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スポーツリレーコラム

2017年07月26日

「リレーコラム」意外性こそが本田らしさ 困難な挑戦で自らを鼓舞  

パチューカのマルティネス会長からユニホームを受け取る本田圭佑=7月18日、パチューカ(共同) サッカー日本代表でワールドカップ(W杯)に2大会出場し、日本選手歴代最多通算3ゴールの実績を持つ本田圭佑が、新天地にメキシコ1部リーグを選んだ。
 パチューカ移籍のニュースが飛び込んだ瞬間は驚いたが、今はその意外性こそが本田らしいと思っている。

 2008年の海外初挑戦はオランダ。過去に愛称「レフティーモンスター」の小倉☆(隆の生の上に一)史や早熟の天才、小野伸二らがプレーしたリーグで、ステップアップを狙う若手としては定石といえた。
 ところがだ。オランダ2部優勝の立役者としてシーズン最優秀選手に選ばれ、1部でも活躍した実績を引っ提げて10年1月に向かった先はロシアのCSKAモスクワ。リーグのレベルはおそらくオランダの方が上で、足を痛めやすい人工芝の競技場が多いし、春や秋は非常に寒い(移籍当初は春秋制で冬はオフだったが)。
 首をかしげる決断だったが、ここでの活躍が欧州屈指の強豪ACミラン(イタリア)移籍につながった。

 ミラン入団の際は本拠地の特設会場に報道陣約200人を集める盛大な記者会見に臨み、エースナンバーの背番号「10」を自らリクエストして獲得。7度の欧州制覇を誇る名門クラブで、ただでさえ大きな重圧をさらに膨らませるような行為に及んで自らを追い込んだ。
 独特の価値観と人並み外れた挑戦意欲を持つ本田ならではの豪胆さだった。

 

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 戸部 丈嗣(とべ・たけつぐ)1972年生まれ。1997年に共同通信運動部に入り、サッカーのW杯や夏冬の五輪などを取材。15年1月からリオデジャネイロ支局で五輪とパラリンピックを準備段階から現地で取材。帰国後、運動部デスク。


2016年09月28日

予想を上回る盛り上がり 「ブラジルらしさ」詰まったリオ・パラ  

リオ・パラリンピック閉会式を前に盛り上がる観客=リオデジャネイロ(共同) ピークの日には、およそ17万人が五輪公園を訪れた。南米で初開催されたパラリンピック・リオデジャネイロ大会のメイン会場だった五輪公園は、9月7日の開幕から12日間、予想をはるかに上回る盛り上がりを見せた。「ブラジルらしさ」の詰まった祭典だったと思う。

 国外から大勢のスポーツファンが押し寄せた8月の五輪とは違い、210万枚を超える入場券を手にしたのは大多数がブラジル人。各会場に、お祭り好きな国民の明るく力強い声援が飛んだ。車いすバスケットボール、シッティングバレー、ボッチャ…。ブラジル人になじみの薄そうな競技も熱狂に包まれた。大会組織委員会の広報担当責任者は「五輪の盛り上がりをテレビやネットで知り、祭りに乗り遅れたくないと感じた人が多かったようだ」と分析した。いかにもブラジルらしい現象だと感じた。

 世界最大の祝祭として有名なリオのカーニバルは、パレード会場のサンボドロモで数日間にわたって行われるコンテストがメインだ。その期間の前後には街中をダンサーたちと音楽隊が練り歩く「ブロッコ」が各地で無数に出現して大衆を巻き込む。お祭りが近所を通れば参加せずにはいられないのがブラジル人気質だ。何百万人もの市民が路上に出て歌い、踊る。パラリンピックは「ブロッコ」のように気軽でエキサイティングな催しとなった。

 

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 戸部 丈嗣(とべ・たけつぐ)1972年生まれ。1997年に共同通信運動部に入り、サッカーのW杯や夏冬の五輪などを取材。15年1月からリオデジャネイロ支局で五輪とパラリンピックを準備段階からカバー。


