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スポーツリレーコラム

2017年05月10日

「リレーコラム」ルール変更で物足りなさも 柔道全日本選手権、理想像の模索を  

ウルフ・アロン(左)を攻める王子谷剛志。延長の末、優勢勝ちで優勝を果たした=日本武道館 柔道日本一を決める全日本選手権が4月29日、東京・日本武道館で開催され、王子谷剛志(旭化成)が2年連続3度目の優勝を果たした。

 連覇は2005年の鈴木桂治以来12年ぶりで、最重量級の王子谷が見せた攻撃的な柔道は王者にふさわしかった。
 ただ、ウルフ・アロン(東海大)との決勝は、延長の末ウルフに指導が与えられての決着で、物足りない印象も残った。

 今年から旗判定が廃止され、延長戦が導入された。これまでは旗判定は曖昧な決着も多かった。
 今回は延長戦でダイナミックな展開での完全決着を期待されたが、現実は互いにポイントを取れず、最後は組み手争いによる消耗戦となった。ルール変更が試合に大きな影響を与えたとみる。

 

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 森本 任(もりもと・まこと)1998年、共同通信入社。プロ野球担当として阪神、日本ハムを担当。08年北京、10年バンクーバー五輪では柔道、スキーなどを取材。11年1月からニューヨーク支局で米スポーツをカバー。15年1月に本社に戻り、レスリング、大相撲、柔道などを担当。


2016年11月23日

レスリング女王吉田、気になる去就 厳しい東京への道、しかし…  

 リオデジャネイロ五輪から早くも3カ月がたち、切れ目なく、スポーツ界は4年後の東京五輪に向けて動きだしている。どの競技でも次世代の台頭と、踏ん張るベテランの代表争いが繰り広げられるだろう。個人的に最も気になるのは、レスリング女子の吉田沙保里の去就だ。当面は日本代表のコーチ兼任で現役生活を模索する道を選んではいる。

 リオ五輪決勝での敗戦は強烈な印象として残っている。劇的な勝利を収めたほかの金メダリスト以上かもしれない。日本レスリング界をけん引し続け、日本選手団主将も引き受けた。4連覇の偉業に挑んだが、結果は惜敗。号泣してマットに伏せ、謝罪する姿はあまりに痛々しかった。

 敗戦から何度か吉田を取材してきたが、いくつかの段階を経て、いつもの明るい様子に戻っている。リオからの帰国直前に、48キロ級で金メダルを獲得した妹分の登坂絵莉(東新住建)と2人でこれでもないかというぐらい泣いて、悲しみに一区切りをつけたという。五輪直後は引退を考え、気持ちを整えるうちに、結論を急がなくていいと自分に言い聞かせるようになった。そして、自然と2020年東京五輪への意欲もわき出てきた。

 

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 森本 任(もりもと・まこと)1998年、共同通信入社。プロ野球担当として阪神、日本ハムを担当。08年北京、10年バンクーバー五輪では柔道、スキーなどを取材。11年1月からニューヨーク支局で米スポーツをカバー。15年1月に本社に戻り、レスリング、大相撲、柔道などを担当。


2016年01月06日

またも柔道で誤審 運営体制にも問題  

男子81キロ級準決勝 韓国選手(下)との対戦で、投げ技の動作が禁止されている下半身への攻撃とされ反則負けした永瀬貴規=東京体育館(2015年12月5日、共同) 昨年12月に開催された柔道のグランドスラム東京大会で、誤審問題が起こった。男子81キロ級の世界チャンピオン、永瀬貴規(筑波大)が準決勝で李スンス(韓国)の脚を触ったとして一発での反則負けを宣告された。

 国際柔道連盟(IJF)は2013年から立ち技での攻防で、相手の脚に触れることを一切禁止し、反則としている。永瀬の場合は、得意の大内刈りから内股への連絡技を仕掛けたところを李にまたがれ、さらに押し込んですくい投げを決めたが、左手が相手の脚に触れたと判断された。永瀬は左手で上着の裾を最後まで持っていたとアピールした。審判団がジュリーと呼ばれる審判員を交えてビデオによる検証を行ったが、判定が覆ることはなかった。

