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スポーツリレーコラム

2014年04月16日

“お父さん”のチーム作り 西武・伊原監督の挑戦  

ロッテ戦の9回、 2点本塁打を放った主砲浅村(左)を迎える伊原監督(2014年4月1日、共同) プロ野球に限らずスポーツにおいて監督の持つ影響力は大きい。成績が振るわない時、現状を打破したい時など、さまざまな理由でトップが入れ替わる。
 ここ5年間、リーグ優勝から遠ざかっている西武もその一つだ。球団はOBで2002、03年に指揮を執ったことのある伊原春樹監督(65)を迎えて今シーズンをスタートさせた。常勝軍団復活を託された指揮官は就任早々「優勝を目指すのではなく、必ず優勝する」と熱っぽく選手に呼びかけた。
 マスコミ受けするキャラクターの持ち主や現役時代の輝かしい実績を誇る監督が多い中、失礼を承知で言えば伊原監督は地味な存在と言える。選手としては西武の前身の西鉄に入団し、太平洋クラブ、クラウンライター、西武と幾度も球団が身売りされた時代を過ごした。西鉄時代の1972年に118試合に出場したのが最多で華やかさとは無縁の現役生活だった。その後、コーチになって才能を発揮。定位置の三塁コーチスボックスで、相手投手の癖を見抜いたり、的確な走塁の指示を出したりして、陰ながら西武の黄金時代を支えた。
 厳しいコーチ、監督として有名で、11シーズンぶりの監督復帰に現場からは「鬼が戻ってくる」という声がささやかれた。そして常勝軍団復活へ数々の改革を断行した。まずは意識改革。秋季練習初日のミーティングでは選手に親会社の西武鉄道の初乗り料金を尋ね、運賃や入場料を支払って試合に来るファンの大切さを説いた。また、オープン戦で調子が上がらない選手には、震災で被害を受けて苦しむ人がいる中で、好きな野球ができる喜びを感じるよう教えた。当たり前と思っていることでも、口に出して明確に伝えるのと伝えないのでは聞き手の受け取り方は大きく違う。指揮官の前任時を知る主将の栗山外野手は「お父さん的な存在」と表現した。
 選手の外見も様変わりした。茶髪や長髪、ひげを伸ばすことを禁止。外国人選手も特別扱いせず、長いあごひげがトレードマークだったウィリアムス投手も泣く泣く自慢のひげをそり落とした。さらに各球団で見られるだぼだぼのユニホームを排除し、ズボンの丈はスパイクが見える長さに定めた。今ではストッキングを見せる昔ながらのスタイルの選手が増え、逆にそれが新鮮さを生んでいる。
 一方で、時代の流れとともに選手の性格や価値観が変わってきていることも事実だろう。特に20代の若い選手が多い西武では、10年以上前に通じたやり方がそのまま受け入れられるとは限らない。渡辺前監督の時のような自由奔放で自主性に任せるスタイルから、厳しく管理するスタイルへの転換は大きなリスクをはらんでいると言える。実際に伊原監督から指導を受けたある選手は「なかなか思うようにいかない。トップが変わるとこうも変わるんですね」とやや困惑していた。
 開幕の前日、指揮官は「選手との戦いが始まる」と言った。もちろん監督と選手が敵同士で戦うということではない。選手に気を配り、時にサポートし、やる気を起こしてチームをまとめ上げることが戦いという意味だ。「グラウンドのことだけじゃない。家庭のこともある。誰が見るの? 監督しかいないでしょ」。その言葉はまさに家庭を守る父親そのものだ。
 3月28日に開幕したペナントレースはいきなり3連敗するなど苦しい戦いを強いられている。山あり谷ありの長いシーズンは始まったばかり。“お父さん”はどのように“息子たち”の力を引き出し、強い“家族”にしていくのか。その手腕に注目しながらチームの戦いぶりを見ていこうと思う。


【写真】ロッテ戦の9回、 2点本塁打を放った主砲浅村(左)を迎える伊原監督(2014年4月1日、共同)

 

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 上地安理(うえち・あんり)1980年東京都生まれ。他業種を経て2006年に入社。大阪支社、名古屋支社でアマチュア野球、プロ野球などを担当し、13年から本社運動部でプロ野球西武を担当。


2013年07月24日

今知るセネタース 西武がイベントでユニホーム  

西武新宿線の上井草駅近くにかつて本拠地を置いていた東京セネタースの復刻版ユニホームに身を包んだ西武の栗山(左)と秋山(2013年5月17日、共同) 「プロ野球創成期、上井草に球団が存在した」―。こんなキャッチコピーのポスターが西武ドームに張られた。プロ野球西武のイベント、「ライオンズ・クラシック2013」(7月26~28日)の告知だった。西武はオリックス3連戦で、かつて西武新宿線の上井草駅近くに本拠地を置いた、東京セネタースのユニホームを着てプレーする。

