2010年12月22日
五輪へは長期的な視点で 柔道日本代表、試合数増え選手に疲れ
今月行われた柔道の「グランドスラム東京」で、日本は男女各7階級のうち、男子は6階級、女子は5階級を制した。日本は開催国の面目を保ったかたちだが、現場で取材した印象では、どの日本選手からも疲労の蓄積が感じられた。

国際柔道連盟(IJF)は昨年からランキング制度を導入し、試合数が格段に増えた。試合に出なければポイントは得られず、ロンドン五輪の出場権も獲得できない。現在進行形の成績が求められるため、北京五輪前までのように、有力選手が厳選して年に数回、国際試合に出るだけでは五輪に出場できない。今年1年で、女子の谷亮子、谷本歩実、男子の内柴正人ら五輪金メダリストが継続的な試合出場を不可能と判断し、次々と引退していった。
ランキング制度は第一線で戦い、代表を目指す若い選手には歓迎すべき側面があるのは事実だ。その一方で連戦が続き、けがが相次いでいる。世界ランキング1位を保持してきた男子90キロ級の小野卓志(了徳寺学園職)は10月に左膝を負傷しながら、11月は広州アジア大会に強行出場して優勝。完治しないまま、「グランドスラム東京」は準々決勝で敗退した。負けても1年間の貯金で世界ランキ
森本 任(もりもと・まこと)1998年、共同通信入社。プロ野球担当として阪神、日本ハムを取材。2005年12月に東京本社に異動。現在は柔道、レスリング、大相撲、スキーなどを担当。柔道3段。
2010年09月29日
個性異なる女王2人のアプローチ 女子レスの吉田沙保里と伊調馨
9月上旬にモスクワで開催されたレスリングの世界選手権で、女子55㌔級の吉田沙保里(綜合警備保障)が8連覇を達成し、2度の五輪を含めて10大会連続の世界一に輝いた。吉田とともに、63㌔級の伊調馨(綜合警備保障)も圧倒的な強さを示し、3大会ぶり6度目の頂点に立った。
伊調は2008年北京五輪で2連覇を達成した後に休養を取り、08年と09年の世界選手権には出なかった。ことしの強さを見る限り、五輪後も大会に出ていれば、吉田と同じく世界一の座を守り続けたのは間違いないだろう。
吉田が記録にこだわりモチベーションとしているのに対し、伊調は達成感が満たされてしまったことで北京五輪後に一度は引退も考えた。「レスリングを、もう一度楽しみたい」と第一線から離れ、カナダに留学。心身をリフレッシュして昨年秋に復帰した。
伊調は日本で拠点としていた名古屋を離れ、東京に引っ越した。北京五輪まで一緒に戦ってきた姉の千春さんが教員になり、地元青森に戻ったため一人暮らしを始めた。レスリングに取り組むための環境を一から自分で整える必要があったが「すべての経験が新鮮で楽しい」と前向きにとらえている。
レ
森本 任(もりもと・まこと)1998年、共同通信入社。プロ野球担当として阪神、日本ハムを取材。2005年12月に東京本社に異動。現在は柔道、レスリング、大相撲、スキーなどを担当。柔道3段。
2010年07月07日
素顔は「気は優しくて力持ち」 野球賭博で解雇の琴光喜
野球賭博問題で、日本相撲協会は4日に開いた臨時理事会で、大関琴光喜と大嶽親方(元関脇貴闘力)を解雇処分とした。相撲協会の事情聴取で賭博にかかわっていた事実を隠していたことが重視され、厳しい処分となった。琴光喜はこれまでの取材で「気は優しくて力持ち」という印象を持っていた。賭博にのめり込むようなイメージは、全くなかっただけに「なぜ」との思いが強い。
