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スポーツリレーコラム

2013年03月27日

垣間見た糸井と金子の苦悩 日本ハム担当として彼らを追った私  

侍ジャパンの一員としても強打を披露した糸井(左)。WBCのオランダ戦で3点本塁打を放つ【2013年3月10日、東京ドーム、共同 昨年までの2年間、日本ハムを担当した。ことしの開幕を迎える前に、栗山英樹新監督による昨季のリーグ優勝の舞台裏で感じた、普段の原稿では書ききれない選手の一面を紹介したい。球場では何万人もの大声援を受け、好結果が出れば多額の年俸を手にすることができるプロ野球選手は一見華々しい存在に映る。しかし楽しいことがあればつらいこともある。日々それぞれの思いを胸に人知れず汗を流し、喜びなどつかの間でむしろ世の中の人たちと同様に苦しい経験の方が多いように思う。

 開幕後から首位争いを繰り広げていたチームとは裏腹に、糸井嘉男(現オリックス)は悩み続けた。全く思い通りのスイングができない大スランプ。札幌ドームでの試合後に打ち込んで誰よりも遅く球場を出た後も、別の場所にある寮の室内練習場へ直行してバットを握った。「ここ3年間でこんなことはなかった」。懸命に答えを探しても見つからず、まさに五里霧中だった。それでもめげずに練習に重ねた。大好きな酒を控えたこともあった。

 8月3日、広い札幌ドームで豪快な2本塁打を放った。だましだましで打ってきたものが、ついに自分の型にかちっとはまった瞬間だった。その晩、私は彼とささやかに祝い酒を酌み交わした。肩の荷が下りた解放感が悩めるスラッガーの体中を埋め尽くしていたはずだ。グラスを片手にジョークを交えながら本塁打を祝ったが、糸井は「本当に悩んでいたんだから」と小さな声でこぼした。常に明るく振る舞う糸井だが、その時ばかりは暗い表情が晴れなかった。こちらは半ば冗談と分かりながらそれを受け入れられない程に、頭を抱え続けていたのだろうと悟った。この日を境に本来の調子を取り戻し、リーグ優勝に一役買った。

 

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 白石明之(しらいし・あきゆき)1987年生まれ、埼玉県出身。2010年共同通信入社。東京本社を経て、10年暮れからから札幌支社で主にプロ野球日本ハムを担当。12年末から大阪支社で阪神を担当。早大時代は野球部に所属。


2012年06月13日

「監督らしくない監督」 栗山英樹、秘策うむ深夜の熟慮  

西武との今季開幕戦に快勝。ウイニングボールを手に満面に笑みの栗山新監督(右)とプロ初の完投勝利を挙げた斎藤(3月30日、札幌ドーム、共同) チーム全体の状況を把握するために、グラウンドを縦横無尽に走り回る姿。練習中に選手がけがしないように計らい、自らトンボを手にして整備をする様子。この人の人間性をひと言で表すのならば、いい意味で監督らしくない監督という言葉が適切だろう。今季から日本ハムを率いる栗山英樹監督のことだ。

 監督業のみならず、コーチ経験すらもなかった氏の監督就任には、大半の人が首をかしげただろう。私自身、正直「何を考えているのか分からない人だな」というのが第一印象だった。

 2番稲葉の起用など、説明を聞いてもよく分からない事態に陥った。後から振り返ってみれば栗山監督の型破りな考えに自分自身がついていけてなかっただけなのかもしれない。開幕戦から2番稲葉は3安打を放ち、栗山監督が期待した「攻撃的な2番」の役割を果たした。エースに成長してほしいという念を込めて開幕投手に斎藤を指名したことや、開幕から不振が続いた中田を「誰が監督になっても4番にする」主砲へと進化させるために外さないなど、起用に際してはその選手の人間性のみならず将来までを考える。

 

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白石明之(しらいし・あきゆき)1987年生まれ。埼玉県出身。2010年共同通信入社。東京本社を経て、10年の12月から札幌支社勤務。主にプロ野球日本ハムを担当する。早大時代は野球部に所属した。