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スポーツリレーコラム

2016年10月19日

日本、女子野球W杯5連覇 各国レベルアップで危機感も  

女子野球W杯で5連覇を達成し、記念撮影する日本代表=釜山(共同) 9月10日午後9時41分。プロ野球セ・リーグで広島が25年ぶりのリーグ優勝を飾った瞬間を、韓国の釜山で見ていた。ハングルばかりのホテルのテレビ番組でたまたま見つけた国際放送では、真っ赤に染まった東京ドームで歓喜するファンの姿が映し出されていた。そして翌日。タクシーに30分ほど乗り、カニで有名な機張(キジャン)という街へ向かった。第7回WBSC女子野球ワールドカップを取材するためだ。そこでは「マドンナジャパン」が大会5連覇の偉業を達成する瞬間を目の当たりにした。

 優勝候補の大本命として重圧がかかる状況でも、女子日本代表は圧倒的な強さを発揮した。予選リーグから7戦全勝で危なげなく決勝へ駒を進めると、大一番ではカナダに10-0で大勝した。金(ホーネッツ・レディース)と志村(アサヒトラスト)のベテラン2人が柱となり、エースの里(兵庫ディオーネ)や4番打者の川端(埼玉アストライア)らプロ選手と、チームただ一人の高校生だった清水(埼玉栄高)ら初出場組がうまく融合したチームは、2012年の予選で米国に敗れたのを最後に、これで通算21連勝。原稿では「マドンナジャパンに、死角はなかった」と締めくくった。

 決勝翌日に帰国の途に就いた代表チームは、成田空港で優勝記者会見を行った。終始笑顔が絶えなかった中で、各国のレベルアップしている姿に対して主力選手が危機感を持っていたことが印象的だった。決勝のマウンドで2安打完封し、2大会連続で最優秀選手に輝いた里は「変化球を真ん中に投げてものけぞっていたのを、しっかりと踏み込んで打ってくる。浮いた球はヒットにされ、失投を逃さないのを感じた」と振り返った。

 

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 松下 裕一(まつした・ゆういち)2004年入社。05年からプロ野球を取材し、オリックス、阪神、ヤクルト、西武、日本ハムを担当。16年からはプロ野球遊軍。東京都出身。


2015年06月10日

日ハムにまたも頼もしい若武者 新人・有原の潜在能力に期待  

中日戦で2勝目を挙げ、ファンとタッチする日本ハム・有原(2015年5月31日、共同) 若手が次々と台頭してパ・リーグの首位争いを繰り広げている日本ハムに、開幕してからまた一人頼もしい若武者が出てきた。昨秋のドラフト会議で4球団が競合したルーキーの有原航平(早大出)だ。右肘に不安を抱えていたためにキャンプから2軍で慎重に調整してきたが、5月中旬に1軍に昇格してからはすっかり先発ローテーションに定着した。

 プロ初マウンドは5月15日のオリックス戦。6回2失点で降板した直後に打線が3点を奪って逆転し、初勝利を手にした。試合後には「投げられない時期もあった。支えてもらって、感謝の気持ちを持ってこれからも投げていく」と喜びをかみしめた。中8日の24日のソフトバンク戦は5回6失点と強力打線に圧倒された。「甘い球を見逃してくれない。自分のリズムでなかなか投球ができなかった」とのレベルの高さを痛感する結果となった。

 1軍のマウンドに2試合立っただけで、有原には感じたことがあった。腕が全力で振れていないということだ。投げ終わった後に映像でも確認した。ソフトバンクに打ち込まれた時にも「しっかりと腕を振った変化球の時は三振を取れた。どんな時でもしっかり腕を振りたいと思った」と課題を再認識している。ならば、勝てる投手になるためにはもっと腕を振るしかない。

 

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 松下裕一(まつした・ゆういち)2004年共同通信入社。05年からプロ野球を取材し、オリックス、阪神、ヤクルト、西武を担当。13年からは日本ハム担当。東京都出身。


2014年07月17日

「二刀流」に楽しみと緊張 大谷、将来は大リーグ挑戦?  

