47NEWS >  スポーツ >  スポーツリレーコラム >  石原 秀知

ライター名

スポーツリレーコラム

2009年10月28日

秋、野球選手には決断の季節 広島・緒方選手の引退に思う  

 野球選手にとって、秋は決断の季節だ。岩手・花巻東高の菊池雄星投手が25日、ドラフト会議を前に日本のプロ野球へ進むことを表明した。米大リーグへのあこがれを強く持つ左腕は記者会見が終わると、涙を流した。複雑な思いが見え隠れしたシーンだった。
ogata2.jpg
 野球記者として15年近くを過ごしてきて、選手の大きな決断を何度も取材してきた。その中でも印象に残っている秋がある。広島担当をしていた1999年のことだ。この年、広島の緒方孝市外野手はフリーエージェント(FA)資格を取得。権利を行使するかどうかが注目されていた。確か、鳥取県の米子で公式戦があった時だっただろうか。移動のために駅で電車を待つ間、改札近くの喫茶店でコーヒーを飲みながら話しを聞いた。ぽつりぽつりと語る言葉には悩みぬいている様子がにじみ出ていた

 攻走守三拍子そろった選手として、一番脂が乗った時期だった。広島を出て自分の力を試してみたいという希望を持っていた。だが、同時に将来指導者を目指すならば、広島に残ることも選択肢の中にあるのでは、との思いもあり揺れていた。何より、佐賀県で父親が営む家業を継がなければいけないのでは、との責任感が判断をより複雑なものにしていた。母親が4年前に亡くなったばかりでもあり、自分が家族を支えないといけないと感じているようだった。ただでさえ故郷を離れているのに、広島よりもさらに遠くへ行ってもいいのか。自分の気持ちだけで答えを出していいのか、と悩みもがいていた。

 巨人は緒方を獲得するため、松井秀喜外野手(現ヤンキース)を三塁にコンバートする案も検討していたと言われる。それでも緒方は最終的に広島残留を決めた。巨人に行けば、広島とはまた違う、スポットライトの浴び方をしていたかもしれない。

 

続きはこちら



石原秀知(いしはら・しゅうち)1994年入社。西武、オリックス、広島、巨人とプロ野球を担当。シアトル、ロサンゼルス支局に3年間赴任して大リーグを取材。08年に帰国してコミッショナー事務局を中心に取材。福岡県出身。


2009年08月05日

不況の打撃深刻、プロ野球界 オールスター戦の見直しも議論  

 100年に1度と言われる厳しい不況が日本経済を覆っている。広告・宣伝費に依存してきたプロ野球界もその影響を真正面から受けている。オーナー会議や実行委員会をはじめとして、最近開かれるプロ野球の会議は、決まって財政問題などお金の話しが中心になる。
nichibeiyakyuu.jpg
 昨年、約2億円の赤字を出したアジアシリーズだけでなく、5月の実行委員会では2リーグ分立直後の1951年から続いているオールスターゲームの見直しまで議論された。背景にはテレビ局の広告収入が大幅に落ち込んだことがある。昨年まで1億円以上だった球宴のテレビ放映権の交渉が難航し、この時点ではオールスター戦の地上波放送がなくなる可能性もあった。

 結局、最悪の事態は避けられたが、テレビ放映権料は大幅に引き下げられた。2006年にサンヨーが経営難から冠スポンサーを降りて以降、苦しさは増している。昨年から2年連続でマツダが冠スポンサーを務めたが、これも来年以降は白紙。球界の中では「交流戦が始まって球宴の価値は下がっている。ファンは真剣勝負を求めている」と見直しを求める声はくすぶっている。

 プロ野球が興行である以上、収支が問題になるのは当然だ。だが、収支だけですべてが語られている現状は、あまりに寂しい。特にアジアシリーズについては、2004年の球界再編を経験したプロ野球界が「国際化の第一歩」として始めた大会だった。「将来、真のワールドシリーズを実現する」。その理念を掲げ、最初は赤字覚悟でスタートした大会だったはずだ。

 

続きはこちら



石原秀知(いしはら・しゅうち)1994年入社。西武、オリックス、広島、巨人とプロ野球を担当。シアトル、ロサンゼルス支局に3年間赴任して大リーグを取材。08年に帰国してコミッショナー事務局を中心に取材。福岡県出身。


2009年05月07日

「マドンナ野球」を支える 女子協会・津司事務局長の熱い思い   

 4月の終わり頃だった。偶然、人に誘われて向かった居酒屋で紹介された。「女子野球協会事務局長」。津司浩一さんは名刺の肩書きには似つかわしくない大柄な体を小さな椅子に押し込めていた。本職は松山市の職員。スポーツ振興課で、野球に関するイベントや事業を担当している。
zyosiyakyuu.jpg
 松山は雅号を「野球(のボール)」としていたことでも有名な俳人、正岡子規を輩出するなど野球王国を自負する街。夏目漱石の「坊っちゃん」にちなんで名付けられた3万人収容の立派な坊っちゃんスタジアムを持つ。2012年には2度目のオールスター開催も決まっている。

 5年ほど前のことだった。津司さんは中村市長に「日本中を探しても女性の名前がついている球場はここだけだろう。女子野球の大会を開けないか」と打診される。坊っちゃんスタジアムに併設されたサブ球場はマドンナスタジアムと呼ばれている。

 女子硬式野球の全日本選手権の誘致に動き出した。マドンナスタジアムに隣接している競輪場の宿舎を提供してもらうことで選手の遠征費の負担を減らした。市長の働き掛けもあり地元の伊予銀行が女子野球に理解を示してくれて、大会の特別協賛をしてくれることになった。

