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スポーツリレーコラム

2017年06月21日

「リレーコラム」“追っかけ女子”の出現に驚き 若手スター選手が台頭、注目度高まる日本卓球  

男子シングルス準々決勝で敗れ、観客の拍手に応える丹羽孝希=東京体育館 今、卓球に確かな変化が訪れている。その思いを強くする場面に遭遇した。

 6月17日、東京体育館で行われていたワールドツアーの「荻村杯ジャパン・オープン」第4日のこと。男子ダブルスの表彰式が終わり、パソコンに向かっていた私を含めた記者の耳に、「キャーッ」と大きな歓声が飛び込んできた。
 原稿作業の手を止めて、視線を上げたその先には意外なシーンが。丹羽孝希(スヴェンソン)が、スタンドに残っていた女性ファンに向けて準優勝の記念の花束を投げ込んでいたのだ。こんな光景は初めて見た。

 記者席を飛び出して、会場外のJR千駄ケ谷駅前での花束を大事そうに触り合っていた帰り際のファンの一団に直撃してみた。
 聞けばこの日集まったのは約20人、年齢層は20代から50代と幅広い。SNSなどでつながり、潜在的には100人ほどの広がりがあるという。

 

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 小海 雅史(こかい・まさし)1982年生まれ。東京都出身。2005年共同通信社入社。06年から福岡支社でプロ野球ソフトバンク、11年から東京でヤクルト、巨人を担当。15年からは卓球やラグビーなどを取材し、15年ラグビーW杯、16年リオ五輪をカバー


2017年04月26日

「リレーコラム」最強チームはいつ実現? ラグビー日本、今は我慢の時  

ブルズ戦で今季初勝利を挙げ、矢富(21)と抱き合って喜ぶ田中らサンウルブズフィフティーン=秩父宮 いつになれば最強チームが見られるのか。2017年春現在、日本ラグビーに注目する人の多くが抱えるヤキモキを表現すれば、この一言に尽きるだろう。
 前回15年ワールドカップ(W杯)イングランド大会の主将だったFWリーチ・マイケルは、W杯後はけがと心身の疲労から一度も代表でプレーしていない。

 代表強化を主目的に結成されたスーパーラグビー(SR)の「サンウルブズ」も似た状況だ。ベストメンバーがそろわないまま、参入2年目の今季も開幕から8試合で1勝7敗と苦戦が続く。
 「知っている選手が少ない」「あの選手、どこで何してるの?」。そんな声が聞こえてきそうだ。2カ月前のSR開幕時に本コラムを担当したばかりだが、ここで再びラグビーの話題を取り上げたい。

 4月10日、6月の日本代表のテストマッチに関して、ジェイミー・ジョセフ・ヘッドコーチ(HC)が発した言葉に、ラグビー記者はどよめいた。
 「リーチから日本代表に選ばれたらプレーできると言われた」と明らかにしたのだ。SRではサンウルブズに入らず、チーフス(ニュージーランド)で主力としてプレーするリーチの代表復帰は誰もが望んでいた関心事。世界ランキング4位のアイルランドとのテストマッチに向けた朗報だった。

 

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 小海 雅史(こかい・まさし)1982年生まれ。東京都出身。2005年共同通信社入社。06年から福岡支社でプロ野球ソフトバンク、11年から東京でヤクルト、巨人を担当。15年からは卓球やラグビーなどを取材し、15年ラグビーW杯、16年リオ五輪をカバー


2017年03月01日

「リレーコラム」2年目サンウルブズに期待 魅力のスーパーラグビー  

サンウルブズ―ハリケーンズ 後半、ハリケーンズ選手につかまるサンウルブズ・中鶴=秩父宮 ラグビーの魅力は何かと問われたら、鋼の筋肉をまとった選手たちのぶつかり合いにあると答える。風が吹けば飛んでしまうようなマッチ棒体型の私など、到底できないスポーツだ。

 その肉弾戦の醍醐味を、スーパーラグビー(SR)では日本のサンウルブズを通して毎週のように味わえる。サンウルブズにとっては参入2年目のシーズンが始まったばかり。2年半後に迫った2019年ワールドカップ(W杯)日本大会でも活躍間違いなしのトップ選手たちが集まるSRを、ぜひ多くの方に観戦していただきたい。

 SRは、ニュージーランドとオーストラリアから各5、南アフリカから6、日本とアルゼンチンから各1の計18チームが集まり、南半球のクラブの頂点を決める大会だ。
 サンウルブズは日本代表の強化のために結成されて現役日本代表選手や候補生が集まり、今季が2年目。サッカーに例えれば、FCバルセロナやマンチェスター・ユナイテッドが争う欧州チャンピオンズリーグに、日本代表が参戦しているようなものだ。
 1年目は1勝1分け13敗と苦しんだが、W杯8強以上を目指す日本の強化には最適の舞台といえる。

 

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 小海 雅史(こかい・まさし)1982年生まれ。東京都出身。2005年共同通信社入社。06年から福岡支社でプロ野球ソフトバンク、11年から東京でヤクルト、巨人を担当。15年からは卓球やラグビーなどを取材し、15年ラグビーW杯、16年リオ五輪をカバー。


