47NEWS >  スポーツ >  スポーツリレーコラム >  奥出 裕充

ライター名

スポーツリレーコラム

2010年07月14日

新たなシーズンに向け始動 たくましくなった高橋大輔  

 バンクーバー冬季五輪の銅メダル獲得で、フィギュアスケート日本男子初の五輪メダリストに輝いた。さらに続く世界選手権では金メダル。高橋大輔(関大大学院)が競技生活の節目となりそうな新たなシーズンに向けて始動した。3月の世界選手権以降はあいさつ回りやアイスショー出演が続いていたが、5月にハワイで息抜きをした後、カナダでフリーの振り付け。6月に入ってからは激しいステップで壊れやすいスケート靴を新たにつくるためスイスを訪れた。

takahashi2.jpg

 2006年トリノ五輪の銀メダリストで、あこがれのステファン・ランビエル(スイス)に新たなショートプログラム(SP)の振り付けも手掛けてもらった。日本のアイスショーで一緒に出演していたランビエルと意気投合して実現。自分には苦手のスピンを得意とするランビエルに指導を受け、「体が硬い」と驚かれたが充実した時間を過ごしてきた。

 

続きはこちら



奥出 裕充(おくで・ひろみつ)1969年生まれ、東京都出身。共同通信運動部でサッカーの日韓W杯やアテネ、北京両五輪の体操、トリノ、バンクーバー五輪のフィギュアスケートなどを担当。慶大時代はバドミントン部に所属した。


2010年04月21日

「小椋さん、お疲れさま」オグシオ最後のツーショット  

 バドミントン女子ダブルスで潮田玲子選手(三洋電機)と〝オグシオ〟の人気ペアとして北京五輪で5位に入賞するなど活躍した小椋久美子さんの引退セレモニーが11日、大阪府守口市民体育館で盛大に開かれた。会場では「オグッチ感動をありがとう」と書かれた紙を掲げるファンや関係者ら約1100人が小椋さんの引退を惜しんだ。

ogusio.jpg

 守口市民体育館は2004年全日本総合選手権で初優勝し、日本一のペアとして胸を張って海外に挑むきっかけとなった思い出の舞台だ。その後、全日本は5連覇。2年前に潮田選手とコンビを解消した小椋さんは、12年ロンドン五輪出場を視野に入れていたが、腰痛など度重なる故障で1年以上も実戦機会がなかった。そのストレスから慢性胃炎と体調不良に苦しみ、今年1月12日に引退を表明した。

 

続きはこちら



奥出 裕充(おくで・ひろみつ)1969年生まれ、東京都出身。共同通信運動部でサッカーの日韓W杯やアテネ、北京両五輪の体操、トリノ、バンクーバー五輪のフィギュアスケートなどを担当。慶大時代はバドミントン部に所属した。


2009年12月02日

銀盤で笑顔取り戻せるか “バンクーバーの星”浅田真央  

 バンクーバー冬季五輪フィギュアスケートの前哨戦、グランプリ(GP)ファイナルが12月3日に東京・国立代々木競技場で開幕する。だがその舞台に〝バンクーバーの星〟と呼ばれてきた19歳の浅田真央(中京大)は登場しない。昨年まで全日本選手権で3連覇している日本女子のエースは、GP開幕戦のフランス杯で2位、ロシア杯では5位。その結果、GPシリーズの上位6人に残れず、ファイナルへの出場権を獲得できなかったのだ。
mao2.jpg
 同じ会場で行われた2005年ファイナル。シニアのGPシリーズ初参戦となった浅田は伸び伸びと演技し、ショートプログラム(SP)フリーともに優勝候補のイリーナ・スルツカヤ(ロシア)を抑える1位で、初出場優勝を成し遂げた。

 フリーで軽やかに代名詞のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を決め、当時15歳の天才少女は「スルツカヤさんに勝てるなんて全然思っていなかった」と周囲に笑顔を振りまいた。このときは国際スケート連盟の年齢制限で五輪への出場資格がなかった。日の丸が揺れ、総立ちの観客席からは「特例で真央ちゃんを五輪に」と求める声が相次いだ。日本スケート連盟には五輪出場を嘆願するメールが400通以上も届く騒ぎとなった。浅田は「出たいという気持ちはあるけど、4年後のバンクーバーで頑張れたら」と気丈に話したことを覚えている。

