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スポーツリレーコラム

2011年11月30日

五輪招致に秋元康氏を起用 AKB48で支持率アップ?  

国内支持率アップの「仕掛け人」として期待される秋元康氏(前列中央)と「AKB48」のメンバーたち 2020年夏季五輪招致を目指す東京招致委員会が国を挙げた「オールジャパン態勢」の組織を固め、政財界やスポーツ界の重鎮が名を連ねた。その中で異彩を放つのはアイドルグループ「AKB48」の総合プロデューサーを務める作詞家の秋元康氏。評議会の委員でメンバー入りし、国内支持率アップの「仕掛け人」として期待される。

 16年五輪招致で失敗の一因とされたのが56%と立候補都市で最低だった支持率の低さだ。陸上の為末大選手は「東京には多様な娯楽がある中で、五輪に関心のない人にどう魅力を伝えるかが重要になる」と語る。招致委幹部は「特に今回は全国規模で若者の関心を集めたい」と秋元氏の斬新なアイデアに期待を込め、招致関連イベントなどで人気絶頂の「AKB48」の参画も示唆した。

 招致委員会の評議会は実働部隊となる理事会の諮問機関で、オールジャパン態勢をアピールする目玉の組織。新事務総長に就任した元フランス大使の小倉和夫氏は「正直言って、スポーツ界だけが一生懸命やっていても、世間から必ずしも見えてこないこともある」と招致活動を盛り上げるPRの問題を指摘した。五輪の五つの輪になぞらえ、政界、官界、経済界、スポーツ界、文化界の力を結集して世論に働き掛けていく意気込みだ。

 

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田村 崇仁(たむら・たかひと)1973年生まれ。群馬県出身。共同通信運動部で02年W杯まで主にサッカー担当。プロ野球担当を経て、05年から日本オリンピック委員会(JOC)や五輪招致、陸上競技などを担当。


2011年09月14日

「一発フライング」に賛否両論 過度な重圧、機械導入論も  

itou.misei.jpg 現行の「一発失格」は妥当なルールなのか。韓国の大邱で4日まで開かれた陸上の世界選手権は男子100メートル決勝でスーパースター、ウサイン・ボルト(ジャマイカ)がフライングで即失格となった衝撃の結末をめぐり、新規則は選手に厳しすぎると、見直しも含めた賛否両論が噴出した。

 フライングの「一発失格」は2001年から議論が始まり、当初からテレビの放映時間に配慮した改正案が選手の反発を招いた。かつては「2回フライングした選手が失格」となる緩やかな規定だったが、03年から経過措置として「2回目は誰が違反しても失格」とする折衷案を採用。それでも1回目で故意にフライングして同走者を揺さぶる選手が後を絶たず、昨年から「1回で失格」のルールが適用された。

 100分の1秒を争う花形の100メートルは、スターターやライバルとの駆け引きも醍醐味の一つだ。もともとスタートに苦手意識があるボルトが今大会、神経過敏になったのは言うまでもない。映像をスローで見直すと隣のレーンで母国の後輩ヨハン・ブレークの膝が先に動いており、それにつられた可能性もある。200メートルで2連覇し、ショックから立ち直った後、ボルトは「ルールを変えるべきだとは思わない。完全に自分の責任であり、今後の教訓にしたい。少し興奮しすぎてしまった」と反省したが、心中は穏やかでなかっただろう。 最近は日本の主要競技会でもスタートは「位置について、用意」から「オン・ユア・マーク、セット」と世界基準の英語に統一された。ピストル音の後、人間の最短反応時間とされる「0・1秒未満」でスターティングブロックに置いた足が測定機器に反応するとフライングになる。今回は陸上が盛んでない韓国開催で「セット」からピストルを鳴らすまでの時間が長すぎたとの意見も出たが、100メートル決勝のスターターは国際経験豊富な英国人。ボルトの反応時間は「マイナス0・104秒」であり、これはピストルが鳴る前に動いた誰の目から見ても明らかなフライングだった。

 

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田村 崇仁(たむら・たかひと)1973年生まれ。群馬県出身。共同通信運動部で02年W杯まで主にサッカー担当。プロ野球担当を経て、05年から日本オリンピック委員会(JOC)や五輪招致、陸上競技などを担当。