2011年11月23日

厳しい環境で得た大きな収穫 サッカー日本代表の中央アジア遠征  

アウェーのタジキスタン戦で今野(15)が先制ゴールを決めて駆けだす。隣は香川(2011年11月11日、ドゥシャンベ、共同) サッカーの日本代表は、5大会連続の本大会出場を目指す2014年ワールドカップ(W杯)ブラジル大会のアジア3次予選C組を突破し、来年6月にスタートするアジア最終予選への進出を決めた。多くの代表選手がプレー経験のなかった中央アジアで2試合を戦い、成長の跡を見せた。

 日本は9月に行われたC組初戦で北朝鮮にホームで1―0と辛勝した後、ウズベキスタンの首都タシケントに乗り込んだ。09年6月にもW杯南アフリカ大会の最終予選で日本がプレーしたピッチだが、その時は現在のチームで主力となっている香川真司(ドルトムント)やGK川島永嗣(リールス)今野泰幸(FC東京)吉田麻也(VVVフェンロ)らは出場しなかった。

 その彼らが食中毒のような症状に襲われたり、芝の深い不慣れなピッチに苦しんだりで精彩を欠いた。1―1でなんとか勝ち点1を手にしたが、教訓が残った。

 

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戸部 丈嗣(とべ・たけつぐ)1972年生まれ。2004年11月から共同通信ローマ支局でサッカーとスキーを主に取材し06、10年W杯サッカー、バンクーバー冬季五輪などをカバー、11年2月に帰国。


2011年09月21日

日本がもし南米サッカー選手権に出ていたら 仮想対決をしてみると・・・  

itou.misei.jpg 今すぐサッカーのワールドカップ(W杯)を開催したら、日本代表はどこまで勝ち進めるだろうか。2002年日韓共催大会と昨年の南アフリカ大会で2度成し遂げた過去最高のベスト16を上回れそうな気もするし、そう甘くない気もする。

 9月に始まった14年W杯ブラジル大会のアジア3次予選で、5大会連続の本大会出場を目指す日本は1勝1分けとまずまずのスタートを切った。ただ、チームは1月のアジア・カップで優勝し、8月には韓国との国際親善試合で3―0と快勝するなど相当に強くなった印象を与えて予選を迎えていた。そうした流れからすると、ホームで北朝鮮に1―0で辛勝し、敵地でのウズベキスタン戦に1―1で引き分けた滑り出しを少々物足りないと感じるファンも多いだろう。

 7月にアルゼンチンで南米選手権を取材した。東日本大震災の影響でJリーグが日程変更し、この時期に代表チームを派遣することが難しくなった日本が招待参加を辞退した大会だ。「サッカー大陸」とも言える南米で各国が誇りと意地をぶつけ合う真剣勝負を見ながら、日本が出場していれば…と仮想対決を楽しんでいた。

 

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戸部 丈嗣(とべ・たけつぐ)1972年生まれ。2004年11月から共同通信ローマ支局でサッカーとスキーを主に取材し06、10年W杯サッカー、バンクーバー冬季五輪などをカバー、11年2月に帰国。


2011年06月15日

希望与える決断力と行動力 復興支援に奔走する一流選手たち  

itou.misei.jpg 一流選手に欠かせない資質として、勝敗への執着心がある。それは競技の場を離れても、自身が求め、正しいと信じるものに対し、時には激しいほど強い感情となって表れる。東日本大震災の復興支援活動に携わる選手たちの話を聞く度に、そんな思いに駆られる。

 サッカー日本代表で不動のレギュラーとなったDF今野泰幸(FC東京)は仙台市生まれで、宮城・東北高校の出身だ。震災が発生した3月11日は、翌日に予定されていたJ2戦のため敵地の岡山に移動していた。何度も携帯電話と公衆電話で仙台市の実家に連絡を試み、やっと通じて無事を確認できたのは12日の朝だったという。

