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スポーツリレーコラム

2009年02月18日

松井秀喜追いかけ6年 米国スポーツの存在の大きさ実感  

6年間暮らした米国を離れることになった。幼いころから引っ越しを繰り返してきた私は、6年以上同じところに住み続けたことがない。ニューヨークのアパートでの6年2カ月が、人生最長ということになる。
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 2003年、大リーグのヤンキースに入団した松井秀喜選手を追いかけて渡米し、以後はチームについて動いた。ほとんどの時間を野球取材に費やしたという意味では、狭い世界ですごした。だが、野球を通じて見ることができた米国は、決して狭くはなかったと思う。

 全米50都市以上で少なくとも一夜をすごした。オープン戦やプレーオフも含めて190試合ほどカバーした03年以降、何試合野球を見たのか。そんな生活の中から見えてきたのは、この国に占めるスポーツという存在の大きさだった。

 ルーキーリーグを含め、大リーグ傘下のマイナー球団だけで約200ある。これに主な独立リーグの約60球団、そして大リーグ30球団を合わせると、プロ野球チームは約290。国土の広さを考えても、これだけの球団が運営されているのは驚異的だ。

 

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神田 洋(かんだ・ひろし)1966年生まれ。東京都出身。高松支局、アマチュア野球担当を経て、95年からプロ野球担当。2003年、松井秀とともに渡米、ニューヨーク支局でヤンキースを中心に大リーグを取材。


2008年10月01日

「ビンタ」のない国、ある国 勝つのはどちらだ?  

 「ビンタ」って、この国にはないんだな。野球記者として米国で6年目を迎え、確信した。

 女から男へ、積もる思いを込めての一発。そういうのは、米国でもテレビでよく見る。私が言っているのは、日本のスポーツ現場でおなじみの顔への平手打ちのことだ。指導者から選手へ、あるいは先輩から後輩へ。

 日本高校野球連盟の処分などを見ても分かるように、体罰はなくなっていない。中学、高校、大学とビンタを目にしたことがないというプロ野球選手には、会ったことがないし、記者なら「すぐに手が出る」監督の名前や、後輩への制裁の激しい大学名を挙げられるはずだ。

 

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神田 洋(かんだ・ひろし)1966年生まれ。東京都出身。高松支局、アマチュア野球担当を経て、95年からプロ野球担当。2003年、松井秀とともに渡米、ニューヨーク支局でヤンキースを中心に大リーグを取材。


2008年05月28日

野球の「素人」も悪くない  影響を受けた3人の「師匠」  

gozira.jpg 野球記者として、こんなことを言うのははばかられるが、私は「素人」だ。硬球をバットの芯で打ち抜く感覚(至上のものらしい)も経験したことがないし、投げ込みや打ち込みがどれだけ大変なのかも分からない。

 元警察官が警視庁担当記者になるわけではないし、担当になりたての記者がその道で素人なのは当たり前といえば当たり前だろう。だが、スポーツの場合は事情がちょっと違う。大学の運動部出身者が多い。高校、中学までさかのぼれば、相当数の経験者がいる。野球となると、特に多い。

 そんな中で野球未経験者が記者をやるには、その道の「師匠」が必要になる。記者の野球観は、選んだ師匠の野球観だと言ってもいい。野球記者としての15年を振り返ると、出会ったすべての人の言葉が糧になっている。中でも、大きな影響を受けた師を3人挙げると―。

 

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神田 洋(かんだ・ひろし)1966年生まれ。東京都出身。高松支局、アマチュア野球担当を経て、95年からプロ野球担当。2003年、松井秀とともに渡米、ニューヨーク支局でヤンキースを中心に大リーグを取材。


2008年02月20日

「これぞ、アメリカ!」  記者会見で表現力の差痛感  

BS-0052__-200802191039_M.jpeg 1時間5分、1人で質問に答え続けた。2月18日、自分のドーピングに関する記者会見という、誰もが嫌がる場に立ったヤンキースのアンディ・ペティット投手(35)は、よどみなく話し続けた。「これぞ、アメリカだな」と思った。

 ペティットの言葉は、文章として完結しており、そのまま活字にできる。話すことを訓練した人間にしかできないことだ。日本の野球選手はもちろん、政治家でも、ここまでできる人は、そんなにいないのではないか。だが、米国育ちの大リーグのベテラン選手は、これができる。

 各球団がキャンプ初日のミーティングで選手に見せる映像に「メディア対処法ガイド」があるという。受け答えの模範例から、過去の失敗例まで盛り込まれており、ヤンキースの広岡勲広報は「本当によくできたビデオ。すごく面白い」と絶賛する。残念ながら、メディアは見ることができないが、毒づいたり、放送禁止用語を連発したりする失敗例も含まれているという。