 

続きはこちら



石原秀知(いしはら・しゅうち)1994年入社。西武、オリックス、広島、巨人とプロ野球を担当。シアトル、ロサンゼルス支局に3年間赴任して大リーグを取材。08年に帰国してコミッショナー事務局を中心に取材。福岡県出身。


2009年01月21日

39歳、田口壮の心意気 マイナーからの再挑戦  

 この人はどうしてこんなに強いのだろうと思う時がある。米大リーグ、カブスとマイナー契約を結んだ田口壮外野手のことだ。日本の球団からも誘いがあったが、ことしも米国でプレーする道を選んだ。オリックスからフリーエージェント宣言して、2002年にメジャーへ移籍してから8年目。ことしは招待選手としてキャンプに参加して、メジャー昇格を目指す。
taguchi.jpg

 昨年の12月。フィリーズでのシーズンを終えて帰国したばかりの田口を訪ねた。チーム事情や監督の方針から出場は88試合と激減し、05年から3年連続で300以上あった打数も、わずか91にとどまった。

 チームはワールドシリーズで優勝を飾ったが、田口自身は優勝パレードの直後に契約を更新しないことを告げられていた。不本意な起用法の末の放出。好成績が残っていないだけに、09年にメジャー契約を獲得することは難しくなっていた。きっと多くの不満を抱えているに違いないと思っていたが、一緒に食事をしながら話を聞いていると田口の口から出てくる言葉は前向きなものばかりだった。

 

続きはこちら



石原秀知(いしはら・しゅうち)1994年入社。西武、オリックス、広島、巨人とプロ野球を担当。シアトル、ロサンゼルス支局に3年間赴任して大リーグを取材。08年に帰国してコミッショナー事務局を中心に取材。福岡県出身。


2008年10月22日

脇を固める元・4番 強い西武を支える江藤智  

 プロ野球パ・リーグのリーグ優勝がかかった一戦だった。9月24日。西武ドームでの西武―ロッテの八回裏、西武の攻撃終了後、九回に備えて西武の平野がマウンドに上がり投球練習を始める。その球を受けるためにバッターボックスの後ろに座っていたのは、ベテランの江藤だった。
etou.2.jpg

 プロ野球はとかくエースや4番打者といったスター選手にばかりにスポットライトが当たりがちだが、強いチームにはその裏できっちりと脇を固める選手がいる。

 今季のパ・リーグを制した西武は若手の成長が目立った。中村の46本塁打を筆頭にレギュラーシーズンのチーム本塁打は198本と豪快な野球を見せつけた。その派手さの影で若手を引っ張ったのが、この江藤智内野手だった。

 

続きはこちら



石原秀知(いしはら・しゅうち)1994年入社。西武、オリックス、広島、巨人とプロ野球を担当。シアトル、ロサンゼルス支局に3年間赴任して大リーグを取材。08年に帰国してコミッショナー事務局を中心に取材。福岡県出身。


2008年06月18日

自分のスタイルを貫く 退任する根来コミッショナー代行  

negoro%20.jpg スポーツ記者になりたいと思ったのは、事件とか事故の記事ではなく、人物評が書けると思ったからだった。だが実際に15年近くがたった今、思い悩むのはその人物評を書く時だ。特に実際に取材をして世間の評価とのギャップを感じながら原稿を書く時に難しさを感じる。

 6月末に退任することが決まっている日本プロ野球組織(NPB)の根来泰周コミッショナー代行の記事を書く時もそうだった。2004年1月に就任してからの4年間、球界再編にはじまる激動の時期に重責を担ったが、その評判は決して良くなかった。

 根来氏がリーダーシップを発揮することを期待される場面で繰り返し口にした「わたしには権限はない」という言葉は、ファンの反感を買った。 確かにオリックスと近鉄の合併問題や楽天とTBSの経営統合問題など、球界内部の問題というよりは、親会社同士の経済活動、商業活動の中で持ち上がる問題には一定の距離を置いてきた。

 

続きはこちら



石原秀知(いしはら・しゅうち)1994年入社。西武、オリックス、広島、巨人とプロ野球を担当。シアトル、ロサンゼルス支局に3年間赴任して大リーグを取材。08年に帰国してコミッショナー事務局を中心に取材。福岡県出身。


2008年03月12日

単純な日米比較は無意味 大リーグ取材から日本に戻って  

ichiro.jpg 共同通信に入って以来、ほとんどをプロ野球担当として過ごしてきた。日本のプロ野球が芸能人を招いて始球式をするのが、たまらなく嫌だった。その度に「メジャーでは絶対にこんなことはない」とつぶやいてきた。

 2004年末に北米支局勤務を命じられて、米大リーグを3シーズン取材した。150キロを超える速球と、それを難なく打ち返す打者のスイングの鋭さに何度も心を踊らされた。

 日本の選手が大リーグにあこがれる理由もよく分かった。今季メジャー4年目の井口資仁二塁手(パドレス)は二遊間の守備について「遊撃手が日本では絶対あり得ないような姿勢や位置から投げてくる」と目を輝かせる。母国ではトップレベルの二塁手、遊撃手の評価を得た自負を持つ男にとっても、大リーガーの予想のできない動きに日々、刺激を受けている。

 

続きはこちら



石原秀知(いしはら・しゅうち)1994年入社。西武、オリックス、広島、巨人とプロ野球を担当。シアトル、ロサンゼルス支局に3年間赴任して大リーグを取材。08年に帰国してコミッショナー事務局を中心に取材。福岡県出身。