2011年06月22日

初代スポーツ庁長官は? 岡田武史前日本代表監督の名も  

itou.misei.jpg 日本体協創立100周年の節目に、スポーツ界のいわば「憲法」となるスポーツ基本法が17日に成立した。学校体育に主眼を置いた1961年制定のスポーツ振興法を50年ぶりに全面改正し、施策の推進を「国の責務」と位置付けたのが特徴だ。「スポーツ庁」設置の検討は付則に盛り込まれ、今後は初代長官に誰が就くかも注目される。

 現在のスポーツ行政は五輪が文部科学省、障害者スポーツは厚生労働省、施設関係が国土交通省など複数省庁にまたがり、縦割りの弊害が指摘されてきた。スポーツ予算は約230億円なのに対し、1968年に設置された文化庁の予算は1千億円を超え、予算拡大の上でもスポーツ庁新設は関係者の悲願といえる。

 官公庁をスリム化する行政改革の壁で厳しい目も向けられるが、法案成立に尽力した奥村展三衆院議員(民主)は初代長官について「個人的には民間からと考えている」と早くも人事構想に触れた。サッカー前日本代表監督で文科省参与の岡田武史氏やプロ野球の王貞治氏らスポーツ界の人材も候補に浮上している。

 

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 田村 崇仁(たむら・たかひと)1973年生まれ。群馬県出身。共同通信運動部で02年W杯まで主にサッカー担当。プロ野球担当を経て、05年から日本オリンピック委員会(JOC)や五輪招致などを担当。


2011年03月23日

スポーツ界に震災支援の輪 陸上の為末選手らが呼び掛け  

 甚大な被害をもたらした東日本大震災を受け、スポーツ界に義援金や応援メッセージで被災地を支援する輪が広がっている。陸上男子400メートル障害の日本記録保持者、為末大選手らの呼び掛けに多くのスポーツ選手が賛同し、募金活動「地震救済チャレンジ『TEAM JAPAN』」は、23日までに2千万円を突破した。
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 きっかけは為末選手が活動拠点にする米サンディエゴのカフェだった。米国に滞在中だった女子3000メートル障害の早狩実紀選手(京都光華AC)や男子800メートルの横田真人選手(富士通)と「アスリートにできること」を考えて生まれたのが「TEAM JAPAN」の発想だ。震災から2日後の13日に立ち上げた募金サイトは交流サイト「フェイスブック」や短文投稿サイト「ツイッター」で予想を超えた広がりを見せ、プロゴルフや障害者スポーツを含めて既に100人以上の選手が協力した。

 「陸上界の広報マン」と呼ばれる為末選手は、昨年8月にスポーツを取り巻く環境を変えようと幅広い分野の選手が参加する「アスリート・ソサエティ」を設立し、代表理事を務める。クイズ番組の賞金を元手に東京のオフィス街で「ストリート陸上大会」を成功させた経験もある。今回はそのネットワークを生かし、選手の立場から発信したアイデアがここまで大きな力を生んだのは意義深い。

 米大リーグ、マリナーズのイチロー選手は1人で1億円を寄付した。海外のスポーツ界から心温まるメッセージも多数寄せられている。しかし、国内のスポーツ界は大会の中止や延期が相次ぎ、プロ野球セ・リーグが公式戦日程で文部科学省からナイター自粛の要請を受けるなど、被災地への貢献の仕方で足並みがそろっていない実情もある。4月から日本体協会長に就任するトヨタ自動車の張富士夫会長は「自分の本業でもいろんな状況がはっきりしないと動けない。スポーツ界も電力の問題とか、少し落ち着くまで時間がほしい」と打ち明けたが、確かに「スポーツで力を」と唱えるタイミングは難しい問題だ。

 

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田村 崇仁(たむら・たかひと)1973年生まれ。群馬県出身。共同通信運動部で02年W杯まで主にサッカー担当。プロ野球担当を経て、05年から日本オリンピック委員会(JOC)や五輪招致などを担当。


