47NEWS >  スポーツ >  スポーツリレーコラム >  益吉 数正

ライター名

スポーツリレーコラム

2017年03月29日

「リレーコラム」総合Vも悔しいシーズン 胸張っていいスキージャンプの女王・高梨沙羅  

W杯遠征を終えて帰国し、記者会見する高梨沙羅=14日、羽田空港 ノルディックスキーのワールドカップ(W杯)ジャンプ女子は3月12日にオスロで個人最終戦が行われ、今季の全日程を終えた。
 平昌冬季五輪のプレシーズンで世界選手権も開催されるなど、4年に一度の大舞台に向けた勢力図が徐々に見えてきた中で、第一人者の高梨沙羅(クラレ)にとっては悔しさの残るシーズンとなった。

 残した数字は今季も圧巻だった。W杯は出場した17戦で9勝。2試合に1度を上回るペースで勝ち、2季連続の総合優勝を果たした。4度目の個人総合制覇は複合の荻原健司氏を抜いてスキーの日本選手最多。通算勝利は男子のグレゴア・シュリーレンツァウアー(オーストリア)と並ぶ53まで伸ばした。それでも自己採点は「30点」と低かった。

 理由は重圧のかかる試合で頂点を逃すケースが目立ったことにある。通算50勝が懸かった日本開催のW杯4戦ではまさかの優勝なしに終わり、歴代最多勝利更新が期待された平昌五輪のテスト大会を兼ねたW杯では大事な1戦目で2位。個人で初の金メダルを狙った世界選手権でも銅メダルにとどまり、無念の涙を流した。

 

続きはこちら



 益吉 数正(ますよし・かずまさ)1981年生まれ。宮崎県出身。2005年共同通信入社。千葉、甲府、福岡の支社局で警察などを担当後、大阪運動部を経て、13年2月から本社運動部。プロ野球の遊軍を2年間担当し、14年12月からスキーや陸上競技を中心に取材。


2016年04月06日

もっと評価されるべき実績 複合ニッポンのエース渡部暁斗  

W杯複合個人総合で2位となり、表彰台に立つ渡部暁斗(左)=ショーナッハ(2016年3月、共同) スキーのワールドカップ(W杯)は3月で全日程を終えた。ジャンプ女子では高梨沙羅(クラレ)が2季ぶり3度目の総合優勝を飾るなど、今季も各種目で日本選手の奮闘が光ったが、その中で、成し遂げていることのすごさをあらためて感じた選手がいる。「複合ニッポン」のエース渡部暁斗(北野建設)だ。

 実績は輝かしい。長野・白馬高時代からホープとして注目され、17歳で2006年トリノ冬季五輪出場を果たした。同年3月の札幌大会でW杯デビュー。09年の世界選手権では日本の団体金メダルに貢献した。12年2月にW杯初勝利を挙げると、14年ソチ冬季五輪では個人ノーマルヒルで銀メダルを獲得し、複合の日本勢で1994年リレハンメル冬季五輪以来の表彰台に立った。

 W杯通算7勝。円熟期を迎えつつあり、27歳で迎えた今季は2季連続で個人総合2位に入った。3季ぶりに未勝利に終わったのは残念だったが、出場した個人17戦すべてトップ10入り、そのうち12戦で表彰台に上がった。持ち味の安定感にさらに磨きがかかったシーズンだった。今や押しも押されもしない日本を代表するスキー選手であり、「究極の目標」と口にするW杯総合優勝を十分狙える位置にいる。

 

続きはこちら



 益吉 数正(ますよし・かずまさ)1981年生まれ。宮崎県出身。2005年共同通信入社。千葉、甲府、福岡の支社局で警察などを担当後、大阪運動部を経て、13年2月から本社運動部。プロ野球の遊軍を2年間担当し、14年12月からスキーや陸上競技を中心に取材。


