い付いてくる感じ」と、ほかの選手と大差なかったが、その後にこう続けた。「会場の雰囲気と、この建物の中で自分が動ける範囲を把握しようとしている。落ち着ける場所を見つけたいから、大会中にしっかり探索するつもり」

 この大会は五輪のテストという位置付けで、報道陣はそう多くなかったものの、取材エリアや関係者の出入りなどを五輪本番並みに厳しく制限していた。各所にIDカードを見るボランティアが座り、選手たちもチェックを受けていた。

 

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山田亮平(やまだ・りょうへい)1998年入社。大阪、名古屋支社で近鉄や中日などプロ野球球団を中心に取材。2005年から柔道、サッカーなどを担当し2007年からゴルフ、08年からスケートも担当。1974年生まれ。


2009年01月14日

言い訳と言わないで  トップスケーターにも道具の悩み  

 スピードスケート男子短距離の第一人者、加藤条治(日本電産サンキョー)が悩ましい日々を送っている。シーズン序盤、昨年11月のワールドカップ(W杯)五百メートルでは開幕4レースで2勝。爆発的な速さを発揮する一方で、転倒も2度。W杯遠征中にスケート靴の刃(ブレード)を一度こわしてから、調子が不安定になった。
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 ブレードを新調した12月の全日本スプリント選手権では総合12位に沈んだ。レースごとにブレードを替えて試すような状況で、加藤らしい滑りは影を潜めた。敗戦の弁は「道具のことばっかり言っていても前に進めない。自分の滑りも再確認しないと」。 困ったような顔で漏らした言葉はおそらく、半分本音で半分は建前だ。惨敗後に道具の話ばかりしていては当然、言い訳じみてしまう。それを避けたいなら自らの滑りを反省するしかない。

 しかし、道具の影響が大きい競技なのだ。瞬間的には時速60キロ近くに達し、カーブでは強烈な遠心力が幅約1ミリのブレードにかかる。体を支えるのは常に片足で、ブレードに違和感があると、体重を完全に預けることはできない。

 現在、世界のトップ選手の多くはオランダ製のブレードを使う。特注で、1セット10数万円。大きさや形、硬さをメーカーに伝えて届くのを待つが、それが自分にぴったりと合うとは限らない。同じ数値で注文しても、ものによって微妙に違うという。たいていの選手の部屋には、使わなかったブレードが眠っている。

 

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山田亮平(やまだ・りょうへい)1998年入社。大阪、名古屋支社で近鉄や中日などプロ野球球団を中心に取材。2005年から柔道、サッカーなどを担当し2007年からゴルフ、08年からスケートも担当。1974年生まれ。


2008年10月08日

「名付け」の苦労は世界共通 これって誰?「尤塞恩・博尓特」  

 北京五輪の柔道会場で、日本語を話す中国の国営通信社・新華社の記者に聞かれた。「この選手の名前は、どういう漢字ですか?」。柔道女子78㌔級の中沢さえ(綜合警備保障)を指さしている。「さえ」は平仮名だ。「つけるなら、どんな漢字ですか?」。他人が勝手にというわけにはいかない。そう答えると、困った表情を浮かべた。
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 外国の選手名をどう表記するか。それは、われわれにも悩みの種だ。人の名前は、十人十色。漢字圏なら字を尋ね、それ以外ならば、各国の発音に近いカタカナに置き換える。

 「ハンガリーでは、子音のつかないSは“シュ”だろ?」。「あ、そうですね。バロスじゃなくバロシュに変えてください」。国際大会に取材に行くと、現地と東京とで、こんなやりとりを繰り返すことになる。日本語にない発音はいくらでもある。「中沢選手は1回戦でポーランドの○○選手に優勢勝ちした」と書きたいだけなのに、○○を埋めるのにやたら時間がかかったりする。後に有名選手にならないとも限らない。人の名前をいい加減には扱えない。

 中国ではすべて漢字をあてる。陸上のウサイン・ボルト(ジャマイカ)は「尤塞恩・博尓特」、サッカーのロナウジーニョ(ブラジル)は「羅納尓多迪尼奥」だとか。新華社通信も、あてるべき漢字を四苦八苦して選んでいるのだろうか。先の記者に逆に聞いた。「社内に外国人の名前を付けるセクションがあります。わたしは詳しく知りませんが、年配の人が多く働いているようです」
 
 柔道会場からプレスセンターに戻り、五輪の記録用コンピューターで中沢を探した。「中澤小枝」。勝手につけてしまったようだ。中国語で発音すれば「小枝」は「シャオジ」。どんな基準で選んだのか分からないが、女の子らしい字をあてようという配慮を感じる。日本人に聞いた気配も少しある。どちらにしても即決だったとは思えない。人の名前を決めるのは、簡単ではない。