琴光喜には記憶に残る取材がある。新入幕の2000年夏場所前だった。千葉県松戸市の佐渡ケ嶽部屋でのけいこ中、申し合いで倒れ込み、左足首を痛めてしまった。声を上げて土俵でのたうち回った。けいこ場にいた記者はわたし一人。写真を撮り、すぐ病院に行くということで部屋の外で待っていた。出てきた琴光喜は「まだ記事を書かないで下さい。応援してくれる人に迷惑がかかるので、しばらく待って下さい。詳しいことが分かれば必ず連絡しますから」と懇願してきた。その場で携帯電話の番号を交換した。
当時入社2年目だったわたしは困惑した。会社に報告したが、本人から情報が入るということで、その日は結局記事にできなかった。ところが、翌日のスポーツ紙に
森本 任(もりもと・まこと)1998年、共同通信入社。プロ野球担当として阪神、日本ハムを取材。2005年12月に東京本社に異動。現在は柔道、レスリング、大相撲、スキーなどを担当。柔道3段。
2010年04月14日
わが子を信じ「もっと大人に」 暴言で〝永久追放〟の亀田史郎氏
プロボクシングの「亀田3兄弟」の父、亀田史郎氏(44)が13日、日本ボクシングコミッション(JBC)からセコンドライセンスの取り消し処分を受け、ボクシング界から事実上の永久追放となった。

3月27日、東京・有明コロシアムで行われた世界ボクシング評議会(WBC)フライ級王座統一戦。正規王者の長男の興毅が、暫定王者のポンサクレック・ウォンジョンカム(タイ)に判定で敗れた後、史郎氏がとった行動は常軌を逸していた。試合後、控室に主審や役員を呼びつけて、聞くに堪えない暴言を浴びせた。控室前に集まっていた報道陣や関係者にもその声ははっきり届き、まさに公衆の面前での暴挙だった。
史郎氏はこれまでもトラブルを起こしてきた。弁解の余地はない。今後問われるのは父親としての在り方だろう。JBCはリングサイドや控室など管理下区域への立ち入り禁止措置をとるが、史郎氏が観客として入場券を買って会場に入ることまでは制限できない。次男で世界ボクシング協会(WBA)フライ級チャンピオンの大毅が初防衛戦を控えており、試合会場での振る舞いが注目される。
亀田3兄弟はこれまで、公の場で父親の悪口を言ったり、行動を批判
森本 任(もりもと・まこと)1998年、共同通信入社。プロ野球担当として阪神、日本ハムを取材。2005年12月に東京本社に異動。現在は柔道、レスリング、大相撲、スキーなどを担当。柔道3段。
2009年11月25日
「石井がいれば…」 日本柔道界にくすぶる元エース復帰待望論
先日、取材に行った柔道会場で関係者としみじみと振り返った。「あれから1年もたったのか」。北京五輪男子100㌔超級金メダリストの石井慧が、プロ格闘技への転向を表明したのは昨年11月のことだった。将来性豊かな石井が去ったその後の日本柔道男子は、今年の世界選手権で優勝なしに終わるなど苦戦が続いている。「石井がいれば…」。公言する関係者は少ないが、本心でそう思っている人は多い。

全日本柔道連盟は競技者規定で、柔道以外の格闘技系競技(プロレス、プライド、K―1など)でプロ選手またはプロのコーチとして活動することを禁じている。現実的ではないが、プロゴルフやプロ野球などとの掛け持ちはできる。 それだけ柔道界のプロ格闘技に対するアレルギーは強い。一番の原因となったのはプロレスとの関係だ。古くは1954年、史上最強の柔道家といわれた木村政彦が力道山に惨敗。外国人ではあるが、ミュンヘン五輪(1972年)で重量2階級を制覇したビレム・ルスカ(オランダ)がアントニオ猪木に裏投げ(バックドロップ)で完敗したのもしゃくの種になった。
その後も柔道で実績を持つ選手たちがリングに上がり、
森本 任(もりもと・まこと)1998年、共同通信入社。プロ野球担当として阪神、日本ハムを取材。2005年12月に東京本社に異動。現在は柔道、レスリング、大相撲、スキーなどを担当。柔道3段。
