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スポーツリレーコラム

2017年02月08日

「リレーコラム」錦織、もったいない4回戦敗退 苦い経験肥やしに奮起期待  

男子シングルス4回戦でポイントを奪われ、悔しがる錦織圭=メルボルン(共同) 「もったいないとしか言いようがない」。テニスの2017年シーズン最初の四大大会、全豪オープンで錦織圭(日清食品)は4回戦敗退となり、悔しさを押し殺すように冒頭の言葉を発した。

 準々決勝で敗れた昨年のノバク・ジョコビッチ(セルビア)に続き、今年も自身が屈したロジャー・フェデラー(スイス)が大会を制した。

 昨夏はリオデジャネイロ五輪銅メダル、全米オープン4強と充実の時を経て、「トップレベルに近づいている」という実感があるだけに悔しい負けとなった。

 

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 吉田 学史(よしだ・たかふみ)1982年生まれ。東京都出身。2006年共同通信入社。仙台などの支社局で警察や行政を担当して12年から大坂運動部で高校野球やサッカーを担当。14年12月に本社運動部へ異動して、水泳、テニス、フィギュアスケートなどをカバー。


2016年02月17日

日本人初のグランドスラムVへ 進化に必要な「何か」を模索  

男子シングルス準々決勝でノバク・ジョコビッチ(左)に敗れ、健闘をたたえ合う錦織圭=メルボルン(2016年1月26日、共同) メルボルンで1月に行われたテニスの今季最初の四大大会、全豪オープンで日本男子のエース、錦織圭(日清食品)は昨年に続いて準々決勝で敗退した。全米オープンで1回戦負けするなど、「モヤモヤ感」があった昨年後半の不振からは脱却して持ち味の攻撃的なテニスを披露した一方、世界ナンバーワンのノバク・ジョコビッチ(セルビア)には力の差を見せつけられて完敗した。2月14日にはメンフィス・オープンで大会初の4連覇を成し遂げたが、実は、この大会は世界ランキングでは格下の相手ばかり。錦織の視線の先にあるのは、あくまで日本人初のグランドスラム優勝。そのためには何が必要なのか、模索は続く。

 私にとって、錦織が出場する大会の取材は全仏オープンの前哨戦だった昨年5月のイタリア国際(ローマ)以来。あの時も準々決勝でジョコビッチと対戦した。フルセットで負けたが、1セットダウンからの第2セットを攻めにいって奪った時の地鳴りのような大歓声(現地のファンは終始、錦織びいきだった)は今でも鮮明に覚えている。本人も「自分が主導権を握れて、攻めている時は本当に心地いい」と、手応えを感じていた。

 ただ、今回の全豪オープンは勝手が違った。ミスを重ねて第1セットを落とすと、第2セットも立て直せずにジョコビッチを勢いづかせた。第3セットでは2度ブレークしながら、いずれも直後のゲームを落として流れをつかめずに完敗。試合後の記者会見では重苦しい雰囲気が漂った。普段はリラックスした様子で柔和な雰囲気を醸し出す錦織も「何かを変えないと勝てない」「(世界一とは)まだまだ差がある」と話し、表情を曇らせた。

 

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 吉田 学史(よしだ・たかふみ)1982年生まれ。東京都出身。2006年共同通信入社。仙台などの支社局で警察や行政を担当して12年から大坂運動部で高校野球やサッカーを担当。14年12月に本社運動部へ異動して、水泳、テニス、フィギュアスケートなどをカバー。


2015年09月02日

ポジティブな性格で劇的「金」 競泳・瀬戸、ライバル対決にも期待  

世界水泳の男子400メートル個人メドレーで獲得した金メダルを胸に笑顔の瀬戸大也=9日、カザニ(共同) 8月9日、場所はロシアのカザニ。真夏だというのにパーカーが手放せない肌寒さの中で、水泳の世界選手権は行われた。17日間の戦いの最後となったこの日に、日本勢で今大会一番の劇的なレースが待っていた。午前の男子400メートル個人メドレー予選まで不調が続いていた瀬戸大也(JSS毛呂山)が、午後の決勝で覚醒し、金メダルを獲得。死力を尽くして「もぎ取った」日本勢初の大会2連覇という偉業の裏には、彼独特の感性があった。