 私も複数方向からのビデオを見たが、明らかな誤審だったと思う。永瀬は最後まで裾を持っていたようにしか見えなかった。IJFのバルコス審判主任に確認すると「一瞬、永瀬の左手が裾から離れて、相手の下半身に当たっていた」と主張した。どこか、ばつが悪そうな様子で「ビデオ判定は完璧な『神の眼』ではない。非常に厳しい判定だった」と続けた。永瀬は「これが五輪本番じゃなくて良かった」と悔しさを押し殺したが、気の毒だった。

 

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 森本 任(もりもと・まこと)1998年、共同通信入社。プロ野球担当として阪神、日本ハムを担当。08年北京、10年バンクーバー五輪では柔道、スキーなどを取材。11年1月からニューヨーク支局で米スポーツをカバー。15年1月に本社に戻り、レスリング、大相撲、柔道などを担当。


2014年02月05日

思い出す石井慧の言葉 総合格闘技に挑む柔道金メダリスト  

「世界一強い男」を目指す石井はトレーニングの一環として柔道にも取り組み、昨春は全米体重別選手権に出場した(2013年4月14日、米バージニアビーチで。森本任撮影) ソチ冬季五輪が開幕する。日本勢は複数の金メダルが期待され、その分、重圧との戦いにもなるだろう。「厳しい練習、周囲からのプレッシャー。苦しんだら苦しんだ分だけ見返りはあるものです」。2008年北京五輪の柔道100キロ超級で優勝した石井慧の言葉を思い出す。柔道界の異端児は金メダルを獲得し、今は総合格闘技で挑戦を続けている。

 21歳で五輪を制した後、プロの世界へ飛び込んだ。柔道界に残っていれば、その後のロンドン五輪、リオデジャネイロ五輪も狙えた。安定した生活も保証されていたかもしれない。それでも「世界一強い男になりたい」と純粋な思い一つで、新たな分野へ突き進んだ。

 09年の大晦日にプロデビューした当時はまだ日本のプロ格闘技界は活気があったが、人気は下降していった。練習環境と闘いの場を求めて、米国ロサンゼルスへ拠点を移した。「こっちでは柔道の金メダリストなんて誰も知らないですよ」という環境で、黙々と汗を流した。

 

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 森本 任(もりもと・まこと)1998年、共同通信入社。プロ野球担当として阪神、日本ハムを担当。08年北京、10年バンクーバー五輪では柔道、スキーなどを取材。11年1月からニューヨーク支局で米スポーツをカバー。


2013年05月22日

にじみ出る上原の苦労 レッドソックス支える貴重な中継ぎ  

ツインズ戦の8回に登板して3者三振に仕留めガッツポーズの上原。(2013年5月9日、共同) 大リーグの取材現場では、非公開の日本のプロ野球とは異なり、試合の前後にクラブハウスが報道陣に開放される。規定通りに、試合の3時間半前に入ると、選手の姿はさまざまだ。仲間と談笑したり、トランプに興じたり、一人で音楽や読書にふけったり…。レッドソックスの上原浩治はリラックスしていることもあれば、時として疲労感をにじませて放心状態でいるときもある。「そら、疲れるよ」。その姿には、伝統球団で重責を担う38歳のベテランの苦労がにじみ出ている。

 昨オフにレンジャースからフリーエージェント(FA)となり、10球団近くの争奪戦の末に、1年契約でレッドソックスに移籍した。メジャー5年目で3球団を渡り歩いた仕事人だ。昨季ア・リーグ東地区で最下位に沈み、再起を図るチームの最大の課題である、中継ぎ投手の目玉として迎え入れられた。