2009年08月19日
世界選手権でのテーマは「楽しむ」 柔道男子90㌔級日本代表の小野卓志
柔道の世界選手権(8月26日開幕・ロッテルダム=オランダ)が間近に迫ってきた。日本男子は苦戦が予想されるが、90㌔級の小野卓志(了徳寺学園職)は「(81㌔級初戦の2回戦で敗退した)北京五輪のような苦しい思いはしたくない。今大会のテーマは『とにかく楽しむ』です。早く畳に上がりたい」と心待ちにしている。

日本男子は北京五輪で2個の金メダルを獲得したが、次世代の担い手と期待された100㌔超級の石井慧がプロ格闘技に転向し、大きな穴が空いた。危機感が募る状況で、小野に対して「そんな軽い姿勢で大丈夫か」と不安視する声もある。
ただ、去年の小野は本当に苦しそうだった。81㌔級で減量は10㌔以上しなければならず、日の丸の重圧も加わった。昨年2月の冬季欧州大会で惨敗したときはボロボロだった。日本代表の斉藤監督に1時間以上も説教された。負けた翌日に「世界で勝てないおれは死んだほうがいいんですかね」と真顔で聞かれ、ぎょっとした。安易に励ます言葉もかけられず「五輪で勝てば笑い話になるよ」と言葉を返すしかなかった。
五輪後は引退も考えたが、心に引っ掛かるものがあったという。それが「楽しさ」だった。「子どものと
森本 任(もりもと・まこと)1998年入社。プロ野球担当として阪神、日本ハムを取材。2005年12月に東京本社に異動。現在は柔道、レスリング、大相撲、スキーなどを担当。柔道3段。
2009年05月13日
久しぶりに現れた豪傑 柔道日本一の穴井隆将
4月29日に東京・日本武道館で行われた柔道の全日本選手権で、24歳の穴井隆将(天理大職)が初優勝した。ここ数年の全日本選手権は最重量級の選手の低迷が続き、井上康生、鈴木桂治、石井慧ら100㌔級から柔道日本一が誕生してきた。187㌢、100㌔の均整の取れた穴井も100㌔級王者の系譜にその名を刻んだ。

しっかりと組んで、内またや大外刈りなど切れ味鋭い技を繰り出す柔道は、一本を目指す日本の理想といえる。加えて、穴井は甘いマスクの持ち主で、しっかりと人前でしゃべることができる。スターの資質を十分持ち合わせている。
奈良・天理高時代から将来を嘱望されていた。私が穴井を初めて取材したのは、彼が高校生のときだった。全日本選手権の近畿地区予選に出場し、上位に入れば井上康生以来となる高校生での本戦出場を目指していた。「日本武道館で鮮烈なデビューを飾りますよ」と自信満々で畳にあがったが、簡単に負けてしまった。
北京五輪を目指しているときも同様だった。仲のいい記者連中と飲みにいくと「自分が鈴木桂治さんを倒して北京に行きます。そして金メダルを取ります」と、大見得を切って乾杯の音頭をとった。だが、2008年2月の
森本 任(もりもと・まこと)1998年入社。プロ野球担当として阪神、日本ハムを取材。2005年12月に東京本社に異動。現在は柔道、レスリング、大相撲、スキーなどを担当。柔道3段。
2009年01月28日
「勝負は1年後」 スノーボード青野令の冷静さ
来年2月12日に開幕するバンクーバー冬季五輪まで約1年となった。各競技の世界選手権では、来年2月を見据えた戦いが繰り広げられている。1月24日まで韓国の江原で開催されたスノーボード世界選手権で、ハーフパイプ(HP)男子で18歳の青野令(スノーフレンズク)が日本選手初の優勝を飾ったが、この快挙にも関係者の言葉は慎重だった。