 

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山田亮平(やまだ・りょうへい)1998年入社。大阪、名古屋支社で近鉄や中日などプロ野球球団を中心に取材。2005年から柔道、サッカーなどを担当し2007年からゴルフが中心。1974年生まれ。


2008年06月04日

高い志と技の応酬を見たい 選手の引退、復帰に思う  

TR2008051200035.jpg 5月はトップ選手の引退の知らせが相次いだ。13日に今季限りで一線を退くと言った女子ゴルフのアニカ・ソレンスタム(スウェーデン)は、これ以上ないほどの実績を残した37歳。その翌日には、女子テニスの世界ランク1位、ジュスティーヌ・エナン(ベルギー)が引退した。こちらは、まだこれからとも思える25歳。別れを告げる女王たちのニュースに触れ、思い出した言葉があった。

 一つは柔道男子の野村忠宏のもの。五輪3連覇を果たし、引退もささやかれた2005年に言った。「給料をもらっているので、会社とは話し合わないといけないが、(世間に対し)区切りをつける必要はないと思っている」。野村は北京五輪出場がなくなった今も、引退を表明していない。自身のブログには「こいつには勝てないっていう選手が現れた時、納得して引退を決意できるけど」とつづる。

 もう一つは女子テニスの杉山愛の母、芙沙子コーチの話。「女の子はだいたい25歳ぐらいで迷う。結婚とか出産とか、人生を考えて。それを乗り越えると、30歳過ぎぐらいでまた迷うもの」。長く競技を続ける32歳の杉山愛はよく、ほかの選手から「どうやってモチベーションを維持しているの?」と相談されるという。負けや不出来を許さない志がないと、戦い続けられない。逆に、意地が残っている間は簡単にはやめられない。

 

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2008年02月27日

長い目で見よう!石川のプロ転向 10年目で開花の例も  

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 高校1年生の石川遼がプロゴルファーとして活動を始めた。契約メーカーのクラブを携え、ウエアには所属スポンサーのロゴマーク。契約金は億単位と言われる。そんな派手な話題に、「プロ転向が早すぎて、重圧と多忙でつぶれるのではないか」と心配する声はある。

 まだ結論付けるのは早すぎるかもしれないが、最近の失敗例として挙げられるのが2人のハワイ出身選手、「元天才少女」ミシェル・ウィーと日系人のタッド・フジカワだ。ウィーは15歳、フジカワは16歳でプロになった。どちらもその後は振るわず、昨季は予選落ちが目立った。

 

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山田亮平(やまだ・りょうへい)1998年入社。大阪、名古屋支社で近鉄や中日などプロ野球球団を中心に取材。2005年から柔道、サッカーなどを担当し2007年からゴルフが中心。1974年生まれ。


2007年11月14日

「ハニカミ王子」人気の秘密とは 垣間見せるスターの素質  

BS-0060__-200707031300_M.jpeg 4日間競技の序盤。平日、朝もまだ早いのに、最終日最終組かと見まがう数のギャラリーがいる。「ハニカミ王子」石川遼の人気は今も続いている。大半は中高年。女性が目立つ。「どこに飛んだ?」「こっち来るよ」「笑ってる」「かわいい」。そんなささやきの中で主役は真剣に、楽しげにクラブを振る。

 ドライバーショットの飛距離は300ヤード以上。5月のツアー初優勝で見せたような、絶妙な寄せも時折。今季、6度のプロツアー参戦で予選通過は4度。16歳としてはかなり上手いのだろう。ただ「天才少年」と呼ばれた選手は過去にもいた。正直なところ、石川がどれほどの素材なのか、わたしには分からない。

 それでも、石川にはスターの素質があると思う。プロの大会に出れば毎日、テレビや新聞・雑誌の記者会見に応じる。そこでの立ち振る舞いに感心させられるのだ。

 にこりと、まさにはにかんだような笑顔で着席。返答は質問者の方を向いて。多少、長くなっても嫌な顔は見せない。笑わせようとか気の利いたことを言おうとか、無理はしない。幼さゆえの、「聞いたら怒る人がいるんじゃないか」とハラハラするような返答もない。かといって、通り一遍の言葉ばかりではない。並べて書くと簡単だが、これを貫く16歳はまれだ。高校生1年生だったころ、大勢のよく知らない大人を前にマイクを持って、舞い上がらずに話せましたか?

 

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山田亮平(やまだ・りょうへい)1998年入社。大阪、名古屋支社で近鉄や中日などプロ野球球団を中心に取材。2005年から柔道、サッカーなどを担当し2007年からゴルフが中心。1974年生まれ。