 あれから4年、中学3年生は大学1年生に。心身両面で成長し、身長はあのときよりも5センチも伸びて163センチとなった。表現力もより豊かになり、氷上の妖精は大人のスケーターに華麗な変身を遂げてきた。しかし、今季は得意なはずのジャンプで大技の3回転半は、GP2戦で6度挑戦して成功1度だけと苦戦している。

 

続きはこちら



奥出 裕充(おくで・ひろみつ)1969年生まれ。アテネ、北京両五輪の体操、トリノ五輪のフィギュアスケートなどを担当。慶大時代はバドミントン部に所属し、2007年からはコーチ。


2009年05月20日

生みの親の早すぎる死 恩師思い別々の道歩む「オグシオ」  

 バドミントン女子ダブルスでペアを解消した「オグシオ」こと小椋久美子、潮田玲子組(三洋電機)の生みの親が4月6日に亡くなった。新潟・新潟青陵高女子監督時代にインターハイで団体優勝も達成し、五輪選手も育成した佐藤秀夫・新潟県協会副会長が盲腸のがんで66歳の若さで死去した。
ogusio.jpg
 オグシオの秘話を聞くため、北京五輪前に突然の取材を申し入れたときも快く応じていただいた。昨秋に日本リーグが新潟で行われたときは「(2009年に)新潟国体があるので楽しみ。地元代表が総合優勝を狙えるように頑張らないと」と話してくれた矢先の悲報だった。

 佐藤さんがジュニア女子日本代表監督に就任し、2000年アジア・ジュニア選手権に向けた代表合宿。当時、大阪・四天王寺高1年の小椋と福岡・九州国際大付高1年の潮田は2人のペア結成を「余り者同士で組んだ」と述懐するが、佐藤さんは「小椋のパワーと潮田のセンス。リズムに乗れば外国勢を倒す攻撃力があった」と、将来を見据えて2人をペアで起用した。

 潮田が巧みな球回しで崩し、小椋が初速230㌔といわれる高速のスマッシュで決める強さ。これが06年アジア大会、07年世界選手権で銅メダル、北京五輪5位入賞と大活躍したペアの原点だった。

 

続きはこちら



奥出 裕充(おくで・ひろみつ)1969年生まれ。アテネ、北京両五輪の体操、トリノ五輪のフィギュアスケートなどを担当。慶大時代はバドミントン部に所属し、2007年からはコーチ。


2009年02月04日

五輪目指して国籍変更  フィギュアスケートペアの川口悠子  

 国籍を変えてまでも出てみたい舞台、それが五輪の魅力なのだろう。
%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E3%81%AE%E6%BC%94%E6%8A%80.jpg
 フィギュアスケートのペアで日本代表経験を持つ川口悠子が、1月にロシアの国籍を取得した。日本国籍を失う勇気のいる決断は、パートナーのロシア人、アレクサンドル・スミルノフとロシア代表で来年のバンクーバー五輪出場を目指すためだ。「やっと素敵なパートナーに巡り会えた」とうれしそうな表情を見せたことがある。

 ジュニア時代にシングルで活躍した川口は1999年にペアに転向。国際スケート連盟が国籍の異なるペアも一方の国の代表で出場できる規定を設けているため、ロシア人のアレクサンドル・マルクンツォフと国際ペアを結成し、日本代表で出場した2001年世界ジュニア選手権で同種目としては日本初の銀メダルを獲得した。世界選手権には3度出たが、国籍の壁に阻まれ五輪に出場できなかった過去が引っ掛かっていたに違いない。

 03年にペアを解消してからは低迷した時期もあった。精神的にきつくなると母親にあたることもあったが、06年春からスミルノフと組んで急成長。外国人選手として初めてロシア代表で07年世界選手権に出場すると、昨年の世界選手権は4位と躍進し、輝きを取り戻した。サンクトペテルブルクに在住し、大学で国際関係を学んだことでロシア語も堪能。〝第二の母国〟で巡ってきた五輪出場のチャンスに必要な国籍取得を決意し、約半年前に申請していたそうだ。
%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E3%81%AE%E9%A1%94.jpg
 日本代表で2度五輪に出場した井上怜奈が米国籍を取得し、ジョン・ボルドウィンとペアの米国代表で06年トリノ五輪出場を果たしたが、同じ時期にペアのカナダ代表で活躍した若松詩子は悩んだ末に国籍変更の申請を取り下げている。川口は「国籍が日本でなくなるということは重大な決断なので、そうするからには五輪でメダルを取りたい」と決意を語る。

 

続きはこちら



奥出 裕充(おくで・ひろみつ)1969年生まれ。アテネ、北京両五輪の体操、トリノ五輪のフィギュアスケートなどを担当。慶大時代はバドミントン部に所属し、2007年からはコーチ。