2010年12月15日

目指すは日本女子初の10秒台 アジア最速スプリンター福島千里  

 ほんの数年前まで、日本の陸上女子短距離は世界のレベルとかけ離れた存在だった。今は違う。11月の広州アジア大会で100メートルと200メートルの2冠を達成した福島千里(北海道ハイテクAC)の登場で期待感は高まるばかりだ。花形種目の100メートルで、日本の男子が未踏の9秒台をマークするより先に、女子初の10秒台に到達する可能性さえ出てきた。
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 不滅の記録とされる故フロレンス・ジョイナー(米国)の世界記録10秒49は別格としても、走るたびに歴史を塗り替える22歳の新アジア女王にとって、10秒台は日本男子の9秒台に相当する「夢の記録」だ。国際陸連によると、今季世界で10秒台をマークしたのはベロニカ・キャンベル・ブラウン(ジャマイカ)の10秒78を筆頭に8人だけ。福島が4月に出した11秒21の日本新は世界ランク35位になる。だが実は11秒1台に20人がひしめき、世界の背中は着実に近づいているといえる。

 一方、男子は1998年バンコク・アジア大会で伊東浩司が10秒00の日本記録を出して以来、長期停滞が続く。古くは「暁の超特急」と呼ばれた吉岡隆徳や「ロケットスタート」で名をはせた飯島秀雄が「10秒の壁」に挑み、2001年に朝原宣治が10秒02、03年には末続慎吾が10秒03と迫りながら届いていない。世界はウサイン・ボルト(ジャマイカ)が9秒58まで驚異的に記録を伸ばす中で対照的な構図だ。

 08年北京五輪で女子100メートルに日本選手として56年ぶりに出場した福島は、16年リオデジャネイロ五輪で「世界のファイナリスト」の青写真を描く。アジア大会も2年後のロンドン五輪も「通過点」にすぎない。昨夏の世界選手権(ベルリン)では日本女子で初めて100メートルの1次予選を突破。五輪を含め、最初のラウンドを通過するのは77年ぶりの快挙だった。

 北海道の大地にはぐくまれ、穏やかな〝天然キャラ〟として親しまれるが、おっとり口調に人一倍の負けん気をのぞかせることもある。北海道ハイテクACの中村宏之監督は「来季はまず11秒1台をコンスタントに出したい」と目標設定した。「焦らず、一歩ずつ」をモットーに。ネイルアートが趣味のアジア最速スプリンターは、1秒間に4・7歩刻める高速ピッチで来季もトラックを滑るように駆け抜ける。

 

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2010年09月22日

「囲碁ジャパン」の使命感 アジア大会へ体育会系合宿  

 昔から清少納言や紫式部、戦国武将も好んだとされる日本では、囲碁は江戸時代に発展した娯楽や伝統文化といったイメージが強いが、11月に中国・広州で開かれるスポーツの祭典、アジア大会で異色の非五輪競技としてその囲碁が初めて実施される。

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 日本代表に選出された男子の井山裕太名人に言わせれば「囲碁は芸術に近いもの」。スポーツ=体育という価値観でみると当てはまらないのは当然だ。もともとスポーツの語源は「気晴らし、遊び」を意味し、古代ギリシャのオリンピアの祭典では運動競技だけでなく、絵画や彫刻の腕を競う「芸術競技」もあったと伝えられる。囲碁の発祥の地といわれる中国では国家体育総局の管轄下にあり、人の知力を試す「頭脳スポーツ」と明確に位置付けられている。

 

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2010年06月30日

後味の悪さ残す「誤審」 サッカーも新技術導入を再検討へ  

 「世紀の誤審」といわれる判定はスポーツ界で数多くあり、それ自体が歴史ともなる。人間がレフェリーを続ける以上はミスも起こり得るし、今後も誤審はなくならないだろう。だが「誤審もスポーツの一部」と簡単に容認するのは難しい時代になった。映像技術が長足の進歩を遂げ、リプレーの映像で誤審だと誰もがすぐ分かるからだ。

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 サッカーのワールドカップ(W杯)南アフリカ大会でも後世に残る「誤審」で〝幻のゴール〟が生まれた。因縁の対決となった決勝トーナメント1回戦のドイツ―イングランド。イングランドは0―2から1点を返した直後、MFランパードが放ったシュートがクロスバーの下をたたいて落ち、完全にゴールラインを割った。だが副審と主審の判定はノーゴール。試合の流れは大きく変わり、イングランドの選手に救済の道も当然ない。

 