 今野はその後も、被災した親戚や友人の安否に一喜一憂する日々を送った。私はFC東京が20日に新宿駅東口広場で実施した義援金募金活動の直後、今野に近況を聞いてみた。その反応が、まだ目に焼きついている。

 

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 戸部 丈嗣(とべ・たけつぐ)1972年生まれ。2004年11月から共同通信ローマ支局でサッカーとスキーを主に取材し06、10年W杯サッカー、バンクーバー冬季五輪などをカバー、11年2月に帰国。


2010年12月08日

決め手は政治力と資金力 思惑渦巻くW杯招致の舞台裏  

 12月2日にスイスのチューリヒにあるコングレスセンターで開かれたワールドカップ(W杯)開催地発表セレモニー。国際サッカー連盟(FIFA)のブラッター会長が、開催地名が記された紙を封筒から取り出しながら読み上げる。2018年大会は「ロシア」、続いて22年は「カタール」―。

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 発表会場で取材した私は一瞬だけ「え?」と耳を疑ったが、すぐに「やっぱりそうか」と妙に納得した。一見すると無謀とも言える驚きの決定だったが、FIFAの内情に目を凝らせば理にかなっている。
 両開催地は、22人のFIFA理事による無記名投票で選ばれた。理事にはプラティニ副会長(フランス)のような往年の名選手もいるが、体育教師、不動産業者、医者と過去の経歴は様々。サッカーとは無縁の世界から巧妙にそしてしたたかに立ち回って、人気スポーツ界を牛耳る立場に上り詰めた人物も多い。

 

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戸部 丈嗣(とべ・たけつぐ)1972年生まれ。2004年11月から共同通信ローマ支局。サッカーとスキーを主に取材。06、10年W杯サッカー、10年バンクーバー五輪などをカバーした。


2010年09月15日

「祭り」の後の寂しさ 2大イベント開催のブラジルは?  

 これまでサッカーのワールドカップ(W杯)や五輪を取材し、強く感じていることがある。巨大スポーツイベントは開催国に大きな夢と勇気を与えるが、祭りの後には空虚感も残る。それを乗り越えて国家として成長するのは至難の業だ。

 南アフリカが開催したアフリカ大陸初のサッカーW杯が閉幕して2カ月が過ぎた。大会中は前回ドイツW杯を上回る観客を動員し、南アの民族楽器「ブブゼラ」が応援グッズとして世界中で流行した。治安や運営が懸念されたが、大過なく終わった。

 大会後、南アを代表するエコノミストで1990年代のマンデラ政権では閣僚も務めたジェイ・ナイドゥー氏に話を聞く機会があった。「W杯は想像をはるかに超える大成功だった」と誇らしげな同氏は、南アが1次リーグ最終戦でフランスに快勝した試合をこう振り返った。「先制点を決めたのはDFだった。必ずしも自分に分担された役割ではなくても、有意義なら行動するべきだ。やればできるのだから。南ア国民が、そう気付いてくれたらいい」

 

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戸部 丈嗣(とべ・たけつぐ)1972年生まれ。2004年11月から共同通信ローマ支局。サッカーとスキーを主に取材。06、10年W杯サッカー、10年バンクーバー五輪などをカバーした。


2010年03月31日

わだかまり捨て4年後目指す アルペンスキーの湯浅直樹  

  バンクーバー冬季五輪が閉幕して1カ月。前回トリノ五輪のアルペンスキー男子回転で7位入賞を果たした26歳の湯浅直樹(スポーツアルペンク)は今回出場を逃した。だが、その湯浅も出られたかもしれない経緯があったため一部から疑問と憤りの声が上がる中で、湯浅本人はわだかまりを捨てて4年後のソチ五輪へ意欲を燃やしている。
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 五輪開幕(2月12日)の2週間前まで、ワールドカップ(W杯)などの成績で決まる各国・地域別の日本の出場枠は2だった。全日本スキー連盟(SAJ)は既に選考レースの成績で決めた代表選手に佐々木明(エムシ)と皆川賢太郎(竹村総合設備)の2人を発表していた。ところがその後、他の国・地域が返上した枠が予想外に多かったため、1月29日に急きょ再分配された。日本にもさらに2枠が回ってくることが判明したが、SAJは追加派遣しなかった。

