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スポーツリレーコラム

2017年07月10日

「リレーコラム」各方面から大きな期待 J1神戸加入の元ドイツ代表ポドルスキ  

夕刊メモ(9)の(ア)、運J501S、神戸発、大沢祥平  J1神戸に加入し、練習で汗を流すポドルスキ=神戸市 掛け値なしの「ワールドクラス」がやって来た。
 サッカー・トルコ1部リーグのガラタサライから、J1神戸へ加入した元ドイツ代表FWルーカス・ポドルスキ。「大きな挑戦だ。なるべくたくさんのゴールをお見せしたい」と意気込み、7月下旬にもJデビューが予想されるレフティーは各方面から様々な期待を寄せられている。

 実績は抜群だ。ドイツ代表で130試合出場、49得点。出場はローター・マテウスにミロスラフ・クローゼ、得点はクローゼとゲルト・ミュラーに続く偉大な数字をマークした。
 ワールドカップ(W杯)には2006年ドイツ大会から3大会連続出場、14年ブラジル大会で優勝し、欧州選手権も4度経験している。3月にドイツで行われた代表引退試合では、イングランドを相手に代名詞の左足ミドルシュートで決勝点を奪い、有終の美を飾った。

 クラブシーンでもケルン、バイエルン・ミュンヘン(ともにドイツ)、アーセナル(イングランド)、インテル・ミラノ(イタリア)と日本人にもなじみのある有名クラブを渡り歩いてきた。
 神戸が何より期待するのは、その得点力。昨季のJ1得点王であるブラジル人FWレアンドロが今季開幕戦で大けがを負い、前線に迫力を欠いているのは否めない。

 

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 大沢 祥平(おおさわ・しょうへい)1988年生まれ。埼玉県出身。2011年入社。福井支局を経て福岡運動部でサッカーやソフトバンクを担当。15年12月に大阪運動部へ異動し、阪神を担当。現在はサッカーやボクシング、陸上などを取材。


2016年11月16日

経験の差を埋めたい秋 若手台頭もBクラスの阪神  

 現在、筆者はプロ野球の阪神を担当している。広島と日本ハムが争った日本シリーズも取材した。10月、夜はぐっと冷え込み、札幌では雪も舞ってきた。こんな時期まで、熱くしびれる勝負を繰り広げられるチームは二つだけ。日本一を懸けて戦った広島と日本ハムの選手、特に若手にとっては、これ以上ない経験となっただろう。一方で、阪神はセ・リーグ4位、4年ぶりにAクラス(3位以内)入りさえ逃した。

 ただ、金本知憲監督の就任1年目の今季は、複数の若手が台頭したシーズンともいえる。ドラフト1位新人の高山俊外野手は球団新人記録を塗り替える136安打を放った。青森の光星学院高(現八戸学院光星高)時代に甲子園を沸かせた北條史也内野手は、チームの顔である鳥谷敬内野手に代わって遊撃の定位置をものにしつつある。育成契約から這い上がった原口文仁捕手は持ち前の長打力を発揮して頭角を現した。先発左腕の岩貞祐太投手は初のシーズン10勝。来季は若い力をどこまで勝利に結びつけられるかが鍵だろう。

 阪神は人気球団だけに、こういった若手の活躍は、特に関西では大きく報じられるが、今季の成績はBクラスである。セ・リーグ優勝を果たした広島には24・5ゲーム差をつけられ、直接対決では7勝18敗と大きく負け越した。若い力の育成はどこのチームでも当然やっていて、広島ならば「神ってる」活躍で名を売った鈴木誠也外野手ら生きのいい選手が躍動し、CSや日本シリーズという神経をすり減らすような舞台にも立った。「貴重な経験」という意味では、日本ハムはさらに上をいくだろう。個々の好不調や状況に違いがあるから、結果論になるかもしれないが、投手でいえば、宮西尚生投手ら経験豊富な選手だけでなく、若い鍵谷陽平投手や井口和朋投手らも救援に向かう場面があった。

 

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 大沢 祥平(おおさわ・しょうへい)1988年生まれ。埼玉県出身。2011年入社。福井支局を経て13年から福岡運動部でサッカーやソフトバンクを担当。15年12月に大阪運動部へ異動し、阪神を担当。


2015年06月17日

前進と後退、浮かび上がる苦境 松坂、1軍登板の見通し立たず  

オリックス2軍との実戦登板を翌日に控え、ブルペンで投球練習する松坂(2015年5月19日、共同) 米大リーグから復帰し、9年ぶりの日本球界となる松坂大輔が5月20日、オープン戦後初めて登板した。1軍ではなく2軍戦で、オリックスを相手に2回2安打1失点。右肩の調子が上がらないためにこれ以降の実戦登板はなく、1軍出場の見通しは立っていない。「平成の怪物」と呼ばれた右腕の投球が見られないのは、ファン同様、非常に残念だ。