 中継ぎは目立ちにくいが、勝利には欠かせない。先発投手が完投することは少ないため、さまざまな状況で起用される。上原は抜群の制球力と三振を取れる能力を評価され、レッドソックスのファレル監督は「終盤の重要な場面を任せる」と起用法を説明した。

 

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 森本 任(もりもと・まこと)1998年、共同通信入社。プロ野球担当として阪神、日本ハムを担当。08年北京五輪、10年バンクーバー冬季五輪では柔道、スキーなどを取材。11年1月からニューヨーク支局で米スポーツをカバー。


2010年12月22日

五輪へは長期的な視点で 柔道日本代表、試合数増え選手に疲れ  

 今月行われた柔道の「グランドスラム東京」で、日本は男女各7階級のうち、男子は6階級、女子は5階級を制した。日本は開催国の面目を保ったかたちだが、現場で取材した印象では、どの日本選手からも疲労の蓄積が感じられた。
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 国際柔道連盟(IJF)は昨年からランキング制度を導入し、試合数が格段に増えた。試合に出なければポイントは得られず、ロンドン五輪の出場権も獲得できない。現在進行形の成績が求められるため、北京五輪前までのように、有力選手が厳選して年に数回、国際試合に出るだけでは五輪に出場できない。今年1年で、女子の谷亮子、谷本歩実、男子の内柴正人ら五輪金メダリストが継続的な試合出場を不可能と判断し、次々と引退していった。

 ランキング制度は第一線で戦い、代表を目指す若い選手には歓迎すべき側面があるのは事実だ。その一方で連戦が続き、けがが相次いでいる。世界ランキング1位を保持してきた男子90キロ級の小野卓志(了徳寺学園職)は10月に左膝を負傷しながら、11月は広州アジア大会に強行出場して優勝。完治しないまま、「グランドスラム東京」は準々決勝で敗退した。負けても1年間の貯金で世界ランキング1位を守り抜いたのだから、本来ならば胸を張っていいはず。けがを押してまで、無理に出る必要はなかった。

 女子63キロ級の上野順恵(三井住友海上)も9月の世界選手権で2連覇を達成し、広州アジア大会も制覇。小野と同じく世界ランク1位で「グランドスラム東京」に臨み、精彩を欠いたまま2回戦であっけなく敗退した。日本女子の園田隆二監督は「上野は試合も多いので疲れている。使い過ぎかなという部分もある。今のシステムでは、一人の選手が勝ち続けるのは難しい」。仕方なしといった様子だった。

 

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森本 任(もりもと・まこと)1998年、共同通信入社。プロ野球担当として阪神、日本ハムを取材。2005年12月に東京本社に異動。現在は柔道、レスリング、大相撲、スキーなどを担当。柔道3段。


2010年09月29日

個性異なる女王2人のアプローチ 女子レスの吉田沙保里と伊調馨  

 9月上旬にモスクワで開催されたレスリングの世界選手権で、女子55㌔級の吉田沙保里(綜合警備保障)が8連覇を達成し、2度の五輪を含めて10大会連続の世界一に輝いた。吉田とともに、63㌔級の伊調馨(綜合警備保障)も圧倒的な強さを示し、3大会ぶり6度目の頂点に立った。

 zyoou.jpg 伊調は2008年北京五輪で2連覇を達成した後に休養を取り、08年と09年の世界選手権には出なかった。ことしの強さを見る限り、五輪後も大会に出ていれば、吉田と同じく世界一の座を守り続けたのは間違いないだろう。

 吉田が記録にこだわりモチベーションとしているのに対し、伊調は達成感が満たされてしまったことで北京五輪後に一度は引退も考えた。「レスリングを、もう一度楽しみたい」と第一線から離れ、カナダに留学。心身をリフレッシュして昨年秋に復帰した。

 

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森本 任(もりもと・まこと)1998年、共同通信入社。プロ野球担当として阪神、日本ハムを取材。2005年12月に東京本社に異動。現在は柔道、レスリング、大相撲、スキーなどを担当。柔道3段。