 実は、瀬戸は「記者受け」が非常に良い。取材の際は、どんな時でもハキハキと話し、嫌がる顔一つ見せない。コメントもバリエーション豊かで、意外性あふれる回答で笑いを誘うことはしばしば。カザニでは400メートル個人メドレー決勝を終えて取材ゾーンに現れる際、待ち受ける報道陣を見て力強くガッツポーズしてみせた。活発な少年がそのまま大人になったような無邪気さも魅力的な21歳の青年だ。

 いつも驚かされるのは、父の幹也さんに、幼少期から後ろ向きな発言をすると注意されたことで培われたという、とことんポジティブな性格だ。米フラッグスタッフで行った高地合宿出発前の6月に成田空港で話を聞いた時のこと。直前の欧州グランプリでの活躍で「400メートル個人メドレーの金メダルが現実的に見えてきたか」と質問された時の受け答えが瀬戸らしい。「欧州グランプリとかジャパンオープン、日本選手権で4分10秒がコンスタントに出ている。(世界王者になった)2年前の方程式にあてはめると4分6秒ぐらいは普通に出るんじゃないかと思う」と、世界選手権本番で自己記録を2秒も更新する青写真を披露した。「方程式」と言うからには、緻密にこれまでのラップタイムなどをノートにつけて、日々研究しているのかと思いきや「全くつけていない。感覚ですね」とあっけらかんと言い、集まった報道陣を爆笑させた。

 

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 吉田 学史(よしだ・たかふみ)1982年生まれ。東京都出身。2006年共同通信入社。仙台、盛岡、前橋の支社局で警察や行政を担当して12年から大阪運動部で高校野球やサッカーを取材。14年12月に本社運動部へ異動して水泳、フィギュアスケートなどをカバー。


2015年03月18日

岐路に立つ「学生の五輪」 ユニバ、初の分散開催に課題  

苦肉の策の分散開催でスキーの距離会場となったストラブスケプレソののどかで閑散とした光景(2015年2月1日、共同) 第27回ユニバーシアード冬季大会は、スロバキアとスペインで1~2月に合計21日間という異例の長丁場で開催された。2年に1度行われ「学生の五輪」とも言われる国際総合大会だが、今回の分散開催は大会が岐路に立たされていることを強く印象付けた。

 羽田空港から飛行機を2度乗り継いだ上に1泊挟み、電車で約4時間半移動し、さらにタクシーに30分強。日本を出発してから丸2日以上かかってたどり着いたのが、スロバキア北部の主会場ストラブスケプレソだ。冬にはにぎわうスキーリゾート地は、元々ユニバを実施する予定ではなかった。2009年に大会を主催する国際大学スポーツ連盟(FISU)がスペイン・グラナダでの単独開催を決めた後、「経済的な問題」(FISU)などからノルディックスキーとバイアスロンをスロバキアへ譲らざるを得なくなった。13年大会は同じような理由によってスロベニアのマリボルからイタリアのトレントへ変更されている。ユニバは五輪やワールドカップといったメガイベントほど注目されず、経済波及効果が見込めない。また、冬季競技の総合大会を開催できる設備を備えた都市は限られる。開催地選びは悩ましい問題で、解決が難しい。

 その打開策として主催者が打ち出したのが、初の2カ国開催だった。競技を分散させることでそれぞれの国への金銭面の負担は減り、開催した自治体は割安で国内外へアピールできる舞台となる。閉幕前日の2月13日に会見したFISUのガリアン会長は得意満面な様子で「メジャーな総合大会でも分散開催できっちりと組織できることを実証した。成功だった」と景気の良い言葉を述べた。

 

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 吉田 学史(よしだ・たかふみ)1982年生まれ。東京都出身。2006年共同通信入社。仙台、盛岡、前橋の支社局で警察や行政を担当して12年から大阪運動部で高校野球やサッカーを取材。14年12月に本社運動部へ異動して水泳、フィギュアスケートなどをカバー。


