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スポーツリレーコラム

2016年01月13日

黒田が選んだ道 悩み抜いた末の現役続行  

阪神・ゴメスを遊ゴロ併殺に打ち取り、ガッツポーズする広島先発の黒田=甲子園(2015年10月4日、共同) 実力、結果がすべてとも言えるプロ野球界で自ら引き際を決められる選手は一部に限られる。広島の黒田博樹投手は「本当にぜいたくでわがままかも分からない」と前置きしてから言った。「引退した方が絶対に楽。この体でもう1年野球をやるというのはしんどいこと。逃げようと思えば逃げられていたのかなと思う。でも、やるしかなかった」。悩み抜いた末の現役続行だった。

 2015年10月7日のシーズン最終戦後「完全燃焼」の言葉を残し、家族のいる米国に戻った。球団に去就を伝えたのは12月8日。約2カ月かかった。8年ぶりに日本に復帰した昨季は11勝8敗、防御率2・55。41歳になる今季も十分にプレーできると思える成績を残した。速球は150キロをマークし、「フロントドア」や「バックドア」に象徴される投球術も健在。若手投手にとって生きた教材でもあるベテラン右腕だが、すぐに去就を決められなかった。常に「最後の1球」との思いを持ってマウンドに上がる。だからオフに悩むのは毎年のこと。これまでとの違いは選択肢が二つに減ったことだろう。「やるか、やらないか。どこで野球をするかではない」。現役か引退か。揺れ動く胸中が、取材に対する答えや表情ににじみ出た。

 シーズン後に初めて報道陣の前に姿を見せたのは11月24日だった。明言こそしなかったが「自分なりに考えることは考えた」とはっきりと言った。表情は明るく、口調からも現役を続ける意志を固めたように思えた。ただ、その6日後には逆の印象を持つことになる。11月30日。現役を続ける上で重要なのは心技体の心だと説き「体を動かすのも心。トレーニングをしていても身が入らない」と少しやつれた表情で口にした。もう1年プレーするには昨季を超えるモチベーションが必要で「今、探している」とも。その口ぶりからは今季のユニホーム姿を全く想像できなかった。「野球人生最高のモチベーション」で帰ってきたという昨季を超えるものが何なのか、僕には全く思いつかなかった。

 

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 岡田 康幹(おかだ・やすき)2010年共同通信社入社。本社運動部から同年12月に福岡運動部へ異動し、大相撲やプロ野球ソフトバンクを取材。2014年12月からは広島でカープ担当。1985生まれ。東京都文京区出身。


2013年12月04日

200マイナス2 ソフバンク長谷川勇也の198安打  

西武戦の延長10回、サヨナラ打を放ち跳び上がって喜ぶソフトバンクの長谷川(2013年9月28日、共同) 打席に入ると、バットの先を見つめ、投手側にヘッドを倒す。そして腰をひねって、タイミングを取り始める。何かのおまじないのような一連の動き。構える位置やそこに至るまでの所作にはそれぞれ意味があり、バットを傾ける時は「手首をただ返すのではなく、ヘッドの重みで」。独特な打撃論を持つプロ野球ソフトバンクの長谷川勇也が今季、3割4分1厘でパ・リーグ首位打者と198本で最多安打のタイトルを初めて獲得した。


 2009年に打率3割1分2厘を残したものの、その後の3年間は3割に届かなかった。13年シーズンに向け、打撃フォームを大幅に変えた。構えてからあまり動かず、投手に合わせて動かしていたものから、腕を動かしながらタイミングを取るようにした。「昔の打者は動きの中で間合いをつけるものが多かった」と阪神などで活躍した岡田彰布を参考にしたという。動きをつけることで自分からボールを呼び込めるようになり、安打にできるポイントの幅が広がった。


 今季は序盤からコンスタントに安打を重ねた。深刻な不振にも陥らなかった。ただ、打撃フォームは少しずつ変わっていた。「バッティングは生き物」と言う。ずっと同じだと感覚が鈍る。だからこそ「その時々の変化を見極められるか」が大事になる。日々の変化を読み取ることができたのは、猛練習のたまものだ。