全日本スキー連盟の萩原文和スノーボード部長は「盛大に報道してもらうことはうれしいのですが、浮足立たないで下さい。勝負は1年後ですから」と何度も念を押した。前回2006年トリノ五輪のとき、日本のHP陣はワールドカップ(W杯)など での好成績をもとに、国内では優勝候補として盛大に取り上げられた。しかし五輪本番は、W杯には出場しない欧米のプロ選手に、こてんぱんにやられた。「日本代表チームが情報収集を怠った」「メディアが盛り上げすぎ」など批判の声もあった。
今回の世界選手権には、やはりショーン・ホワイトら米国のトップ選手は不在だった。青野自身は「米国が出ていないから、ここで負けているようでは
森本 任(もりもと・まこと)1998年入社。プロ野球担当として阪神、日本ハムを取材。2005年12月に東京本社に異動。現在は柔道、レスリング、大相撲、スキーなどを担当。柔道3段。
2008年10月30日
わずか1年で改革実現 ビゼールIJF会長の剛腕
国際柔道連盟(IJF)は10月19日から21日までバンコク市内で理事会と総会を開き、ランキング制度や大会を格付けしたグランプリシリーズの来年からの導入を決定した。これらのプランはルーマニア出身のマリアス・ビゼール会長(オーストリア)が、昨年9月に就任したときにすでに明らかにしていた。
ゴルフやテニスのプロツアーを理想とする構想を発表したとき、個人的には数年以内での実現は無理だろうなと思っていた。それがわずか1年で実現にこぎ着けたのだから、正直驚いた。
率直な感想をビゼール会長にぶつけると「改革には強い意思とスピードが必要なんだ」との答えが返ってきた。 同会長は柔道選手として目立った実績はない。だが、事業で築いた財力と人脈を武器に、まずは欧州連盟の会長に就任。毎週のように欧州各地で大会を開催し、メディアやスポンサーとも連動して商業化を図り、柔道人気を拡大させてきた。
2005年にIJF会長選挙に立候補し、当時現職の朴容晟会長(韓国)に敗れたが、その後の巻き返しは徹底していた。旧ソ連圏や中東、アフリカに勢力を広げ、朴派の追い落としにかかった。日本も朴
森本 任(もりもと・まこと)1998年入社。プロ野球担当として阪神、日本ハムを取材。2005年12月に東京本社に異動。現在は柔道、レスリング、大相撲、スキーなどを担当。柔道3段。
2008年06月25日
5歳から始まった「友情物語」 柔道男子の鈴木と小野
北京五輪まで2カ月を切り、選手同様に五輪を取材するわたしも準備に追われている。いろんな角度から取材してネタを集めるが、「こいつの存在があったから、今の自分がある」という話は面白い。柔道男子100キロ級代表の鈴木桂治(平成管財)と81キロ級代表の小野卓志(了徳寺学園職)のライバル関係はよくある中学、高校時代などではなく、何と5歳から始まっている。
同じ1980年6月生まれの2人が初めて顔を合わせたのは茨城県石下町(現常総市)体育協会柔道部だった。3歳から柔道を始めた鈴木に遅れること2年、小野が道場に入門した。すぐに仲良くなったというが、畳の上は別だ。打ち込みの数やダッシュ競争など何でも張り合った。互いにメキメキと力をつけ、小学校高学年のころには茨城県の1、2位を争う存在になった。
鈴木は小学5年のときにサッカーに没頭し、一度柔道をやめそうになったときがある。しかし、小野の頑張りに刺激を受けて踏みとどまった。小学校の卒業文集にはそのときの話を書き、違う小学校の生徒である「小野君」の名前を出して、柔道を続ける意思をつづっている。
続きはこちら
森本 任(もりもと・まこと)1998年入社。プロ野球担当として阪神、日本ハムを取材。2005年12月に東京本社に異動。現在は柔道、レスリング、大相撲、スキーなどを担当。柔道3段。
2008年03月19日
「1人の人間として尊敬してくれる」 外国人柔道選手の強さの秘密
先月は丸々1カ月間、柔道の欧州遠征の取材に行ってきた。日本勢は苦戦を強いられ、目についたのは外国選手の強靱(きょうじん)な精神力だった。