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2010年04月07日

スポーツ庁は実現するか 国のスポーツ戦略で第一歩  

 政権交代から半年が過ぎ、国のスポーツ施策に向けた議論がようやく第一歩を踏み出した。3月10日、文部科学省がスポーツ施策の基本方針を打ち出す「スポーツ立国戦略」の第1回ヒアリングを開き、プロ野球前ヤクルト監督の古田敦也氏、元ラグビー日本代表監督の平尾誠二氏、北京五輪陸上男子400メートルリレー銅メダリストの朝原宣治氏が参加。聞き役の鈴木寛副大臣を含めて全員が関西出身とあって、関西弁で議論が白熱した。
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 不況で企業スポーツの休廃部が相次ぐ中、平尾氏はスポーツ界の抱える現状を鋭い眼光で訴えた。「今や野球対サッカーでも、巨人対阪神の時代でもない。スポーツ対テレビゲームの大きな戦いだ」。国際オリンピック委員会(IOC)が8月に14~18歳を対象にした第1回ユース夏季五輪(シンガポール)を開催する背景にも若者のスポーツ離れがある。行政を一元化するスポーツ庁の設置を要望する前に、確かに根本的なスポーツの役割や価値の再定義から議論する必要がある。

 先のバンクーバー冬季五輪で躍進した韓国など諸外国の国家支援と比べ、日本のスポーツ施策は企業など民間頼りで遅れている。五輪は文部科学省、パラリンピックは厚生労働省と監督官庁が違い、官僚的な縦割りが引き起こす弊害も大きい。古田氏はこの点に切り込み「単純にスポーツ全体を統括するスポーツ庁をつくったらいい。文科省の一部、隅っこでやっても大きくならない」と厳しく発言した。スポーツを通した社会貢献活動には税額の控除なども要求し、今後はスポーツ選手を支援する企業に優遇税制を検討する動きが本格化しそうだ。

 

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2009年11月04日

聖火台磨き、遺産を継承 五輪招致で心温まる物語  

 2016年夏季五輪の開催地が南米初のリオデジャネイロに決まり、東京は招致レースに2回目の投票で敗れた。8月にベルリンで開かれた世界陸上の時期から「リオに風が吹いている」との下馬評が流れ、大きな驚きはなかったが、広島市と長崎市が共同開催で20年夏季五輪に名乗りを上げた素早さには驚いた。
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 「核廃絶」を訴える「平和五輪」が実現するかはさておき、東京の五輪招致を取材中に心温まるエピソードがあった。それは1964年東京五輪の象徴でもある国立競技場の聖火台(高さ、直径とも2・1メートル、重さ2・6トン)を親子代々で精魂込めて磨いてきた物語だ。

 58年、完成間近の聖火台の鋳型に溶解鉄を流し込む火入れ式で爆発事故が起き、一度は台無しになった。製造にあたった鋳物職人の鈴木萬之助氏はショックで床に伏して亡くなる中、聖火台は三男の文吾氏らが遺志を継いで不眠不休で完成させたという。五輪後も毎年10月には「父の墓参りだ」と聖火台に足を運んで萬之助氏をしのび、ごま油を染み込ませた布で丹念に磨き続けてきた。

 その文吾氏も昨年7月に86歳で死去。16年五輪招致の成功を祈願したイベントで、文吾氏の長男で3代目となった「鈴木鋳工所代表」の常夫氏らと聖火台を磨いた陸上ハンマー投げの室伏広治選手(ミズノ)は「物を大切にする日本人の心を世界に伝えたい。物資的に恵まれても心がない時代。これこそ心のレガシーだ」と感銘を受けていた。

 

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2009年07月29日

ジャマイカ陸上界に暗雲? ドーピング問題の深い闇  

 デスクからの電話に思わず腰を抜かしそうになった。「ジャマイカの陸上短距離5選手がドーピング検査で陽性反応」―。電車で移動中だったが「世界を揺るがす大ニュースか」と慌ててパソコンを取り出した。半信半疑ながら、必然的に頭をよぎったのが、衝撃的な走りで北京五輪を熱狂させたウサイン・ボルトの顔だ。
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 第一報は地元のラジオ局だったらしい。8月の世界選手権(ベルリン)に出場する男子4人、女子1人と詳細を報じたのは地元紙オブザーバーだった。インターネット社会は情報が瞬く間に世界を駆け巡る。北京五輪の準備取材で昨年6月にジャマイカのキングストンを訪れた。当時知り合ったジャマイカ陸連の関係者やボルトを指導するミルズ・コーチに電話したが「詳細は不明」との返答。その直後にイタリア紙が5人の実名を報道した。