ダイナミックなフォームから球速160キロの剛球を投げ込む大谷。投手としても著しい進境を見せている。(2014年7月9日の楽天戦から、共同) 日本ハムの大谷が極めて異例な投打の「二刀流」の道を歩み始めた時、周囲からはさまざまな声が聞かれた。「あれだけ速い球を投げられる投手はめったにいない。投手に専念すべきだ」とか、「野手としてなら毎日プレーできる」といったように、どちらか一方を求めるものが多かったように感じた。それが2年目の今季は二者択一を迫る意見は減り、少しずつ変わり始めているような気がする。先発投手としてローテーションの一角を担う合間に、体の状態に問題がなければ野手として出場しているが、しばらくはこのままの形を続けるのがいいのではないかと思う。
 チームが最下位に終わった昨季終了後から、栗山監督は「基本的に先発投手として中6日で回っていく。(投手で先発後に野手のパターンは)考えにくい。昨年は登板間隔が空いていたからできた。打者として使えるところは限られている」と将来性豊かな若者の成長プランを描いた。昨秋の宮崎での秋季教育リーグから投手を中心とした調整がスタートし、今春のキャンプでもブルペンにいる時間が圧倒的に長かった。投手としての足元を着々と固め、開幕からローテーションを崩すことなく、きっちりと期待に応えている。
 野手として先発出場するときは3番か5番を任されることがほとんど。主軸に座るだけの能力が認められている証拠だ。5日の20歳の誕生日には2本のアーチで自らを祝った。実際に現時点の数字で見ても、打席数に対する三振の割合は減り、打率や本塁打は昨季の数字を上回るなど成長の跡がうかがえる。ただ、1試合で投打の両方をこなさなければいけなかった交流戦中の3試合は、すべて「7番・投手」だった。「投手・大谷」と「打者・大谷」を切り離して考えており、指揮官は「投げる時は投げる人にした方がいい。打つことは考えるな。ちゃんと投げて」とあえて打順を下げることでメッセージを送っている。
 投手としては、前半戦を終えリーグ2位タイの9勝(1敗)を挙げてチームに大きく貢献。その球速にもスポットライトが当たっている。岩手・花巻東高の3年時に出した球速160キロを、6月だけで5度もマークした。そのうちの4度は塁上に走者がおらず、決して気負うことのない場面だ。これまでは155キロ程度でも球場にはどよめきが起こっていたが、観客の反応も増したように思える。フォームが固まり、投球のタイミングが合いだしたことで、無理にスピードを求めなくても出るようになってきている。日本人最速の由規(ヤクルト)の161キロ、日本球界最速のクルーン(巨人など)の162キロをいつ上回るのか、登板ごとに楽しみな半面、こちらの仕事としては1球も気が抜けない。
 このまま順調に成長していけば、近い将来には米大リーグ挑戦の話題で周囲が騒がしくなるのは必至だろう。投手として評価されても、打者として海を渡ることを本人が決めたとしても、指名打者制を採用していないナ・リーグのチームに所属すれば、現在と同じような投打での活躍が見られる。気の早い話だが、楽しみは尽きない。

【写真】ダイナミックなフォームから球速160キロの剛球を投げ込む大谷。投手としても著しい進境を見せている。(2014年7月9日の楽天戦から、共同)

 

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 松下裕一(まつした・ゆういち)2004年入社。05年からプロ野球を取材し、オリックス、阪神、ヤクルト、西武を担当。13年からは日本ハム担当。東京都出身。


2013年10月16日

2桁勝利投手不在に猫の目打線 日本ハム、寂しい1年  

本拠地のファンにふがいない1年を苦渋に満ちた表情で詫びる栗山監督(2013年10月6日、共同) 常勝軍団へと変貌を遂げつつあったチームにとっては寂しい1年となった。日本ハムは首位の楽天に18・5ゲーム差を付けられ、12年ぶりの最下位で早々とシーズンを終えた。リーグ優勝を果たしたチームが翌年に最下位に転落するのは、1981年の近鉄以来4度目と珍しい。6日に札幌ドームで行われた最終戦でも敗れた栗山監督は「期待に応えることができず、本当にすみませんでした。必ず来年、この悔しさを晴らします。何が何でも優勝します。一緒に喜び合いましょう」とファンに深々と頭を下げた。
 「守りの野球」を掲げるチームが持ち味を発揮できなかった。失策数はリーグ最多の88を記録した。先発投手は木佐貫、ウルフの9勝が最多で、チームでは2001年以来の2桁投手不在となった。昨季の開幕投手を務めた斎藤は右肩痛に泣き、シーズン終了間際に登板するのがやっとだった。主力の田中が米大リーグに挑戦し、糸井がトレードで抜けた打線も厳しいやり繰りが続いた。勝負どころの9月を迎える前に、初の本塁打王に向けて快調に飛ばしていた4番打者の中田が骨折で離脱した。144試合のうち、打順の組み合わせは119通りに及んだこともメンバーを固定できなかった現実を物語っていた。
 投打の「二刀流」で注目を集めた大谷は、投手で3勝、野手として打率2割3分8厘、3本塁打、20打点の成績で1年目を終えた。19歳のルーキーは「課題が多く見つかった1年。もっと成長していきたい」と悔しさをのぞかせた。異例の挑戦を「毎日、生き物をさばく感じ」と栗山監督は振り返った。体調管理に目を光らせ、故障だけは避けようと試行錯誤を続けた。指揮官は「二つやれる選手がいるのは証明できた。説得力を持たせるのはあいつ自身。(プロ野球に)一石を投じた」と頑張りを認めつつ、さらなる成長を促していくつもりだ。
 ことしは北海道に本拠地を移してから10年目の節目でもあった。巨人ファンが多かったとされる北の大地も、いまや日本ハム一色。球団は「10th Seasonプロジェクト」と題して様々な取り組みを行った。北海道各179市町村の応援大使として選手を任命し、試合前にはスコアボードの映像に登場してPRに一役買った。また、札幌ドームで行われる試合には1試合ごとに集客目標数を設定した。最終的には185万5655人と、念願の200万人突破とはいかなかったが十分に根付いたと言える数字を残した。
 残念ながら伴わなかったのはチームの成績。シーズン終盤に負けが込んでも、熱心なファンの応援はやまなかった。ふがいない戦いが続き「あんなに入ってもらって、何とかしなくてはいけない。誰もいなくなってもいいくらいだけどね。本当に感謝している」と栗山監督がしみじみ話したこともあった。これから上位球団の日本一に向けた戦いが本格化していく中で、ひっそりと秋季練習が行われている。長い準備期間をプラスに捉えて、来季への礎としたい。