 

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神田 洋(かんだ・ひろし)1966年生まれ。東京都出身。高松支局、アマチュア野球担当を経て、95年からプロ野球担当。2003年、松井秀とともに渡米、ニューヨーク支局でヤンキースを中心に大リーグを取材。


2007年11月08日

投手の“謝罪”に違和感 死球後の振る舞いに感じる日米の違い  

BS-0021__-200704231003_M.jpeg ぶつける。何とも思っていないことを示すために2、3歩前に出る。ただしケンカを売るわけではないので、打者と目は合わせない。表情を変えずに捕手からの返球を受ける。これで終わり。死球を与えた投手の正しい振る舞い方だ。もちろん米国流の。

 帽子を取って一礼。あるいは軽く右手を挙げて申し訳なさが伝わる程度に顔をしかめる。これが日本流。試合中にフィールド上で相手に謝るという世界的に見て珍しい行為だろう。

 謝るなんてとんでもない。5年米国で過ごすと、そう思える。ぶつけたことに対する罰は打者が一塁に生きることで、すでに受けている。1点リードの八回二死満塁で、同点の押し出し死球。こんなとき投手はやはり謝るのだろうか。二回無死で謝っているのなら、謝らなければならない。人を傷つけたことをわびるなら、試合の流れで謝ったり謝らなかったりでは済まされないからだ。

 

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神田 洋(かんだ・ひろし)1966年生まれ。東京都出身。高松支局、アマチュア野球担当を経て、95年からプロ野球担当。2003年、松井秀とともに渡米、ニューヨーク支局でヤンキースを中心に大リーグを取材。


2007年07月18日

ルールに関わる外国人選手制限 高校駅伝1区の留学生問題  

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 日本を離れて5年目となる。海外で暮らすからこそ、強い印象を持って目に飛び込んでくる日本のニュースがある。ことし5月に高体連が発表した全国高校駅伝に関する取り決めがそうだった。

 高体連は最長区間の1区に外国人留学生を起用することを禁ずる措置を決めた。外国人選手の登録制限なら珍しくない。世界中から学生が集まる米国の大学でも留学生の割合には制限があるし、ビザ発給に関する法が日本人選手の米マイナーリーグ移籍を阻んだ例もあった。

 

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神田 洋(かんだ・ひろし)1966年生まれ。東京都出身。高松支局、アマチュア野球担当を経て、95年からプロ野球担当。2003年、松井秀とともに渡米、ニューヨーク支局でヤンキースを中心に大リーグを取材。


2007年04月12日

また始まった旅の生活 大リーグで見た米国の都市  

 by 神田 洋

 また始まった。こういう生活になじんで13年を迎える。米国に住むここ4年は、特にその頻度が高くなった。4月になると旅が始まる。

 野球記者の基本は担当球団を追って動くこと。横浜や巨人を担当していたときはまだ簡単だった。例えば横浜担当なら、巨人、ヤクルトは家から通えるし、名古屋まではものの1時間で、大阪なら2時間半ほど。今から思えば、広島が少し遠いくらいだった。

 

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神田 洋(かんだ・ひろし)1966年生まれ。東京都出身。高松支局、アマチュア野球担当を経て、95年からプロ野球担当。2003年、松井秀とともに渡米、ニューヨーク支局でヤンキースを中心に大リーグを取材。


2006年12月23日

駐車場でバーベキューとビール  

 ブロンクスに行きたい。クリスマスの電飾があふれたニューヨークの中心街で思う。歓声であれ、怒号であれ、殺気立った5万5000人がスタンドで上げる声以上の楽しみがなかなか見つけられない。シーズン終了からキャンプが始まるまでの3カ月半、ヤンキースタジアムから離れて暮らしながら毎年思う。

 10年以上、野球場で日常を過ごしているうちに、日常の楽しみ方を忘れてしまったようだ。ロックフェラーセンターのクリスマスツー。豆電球の付いたでかい樹でしょ。タイムズスクエアの新年カウントダウン。12月31日と1月1日の違いは何なの? ただ、野球ばかりが楽しみでないことも分かっている。一定のルールの下に2チーム、もしくは2人が優劣を競う、というものになら気持ちが動くと思うけど…。

 ▽野球にないパーティー

 

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神田 洋(かんだ・ひろし)1966年生まれ。東京都出身。高松支局、アマチュア野球担当を経て、95年からプロ野球担当。2003年、松井秀とともに渡米、ニューヨーク支局でヤンキースを中心に大リーグを取材。