100、200メートルの世界記録保持者のボルトやアサファ・パウエルらスター選手は含まれていないという。レゲエの曲が響き渡り、のどかな競技場でサインを求める少年らと一緒にボルトを追いかけ回し、取材した記憶がよみがえる。少しほっとしたが、北京五輪の男女短距離で旋風を起こしたジャマイカの陸上界に疑惑の暗雲が垂れ込めるのは間違いない。

 スポーツ界からドーピングの闇が消える日は来るのか。最近は抜き打ち検査に備え、常に選手は厳格な居場所確認の情報提供を求められる。「厳しすぎる」「プライバシーの侵害だ」と選手側の不満は多い。世界反ドーピング機関(WADA)は統一規定を設け、各競技のトップ選手は年4回、3カ月先の行動予定を登録し、検査官が訪問できるよう1日(午前6時~午後11時)につき1時間の居場所を申告する必要がある。抜き打ち検査の時に申告した場所にいない場合は「検査不在」となり、1年半で3度の不在があった場合はドーピング違反として1~2年の資格停止処分が科されるのだ。

 

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2009年04月15日

マラソンブームは本物か けん引役は意外にも?男性  

 マラソンブームが到来している。近所の公園や皇居周辺に行けば、おしゃれなウエアで走る人であふれ、最近は同業の記者仲間でもランナーが増えてきた。3月22日、第3回を迎えた東京マラソンは約3万5000人が参加し、市民参加型の大イベントとしてすっかり定着。今回は約26万人が応募し、当選倍率7・5倍という狭き門である。
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 笹川スポーツ財団が3月に発表した国民のスポーツライフに関する調査で、興味深い結果が出た。隔年で実施する調査で「ジョギング・ランニング」の過去1年間の実施率が前回より推計で155万人増え、内訳でみると男性が8・1%から10%に伸びた一方、女性は4%から4・6%の増加にとどまった。意外にもブームを引っ張っているのは女性以上に男性と20代というデータだった。

 確かに記者の周囲でも中高年のおじさん記者が続々とメタボ対策も兼ねてランニングを始め、マラソンの本を出した強者までいるぐらいだ。国内の小さな大会から始めて世界各国のマラソンに挑む人生もきっと悪くないだろう。世界には給水がワインとかいうフランスのボルドー・マラソンだってある。ただ、これだけ急激にマラソンブームに火が付いたのはどんな背景があるのだろうか。

 マラソンランナーの谷川真理さんに聞くと「健康的に食べながらやせられ、おしゃれなウエアも人気の秘けつ」と答えた。女性は「アラフォー世代」でランナーが増え、音楽を聞きながら、おしゃれに走るイメージをテレビや専門誌も紹介する。うがった見方をすれば、他人とコミュニケーションを取らず、一人の世界で黙々と走るというのが今の世相に合っているのかもしれない。笹川スポーツ財団の広報は「ウオーキングで物足りなくなった人がマラソンに流れた部分も大きい」と分析した。

 

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2008年12月25日

東京五輪招致の勝算は? 目標の支持率80%へ躍起  

 2016年五輪招致を目指す東京都の開催支持率がなかなか上がらない。日本は世界で五輪テレビ視聴率がトップという五輪熱の高い国なのに、不思議な現象でもある。1964年東京五輪の遺産を引き継ぐとはいえ、記者を含めて30代までの世代は実体験としても知らず、東京五輪招致委員会は目標の「支持率80%」へ気運を高めようと躍起になっている。
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 12月中旬、東京都内で「招致サポーター大集合!」と題した過去最大規模のイベントが開かれ、北京五輪競泳男子平泳ぎで2大会連続2冠を獲得した北島康介(日本コカ・コーラ)が招致応援党の党首に就任した。壇上では石原慎太郎都知事が「本当に大問題」と支持率の低さを指摘し「東京の人はぜいたくだから、やるなら見に行くという感覚。お金のことは言いたくないけど、日本だけで3兆円の経済効果がある。子どもたちに大きな遺産を」などと呼び掛けた。国際オリンピック委員会(IOC)が6月に行った第1次選考で東京は都市力で得点を稼いでトップの総合評価だったが、都民への世論調査の支持率は59%。マドリードの90%、リオデジャネイロの77%、シカゴの74%より大きく劣った。