2010年07月07日

素顔は「気は優しくて力持ち」 野球賭博で解雇の琴光喜  

 野球賭博問題で、日本相撲協会は4日に開いた臨時理事会で、大関琴光喜と大嶽親方(元関脇貴闘力)を解雇処分とした。相撲協会の事情聴取で賭博にかかわっていた事実を隠していたことが重視され、厳しい処分となった。琴光喜はこれまでの取材で「気は優しくて力持ち」という印象を持っていた。賭博にのめり込むようなイメージは、全くなかっただけに「なぜ」との思いが強い。

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 琴光喜には記憶に残る取材がある。新入幕の2000年夏場所前だった。千葉県松戸市の佐渡ケ嶽部屋でのけいこ中、申し合いで倒れ込み、左足首を痛めてしまった。声を上げて土俵でのたうち回った。けいこ場にいた記者はわたし一人。写真を撮り、すぐ病院に行くということで部屋の外で待っていた。出てきた琴光喜は「まだ記事を書かないで下さい。応援してくれる人に迷惑がかかるので、しばらく待って下さい。詳しいことが分かれば必ず連絡しますから」と懇願してきた。その場で携帯電話の番号を交換した。
 
 当時入社2年目だったわたしは困惑した。会社に報告したが、本人から情報が入るということで、その日は結局記事にできなかった。ところが、翌日のスポーツ紙に「琴光喜が負傷で新入幕場所を休場」の“ニュース”が載った。後援会の関係者が情報源となっていた。早朝に琴光喜から電話があり「本当にすいませんでした。夜はショックで電話をする余裕がありませんでした」と謝ってきた。その日は朝けいこ後の部屋でちゃんこに誘ってもらい、心遣いに感謝した。だが、その優しさと同時に、心の弱さを感じた。

 

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森本 任(もりもと・まこと)1998年、共同通信入社。プロ野球担当として阪神、日本ハムを取材。2005年12月に東京本社に異動。現在は柔道、レスリング、大相撲、スキーなどを担当。柔道3段。


2010年04月14日

わが子を信じ「もっと大人に」 暴言で〝永久追放〟の亀田史郎氏  

 プロボクシングの「亀田3兄弟」の父、亀田史郎氏(44)が13日、日本ボクシングコミッション(JBC)からセコンドライセンスの取り消し処分を受け、ボクシング界から事実上の永久追放となった。
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 3月27日、東京・有明コロシアムで行われた世界ボクシング評議会(WBC)フライ級王座統一戦。正規王者の長男の興毅が、暫定王者のポンサクレック・ウォンジョンカム(タイ)に判定で敗れた後、史郎氏がとった行動は常軌を逸していた。試合後、控室に主審や役員を呼びつけて、聞くに堪えない暴言を浴びせた。控室前に集まっていた報道陣や関係者にもその声ははっきり届き、まさに公衆の面前での暴挙だった。

 史郎氏はこれまでもトラブルを起こしてきた。弁解の余地はない。今後問われるのは父親としての在り方だろう。JBCはリングサイドや控室など管理下区域への立ち入り禁止措置をとるが、史郎氏が観客として入場券を買って会場に入ることまでは制限できない。次男で世界ボクシング協会(WBA)フライ級チャンピオンの大毅が初防衛戦を控えており、試合会場での振る舞いが注目される。

 亀田3兄弟はこれまで、公の場で父親の悪口を言ったり、行動を批判したりしたことはない。とくに興毅はことあるごとに「おやじの指導は世界一」とアピールしてきた。2007年10月に大毅の反則騒動が起こったときも、一人で謝罪会見に臨み、世間の厳しい目にさらされながら、涙ながらに父への思いを口にした。27日の試合では、自らの敗戦を潔く認め、四方に頭を下げてリングを下りた。無言を貫いたが「おやじ、また一緒に強くなっていこうや」が本音ではなかっただろうか。