 幼少のころから西武新宿線の沿線に住んでいた私にとって、上井草は聞き慣れた場所だ。杉並区と練馬区の境目に位置し、11年前からは早大のラグビー部が練習場を構える。駅前に昔ながらの商店街があり、閑静な住宅街といった印象だ。記者になって、この場所に上井草球場があったことを知った。セネタースについて詳しいことは知らなかった。

 日本プロ野球は1936年に日本職業野球連盟が創立し、一足先に結成された東京巨人(現巨人)のほか、大阪タイガース(現阪神)、名古屋(現中日)、阪急(現オリックス)、大東京、名古屋金鯱と東京セネタースの7球団で始まった。有馬頼寧(69年に野球殿堂入り)、安藤信昭の兄弟が西武鉄道(現在の西武鉄道とは別会社)と共同出資して東京セネタースをつくり、チーム名は2人が貴族院議員を務めていたことから、上院議員を意味する「senator」から取ったといわれる。

 

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 上地安理(うえち・あんり)1980年東京都生まれ。他業種を経て2006年に入社。大阪支社、名古屋支社でアマチュア野球、プロ野球などを担当し、13年から本社運動部でプロ野球西武を担当。


2012年11月28日

1シーズンで中日を去った名コーチ 信念曲げなかった権藤博氏  

今季限りでの退団となり記者会見する権藤博コーチ(10月24日、名古屋の球団事務所、共同) 今季12年ぶりにプロ野球の現場に復帰して、古巣中日のユニホームを着た権藤博投手コーチ(73)がわずか1シーズンでチームを去った。主力の移籍や故障で投手陣は苦しいやり繰りを強いられた。それでも山内壮馬投手ら若手を信頼して起用し続け、山井大介投手を抑えに回すなど権藤コーチは見事な手腕を発揮した。シーズンでは巨人に大差をつけられたが、クライマックスシリーズ(CS)ではその宿敵をあと一歩のところまで追い詰め、“投手王国中日”の面目を保った。

 退団について、球団側は将来を見据えたコーチ陣の若返りを理由に挙げた。しかしそれだけではない。投手出身の同コーチと野手出身の高木守道監督(71)。2人は投手起用をめぐって度々意見が対立した。ベンチで公然と言い合う姿がテレビ画面に映され、試合中に怒った高木監督が権藤コーチの問い掛けに答えないこともあったという。両者とも報道陣の前で批判めいたコメントや愚痴をこぼすこともあり、時には「70歳代バトル」などとマスコミにおもしろおかしく取り上げられた。当初は権藤コーチの続投が既定路線だったが、球団は急きょ方針を変えた。事実上の解任と言ってもいいだろう。

 権藤コーチは登板過多を避けるために中継ぎ投手にローテーションを導入し、シーズンだけでなく将来も見据えて選手を起用した。高木監督は短気な性格で、試合の場面ごとに最適の投手を送り込むという考え方。意見が食い違うのも当然といえる。持論をはっきり主張する性格もあり、近鉄のコーチ時代も仰木彬監督と対立したそうだ。「監督に権限があるのは当たり前。投手コーチとしてこうあるべきだということをやっただけ」と話したように、誰に対しても信念を曲げなかった。

 

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 上地安理(うえち・あんり)1980年東京都生まれ。他業種を経て2006年に共同通信入社。アマチュア野球、プロ野球などを担当し、現在は名古屋支社運動部で遊軍。


2012年05月16日

「心」の強さがよりどころ 日米球界で大ベテランが奮闘中  

鬼の形相で今季2勝目、通算212勝目を挙げた46歳の山本昌投手(2012年4月30日、ナゴヤドームでのDeNA戦から、共同) 最近の野球界は大ベテランの奮闘ぶりが目につく。海の向こうの米国ではジェイミー・モイヤー投手(ロッキーズ)が49歳151日で勝利を挙げた。国内でも中日の山本昌投手が46歳を過ぎても白星を積み重ねる。アラフォーどころか50歳に近いオジサンたちが第一線で活躍している。

 モイヤー投手は4月17日のパドレス戦で先発し7回2失点(自責点0)と好投。2010年に左肘の手術を受けながら見事な復活を果たし、大リーグの最年長勝利記録を80年ぶりに更新した。

 偉業達成のベテランは、私にとって思い入れのある選手である。シアトルで学生時代を過ごした時、地元のマリナーズでプレーしていた。160キロ近い速球を投げる投手が珍しくない大リーグで、130キロ台の直球とチェンジアップを武器に強打者を手玉に取った。ファンの一人として球場やテレビで興味深く見たものだ。

 

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上地安理(うえち・あんり)1980年東京都生まれ。他業種を経て2006年に共同通信入社。アマチュア野球、プロ野球などを担当し、現在は名古屋支社運動部で遊軍。