 やはり全国から人が集まり、価値観も多様化する東京が、支持率でライバル都市に後れを取るのはインパクトの弱さではないか。都市再開発のメリットを訴えるだけで理解は得られない。この不況下で五輪の再開発によって医療、教育、福祉などへの財政が削減されることを懸念する都民も多いだろう。招致委は環境、先端技術、世界一コンパクトな大会を掲げるが、具体的な新時代の五輪像も見えてこない。もっと独自の理念を訴え、五輪の肥大化や商業主義にアンチテーゼを示せないものか。例えば、バーチャル化した現代で深刻な子どもの体力低下に歯止めをかける施策や日本が世界に誇る「マンガ文化」を融合させた斬新な都市計画があってもいい。

 

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2008年09月17日

ボルト、世界新連発の衝撃 太田も上野も、北京で最高潮  

 196センチの超大型スプリンター、ウサイン・ボルト(ジャマイカ)が金メダルを確信して胸をたたき、記者席から目と鼻の先で歓喜のゴールを駆け抜けた。巨体を横に向けながら両手を広げて9秒69の世界新。北京五輪で最も衝撃を受けた瞬間は、陸上男子百メートルの決勝だった。
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 ▽調整と戦略の成功
 6月下旬にジャマイカ選手権の取材で首都キングストンを訪ね、単独インタビューの機会に恵まれた。国立競技場には、5月末に9秒72の当時世界新を出したボルトを祝うレゲエの新曲が流れ、祝祭ムードに包まれていた。そんな中、世界最速男が記者のテープレコーダーをマイク代わりに悪ふざけをしたり、好きなゲームやサッカーの話をひとしきりした後に「競技人生で今がベストの状態。このチャンスを逃したくない」と真剣な表情で訴えたのを思い出す。

 4年に一度の舞台で心身のピークを合わせる難しさはアスリートの誰もが口にする。大きな腹を揺らしながら、そのテーマに最も神経質だったのがミルズ・コーチだ。指導歴40年ながら陸上選手としての実績はない。「どんなに食材がよくても料理はシェフの腕次第。世間の期待は分かるが、北京で百㍍に出るなんて直前まで決めないよ」。今季から本格参戦の百メートルと専門の二百メートルの2冠に挑戦する場合、予選から計8本走る。日程を逆算し、理学療法士の意見を取り入れ、科学データからも調整法を練ったという。

 

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2008年05月14日

誰のための聖火リレー? 世界巡回は見直しの機会に  

TR2008050800121.jpg 怒号が渦巻き、聖火トーチの炎まで消された騒乱のパリで中国国旗やチベットの旗に交じり、街角で手渡されたのはスポンサーの小旗だった。世界各地で抗議や妨害に揺れた北京五輪の聖火リレーは商業主義的な思惑も背景に絡む。国際オリンピック委員会(IOC)は次回から世界五大陸を巡る大規模リレーの見直しを迫られるだろう。

 ▽聖火走者も複雑
 厳戒態勢の中、長野で「市民不在」の聖火リレーを走ったトリノ冬季五輪スケルトン代表の越和宏(システックス)は「スポーツに政治や経済は関係するものだけど、選手はそうしたものを超越した世界で純粋に戦いたいですよね」と複雑な心情をのぞかせる。聖火が五大陸を巡る形式は前回の2004年アテネ五輪で近代五輪生誕の地への回帰を祝うため、IOCスポンサーの「世界戦略」とも合致した形で初めて採用された。だが長野では皮肉にもスポンサー各社が宣伝車両の走行を中止。日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恒和会長はギリシャのオリンピアで採火し、五輪開催国に直接運ぶ長年続けた方法に戻すべきだと訴える。「あちこちで紛争が絶えない今の時代、世界各国を回るのはリスクが大きすぎる」と。

 演出も派手になる。2000年シドニー五輪ではさんご礁で有名なグレートバリアリーフを舞台にしてダイバーが聖火をつなぎ、史上初の水中リレーに成功。今回は国家の威信をかけた世界最高峰チョモランマ(英語名エベレスト)への登頂に成功したが、登頂を禁止された一般登山隊はベースキャンプで待機を強いられ批判が出た。そこまで偉業を演出する必要があるものなのか疑問だ。

 

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2008年02月06日

正常化はこれから 「中東の笛」は根深い問題  

BS-0101__-200801272115_M.jpeg 「中東の笛」と呼ばれる、中東寄りの疑惑の判定が問題となったハンドボールの北京五輪アジア予選をめぐる「狂騒曲」が一息ついた。激動の1カ月半だったが、正常化への戦いは始まったばかりだ。