 

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森本 任(もりもと・まこと)1998年、共同通信入社。プロ野球担当として阪神、日本ハムを取材。2005年12月に東京本社に異動。現在は柔道、レスリング、大相撲、スキーなどを担当。柔道3段。


2009年11月25日

「石井がいれば…」 日本柔道界にくすぶる元エース復帰待望論  

 先日、取材に行った柔道会場で関係者としみじみと振り返った。「あれから1年もたったのか」。北京五輪男子100㌔超級金メダリストの石井慧が、プロ格闘技への転向を表明したのは昨年11月のことだった。将来性豊かな石井が去ったその後の日本柔道男子は、今年の世界選手権で優勝なしに終わるなど苦戦が続いている。「石井がいれば…」。公言する関係者は少ないが、本心でそう思っている人は多い。
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 全日本柔道連盟は競技者規定で、柔道以外の格闘技系競技(プロレス、プライド、K―1など)でプロ選手またはプロのコーチとして活動することを禁じている。現実的ではないが、プロゴルフやプロ野球などとの掛け持ちはできる。 それだけ柔道界のプロ格闘技に対するアレルギーは強い。一番の原因となったのはプロレスとの関係だ。古くは1954年、史上最強の柔道家といわれた木村政彦が力道山に惨敗。外国人ではあるが、ミュンヘン五輪(1972年)で重量2階級を制覇したビレム・ルスカ(オランダ)がアントニオ猪木に裏投げ(バックドロップ)で完敗したのもしゃくの種になった。

 その後も柔道で実績を持つ選手たちがリングに上がり、引き立て役に回った。真剣勝負かショーかの議論は別にして、利用された柔道界にとってはおもしろくない。プロとの壁を強固にした。K―1や総合格闘技などが新たに登場しても、プロの興行と名のつくものに対しては断固として拒絶の姿勢を貫いてきた。

 ただ、最近は柔道界の状況は大きく変わっている。選手は高額な年俸で企業と契約するプロ化が進んだ。一方で以前のように終身雇用制の下、生涯の生活が保障される時代ではなくなった。引退後のセカンドキャリアをどうするか。選択肢として、プロ格闘技が含まれてくるのは当然といえよう。

 

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2009年08月19日

世界選手権でのテーマは「楽しむ」 柔道男子90㌔級日本代表の小野卓志  

柔道の世界選手権(8月26日開幕・ロッテルダム=オランダ)が間近に迫ってきた。日本男子は苦戦が予想されるが、90㌔級の小野卓志(了徳寺学園職)は「(81㌔級初戦の2回戦で敗退した)北京五輪のような苦しい思いはしたくない。今大会のテーマは『とにかく楽しむ』です。早く畳に上がりたい」と心待ちにしている。
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 日本男子は北京五輪で2個の金メダルを獲得したが、次世代の担い手と期待された100㌔超級の石井慧がプロ格闘技に転向し、大きな穴が空いた。危機感が募る状況で、小野に対して「そんな軽い姿勢で大丈夫か」と不安視する声もある。

 ただ、去年の小野は本当に苦しそうだった。81㌔級で減量は10㌔以上しなければならず、日の丸の重圧も加わった。昨年2月の冬季欧州大会で惨敗したときはボロボロだった。日本代表の斉藤監督に1時間以上も説教された。負けた翌日に「世界で勝てないおれは死んだほうがいいんですかね」と真顔で聞かれ、ぎょっとした。安易に励ます言葉もかけられず「五輪で勝てば笑い話になるよ」と言葉を返すしかなかった。

 五輪後は引退も考えたが、心に引っ掛かるものがあったという。それが「楽しさ」だった。「子どものときは相手を投げて大喜びしていた。柔道が大好きなはずなのに、いつのまにか忘れていた」。ジュニア時代から将来を嘱望され、勝つことで周囲の期待に応えてきた。柔道エリートが北京で挫折を味わい、原点を思い出した。