2008年11月05日

あの美しい旋回、豊田国際が最後  寂しい鹿島の引退  

体操男子あん馬のスペシャリスト、鹿島丈博(セントラルスポーツ)が、現役引退を決意した。

 15、16日の豊田国際競技会を最後に、指導者の道を歩む。あん馬は中学3年の15歳で全日本選手権を制し、2003年世界選手権ではこの種目としては日本選手初の世界一に輝いた。

 28歳の鹿島の引退を日本体操協会の幹部は残念がる。アテネと北京で五輪の体操を担当した記者の立場から見ても、鹿島のあん馬は現在でも日本一。来年の世界選手権など世界の第一線で、十分勝負ができる実力の持ち主だ。決断の理由を「自分の100%の力で練習ができない」「中途半端に続けるのは嫌だった」と言った。生真面目な鹿島らしい言葉だった。
kasima2.jpg

 

続きはこちら



奥出 裕充(おくで・ひろみつ)1969年生まれ。アテネ、北京両五輪の体操、トリノ五輪のフィギュアスケートなどを担当。慶大時代はバドミントン部に所属し、2007年からはコーチ。


2008年07月02日

バンクーバー目指し心機一転 織田が復帰、コーチも変更  

oda.jpg 2年後のバンクーバー冬季五輪で男女の金メダルを目指す日本のフィギュアスケート界に、約1年ぶりに頼もしいスケーターが帰ってきた。

 6月27日からの3日間、新横浜スケートセンターで行われたアイスショーで、特別強化選手の織田信成(関大)が酒気帯び運転による出場停止処分が解けて以降、国内では初めて演技した。ブランクを感じさせないような3連続3回転のジャンプに挑戦し、約500通の激励メールで支えてくれたファンに元気な姿を披露した。自らの愚行が招いた事態を反省し、「また、滑ることができてうれしい」とリンク上で声を震わせてあいさつした。

 昨年末の全日本選手権で復帰することもできたが、昨シーズン前半の処分期間で受けた精神的なダメージが影響し、ぶっつけ本番で出場するほどの練習も積めなかったという。

 

続きはこちら



奥出 裕充(おくで・ひろみつ)1969年生まれ。アテネ五輪の体操、トリノ五輪のフィギュアスケートなどを担当。慶大時代はバドミントン部に所属し、ことしからはコーチ。


2008年04月23日

衰える気配ない向上心 34歳、清水が再出発  

aTR2008041200144.jpg
 スピードスケート男子五百メートルで1998年長野五輪金メダリスト、2002年ソルトレークシティー五輪銀メダリストの清水宏保が4月1日、大手家電量販店のコジマと2年契約を結び、10年バンクーバー五輪に向けて再出発した。

 10年間、所属したNECとの契約を終了。「ちょうど10年の区切り。新たな気持ち、環境で次の五輪に取り組みたい」と言う。

 2年前のトリノ五輪で18位と惨敗。昨年7月に腰を手術し、調整が遅れたことでワールドカップ(W杯)前半戦のメンバーから外れた。五輪10周年となる思い出の長野で開かれた3月の今季最終戦、世界距離別選手権の出場も逃し、屈辱のシーズンが続いた。

 

続きはこちら



奥出 裕充(おくで・ひろみつ)1969年生まれ。アテネ五輪の体操、トリノ五輪のフィギュアスケートなどを担当。慶大時代はバドミントン部に所属し、ことしからはコーチ。


2008年01月16日

天国の父と夢の実現へ 北京五輪でメダル目指す上山選手  

BS-0029__-200711041242_M.jpeg

 昨年11月1日から3日までカナダのケベックで行われたトランポリンの世界選手権で、五輪種目の男子個人で世界ランキング1位の上山容弘選手(大体大大学院)が銅メダルを獲得した。団体も2大会連続の銀メダルに貢献し、外村哲也選手(ビッグスポーツ)とシンクロナイズドで日本初の金メダルに輝き、メダル3個と大活躍した。

 五輪種目メダリストとなった上山選手の北京五輪代表はこれで決まったが、日本に帰国した直後に悲劇が起こった。「トランポリンの基本を教えてくれた」という父親の剛さんが11月14日に胆管細胞がんのため、56歳の若さで他界したのだ。

 

 日本トランポリン協会にとっても上山競技部長の急死は大きな痛手だった。協会は北京五輪でトランポリン初のメダルを目指し、「メーンポールに日の丸を!」をスローガンに掲げてきたが、強化の中核的な人材を失ったからである。