 そもそもアジアで10年以上にわたって放置されてきた「中東の笛」がなぜ、急に国際問題に発展したのか。直接の要因は、韓国が国際ハンドボール連盟(IHF)の全加盟国に不正判定の証拠を集めたDVDを配布し、日韓で共同戦線を張った抗議にある。

 見逃せないのは、カメラや映像撮影が禁止された昨年8月の女子予選(カザフスタン)でIHFから派遣を予定された女性のグリーン理事(スウェーデン)とノルウェーの審判員が入国を拒否されたという事実だ。女子も、近年はアジア・ハンドボール連盟(AHF)と太いパイプを持つカザフスタンを中心に「中東の笛」が広がっていた。昨年12月のIHF理事会でウィニタナ副会長(ニュージーランド)が男女アジア予選やり直しの緊急動議を出し、グリーン理事も強く同調したそうだ。

 

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2007年10月10日

「中東の笛」はまだ続く? 拡大するアラブの政治支配  

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 「中東の笛」と呼ばれる不可解な判定がアジアのハンドボール界で問題になって久しい。9月の北京五輪男子アジア予選(愛知県豊田市)ではクウェート―韓国の試合でヨルダンの審判員が中東びいきとみられる判定を繰り返し、在韓クウェート大使館前で判定に抗議するデモに発展した。

 サッカー界では八百長問題がイタリアを揺るがしたばかりだが、競技の特性で足と手の違いがあるとはいえ、問題の本質に迫る対応はどうも生ぬるい。アジア・ハンドボール連盟(AHF)はクウェートの王族が事実上支配し、トップに座るのはアジア・オリンピック評議会(OCA)会長でもあるシェイク・アーマド氏。アジア・スポーツ界で広がるアラブの政治支配が背景にある。

 

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2007年07月04日

「言葉で表現する力」 選手価値高める〝話芸〟  

 「歴史に名高い?」と突然問われ、思わず答えに窮してしまった。ちょっと考えて「あっ、新田義貞か」と返すと、陸上男子四百メートル障害の為末大選手(APF)は「さすが群馬県人!」と人懐っこい笑みを浮かべた。武士道やゲバラを読み、株の投資もやる「侍ハードラー」と知り合ったころの会話だ。群馬県には郷土の歴史上の人物や名所、名品などを取り入れた『上毛かるた』があり、子どもの頃から市町村や県大会で熱いバトルを繰り広げるので県民全員が暗記している。「ね」と言えば「ねぎとこんにゃく下仁田名産」であり、「れ」と来たら「歴史に名高い新田義貞」なのだ。

 ▽プロ顔負けの話芸
 為末自身は広島県出身だが、独特の「かるた文化」に興味を持っていたらしい。陸上界の「宣伝部長」を自認し、イベントなどでマイクを持てばプロ顔負けの「話芸」で空気を和ませる。プロの競技者として自分の走りを解析し、豊富なボキャブラリーを使って丁寧に理路整然と話すこともできる。トップアスリートは競技で結果を出すことがすべてという考え方もあると思うし、寡黙な職人タイプもいるが、自分の言葉で表現できる力は選手の価値を高める重要な要素の一つだろう。

 あるテレビ番組の座談会でラグビーの清宮克幸氏(サントリー監督)が「サッカー選手はうまく話せない」との挑発的な指摘をし、反響を呼んだことがあるという。競技の特性や報道陣と選手の距離感の違いで一概に言えない面はあるだろう。2002年W杯までサッカーを中心に取材した経験で言えば、中村俊輔(セルティック)はいかにも職人気質で戦術や技術論なら夜を徹してでもというタイプだし、GK川口能活(磐田)など議論好きは多い。ただ「カズ」こと三浦知良(横浜FC)の振る舞いや元日本代表主将の宮本恒靖(ザルツブルク)の冷徹な語り口にプロ意識を感じる一方で、確かに紋切り型のコメントしかできない選手や携帯電話で話すふりをして取材陣との会話を避ける選手もいた。

 

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田村 崇仁(たむら・たかひと)1973年生まれ。群馬県出身。02年W杯まで主にサッカー担当。プロ野球担当を経て、05年から日本オリンピック委員会(JOC)や五輪競技などを担当。