2015年07月29日

スポーツ界ももっと声を 政治に翻弄される東京五輪  

「白紙に戻す」。新国立競技場の建設計画見直しを正式表明する安倍首相(2015年7月17日午後、首相官邸、共同) 2020年7月24日に開幕する東京五輪。本番まであと5年を切ったが、メーンスタジアムとなる新国立競技場の建設計画は巨額のコストに批判が高まり、白紙撤回された。混迷が一層深まり、責任のなすりつけ合いが続く中、目に映るのは政治に翻弄されるスポーツの姿だ。

 政府が計画見直しを正式表明したのは7月17日だった。安全保障関連法案の強行採決で世論からも厳しい批判を浴びていた時期。内閣支持率も下落の傾向が如実に現れていた。2520億円以上にも達するコストを見直す機会はこれまでもあったはずで、このタイミングでの決断はまさに政治的。安倍晋三首相は10日の衆院特別委員会で、デザイン変更は困難との認識を示していただけに、突然の方針転換には正直言って驚いた。しかし、盤石な政権運営を続けている状況なら、見直しには踏み切らなかっただろうと思う。世論の批判をかわすため、首相のこだわりが強く、決して譲れない安保法案の代わりとして差し出されたのが、新国立競技場計画の見直し表明だったのではないか。

 日本でスポーツが政治に左右されるのは今に始まったことではない。象徴的なのが1980年モスクワ五輪。東西冷戦下の79年、ソ連軍がアフガニスタンに侵攻し、これに反発した米国の主導で、日本もボイコットに追い込まれた。柔道の山下泰裕、レスリングの高田裕司ら多くの選手が出場の夢を絶たれた歴史は、今でもスポーツ界に影を落とす。今回の東京五輪招致の際も、経済波及効果を見込み、政権浮揚につなげたい安倍首相の思惑が随所にのぞいた。東京開催が決まった13年9月の国際オリンピック委員会(IOC)総会(ブエノスアイレス)では、懸念されていた東京電力福島第1原発の汚染水漏れ問題について、首相はプレゼンテーションで「状況はコントロールされている」と断言。政府トップの発言が招致を成功に導いた一方で、現状にはほど遠い説明に、被災地を中心に大きな反発を呼んだ。

 

続きはこちら



 益吉数正(ますよし・かずまさ)1981年生まれ。宮崎県出身。2005年共同通信入社。千葉、甲府、福岡の支社局で警察などを担当後、大阪運動部を経て、13年2月から本社運動部。プロ野球の遊軍を2年間担当し、15年12月からスキーや陸上競技などを取材。


2014年11月26日

日本野球の未来に思いをはせる 示唆に富んだ日米野球  

168センチの小柄な体ながらバットをめいっぱい長く持ちフルスイングするアルテューベ選手。モットーは「全力で振り切る」だ。(2014年11月16日、共同) 8年ぶりに開催された日米野球で、日本代表は米大リーグ(MLB)オールスターチームに3勝2敗と勝ち越した。MLBのチームに勝ち越したのは実に24年ぶり。2017年に予定されているワールド・ベースボール・クラシック(WBC)での世界一奪還に向け、侍ジャパンにとっては上々の結果となった。一方で、コンディションを含め、両チームの試合に臨む「温度差」が大きかったのも事実。不完全な「真剣勝負」を追いながら、日本野球の未来について思いをはせることも多かった。

 今回、大義名分として強調されたのは「侍ジャパンの強化」だった。テレビの地上波での野球中継が減り、人気の低迷が指摘される中、日本野球機構は新たなファン獲得の起爆剤として日本代表を常設化した。とはいえ、国際試合の枠組みは確立しておらず、対戦相手を探すのにも苦労する状況。日米野球の復活は当然の成り行きだったとも言える。