 東京運動記者クラブ・体操分科会幹事を務める、わたしにとってもショックは大きかった。アテネ五輪翌年の世界選手権直前に、ワールドカップ(W杯)シリーズで連戦連勝と台頭した上山選手ら代表選手の取材をするため、静岡県掛川市の体育館を訪れて以来、お世話になっていたからだ。

 

続きはこちら



奥出 裕充(おくで・ひろみつ)1969年生まれ。アテネ五輪の体操、トリノ五輪のフィギュアスケートなどを担当。慶大時代はバドミントン部に所属し、ことしからはコーチ。


2007年09月19日

銀盤でファンに償いを 飲酒運転で出場停止の織田信成  

BS-0261__-200707271846_M.jpeg

 3月に開かれた昨季のフィギュアスケート世界選手権で女子の安藤美姫(トヨタ自動車)が金メダル、浅田真央(愛知・中京大中京高)と男子の高橋大輔(関大)が銀メダルを獲得し、華やかな氷上決戦の注目度は、荒川静香が日本初の金メダルを獲得した2006年トリノ五輪から高まるばかりだ。

 10月の今シーズン開幕を見据え、新たなプログラムを滑り込む時期の今月中旬、日本男子のトップ選手がひっそりと強化拠点のカナダに向かった。7月に酒気帯び運転で摘発を受けた昨季の世界選手権代表の織田信成は、在学する関大からの厳重注意処分も出たことで、コーチを務める母親の憲子さんとともに2カ月遅れでプログラムをつくるために自費の海外合宿に入った。

 

続きはこちら



奥出 裕充(おくで・ひろみつ)1969年生まれ。アテネ五輪の体操、トリノ五輪のフィギュアスケートなどを担当。慶大時代はバドミントン部に所属し、ことしからはコーチ。


2007年06月13日

ショックの代表漏れ! 苦境に立つ金メダリスト  

 2004年アテネ五輪の体操男子団体総合金メダリストの水鳥寿思(徳洲会)が厳しい評価に悩んでいる。今年に入って難度の高い演技構成に変え、来年に迫った北京五輪の前哨戦、世界選手権(9月2-9日・シュツットガルト=ドイツ)で金メダルを狙うつもりがその代表からも漏れたからだ。「どうしたらいいか分からない…」。想定外のユニバーシアード(8月・バンコク)代表に回ってしまい、ぼう然とした表情を見せた。

 ▽打倒中国のはずが代表漏れ

 6月の9、10日に千葉で行われたNHK杯個人総合。第2次選考会を3位通過し、タイトルも狙っていた。しかし、冬場に技の数を増やした難しい演技構成に果敢に挑戦してきたことで両肩に違和感を覚え、第1日は体力の切れた後半2種目の床運動とあん馬で大きなミスを犯して8位に落ちた。最終日に巻き返したが5位にとどまったため、3位までの世界選手権代表から落選した。

 

続きはこちら



奥出 裕充(おくで・ひろみつ)1969年生まれ。アテネ五輪の体操、トリノ五輪のフィギュアスケートなどを担当。慶大時代はバドミントン部に所属し、ことしからはコーチ。


2007年02月28日

スター出現で盛り上がり 追い続けたいバドミントン  

 昨年のドーハ・アジア大会で、バドミントン女子代表の米倉加奈子(ヨネックス)が驚いた表情で言ってきた。「こんなにマスコミの人たちが来たのは初めてですよね」

 無理もない。五輪、アジア大会の国際総合大会でマイナー競技のバドミントン。日程などが味方して女子団体で日本選手団のメダル第1号を決めたこと、人気美人ペアの小椋久美子、潮田玲子組(三洋電機)らが活躍したことで、一般紙、スポーツ紙、地元紙が入り乱れ、選手と接触するミックスゾーンに殺到したからだ。

 新聞各社が写真入りで大きく取り上げ、現地のデスクからは「今日もバドミントン頼むわ」とお墨付きをもらえた。前回の釜山大会は1度、アテネ五輪も主要な競技の合間にわずか3度取材に行けた冷遇と比べ、学生時代にこのマイナー競技に没頭し、いまだにプレーを続けるわたしにとって、こんなにうれしい出来事はなかった。

 

続きはこちら



奥出 裕充(おくで・ひろみつ)1969年生まれ。アテネ五輪の体操、トリノ五輪のフィギュアスケートなどを担当。慶大時代はバドミントン部に所属し、ことしからはコーチ。