 

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2009年05月13日

久しぶりに現れた豪傑  柔道日本一の穴井隆将  

4月29日に東京・日本武道館で行われた柔道の全日本選手権で、24歳の穴井隆将(天理大職)が初優勝した。ここ数年の全日本選手権は最重量級の選手の低迷が続き、井上康生、鈴木桂治、石井慧ら100㌔級から柔道日本一が誕生してきた。187㌢、100㌔の均整の取れた穴井も100㌔級王者の系譜にその名を刻んだ。
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 しっかりと組んで、内またや大外刈りなど切れ味鋭い技を繰り出す柔道は、一本を目指す日本の理想といえる。加えて、穴井は甘いマスクの持ち主で、しっかりと人前でしゃべることができる。スターの資質を十分持ち合わせている。

 奈良・天理高時代から将来を嘱望されていた。私が穴井を初めて取材したのは、彼が高校生のときだった。全日本選手権の近畿地区予選に出場し、上位に入れば井上康生以来となる高校生での本戦出場を目指していた。「日本武道館で鮮烈なデビューを飾りますよ」と自信満々で畳にあがったが、簡単に負けてしまった。

 北京五輪を目指しているときも同様だった。仲のいい記者連中と飲みにいくと「自分が鈴木桂治さんを倒して北京に行きます。そして金メダルを取ります」と、大見得を切って乾杯の音頭をとった。だが、2008年2月の欧州遠征で惨敗し、同4月の最終選考会では鈴木との直接対決で一本負けした。

 

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2009年01月28日

「勝負は1年後」 スノーボード青野令の冷静さ  

来年2月12日に開幕するバンクーバー冬季五輪まで約1年となった。各競技の世界選手権では、来年2月を見据えた戦いが繰り広げられている。1月24日まで韓国の江原で開催されたスノーボード世界選手権で、ハーフパイプ(HP)男子で18歳の青野令(スノーフレンズク)が日本選手初の優勝を飾ったが、この快挙にも関係者の言葉は慎重だった。
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 全日本スキー連盟の萩原文和スノーボード部長は「盛大に報道してもらうことはうれしいのですが、浮足立たないで下さい。勝負は1年後ですから」と何度も念を押した。前回2006年トリノ五輪のとき、日本のHP陣はワールドカップ(W杯)など での好成績をもとに、国内では優勝候補として盛大に取り上げられた。しかし五輪本番は、W杯には出場しない欧米のプロ選手に、こてんぱんにやられた。「日本代表チームが情報収集を怠った」「メディアが盛り上げすぎ」など批判の声もあった。

 今回の世界選手権には、やはりショーン・ホワイトら米国のトップ選手は不在だった。青野自身は「米国が出ていないから、ここで負けているようでは話になりません」と、いたって落ち着いていた。一方で、青野への世界の評価はうなぎ上り。 国際スキー連盟(FIS)のオリバー・クラウス・スノーボード担当広報は「リョウの高いエア(ジャンプ)はワールドクラスだ。オリンピックでも十分に勝つチャンスはあるだろう」と評価した。

昨年1月にはプロ選手が顔をそろえた北米の高額賞金大会「Xゲーム」でホワイトに続いて2位に入った実績もある。そのときは、突如ひのき舞台に現れた日本人選手として「カミカゼ」と呼ばれ、周囲をあっと言わせた。今回の世界選手権優勝で「あのときのヤングボーイか」と話す関係者も多かった。
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2008年10月30日

わずか1年で改革実現 ビゼールIJF会長の剛腕  

 国際柔道連盟(IJF)は10月19日から21日までバンコク市内で理事会と総会を開き、ランキング制度や大会を格付けしたグランプリシリーズの来年からの導入を決定した。これらのプランはルーマニア出身のマリアス・ビゼール会長(オーストリア)が、昨年9月に就任したときにすでに明らかにしていた。

