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スポーツリレーコラム

2016年12月07日

「リレーコラム」将来の可能性を感じるバスケットボールBリーグ 注目を集めた新リーグ開幕から2カ月  

 バスケットボール男子の新リーグ、Bリーグが9月に誕生し、2カ月以上がたった。レギュラーシーズンは約3分の1を消化。発光ダイオード(LED)を用いたコンピューターグラフィックスでコートを映し出す画期的なアイデアで注目を集めた開幕戦は、新たな時代の到来を強くアピールした。人気、強化の両面で長年停滞が続き、「常に現状維持」と国際的に指摘されてきた日本のバスケ界はどう変わったのか。乗り越えるべきハードルは数多くあるが、筆者は個人的には将来の可能性を感じとっている。

 リーグの成否を示すといえる観客動員数は、旧NBLの栃木や千葉、旧TKbjリーグの琉球、秋田など、以前からプロとして地域に根ざしていたチームは変わらずに観客を確保している。特に昨季国内リーグのレギュラーシーズンで10万人を突破した千葉は、ことしも多い試合では約6千人を動員するなどリーグを代表する集客力を持つようになった。その要因は、大学生のアイデアを借りてイベントを実施するなど、あの手この手で来場を呼びかけていることだ。近隣には東京ディズニーランドなど娯楽施設がある中、バスケットボールで人を集められることを実証した好例となっている。

 プロ化したことで最も変革を求められたのが、国内リーグを支えてきたA東京(旧トヨタ自動車東京)や三河(旧アイシン三河)などの実業団のチーム、選手たちだ。特に昨季は東芝神奈川として旧NBL最後の王者となった川崎は、会社の福利厚生の一環として優勝を目指すだけではなく、社員の士気を高めるためにも勝利を目指し、戦ってきた。リーグ統合へ向けた構想が持ち上がった際にはプロリーグへの参戦が難しいのではないかとの懸念もあった。ただ、ことしからは地域密着を理念に掲げ、選手は、チームはもちろん自らを『商品』として売り出すことが必要となった。

 

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 鈴木 敦史(すずき・あつし)1980年生まれ。北海道出身。2005年共同通信入社。07年からプロ野球オリックス、広島を担当。11年から遊軍、DeNA担当を経て、13年12月からバスケットボール、陸上などを取材。


2015年10月28日

リオ五輪へ向け復活なるか 競歩世界記録保持者の鈴木雄介  

今年3月の全日本競歩能美大会男子20キロで、1時間16分36秒の世界記録を樹立した鈴木雄介選手(2015年3月15日、共同) リオデジャネイロ五輪開幕まで10か月を切った。世界各地で予選が行われ、厳しい戦いが繰り広げられている。国内でも代表切符を懸けた選考会が実施される中、注目されるのが競歩界の「世界最速男」の復帰だ。

 今夏、北京で開催された陸上の世界選手権。日本勢で最も金メダルに近いとみられていたのが男子20キロ競歩で世界記録を保持する鈴木雄介(富士通)だった。自身も大会前から金メダル獲得を目標に掲げていた。だが、鮮やかな「サンライズレッド」のユニホームに身を包んだ鈴木がレース途中でコースを外れた時には衝撃を受けた。

 鈴木が一躍脚光を浴びるきっかけとなったのが1時間16分36秒の世界記録をマークした3月の全日本競歩能美大会だった。もともと礼儀正しく、取材対応は丁寧な選手だ。表彰式が行われたコース近くのグラウンドで次から次へと記者に囲まれ、同じような質問を繰り返し聞かれながらも嫌な顔をすることなく応じていた。思えばこのレース直後から鈴木には選手としてだけではなく、『広報官』として競技を広めるという使命感がより強くなったのではないかと思う。

 

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 鈴木 敦史(すずき・あつし)1980年生まれ。北海道出身。2005年共同通信入社。07年からプロ野球オリックス、広島を担当。11年から遊軍、DeNA担当を経て、13年12月からバスケットボール、陸上などを取材。