 

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 岡田 康幹(おかだ・やすき)2010年に共同通信入社。本社運動部を経て、同年12月から福岡運動部。プロ野球ソフトバンク担当。1985年生まれ、東京都文京区出身。


2013年06月19日

ドーム球場もたまには屋外気分で 開放感と遊び心  

屋根を開いて始まったヤフオクドームでのソフトバンクーヤクルト戦。めったに味わえない開放感は地元ファンにも好評だ(2013年6月13日、共同) 2012年5月23日、ヤフードーム(現ヤフオクドーム)は異様な雰囲気に包まれていた。夕陽に照らされたスタンドは黄金色に染まり、通算2千安打に残り1に迫った小久保裕紀が打席に立つたびに観客の歓声とため息が入り交じった。この試合は3打数3三振に終わり、2日後には椎間板ヘルニアのため出場選手登録を外れた。

 あの日の独特な空気を生んだのは、残り1本という状況に加え、ドームの屋根開放日「ルーフオープンデー」だったからだろう。普段は重く無表情に閉じられた天井が砂時計の砂が落ちるようにゆっくりと開き、陽光がグラウンドに差し込み徐々に広がる。20分程度をかけて可動式屋根が完全に口を開けると、球場は生まれ変わった姿になる。時間によって移り変わる光模様を楽しめ、潮の香りがほんのりと混ざった穏やかな風が吹く。プレーする選手は時に守りにくさ、ボールの見えづらさを感じるかもしれないが、見る者は普段と異なる景色に心を奪われる。

 その日がことしもやってきた。5月20日に実施され、球団に多くのファンから問い合わせがあったという。好評のため、6月13日のヤクルト戦での2度目の屋根開放が決まった。

 

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 岡田 康幹(おかだ・やすき)1985年生まれ、東京都出身。2010年に共同通信入社。本社運動部を経て、同年12月から福岡運動部。プロ野球ソフトバンク担当。


2012年09月12日

小久保裕紀、直筆の力 心に染みた感謝の言葉  

利の喜びを分かち合う小久(左)とファンのタッチシーン。(8月28日のオリックス戦から、共同) プロ野球ソフトバンクの小久保裕紀内野手は、「直筆」を大切にする。周りへの何げない心遣い。本拠地ヤフードームでの試合開始前、ベンチのすぐそばのグラウンドレベルの観客席にいるファンのもとに歩み寄り、差し出された色紙やボールなどに丁寧にサインする。通算2千安打を達成する前も、今季限りでの現役引退を表明した後も変わらぬ光景だ。ある選手は「あれはすごいですよ。自分にはできません。自分の試合準備がありますし」と驚きを隠せない。どの選手にもファンを大切にする気持ちはある。だが誰しもがその気持ちを行動で示せるわけではない。

 史上41人目の通算2千安打を達成した後、お世話になった方々へのお返しの品として、自身の使用しているものと同タイプのバットを用意した。その一本一本に相手の名前を記して贈った。「清原さんがサイン、名前、コメントを一つ一つに書いていた。自分もそういう記録にいったとしたらまねをさせてもらおうと思った」と明かした。

 引退を発表した8月14日、報道関係者らに打撃用手袋のプレゼントがあった。6月24日に達成した通算2千安打を記念したもので、銀色を基調とした手首部分に「2000HITS 2012.6.24」と赤色の糸で刺しゅうが施されていた。その一つ一つに直筆のサインと「ありがとう」の言葉が添えられていた。筆者が小学生のころからプロ野球界で活躍し、ことしの10月で41歳を迎える名選手の計らい。あくまで取材対象者で、仕事に私情を挟みすぎるのはいかがなものか、というのは承知している。だが正直、とてもうれしかった。プロ野球選手から直筆サインをもらったのが人生で初めてというのを差し引いても、温かな感謝の言葉は心に染みた。

 

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岡田 康幹(おかだ・やすき)2010年入社し12月に本社運動部から福岡運動部へ。主にプロ野球ソフトバンクと大相撲を担当。1985年生まれ、東京都出身。