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 ゴルフやテニスのプロツアーを理想とする構想を発表したとき、個人的には数年以内での実現は無理だろうなと思っていた。それがわずか1年で実現にこぎ着けたのだから、正直驚いた。

 

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2008年06月25日

5歳から始まった「友情物語」 柔道男子の鈴木と小野  

suzuki.jpg 北京五輪まで2カ月を切り、選手同様に五輪を取材するわたしも準備に追われている。いろんな角度から取材してネタを集めるが、「こいつの存在があったから、今の自分がある」という話は面白い。柔道男子100キロ級代表の鈴木桂治(平成管財)と81キロ級代表の小野卓志(了徳寺学園職)のライバル関係はよくある中学、高校時代などではなく、何と5歳から始まっている。

 同じ1980年6月生まれの2人が初めて顔を合わせたのは茨城県石下町(現常総市)体育協会柔道部だった。3歳から柔道を始めた鈴木に遅れること2年、小野が道場に入門した。すぐに仲良くなったというが、畳の上は別だ。打ち込みの数やダッシュ競争など何でも張り合った。互いにメキメキと力をつけ、小学校高学年のころには茨城県の1、2位を争う存在になった。

 鈴木は小学5年のときにサッカーに没頭し、一度柔道をやめそうになったときがある。しかし、小野の頑張りに刺激を受けて踏みとどまった。小学校の卒業文集にはそのときの話を書き、違う小学校の生徒である「小野君」の名前を出して、柔道を続ける意思をつづっている。

 

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2008年03月19日

「1人の人間として尊敬してくれる」 外国人柔道選手の強さの秘密  

BS-0073__-200802131735_L.jpg 先月は丸々1カ月間、柔道の欧州遠征の取材に行ってきた。日本勢は苦戦を強いられ、目についたのは外国選手の強靱(きょうじん)な精神力だった。

 フランス国際の男子100キロ超級ではテディ・リネール(フランス)が井上康生(綜合警備保障)らを破って優勝した。リネールは18歳。少年時代は「相当な悪童だった」(リネール)そうで、14歳のときに柔道を続けるか刑務所に行くか、選択を迫られたという。

 未完の大器は国家の強化指定選手として英才教育を受け、力をつけた。そして、柔道の技術だけでなく、精神的な部分でも成長。「自分自身と向き合うことができた」と振り返る。

 

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2007年12月07日

伸びやかな中村に期待  

BS-0102__-200711172025_L.jpg 女子柔道のホープ、中村美里(東京・渋谷教育渋谷高)が11月に行われた講道館杯全日本体重別選手権で優勝した。これまでの48キロ級から52キロ級に階級を上げての初戦を見事に飾って満面の笑みを浮かべた。18歳らしい屈託のない笑顔だった。

 私が柔道担当になったのは昨年初めからで、こんなにうれしそうな中村を見るのは初めてだった。中村は谷亮子(トヨタ自動車)が妊娠で戦列を離れた2005年に、16歳で講道館杯、福岡国際女子選手権の48キロ級を立て続けに制覇して一躍「ポスト谷」として注目を浴びた。中村を初めて取材をしたのは2006年1月の奄美合宿。どこにでもいそうな高校生で「谷さんと比較されてもピンとこない。自分はまだまだ弱い。期待されても実感がわかない」とキョトンとした表情で話したことを思い出す。

 成長過程にある自分と周囲の評価とのギャップを感じ取っていたのだろう。大会があるたびに活躍を求められ、それを裏切る中村がいた。2006年はフランス国際、全日本選抜女子体重別選手権、ドーハ・アジア大会と敗戦。今年は谷の復帰戦で注目された4月の全日本選抜体重別選手権も準決勝で敗れた。精神的な疲れと体の成長に伴う減量苦から階級変更を決意したという。

