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スポーツリレーコラム

2017年08月02日

「リレーコラム」営業の後押しでファンを味方に 低迷するヤクルトが歴史に残る逆転劇  

10回、代打でサヨナラ本塁打を放ち、ナインに迎えられるヤクルト・大松(中央)=神宮 この歓声は2015年の日本シリーズ以来だ。波打つように共鳴して響き渡るスタンドの声を聞いてふと思った。
 7月26日。ヤクルトがセ・リーグ史上初となる0―10からの大逆転劇を演じた夜、神宮球場の雰囲気は明らかにいつもと違っていた。

 客席に火が付いたのは七回。この日先発を外れていた中村悠平捕手が代打で登場、2ランを放った。とはいえ残り2イニングで8点のビハインドは焼け石に水。真中満監督でさえ「あの一本でここまで沸くか」と驚いたほどである。
 この異様な盛り上がりに中日ナインは気圧されたようにも映った。内野手の一歩目が鈍る間に、打球は大きくイレギュラーバウンドして内野安打。準備不足の目立ったリリーフ陣の球は吸い寄せられるようにホームベースの真ん中付近へ集まっていった。
 この回8安打、打者14人の猛攻で一挙同点。最後は延長十回、大松尚逸内野手の代打サヨナラ本塁打で派手に締めた。

 実はこの試合で球団初の試みがなされていた。通常ビジターファンが陣取る左翼席の半分近くをホームチーム席に割り当てたのだ。さらに18ある球場入り口のうち16ゲートでイベントユニホームを無料配布。結果的に球場の8割以上をヤクルトファンが占めた。
 東京ドームや甲子園では日常的な光景だが、神宮では異例だ。例年観客動員が伸びにくいヤクルト―中日のカードで2万8654人を集めた。客席のほとんどが黄緑色のユニホームで埋め尽くされていた。

 

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 小林陽彦(こばやし・はるひこ)1987年神奈川県出身。2009年に共同通信入社。大阪運動部でプロ野球オリックス、阪神、サッカーG大阪などを担当し、14年12月から本社運動部でヤクルトを担当。


2015年01月28日

130キロ台に「キレ」の美学 プロの技術が生む成瀬の直球  

「2桁勝利は当たり前」ヤクルトの入団記者会見で衣笠球団社長(右)と握手を交わす成瀬善久投手(2014年12月9日、共同) 全く力感のないゆったりとした動作にもかかわらず、放たれたボールは空気抵抗を忘れたかように50メートル、60メートルと伸びていく。今オフ、フリーエージェント(FA)権を行使してロッテからヤクルトに移籍した成瀬善久投手のキャッチボールは見ものだ。本人がこだわる、きれいな縦回転のスピンが生み出すボールの軌道は、芸術的とさえ言いたくなる。

 成瀬と言えば、神奈川・横浜高を出て4年目の2007年に16勝1敗、防御率1・81とブレーク。右手のグラブを頭の上まで高く掲げる「招き猫投法」とも呼ばれる独特なフォームで、投球ぎりぎりまで打者に球の出所を見せず、球速表示は130キロを少し超える程度ながら伸びのある直球で次々と打者を詰まらせていく。オリックスを担当した2010年、本塁打王に輝いたT―岡田外野手から「一番球が速いと感じる投手はファルケンボーグ(当時ソフトバンク)か成瀬さん」と聞いた事があった。このシーズン、オリックスは成瀬に7戦7敗とねじ伏せられ、クライマックスシリーズ進出をロッテにさらわれている。ここ2年は左肩痛に悩まされて1桁勝利にとどまっているが、成瀬の投じる130キロには「キレ」の美学とでも言うべき、スピードガンに表れない威力がある。それは150キロ台後半の剛速球にも匹敵すると、実際に対戦する打者は感じている。

 成瀬は、球速表示への欲について「ないと言ったら嘘になる」と笑いながら「意識したのは中学校まで」とした。速球に自信を持って横浜高に進んだものの、周りのレベルの高さにスピードでは勝てないと判断。渡辺元智監督のアドバイスで、球持ちの良さや打者からの見えづらさを意識して練習に取り組むようになった。勤続疲労からくる左肩痛とはうまく付き合っていくしかないが、この冬に遠投をこなせているのはいい兆候だという。遠投は成瀬にとって、回転数の多いきれいなバックスピンを確認する大事な作業で「50メートルくらいの距離を、きれいな回転で、落ちないような球が投げられるようになってくれば、真っすぐの質は徐々に良くなってくると思う」と手応えを感じている。

 

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 小林陽彦(こばやし・はるひこ)1987年神奈川県出身。2009年に共同通信入社。大阪運動部でプロ野球オリックス、阪神、サッカーG大阪などを担当し、14年は東京本社で「47行政ジャーナル」編集部。同年12月から本社運動部でヤクルトを担当。