 1月17日のW杯回転第5戦までを期限とした日本男子の選考レースで、湯浅は佐々木、皆川に続く3番手の成績で代表落選が決まった。「責任を取らなければならないだろうと思った」と、支援企業との契約が更新されずに引退へと迫られることも覚悟したという。

 

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戸部 丈嗣(とべ・たけつぐ)1972年生まれ。2004年11月から共同通信ローマ支局。サッカーとスキーを主に取材。2006年W杯サッカー、10年バンクーバー五輪などをカバーした。


2009年10月21日

マフィアも敵に回し奮闘 仏クラブ再建に奔走する祖母井秀隆氏  

 サッカーのフランス1部リーグで、日本代表MF松井大輔が所属するグルノーブルの祖母井秀隆(うばがい・ ひでたか)ゼネラルディレクターの話は、それこそ小説より面白い。日本人が欧州主要リーグのクラブで強化や運営の実質的な責任者となるのは極めて異例で、やはり困惑や苦労が多いようだ。
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 オシム前日本代表監督をJリーグに呼んだことで有名な祖母井氏は、千葉の統括部長だった2年半前、当時2部だったグルノーブルの親会社である日本企業のインデックス社に誘われた。「クラブの中が怪しい。フロントの立て直しに協力してくれないか」。同氏は1968年冬季五輪を開催し、スポーツ愛好家の多いフランス南東部の主要都市に本拠を置く同クラブの可能性に惹かれて快諾した。
 
 グルノーブルは数年前、当時は千葉の監督だったオシム氏を引き抜こうとした。同監督に「何しに行くんだ。スキーか」と背を向けられた後、元広島の選手で現在は母国チェコのサッカー協会会長を務めるハシェク氏らに打診して次々に断られた。その原因を、祖母井氏は赴任してすぐに理解した。クラブは地元マフィアの息がかかった幹部連中に牛耳られていたという。
 
 千葉時代は日本協会の川淵三郎前会長にも食ってかかったことがある熱い血が騒いだ。「ジャパンマネーに群がっているだけだった。(幹部の)7、8人を切った」。リーグの経営監視委員会に警告を受けるほどずさんだった経営を立て直し、自身が招聘したバズダレビッチ監督の下で1部昇格を達成した。ただ、今季は新たな試練に直面している。チームは開幕9連敗で、ホーム戦では不満を爆発させた地元サポーターが騒いだために試合が中断したこともある。
 
 長期的なチーム強化を掲げるが、鍵となる育成部門で思うような人材登用ができないという。「市原(千葉の前身)でやったように新しい血を入れていきたい。スカウトや育成、ビジネスに。でもそれがすごく難しい」。祖母井氏はドイツのケルン体育大出身で、その縁でオシム氏と知り合うなど幅広いネットワークが自慢だ。ところがグルノーブルはあまりに閉鎖的で、国外から人を連れてくることを拒むという。
 
 あきらめて日本に戻ろうとしたことは一度や二度ではないそうだが「いつかは欧州チャンピオンズリーグに行けるようなチームをつくって帰りたい」と思いとどまった。「フランスで、一つ学んだのが待つこと。車の列で先頭の運転手がすれ違う人と話すために止まったら、後ろで誰もクラクションを鳴らさず待っている。そういうことを覚えた。今僕がやろうとしていることも時間が必要」。もうしばらくは腰を据えて取り組む覚悟だ。

【写真】グルノーブル再建に情熱を注ぐ祖母井秀隆ゼネラルディレクター(共同)

 

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戸部 丈嗣(とべ・たけつぐ)1972年生まれ。2004年11月からローマ支局。サッカーとスキーを主に取材。サッカー担当としてはJリーグで横浜M、イタリアが優勝した2006年W杯を取材