2014年10月15日

オグノデ、迫力あふれる激走 日本短距離陣の巻き返しに期待  

アジア新の9秒93で男子100メートルを制したフェミセウン・オグノデ(中央)の力走。左は6位の山県亮太、右は3位の高瀬慧(2014年9月28日、共同) ぐんぐんスピードに乗り、50メートルを過ぎた時点で記者が密集するミックスゾーンから早くも感嘆の声が上がった。9月28日、仁川アジア大会での陸上男子100メートル決勝。一気にゴールを駆け抜け、スタジアムの視線を一身に集めながら歓喜に浸ったのは、カタールのフェミセウン・オグノデだった。スタートから爆発力ある走りで他を寄せ付けず、雨で滑りやすくなったトラックをものともしない迫力あふれる激走だった。電光掲示板には「9秒93」のアジア新記録が映し出された。自分にとって、初めて目にした9秒台の走りだった。
 昨年12月に陸上担当となって以降、最大の懸案は日本人選手初の9秒台到達に立ち会うことだった。日本スプリント界では1998年バンコク・アジア大会で伊東浩司が10秒00の日本記録を樹立してから、時計の針は止まったままだった。それでも、昨年桐生祥秀(現東洋大)が10秒01をマークしたことで期待は一気に高まり、桐生が走る大会には多くの報道陣が駆け付けた。筆者も快挙を期待し、国内レースにはすべて足を運んだ。スタートからフィニッシュまでの約10秒間は独特の緊張感に包まれ、9秒台が出ずに張り詰めた空気が弛緩する際には「10秒の壁」の存在を感じずにはいられなかった。風など当日の気象条件に加え、競技場のトラックの反発力、さらにはどんなレース展開にも動じない精神力。9秒台で走るには極限まで鍛え上げた肉体の力をフルに発揮するだけではなく、あらゆる条件を味方に付けないといけないと思った。だがそんな考えは仁川の地で同じ「アジア人」によって一蹴された。
 男子陸上界の歴史は黒人選手が切り開いてきた。先を行く世界に負けじと、アジアを引っ張ってきたのは日本と中国だった。だが時代の変化を決定づけたのが、今回のアジア大会でのオグノデの走りだった。ナイジェリア出身でカタールに国籍を変更したスプリンターは、近年のアジアの潮流となっているアフリカ出身の「輸入選手」の一人だ。今回は故障により欠場を余儀なくされた桐生と6位に終わった山県亮太(慶大)、昨年の世界選手権で10秒00をマークした張培萌ら中国勢によるライバル史に割って入るだけではなく、一気にアジアの頂点に上り詰めた。
 国籍変更によって戦いの場を変えた選手の記録がアジア新記録と認められることにルール上何ら問題はない。今後もこの傾向は加速するだろうし、減退することはまずないだろう。ただ確かにオグノデの走りは衝撃的だったが、それでも初めて触れた「9秒台」の世界に筆者が感慨に浸ることはなかった。仮に10秒を切ったのが張培萌ら中国勢だったとしたら、また別の感情が浮かんでいたのではないかと思う。
 張培萌と同組だった予選でのレース後、山県はこう話した。「去年の世界陸上で張さんは10秒00を出して、東洋人は速いと示してくれた。そういう意味でもアフリカ(出身の)選手に負けたくない」。オグノデが100メートルとの2冠に輝いた200メートルで4位に終わった飯塚翔太(ミズノ)も、その存在について「刺激になる」と言った。仁川アジア大会を機に「中東のアフリカ出身選手と東洋人」という勢力図が明確になった。9秒台への挑戦だけではなく、日本人の巻き返しにも注目していきたい。


【写真】アジア新の9秒93で男子100メートルを制したフェミセウン・オグノデ(中央)の力走。左は6位の山県亮太、右は3位の高瀬慧(2014年9月28日、共同)

 

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 鈴木 敦史(すずき・あつし)1980年生まれ。北海道出身。2005年共同通信入社。07年からプロ野球オリックス、広島を担当。11年から遊軍、横浜DeNA担当を経て13年12月からバスケットボール、陸上などを取材。


2014年04月02日

待たれる男子の復活 有望な若手出てきたバスケットボール  

全国高校選抜バスケットボール男子決勝の福岡大大濠戦の第2クオーター、シュートを放つ明成のエース八村(左)(2013年12月29日、共同) 2月のソチ冬季五輪の熱気も冷めやらぬまま、6月にサッカーのワールドカップ(W杯)ブラジル大会が開幕し、世界中が熱狂する一大スポーツイベントがまた始まる。昨年まで私が担当していたプロ野球では、2009年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)大会でイチロー(当時マリナーズ)が優勝を決める決勝タイムリーを放ち、他紙の担当記者と一緒に喜んだ記憶がある。サッカーや野球に限らず、スポーツ観戦好きの人なら選手が母国の威信をかけて戦う姿で強く印象に残っている場面の一つや二つは、すぐに思い出すことができるのではないか。

 昨年末の担当変更で幼少の頃から親しんできたバスケットボールを取材するようになった。最近は女子の躍進が目立ち、昨年のアジア選手権では43年ぶり2度目の優勝を飾った。だが一方の男子はというと…。最後に出場した世界選手権の06年大会は開催国枠での参加で、五輪にいたっては1976年のモントリオール大会以降その舞台に立てていない。自らの記憶をたどってみても、最後に国際舞台で戦う男子代表に胸を躍らせることができたのは1990年代と随分以前のことになる。

 当時世間では漫画「スラムダンク」が爆発的な人気を誇り、NBAブームと合わせて「バスケ人気」が高まった。この流れに後押しされたかのように、世界と堂々と戦ったのが95年ユニバーシアード福岡大会に出場した男子日本代表だった。長谷川誠や高橋マイケル、佐古賢一、南山真ら個性豊かな選手が中心となり、決勝まで勝ち進んだ。相手の米国代表は後に米バスケットボール、NBAを代表するスター選手となるアレン・アイバーソンやティム・ダンカンを擁した。結果は大敗だったが、日本が本場米国と戦うというだけで、気持ちが高まった。テレビ中継もなく、唯一見ることができたその試合のニュース映像は1分にも満たなかったと記憶しているが、食い入るように見入った。3年後の世界選手権出場も勝ち取った当時の主力選手たちは、一時代を築いたメンバーとして私の胸に刻まれている。

 

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 鈴木 敦史(すずき・あつし)1980年生まれ。北海道出身。2005年共同通信入社。07年からプロ野球オリックス、広島を担当。11年から遊軍、横浜DeNA担当を経て13年12月からバスケットボール、陸上などを取材。