 谷との対戦は一度もない。スピードある谷と長身で足技のうまい中村の戦いは、スタイルがかみ合いそうで是非見てみたかった。でも、「谷さんに勝つために柔道をやっているわけじゃない」というのが本心だろう。当初は2012年ロンドン五輪を視野に入れていたが、「52キロ級で北京五輪を目指す」と堂々と言ってのけた。

 日本の柔道界を振り返れば、15歳から世界のトップに立ち続ける谷(田村)亮子の輝きの前に、数多くの選手が期待され、消えていった。実力の世界であるから当然のこととはいえ、打倒谷の幻想を背負わされる重圧も相当だったはずだ。目に見えない谷との戦いを経験し、今は「同じ日本代表で戦えたらうれしい」と無邪気に話せる中村に、自由と快活さを感じる。格闘技で階級を変更する場合、上げる方が比較的成功する例は多い。国内の女子52キロ級にはアテネ五輪銀メダリストの横沢由貴(三井住友海上)や今年9月の世界選手権(リオデジャネイロ)3位の西田優香(淑徳大)ら強豪がそろう。し烈な北京五輪代表争いの中、のびのびと戦う中村の姿を楽しみにしている。 

(写真)講道館杯体重別柔道の女子52キロ級決勝で垣田恵利(手前)を攻める中村美里=千葉ポートアリーナ      

      

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2007年08月15日

インターハイは高校生の晴れ舞台 3年間の努力を人生の財産に   

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 先日、佐賀インターハイを取材してきた。連日気温30度を超える中での仕事は大変だったが、高校生たちの一生懸命な姿を見ていると自然とやる気がわいてきた。 高校3年間は人生で2度と戻ってこない。限られた時間の中で一つのことに打ち込むことは本当に素晴らしい。

 陸上女子長距離に絹川愛(宮城・仙台育英高)が出場した。大阪で8月25日に開幕する世界選手権の日本代表に高校生でただ一人選ばれた逸材だ。6月末の日本選手権で世界への切符を手にしたが、その後は脱水症状で入院した。

 

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森本 任(もりもと・まこと)1998年入社。プロ野球担当として阪神、日本ハムを取材。2005年12月に東京本社に異動。現在は柔道、レスリング、大相撲、スキーなどを担当。柔道3段。


2007年05月09日

心揺さぶられた2人の涙 福見の悔しさと秋本の感激  

 by 森本 任

 日本柔道界にとって4月は全日本選抜体重別選手権、男女の全日本女子選手権、全日本選手権とビッグイベントの連続だ。今年は各大会が世界選手権(9月・ブラジル)の代表選考会を兼ねており、来年の北京五輪代表争いをにらんで熱戦が繰り広げられた。特に全日本選抜体重別選手権では2人の若手の涙に遭遇し、心を揺さぶられた。

 ▽潔かった福見

 

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森本 任(もりもと・まこと)1998年入社。プロ野球担当として阪神、日本ハムを取材。2005年12月に東京本社に異動。現在は柔道、レスリング、大相撲、スキーなどを担当。柔道3段。


2007年01月31日

同世代の2人が励ましに 柔道のベテラン、野村と谷  

 2月5日で32歳になる。まだまだこれからといった年齢だと思っているが、スポーツの取材をしていると、ベテランに入っていることを痛感する。

 柔道界では2人のベテランが来年の北京五輪を目指して大勝負に打って出る。男子の野村忠宏(ミキハウス)と女子の谷亮子(トヨタ自動車)。ともに4月の全日本選抜体重別選手権に出場する。同選手権は9月の世界選手権(ブラジル)代表選考会を兼ねており、来年の北京五輪に向けての重要な大会となる。

 筆者は柔道をしていたこともあり、同学年の野村、一学年下の谷には特別な同世代意識を感じる。

 

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森本 任(もりもと・まこと)1998年入社。プロ野球担当として阪神、日本ハムを取材。2005年12月に東京本社に異動。現在は柔道、レスリング、大相撲、スキーなどを担当。柔道3段。