2009年07月15日

日本代表の拠点は南部の保養地に内定、サッカーW杯南ア大会 課題は標高差対策  

来年、南アフリカで開催されるサッカーのワールドカップ(W杯)で日本代表が大会中の拠点とするベースキャンプ地が、南部の保養地ジョージに決まりそうだ。岡田監督は候補地の中で第1希望であることを公言し、最終承認する国際サッカー連盟(FIFA)の担当者によると日本以外にジョージを希望しているチームはない。
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 岡田監督が視察する直前に、現地を取材した。風光明媚(めいび)で人々も温かく、日本代表の応援に訪れるサポーターは大いに気に入るはずだ。チームが宿泊施設として押さえた「ファンコート」は、客室棟の半分をチームが借り切る予定だ。それでも国際プロ大会も行われるゴルフコースやスパなどは大会期間中も一般客に開放する。チームが使用する食堂とは別に寿司カウンターのあるレストランもあり、巻物を味見したら結構おいしかった。

 ジョージは西ケープ県の東端にあり、インド洋に面した町だ。ヨハネスブルクやケープタウンなど複数の試合会場都市にも直行の航空便があり、試合観戦にも好都合。幹線道路も渋滞知らずで、空港から市内まで車で20分もかからない。

 ちょっと足を延ばせば南アが誇るワイナリーを回って気持ち良く酔っぱらえる。海ではクジラが遊泳するらしいし、近郊のサファリパークでライオンと遭遇するのもいい。大会期間中は冬だが、昼間はTシャツでも平気。ある観光業者が「一日のうちに四季を味わえる」というように、天気はコロコロ変わるし昼夜で気温差が激しい。

 

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戸部 丈嗣(とべ・たけつぐ)1972年生まれ。2004年11月からローマ支局。サッカーとスキーを主に取材。サッカー担当としてはJリーグで横浜M、イタリアが優勝した2006年W杯を取材


2009年03月31日

EU拡大でサッカー界も岐路に クラブの独自性守る道模索  

 3月にアルペンスキーの取材でスロベニアに行った。友人のカメラマンが運転するレンタカーでドイツから入国したが、国境でパスポート審査はなかった。スロベニアは2004年に欧州連合(EU)に加盟。入管や両替の手間がないEU内の移動は楽だなとあらためて思った。だが膨らみ続ける「大欧州」には、きしみも生じている。
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 このほどローマを舞台とした冤罪(えんざい)事件が物議を醸した。ルーマニア人の男性が少女暴行事件の被疑者として扱われたが、アリバイが成立して無罪放免に。「外国人なまりで、ボクサーのように鼻がつぶれていた」という被害者の証言を元に、半ば強引に犯人に仕立てられていたという。その背景に、イタリア警察や世間の差別意識があったと指摘された。

 ルーマニアがEUに加盟した2007年以降、同国からイタリアへの移住者は100万人にまで急増した。ルーマニア出身者の犯罪が目立ち始めたこともあって社会問題化。ローマの少女暴行事件は、ベルルスコーニ・イタリア首相の一族が経営する全国紙ジョルナレに「ルーマニアの野獣を捕獲」とショッキングな見出しで報じられた。

 スポーツ界もこうした差別と無縁ではない。サッカーのルーマニア代表主将で、イタリア1部リーグ(セリエA)のインテル・ミラノに所属するキブは、ある雑誌に「どこの競技場に行っても『このジプシー(ロマの蔑称=べっしょう)野郎!』などとヤジを飛ばされる」と語っている。

 

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2008年12月10日

2010年へ開催準備進む サッカーの南アフリカW杯  

11月下旬に2週間ほど、サッカーの2010年ワールドカップ(W杯)が開催される南アフリカを訪問し準備状況を取材した。開幕戦と決勝が行われるメーンスタジアムやアクセスの主要な手段となる鉄道網の完成にはまだ時間がかかりそうだが、大会組織委員会は南ア政府と国際サッカー連盟(FIFA)の手を借りながら、再来年6月11日の開幕に間に合わせるだろうと確信した。