フランス国際の男子100キロ超級ではテディ・リネール(フランス)が井上康生(綜合警備保障)らを破って優勝した。リネールは18歳。少年時代は「相当な悪童だった」(リネール)そうで、14歳のときに柔道を続けるか刑務所に行くか、選択を迫られたという。
未完の大器は国家の強化指定選手として英才教育を受け、力をつけた。そして、柔道の技術だけでなく、精神的な部分でも成長。「自分自身と向き合うことができた」と振り返る。
フランスでは柔道はサッカー、テニスに続いて3番目に人気のあるスポーツと言われている。リネールは昨年の世界選手権で井上らを倒して優勝し、一躍国民的な英雄となった。
「過去に関係なく、みんなは私を一人のアスリート、人間として尊敬してくれる。期待に応えなければいけない」と決意を込める。地元で「テディ」の熱狂的な声援に誇らしげな顔で応える姿は、昨年の世界選手権のと
森本 任(もりもと・まこと)1998年入社。プロ野球担当として阪神、日本ハムを取材。2005年12月に東京本社に異動。現在は柔道、レスリング、大相撲、スキーなどを担当。柔道3段。
2007年12月07日
伸びやかな中村に期待
女子柔道のホープ、中村美里(東京・渋谷教育渋谷高)が11月に行われた講道館杯全日本体重別選手権で優勝した。これまでの48キロ級から52キロ級に階級を上げての初戦を見事に飾って満面の笑みを浮かべた。18歳らしい屈託のない笑顔だった。
私が柔道担当になったのは昨年初めからで、こんなにうれしそうな中村を見るのは初めてだった。中村は谷亮子(トヨタ自動車)が妊娠で戦列を離れた2005年に、16歳で講道館杯、福岡国際女子選手権の48キロ級を立て続けに制覇して一躍「ポスト谷」として注目を浴びた。中村を初めて取材をしたのは2006年1月の奄美合宿。どこにでもいそうな高校生で「谷さんと比較されてもピンとこない。自分はまだまだ弱い。期待されても実感がわかない」とキョトンとした表情で話したことを思い出す。
成長過程にある自分と周囲の評価とのギャップを感じ取っていたのだろう。大会があるたびに活躍を求められ、それを裏切る中村がいた。2006年はフランス国際、全日本選抜女子体重別選手権、ドーハ・アジア大会と敗戦。今年は谷の復帰戦で注目された4月の全日本選抜
森本 任(もりもと・まこと)1998年入社。プロ野球担当として阪神、日本ハムを取材。2005年12月に東京本社に異動。現在は柔道、レスリング、大相撲、スキーなどを担当。柔道3段。
2007年08月15日
インターハイは高校生の晴れ舞台 3年間の努力を人生の財産に
先日、佐賀インターハイを取材してきた。連日気温30度を超える中での仕事は大変だったが、高校生たちの一生懸命な姿を見ていると自然とやる気がわいてきた。 高校3年間は人生で2度と戻ってこない。限られた時間の中で一つのことに打ち込むことは本当に素晴らしい。
陸上女子長距離に絹川愛(宮城・仙台育英高)が出場した。大阪で8月25日に開幕する世界選手権の日本代表に高校生でただ一人選ばれた逸材だ。6月末の日本選手権で世界への切符を手にしたが、その後は脱水症状で入院した。
それだけに今後の調整を考えれば、インターハイを欠場する選択肢もあったが、「絶対に高校チャンピオンになりたい。3年生で最後のチャンスだから」という強い意思で三千メートルにエントリー。指導する渡辺監督と無理をしないという約束を交わしながら、ラスト500メートルを切ってからは外国人留学生たちと激しいラストスパートを繰り広げた。レース後は体調を心配する周囲をよそに、開口一番「あー悔しい」と叫んだ姿は、ほかの選手と同じ一人の高校生だった。