 今季ソフトバンクに加入した松坂の動向を本人のコメントとともに振り返ってみると、一歩進んで二歩下がるような前進と後退、置かれた苦境がありありと浮かび上がる。

 3月4日 オープン戦初登板。3回無失点。「実戦、ブルペンで投げていくことで自然と状態は上がっていく」
 同10日 オープン戦。雪がちらつく寒さの影響で3回2失点。「何もできなかった」
 同17日 オープン戦最終登板で6回3失点。「数多く打者と対戦して情報を得られた」
 同18日 インフルエンザと診断される。
 同23日 球団施設で練習を再開。「一からつくり直さないといけない」
 4月2日 右肩筋肉疲労が判明し、ノースロー調整決定。「投げた後に感じる疲労がいつもより長引いている感じ」
 5月5日 ブルペン投球再開。「なるべく早く戻りたいが、やらないといけないことがたくさん」
 同20日 2軍戦で登板。「普通に投げられたのでひと安心」
 同24日 2軍戦の登板を直前回避。「ブルペンでも状態が上がらなかった」

 

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 大沢祥平(おおさわ・しょうへい)1988年生まれ。埼玉県出身。2011年入社。福井支局を経て13年から福岡運動部へ。相撲、アマ野球などを担当し、14年はJ1鳥栖やソフトバンクを担当。


2014年11月12日

「日本一」のソフトバンクに新風の予感  工藤公康新監督が出す色は?  

ソフトバンクの監督に就任し、王貞治球団会長(右)と握手する工藤公康氏(2014年11月1日、共同) 2014年のプロ野球は、分厚い戦力を誇ったソフトバンクが3年ぶりの日本一に輝き、幕を閉じた。チームにとって10月は、試合数こそ多くはなかったが、濃密な1カ月となったことだろう。2日、レギュラーシーズン最終戦でパ・リーグ優勝を決め、クライマックスシリーズ(CS)のファイナルステージも最終第6戦までもつれ込んだ末に突破。そして、30日に4勝1敗で日本シリーズを制した。
 取材する側にとっても、10月は慌ただしさとともに過ぎ去った印象が強い。CSファイナルステージ前日、報道を受ける形で秋山幸二監督(当時)が今シーズン限りでの退任を表明した。頂点を目指すチームの戦いに加え、次期監督にも注目が集まった。
 日本シリーズ後、新監督に就任したのは球団OBで野球評論家の工藤公康氏だった。就任が正式に発表される2週間前、工藤氏の講演を聞く機会があった。野球をする子どものけがやトレーニング方法がテーマで、実技指導も行われた。その語りは、まさに理路整然。内容も興味深かったが、率直に言えば聞いていて心地よかった。軽妙にユーモアを交えて聴衆を飽きさせないから、予定されていた2時間があっという間に経過したように感じた。
 工藤新監督は48歳まで現役を続け、歴代1位の実働29年で224勝を挙げた球史に残る左腕。現役引退後は、筑波大大学院でトレーニング理論などを学んだ。51歳で初の監督就任となるが、チームづくりではどういう野球を目指すかというお題目を掲げるよりも、まずは「けがをしないこと」を重要項目に挙げた。「どのチームもそうだが、けがをすることで戦力が落ちることが非常に多い。選手のコンディションをはじめ、トレーニング、体をつくるというところも、しっかり周りがサポートできるように、より強固にしていく必要がある」と考えるからだ。大学院での研究をプロの世界でのトレーニングやケアにどう生かせるかは、実践でのデータが少ないために未知数の部分もあるという。だが「試す価値があるのは感じている」とも語り、日本一に上り詰めたチームに新鮮な風が吹き込まれることを予感させた。
 歴史をひもとけば、異なる監督に率いられ2年連続で日本一に輝いた球団は過去に例がない。そもそも、チームを日本一に導いた年にユニホームを脱いだのは、秋山前監督を含めて、2人しかいない。1954年に中日で日本一となった天知俊一氏以来、60年ぶりというまれなケースだ。そのような状況の中、指揮官としての歩を進めていくことになる工藤新監督は「(秋山前監督は)多くの選手を育て、日本一を2回。それを受け継ぐという意思の表れ」として、チームとともに背番号「81」を引き継いだ。
 「理論派」「勝負師」「モチベーター」「カリスマ」…。競技を問わず、監督には様々な個性がある。頂点を極めたチームで、どう「工藤カラー」を出していくのか。宮崎市での秋季キャンプがその出発点となる。秋山前監督は技術を重んじ、ベンチでは基本的にポーカーフェースを貫く将だった。対外的に感情を発露することも多くはなかった。解説や講演の席での語り口は「立て板に水」だった新監督が、ユニホームに身を包んでチームを統率し、ベンチに座ることになった時、どういう信念で臨み、どういう変化を見せるのか注目したい。


【写真】ソフトバンクの監督に就任し、王貞治球団会長(右)と握手する工藤公康氏(2014年11月1日、共同)

 

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 大沢祥平(おおさわ・しょうへい)1988年生まれ。埼玉県新座市出身。2011年入社。福井支局を経て、13年から福岡運動部へ。相撲、アマ野球などを担当し、14年はJ1鳥栖やソフトバンクを担当。