 メジャーのプレーを生で見られる機会は少ないし、実際に貴重な経験をすることができた。ただ、今までの日米野球と本質的な意味で変わったとは思わない。MLBオールスターチームのファレル監督が「来日前の準備期間は2日間。もう少し練習時間を持てばより良い状態で大会に臨めた」と明かしたように、迎え撃つ側の意気込みが変わっても、MLB側の立場は変わっていないのが現状だ。

 

続きはこちら



 益吉数正(ますよし・かずまさ)1981年生まれ。宮崎県出身。2005年共同通信入社。千葉、甲府、福岡の支社局で警察などを担当後、11年から大阪運動部で高校野球を中心に取材。13年2月から本社運動部でプロ野球の遊軍担当。


2013年12月18日

アジアの野球の灯をさらに明るく 先頭走ってほしい日本  

楽天はアジア・シリーズの準決勝で統一に敗れ2013年シーズンを終えた。日本での激闘に疲れ果て、田中(左から2人目)や則本は登板させず外国人2人も不在で大会に臨んだ結果だった(11月20日、共同) ことしで7回目を迎えた野球のアジア・シリーズは、オーストラリアのキャンベラが初優勝を果たして幕を閉じた。決勝では14―4と台湾の統一を圧倒しての栄冠だった。過去6大会の優勝は日本勢が5度、韓国勢が1度と2カ国が独占したが、今回は球団創設9年目で初の日本一に輝いた楽天が準決勝で統一に1-4で敗れ、日本勢として初めて決勝に進めなかった。2年ぶりの頂点を狙った韓国のサムスンも準決勝でキャンベラに敗れた。29歳のコリンズ監督が報道陣に「優勝に驚いていますか」と笑って問い掛けたように、2011年から大会に参加するオーストラリアにとっては、価値ある優勝となったに違いない。


 キャンベラは打撃力に優れる好チームだったが、頂点に立った理由はそれだけではないと考える。1次リーグでキャンベラを破った楽天はエースの田中や今季15勝の則本が登板せず、外国人選手も不参加。若手主体のメンバーで、激闘の日本シリーズを終えた疲労感がチームを支配していた。サムスンも状況は同様で、主力の一部を欠いた。南半球にあり、季節が逆のオーストラリアはこれからがシーズン本番。体調面でも有利だったこともプラスに働いた。大会の位置付けが定まらない中、日本や韓国はこれまで辛うじて意地を見せてきたが、情熱の低下がついに結果となって現れたのではないだろうか。


 世界一決定戦の実現につながっていくことも期待され、2005年に始まったアジア・シリーズは、冠協賛社の撤退などから早くも08年を最後に休止。国際大会誘致に積極的な台湾が開催地に名乗りを挙げて11年に再開にこぎつけた。しかし、各国で優勝チームが決まり、盛り上がりが最高潮に達した後に開かれるため注目度は高くないのが実情。台湾プロ野球リーグの首席顧問を務める郭源治氏(元中日)も「日本や韓国のチームは疲れている」と理解を示すように、ベストメンバーを組めず、真のアジア王者を決める大会とはなっていない。これは国の立場が変わっているだけで、開催のたびに米国やドミニカ共和国など野球大国の“本気度”が疑問視されるワールド・ベースボール・クラシック(WBC)と本質的に同じ問題をはらんでいる。

 

続きはこちら



 益吉数正(ますよし・かずまさ)1981年生まれ。宮崎県出身。2005年共同通信入社。千葉、甲府、福岡の支社局で警察などを担当後、11年から大阪運動部で高校野球を中心に取材。13年2月から本社運動部でプロ野球の遊軍担当。


2013年06月05日

「長い目で見ていきたい」 将来の球界担う大型新人、大谷と藤浪  

プロ初対戦した阪神先発の藤波晋太郎投手と打席に立つ日本ハムの大谷翔平右翼手。捕手藤井彰人(2013年5月26日、甲子園、共同) 5月26日に甲子園球場で行われた阪神―日本ハムで、注目のドラフト1位ルーキーのプロ初対決が実現した。マウンドに立ったのは、大阪桐蔭高のエースとして昨年の甲子園大会を春夏連覇した藤浪晋太郎。打席で、投手と野手の「二刀流」挑戦で話題を呼ぶ大谷翔平が迎え撃った。