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 ヨハネスブルクのメーンスタジアムは9万人以上を収容するため改築中で、工程の半分を終えたばかり。先は長いが、作業員の必死な仕事ぶりを見る限り大丈夫そうな気がした。鉄道網の方は責任者が「W杯までに開通しない部分もある」と認めるなど頼りないが、大量にバスを走らせるなどして補う方針だ。

 

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戸部 丈嗣(とべ・たけつぐ)1972年生まれ。2004年11月からローマ支局。サッカーとスキーを主に取材。サッカー担当としてはJリーグで横浜M、イタリアが優勝した2006年W杯を取材


2008年09月02日

ACミラン大型補強の舞台裏 広報担当との対話から   

 日本でも人気が高いサッカーのイタリア1部リーグ(セリエA)ACミランの取材で、広報担当を務めるP氏には何度も世話になった。2006年ワールドカップ(W杯)の前にはシェフチェンコの単独インタビューを実現させてくれ、北京五輪の前にはオーバーエージ枠での招集が注目されていたカカとマンツーマンで話す機会をつくってくれた。
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 普段はキビキビしたミラノ紳士だが、酔うと陽気なラテン系になる彼と先日、飲みながら話し込んだ。昨季は日本開催のクラブW杯を制しながら、セリエAでは5位と振るわず、欧州チャンピオンズリーグ出場権獲得さえも逃した「ロッソネーリ」(赤と黒の意。イタリアではユニホームの色が愛称になることが多い)。巻き返しを期して大型補強した舞台裏をP氏は熱っぽく語ってくれた。

 ミランは今オフの移籍市場でイタリア中の話題をさらった。かつて2年連続で国際サッカー連盟(FIFA)の年間最優秀選手に輝いたロナウジーニョ(愛称は一応「ジーニョ」になっているが、出っ歯なので「デントーネ=大きな歯」とも呼ばれている)をバルセロナ(スペイン)から獲得し、さらにミランでセリエA得点王に輝いたほか2004年欧州最優秀選手に選出された元エースストライカーのシェフチェンコをチェルシー(イングランド)から2季ぶりに復帰させた。

 

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2008年04月30日

カカ、メッシら夢のチーム 魅力いっぱい、欧州サッカー  

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 今季の欧州サッカーは各国リーグ、欧州カップ戦ともラストスパート。多くの試合を見てきた。自分なりのベストイレブンを選んでみたい。あくまで記者として取材し、現場で見た印象がベース。陣形は3―4―3、中盤はひし形(ダイアモンド型)にしてみた。

 ▽GK ブフォン(ユベントス) セービングの技術と安定感は群を抜く。今季は背中痛に苦しみ、本調子ではなかったというが、とてもそうは思えない反応の素早さが光った。
 ▽右DF セルヒオラモス(レアル・マドリード) 守備センスに卓越し、すきがない。何人かの個人技に優れたサイドアタッカーと対戦する試合を見たが、ほぼ完ぺきに抑えた。
 ▽センターバック ファーディナンド(マンチェスター・ユナイテッド) 読みの鋭さと当たりの強さを兼ね備える。巧妙にパスやドリブルのコースに入って難なくボールを奪う。
 ▽左DF マルディーニ(ACミラン) 欧州チャンピオンズリーグ(CL)の敵地でのアーセナル戦は、機動力抜群の相手攻撃を封じた。その後、負傷離脱しなければ、今季限りでの引退を撤回したはず。


 ▽守備的MF マケレレ(チェルシー) マルディーニ同様に、衰えを見せない。経験を重ねて、戦術眼が鋭くなるばかり。危険察知能力に優れ、タックルのタイミングもいい。
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 ▽右MF カモラネージ(ユベントス) ホームでのACミラン戦は抜群に切れ味の鋭いプレーで全得点に絡んだ。個人技を最も効果的にチーム全体の中で生かす「職人」。
 ▽左MF ランパード(チェルシー) 今季は左寄りでプレーすることが多く、大方の予想以上にうまくこなしている。守備もしっかりし、1対1の局面でほとんど負けない。
 ▽トップ下 カカ(ACミラン) 今季はけがに泣いたが、春に復帰してからは相手にとって手がつけられない勢いだ。高速ドリブルと、威力があり精度の高いシュートはため息を誘う。