森本 任(もりもと・まこと)1998年入社。プロ野球担当として阪神、日本ハムを取材。2005年12月に東京本社に異動。現在は柔道、レスリング、大相撲、スキーなどを担当。柔道3段。
2007年05月09日
心揺さぶられた2人の涙 福見の悔しさと秋本の感激
by 森本 任
日本柔道界にとって4月は全日本選抜体重別選手権、男女の全日本女子選手権、全日本選手権とビッグイベントの連続だ。今年は各大会が世界選手権(9月・ブラジル)の代表選考会を兼ねており、来年の北京五輪代表争いをにらんで熱戦が繰り広げられた。特に全日本選抜体重別選手権では2人の若手の涙に遭遇し、心を揺さぶられた。
▽潔かった福見
女子48キロ級は優勝した福見友子(筑波大)が悔し涙を流した。決勝で2年ぶりに復帰してきた谷亮子(トヨタ自動車)を破ったが、全日本柔道連盟の強化委員会は過去の実績を評価して谷を世界代表に選出した。
強化委員会の中でも「試合に勝って代表になれないのでは、選考会の意味がない」という声も上がり、全日本柔道連盟には一般の人から多くの抗議の電話が寄せられた。だが、福見は「自分が首脳陣から信頼されていないから」と潔かった。
筆者が「本音では『なんで』という思いもあるのでは」と聞くと、「そう思うとここで止まってしまう。北京五輪のチャンスがある限り、勝ち続けて自分なりに実績を積んでいくつもりです」と迷いはなかった。谷に2連勝している福見。今の気持ちを忘れなければ、来年4月の五輪代表選考で谷を追い抜く可能性も十分にあるだろう。
▽本当の自分に戻った秋本
両目ににじんだのは感激の涙だった。男子66キロ級を制した秋本啓之(筑波大)は「やっと本当の自分に戻れました」とガッツポーズをつくった。
森本 任(もりもと・まこと)1998年入社。プロ野球担当として阪神、日本ハムを取材。2005年12月に東京本社に異動。現在は柔道、レスリング、大相撲、スキーなどを担当。柔道3段。
2007年01月31日
同世代の2人が励ましに 柔道のベテラン、野村と谷
2月5日で32歳になる。まだまだこれからといった年齢だと思っているが、スポーツの取材をしていると、ベテランに入っていることを痛感する。
柔道界では2人のベテランが来年の北京五輪を目指して大勝負に打って出る。男子の野村忠宏(ミキハウス)と女子の谷亮子(トヨタ自動車)。ともに4月の全日本選抜体重別選手権に出場する。同選手権は9月の世界選手権(ブラジル)代表選考会を兼ねており、来年の北京五輪に向けての重要な大会となる。
筆者は柔道をしていたこともあり、同学年の野村、一学年下の谷には特別な同世代意識を感じる。
▽驚かされる精神力
野村はアテネで五輪3連覇の偉業を達成し、長期休養を経て、昨年初めに復帰を表明。前人未到の五輪4連覇への挑戦を宣言した。
高校時代に練習したことがあるが、当時はそれほど強い選手ではなかった。ミュンヘン五輪金メダリストの野村豊和氏をおじに持つということで注目され、相当な重圧に苦しんでいたのだろう。天理大に進学後、急激に力を伸ばし、初出場したアトランタ五輪ではノーマークのまま金メダルを獲得した。
その後の活躍はあらため振り返るて必要もない。高校卒業から15年近くも経過したが、自分自身と比べると、単純に「すごいな」と敬意を抱いてしまう。
技術は向上しても、体力は確実に低下している。昨年末の合宿では練習後に疲労困憊した野村がいた。「何でそこまでやれるのか」と質問した。答えは「自分でどこまでやれるのか
森本 任(もりもと・まこと)1998年入社。プロ野球担当として阪神、日本ハムを取材。2005年12月に東京本社に異動。現在は柔道、レスリング、大相撲、スキーなどを担当。柔道3段。