2013年05月01日

虹色の戦士、女王返り咲きへ フットサル女子の「アルコイリス」  

2011年の女子全日本選手権を制した「アルコイリス」の面々。チームは女王返り咲きを目指して燃えている(井野選手提供) チーム名「アルコイリス」はポルトガル語で虹を意味する。神戸市を拠点として2011年フットサル女子の全日本選手権を制した強豪だ。主軸のほとんどが日本代表経験者で、最前線の「ピボ」は自身も周囲も生かせる攻撃の鬼、若林エリが務め、両サイドの「アラ」はテクニシャン中野絵美と高速アタッカーの関灘美那子。守備の要の「フィクソ」にはロングシュートも得意な井野美聡が待ち構える。型にはまった戦術を取らず、「全員がスペシャリスト」(井野)という特長をフルに生かした攻撃スタイルは、多彩な色で織りなされる虹を連想させる。

 その強豪が、いま「チャレンジ&リベンジ」と燃えている。全日本選手権史上初のV2を狙った昨年、最大の関門ともいわれる兵庫県予選を激闘の末に突破したが、続く関西予選で涙をのんだ。本大会出場を懸けた大阪代表チームとの一戦。試合開始からゴール前に張り付くような守備態勢を敷いた相手に、前後半40分で「100本くらい」(若林)のシュートを浴びせたが、0―0でタイムアップ。PK戦に持ち込まれて敗れた。

 国内の女子フットサルの主要大会は年に二つある。10月の全日本選手権と3月のトリム・カップ。後者は冠スポンサーが付き、深夜にTV放映もある大会だが、各県の選抜メンバーで戦う。だから日頃苦楽を共にするチームでの大勝負の舞台は、年に一度の全日本というトーナメントしかない。それだけに勝敗が感情にもたらす影響の大きさは半端じゃない。所用のため試合途中で会場を去ったため、結果を聞こうと連絡したがつながらない。ネットニュースも公式HPの速報もなければ、ツイッターやフェイスブックの書き込みもない。ようやく井野選手から「負けました」とメールが来たころには日付が変わっていた。一戦に懸ける情熱は、プロスポーツではなかなかお目にかかれないものがある。見る側としては、そこに心を打たれるわけだが、もう少し勝負や観戦のチャンスがあってもいいように思う。

 

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 小林陽彦(こばやし・はるひこ)1987年生まれ。神奈川県出身。2009年に共同通信に入社し、大阪運動部でプロ野球オリックス、サッカーG大阪担当などを取材し13年から阪神タイガースを担当。


2012年09月05日

フライングディスクで世界一 日本女子、アルティメットで米に勝つ  

日本は持ち味の正確で素早いパス交換で米国選手(中央)を苦しめ世界一の座に就いた。(2012年7月14日、堺市サッカー・ナショナルトレーニングセンター、小林陽彦撮影) ロンドン五輪が開幕する前の7月半ば、堺市のサッカー・ナショナルトレーニングセンターで4年に1度のフライングディスクの世界選手権が開かれ、大柄な欧米人や陽気な南米、アフリカ系の選手たちで施設があふれ返った。日本で開かれるのは1992年の宇都宮大会以来20年ぶり。全種目で奮闘した日本勢の中で、7人制種目アルティメットの女子チームが決勝に進出した。アルティメットはボールをディスクに持ち替えたアメリカンフットボールのような種目だ。記者の同僚に経験者もいてなじみはあったが、観戦するのは初めてだった。20年ぶりの優勝を懸けて、世界ランキング1位の米国に挑む一戦に幸運にも立ち会うことができた。

 試合は素人目にも実力伯仲が分かる、壮絶なシーソーゲームだった。高く浮かしたパスを長身を生かして制し、ガンガン前進する米国。日本は辛抱強く、正確にディスクをつないで相手の隙を生み出す戦法で食い下がった。4―7とリードされたが、平井絵理主将の派手なダイビングキャッチが決まって勢いづき、4連続ポイントで逆転した。真昼の太陽がぐんぐん気温を上げていく中、豊富な運動量とミスの少なさを保って徐々に引き離し、17―13で決着。ウイニングパスをつかんだ選手にメンバーが駆け寄り、輪になって歓喜した。森友紀選手兼監督は「予選も全米選手権も全部ビデオを見てデータを取って分析した。前半のゾーン守備が効きましたね」としてやったりの顔。人気選手の猪俣紗奈子選手は「4年前の決勝で米国に負けた悔しさでずっとやってきた」と号泣した。

 協会関係者に聞くと、フライングディスクの世界連盟には約80カ国が加盟・準加盟。早ければ2020年五輪での採用を目指しており、競技国・地域や大会数の増加が急務となっている。試行段階を含め中学や高校の授業への採り入れが始まるなど普及が進みつつある日本でも、今回優勝した女子チームは大学生を除けば全員がOL。平日の勤務をこなしながら土日に集まって練習する。実業団チームでもないため、支援は潤沢とはいえない。

 

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小林陽彦(こばやし・はるひこ)1987年生まれ。神奈川県出身。2009年に共同通信に入社し、大阪運動部でプロ野球オリックス、11年からはサッカーG大阪などを担当。