【写真】本拠地のファンにふがいない1年を苦渋に満ちた表情で詫びる栗山監督(2013年10月6日、共同)

 

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2013年02月27日

「二刀流」大谷選手に好印象 両立は少しずつ前進  

打撃練習後に栗山監督(背中)稲葉コーチ兼内野手(左)からアドバイスを受ける大谷(2013年2月13日、名護、共同) 「くにがみ」の知名度は一躍跳ね上がったのではないだろうか。プロ野球各球団のキャンプが2月1日に一斉に始まり、沖縄県内で多くのチームがシーズンに備えた。本島の最北端に位置する国頭(くにがみ)村でキャンプを行ったのは日本ハムの2軍。投手と野手の「二刀流」に挑戦する大谷翔平投手(岩手・花巻東高)を一目見ようと、人口5千人あまりの村は大いににぎわった。

 午前8時をめどにチーム宿舎に報道陣が集まり始める。注目ルーキーが姿を現すと記者がそばにくっつき、いわゆるぶら下がり取材が始まる。東シナ海の青い海を見ながら海岸線を歩き、球場までは約10分程度の道のり。朝早くからぺらぺらと話したい人などまれだろう。その気持ちを理解しつつも、一つ一つの質問に丁寧に答えた18歳の姿に好印象を持った。

 A4サイズの練習メニュー表は真ん中で投手と野手に分かれている。背番号「11」は両方に記されたことが多い。緊張の初日を終えた時は「メニューの見方も、流れも分からなかった」と右往左往する場面も見られたが、日が進むにつれて効率も良くなった。投手だけの日もあれば、野手に専念する日もあって、投手と野手の両立は少しずつ前進した。

 

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 松下裕一(まつした・ゆういち)2004年入社。05年からプロ野球を取材し、オリックス、阪神、ヤクルト、西武を担当。13年に日本ハム担当。東京都出身。


2012年04月18日

屋根の開閉わずか13分、マイアミの空模様に即対応 観客大幅増も、マーリンズの新本拠地  

マーリンズ・パークで行われたマーリンズ-カージナルスの開幕戦。好天のこの夜は屋根を開いての試合となった。(4月4日、ゲッティ=共同) 2月中旬から2カ月間、米大リーグを取材した。アリゾナで複数の日本選手をカバーした後、北米での開幕戦のためマイアミへ。今季からマイアミの中心部に新球場を構えたマーリンズが、昨季のワールドシリーズ覇者のカージナルスを迎えた一戦。試合前のセレモニーはさながらコンサートのようで、ボクシングの元世界ヘビー級チャンピオンのムハマド・アリ氏が登場するなど、華やかな雰囲気に包まれた。

 500億円以上の建設費をかけた「マーリンズ・パーク」の最大の売りは、開閉式の屋根だろう。大リーグでは6球場目。わずか13分間で開閉が可能で、19年前にオープンしたヤフー・ドーム(福岡)の3分の1ほどの短時間ですむ。スコールなど変わりやすいマイアミの天候にいつでも素早く対応できるのは素晴らしい。湿度が高く、気温が30度を超えるのが当たり前の常夏の地で、球場内の温度は常時23度に設定され、快適な野球観戦ができるように配慮されている。

 ざっと球場を一周してユニークな特徴をいくつか発見した。一塁側の通路には往年の名選手や現役の人気選手などの首振り人形(バブルヘッド)が約700体も展示されており、多くの人が足を止めていた。日本選手ではマリナーズのイチローのものが複数あり、ヤンキース時代の松井やマリナーズ時代の城島(現阪神)などの人形も見つけることができた。ホームベース後方のフェンスには強化ガラスで作られた水槽が2ヶ所設置され、実際に中に魚が泳いでいるのがいかにもマイアミらしい。残念ながら見る機会はなかったが、マーリンズの選手が本塁打を放つと派手に動く巨大なしかけも外野にある。

 

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松下裕一(まつした・ゆういち)2004年入社。05年から大阪でプロ野球のオリックス、阪神を取材し、09年から東京でヤクルト、西武を担当。12年は遊軍、大リーグ担当。東京都出身。