 この日の対戦は3打席。結果は「5番・右翼」の大谷が2本の二塁打を放って「勝負」では軍配が上がった。試合は阪神が7―1と快勝し、藤浪が早くも4勝目を手にした。新しい時代の名勝負になるかもしれないライバル対決の“第1話”を目撃できたことを幸運に感じると同時に、高校時代に2人が紡いだもう一つの試合を思い出した。

 2012年3月21日。第84回選抜高校野球大会1回戦で、藤浪がエースだった大阪桐蔭と、大谷を擁する岩手・花巻東がぶつかった。この時も大谷は藤浪から本塁打を放って「勝負」には勝ったが、プロ初対決と同様に試合は完敗だった。当時高校野球担当だった筆者の記憶には右翼席に伸びていった本塁打が鮮烈に刻まれている。まさかこんなに早く甲子園で2人の対決を再見することになるとは思ってもみなかったが。

 

続きはこちら



 益吉数正(ますよし・かずまさ)1981年生まれ。宮崎県出身。2005年共同通信入社。千葉、甲府、福岡の支社局で警察などを担当後、11年から大阪運動部で高校野球を中心に取材。13年2月から本社運動部でプロ野球の遊軍担当。


2012年09月19日

扉はいつ開かれるのか 甲子園制覇にあと一歩届かぬ東北勢  

大阪桐蔭(手前)に敗れてベンチ前に整列する光星学院ナイン。またも決勝戦の後、自分たちの校歌を歌う栄誉を逃した。(8月23日、共同) あと一歩がこんなにも遠いとは。ことしの全国高校野球選手権大会は大阪桐蔭が史上7校目の春夏連覇を達成し、幕を閉じた。昨夏から3季連続で決勝に進んだ青森代表の光星学院はまたも頂点に届かず、史上初の3季連続準優勝。東北勢悲願の甲子園大会制覇は来年以降に持ち越しとなり、筆者が抱いていた「今度こそ歴史の扉が開く瞬間に立ち会えるのでは」という期待めいた予感は現実とはならなかった。

 試合前。総合力で考えれば大阪桐蔭が有利でも、流れは光星学院だと感じていた。決勝は史上初の春夏同一カード。「三度目の正直」「雪辱」「初の白河の関越え」といったフレーズが多用されたように、光星学院側からすればドラマ性十分の展開だったからだ。東北の地に初の優勝旗が渡るには、これ以上ない筋書きのようにも思えたが、やはり甘くはなかった。春からさらに成長した大阪桐蔭のエース藤浪晋太郎がマウンドで仁王立ち。圧巻の投球の前に、光星学院自慢の強力打線もお手上げだった。仲井宗基監督が「力負け。完成度が違った」と話したように攻守両面で完敗といえる内容だった。

 光星学院が決勝に進むたびに、取材したテーマが二つある。一つは「なぜ東北のチームは強くなったのか」。室内練習場の整備、交通網の発達、シニアチームの充実、関西や関東からの有力選手スカウト…。話を聞いた東北の高校野球関係者はハード面からソフト面までさまざまな要因を挙げてくれた。もう一つのテーマについては、誰に取材してもはっきりした答えは出てこない。「なぜ東北勢は決勝で勝てなかったのか」。今回は春夏通じて10度目の挑戦、2000年以降では実に6度目の決勝だった。時代も変わった。なのに…。ここまで来ると、なかなか合理的な説明は難しい。

 

続きはこちら



益吉数正(ますよし・かずまさ)1981年生まれ。宮崎県出身。2005年共同通信入社。千葉、甲府、福岡の支社局で警察などを担当して11年から大阪運動部へ。高校野球、ラグビーを中心に取材。