2014年09月03日

「孤高のエース」から飛躍した右腕に拍手  明徳義塾の岸、甲子園の魅力を体現  

2回戦の大阪桐蔭戦で力投する明徳義塾のエース岸(2014年8月19日、共同) 今年も多くのファンを熱狂させた夏の風物詩、全国高校野球選手権大会は大阪桐蔭の2年ぶり4度目の優勝で幕を閉じた。8点差をひっくり返す大逆転劇あり、壮絶な打撃戦あり、球速の測定不能な超スローカーブあり…。様々な形で高校球児がこの夏への思いを体現した。活躍した選手の中でも、私が大会前から最も関心を持ったのは甲子園経験の豊富な右腕だった。
 明徳義塾3年・岸潤一郎。175センチ、75キロと体格的に恵まれているわけではないが、最速140キロ台の直球に切れのあるカットボールが武器の本格派だ。背番号1で4番を務め、主将でもあるチームの絶対的な軸。4度目の甲子園大会出場で「高校野球のベテラン」(大阪桐蔭・西谷監督)という評もうなずける。
 実は筆者が初めて甲子園を大会通して取材したのが、岸が1年生として背番号12で全国デビューした2012年夏だった。入社後6年間を地方の支社局で過ごし、警察や行政取材しか知らなかった私はその年の春からスポーツ取材を始めたばかり。仕事の質やスピードの違いに戸惑うばかりの毎日で、真夏の大イベントをこなしきれるか不安でいっぱいだった。私と同じような“高校野球の新米”ながら輝きを見せたのが岸だった。中軸として打線を引っ張り、投げても堂々としたプレートさばきが光った。「(甲子園に出場する前は)外から見ていて分からなかったが、実際にやってみて楽しかった」という彼の言葉も、元々サッカー好きだった私の気持ちと重なった。
 2年時にはすっかり中心選手となった岸だが、13年夏やことし3月の明徳義塾での練習試合、続く選抜大会と取材しても“孤高のエース”という感がぬぐえず、リーダーとしては物足りなかった。しかし、印象が一変したのが1点差で辛勝した今夏の高知大会決勝だった。苦しんだ末に勝利が決まると、両拳を突き上げて目を泣きはらした。同僚は「勝って泣くのは見たことがない」と目を丸くし、本人は「チームメートへの感謝の気持ちがあふれた」と気持ちを吐露した。甲子園で負けるたびに見つかった課題を克服しようと努力し続け、心身を鍛えた右腕が、チーム一丸で甲子園への切符をつかんだ。涙は成熟した証だった。
 名実ともに大黒柱として臨む最後の甲子園。高校球界屈指のスラッガー岡本を擁する智弁学園との初戦を切り抜け、2回戦は大阪桐蔭との対決となった。3年連続の対戦で「自分のレベルを確かめられる」と臨んだ大一番では投球の単調さがあだとなり、四回までに5失点の乱調だった。五回以降は持ち直したものの、1-5と敗色濃厚な状況で最終盤を迎えた。九回の攻撃も2死。肺に穴があく肺気胸から復帰したばかりの多田桐吾(3年)の全力疾走でもぎ取った内野安打に、奮い立った。「チーム全体がつないでくれた最後の打席」と初球を強振し、自身初の甲子園でのホームランを放った。
 130球を投げきった少年にまだこんな力が残っているなんて…。左翼席に白球が消えた瞬間、身震いするほど感動した。結局チームは敗れたが、お立ち台に上がった岸に高知大会のような涙はなく、表情に一点の曇りもなかった。「やることはやった。堂々としようと思った」と潔く話す姿は立派な主将としての振る舞いだった。
 岸は甲子園を「自分を変えてくれる場所」と言った。球児の成長や最後まで諦めない姿を見て「やればできるんだ」と思わせてくれることが高校野球の魅力の一つだと思う。一度も頂点に立つことはなかったが、目いっぱいの力を注いだ姿に拍手を送りたい。


【写真】2回戦の大阪桐蔭戦で力投する明徳義塾のエース岸(2014年8月19日、共同)

 

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 吉田 学史(よしだ・たかふみ)1982年生まれ。東京都出身。2006年共同通信入社。仙台、盛岡、前橋の支社局で警察や行政を担当して12年から大阪運動部へ。高校野球、サッカー、ボクシングを中心に取材。