 

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2008年01月23日

切磋琢磨し、互いに向上 皆川が佐々木の刺激に  

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 競技者に欠かせない闘争心に火を付けるため、力になるのが身近なライバルの存在だ。今季のスキー取材を続けながら、それを強く感じている。

 アルペンスキーのワールドカップ(W杯)で日本勢最高の2位に3度入った実績を誇る佐々木明(ティーシーエス)が、今季途中からレベルアップした滑りを見せている。①急斜面②アイスバーン③視界良好―の条件に恵まれれば、近いうちに2シーズンぶりの表彰台に上れるはずだ。


 昨季は不振だった。印象に残っているのが、シーズン序盤に佐々木が「兄貴分」と慕うA氏が漏らした「賢太郎がいないのが痛い」のひと言だ。A氏は、昨季が始まった途端に大けがをして残るシーズンを棒に振った皆川賢太郎(アルビレックス新潟)の不在が、佐々木に影響することを予見していた。

 

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2007年09月25日

サッカー取材の合間の楽しみ 食の宝庫、イタリア  

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 ローマ駐在のスポーツ担当記者として、サッカーのイタリア1部リーグ(セリエA)で日本人選手が所属するチームの試合を取材する機会が多い。セリエAは基本的に日曜日の午後3時キックオフ。取材の前後に出張先で食事するが、いつも赴任地がイタリアで良かったと思う。

 よほど失敗しない限り、どこで何を食べてもうまい。そして、たまには「舌がとろけ」たり「ほっぺたが落ち」たりする、大当たりの逸品に遭遇する。

 

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2007年06月20日

アスリートはサッカーがお好き? 意外な選手の交友も  

 ビーチサンダルのかかとで地面をけり、顔をゆがめながら「チョーショックすよ。クッソー」。水泳のアテネ五輪百メートル背泳ぎ銅メダリスト、森田智己(セントラルスポーツ)が悔しがったのは、水泳の成績ではない。

 6月にスペインのバルセロナで行われた水泳の欧州グランプリ第2戦でのことだった。開幕前日に、森田は日本代表の仲間たちと観光に出かけ、サッカーの強豪バルセロナの公式ショップで青とエンジの配色が鮮やかなユニホームを購入した。

 その店には、その場で好きな選手の名前と背番号をつけてくれるサービスがある。森田は大好きなアルゼンチン代表FWメッシを注文したが、店員はつれなく「数字の1が切れていて背番号19がつくれない」。茶髪の五輪メダリストは、レースに敗れたかのようにがっくり頭を垂れた。 仕方なく自身の誕生日と同じ22(選手はサビオラ)を付けてもらい、さっそく、それを着て大会に登場。地味なジャージ姿のチームメートとは異彩を放ち、人目を引いていた。

 

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2007年03月07日

新天地で輝けないシェバ 見守りたい森本の成長  

 サッカーの2004年欧州最優秀選手で、今季からイングランド・プレミアリーグの昨季覇者チェルシーでプレーするFWアンドリー・シェフチェンコがパッとしない。なぜだろうか。一度取材した機会を振り返ると、思い当たることがある。

 シェバ(シェフチェンコの愛称)はイタリア1部リーグ(セリエA)のACミランで得点王に2度輝いた実績を持つ。昨季はリーグ戦28試合で19得点、欧州チャンピオンズリーグ(CL)では12試合で9ゴールを奪った。

 ところが今季は3月3日のポーツマス戦を終え、リーグ戦25試合でわずか3得点。3日は先発したが途中で退き、交代で入った選手が得点する悔しい内容だった。欧州CLは6試合で2ゴールにとどまっている。

 

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