2016年01月27日

シーズン最後の名勝負 王者に流れる名将の哲学  

3連覇を達成し胴上げされるパナソニックのロビー・ディーンズ監督=秩父宮(2016年1月24日、共同) ラグビー担当として2年目に入ったばかりの私が言うのも気が引けるが、1月24日に行われたトップリーグ(TL)決勝は、屈指の名勝負として人々の記憶に刻まれるはずだ。スコアは27―26。パナソニックが東芝を退けて3連覇を達成した。両チームは12月のリーグ戦でも17―17で引き分け。パナソニックはシーズンを通して強く、東芝も準優勝にふさわしいチームだったことをスコアが証明している。

 決勝は後半ロスタイムが印象的だった。東芝がキックパスから劇的なトライを奪って1点差に迫ったものの、続くゴールが外れて試合終了。決まっていれば2点を追加した東芝の1点差の逆転勝利だった。パナソニックを率いる世界的名将のロビー・ディーンズ監督は「東芝との差は少なかった。1点という得点差。それ以外には何もない」とライバルに深く敬意を表した。

 群馬県太田市に本拠を置くクラブを率いるディーンズ監督をラグビーファン以外の方にもここで知ってもらいたい。就任2季目、ニュージーランド出身の56歳。現役時代は同国代表「オールブラックス」に選ばれ、指導者としては世界最高峰リーグ「スーパーラグビー」で数多くのタイトルを獲得した。オーストラリアの代表監督としてワールドカップ(W杯)も戦った。素顔は温厚ないいおじさんで、スターバックスコーヒーを好み、息抜きはスカッシュと自転車。飾らない性格が周囲を魅了する。

 

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 小海 雅史(こかい・まさし)1982年生まれ。東京都出身。2005年共同通信社入社。福岡支社で大相撲やサッカー、プロ野球ソフトバンクなどを取材。11年から東京で巨人などを担当。15年からは卓球やラグビーなどをカバー。


2015年05月13日

卓球選手のたくましさに驚き 日本の打倒中国に期待  

世界選手権個人戦女子シングルス2回戦を突破した日本のエース石川佳純(2015年4月29日、共同) 昨年暮れに、長く担当してきたプロ野球を離れることになった。今は卓球やラグビーなど複数の競技を受け持ち、日々違う現場へと向かっている。毎年2月はプロ野球ではキャンプの時期で、春の訪れが早い宮崎や沖縄にいた。それを考えると、私にとって今年の冬は結構長かった。1日の過ごし方も、1年間のスケジュールも大きく変わった。スコアブックとプロ野球選手名鑑が入っていたカバンの中身も整理した。心機一転、担当競技のルールから学んでいる。

 木々の緑も深まった4月下旬から、卓球の世界選手権個人戦の取材で中国・蘇州に行った。多くの試合が11点制の7ゲーム(4ゲーム先取)で争われる卓球は、ほとんどの場合1試合が1時間以内で終わる。スピーディーな展開はスポーツの中でも屈指だろう。プロ野球は3時間超えの試合が多かったから、大きな違いだ。駆け出しの卓球記者として、気付いたことを挙げてみたい。

 驚かされたのは、選手たちのタフさだ。試合時間が短いから、1日に何試合もプレーする。シングルスの後にダブルスを戦うことは普通のこと。今大会の石川佳純(全農)も、シングルス3回戦で敗れた後に混合ダブルス準決勝が組まれていた。だが、石川はそれに勝って決勝進出を決め、混合ダブルスで日本勢38年ぶりの銀メダルを獲得。「すごく悔しかったけど、混合で決勝に絶対に進みたいと思っていたので、全力で準備することができた」と胸を張った。体力だけでなく、精神的に強くなくては世界では戦っていけないのだ。

 

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 小海雅史(こかい・まさし)1982年生まれ。東京都出身。2005年共同通信社入社。福岡支社で大相撲やサッカー、プロ野球ソフトバンクなどを取材。11年から東京で巨人などを担当。15年からは卓球やラグビーなどをカバーしている。


2014年12月10日

ある左腕の引退に思う 球界再編、移籍、中継ぎ… たくましく生きた高木  

2000年の近鉄入団発表。ドラフト2位の高木康成投手(前列左端)は梨田監督(同左から3人目)の下、プロ生活を踏み出した(1999年12月14日、共同) プロ野球にとって、秋は別れの季節だ。セ・リーグ3連覇を達成した巨人も例外ではない。このオフ、15年目の高木康成投手も戦力外通告を受けた。昨年左肩を手術し、今季は1軍の試合には出場できない育成選手として契約していた。背番号も13から、育成選手が付ける3桁番号の001へと変わっていた。懸命にリハビリに励んでいたが、再びマウンドに戻る夢はかなわなかった。「朝起きて、肩の心配をしなくてもう済むんだよ」。10月のある日。現役引退を決め、練習施設のある川崎市のジャイアンツ球場に荷物整理で訪れていた時に見せた、ほっとしたような表情が忘れられない。

 2012年の12月に私が巨人担当となった時、選手名鑑を眺めながら高木が同学年で同じ3月生まれと知って親近感が湧いた。この年の契約更改では、40試合に登板して防御率1・44をマークして優勝に貢献したことが評価され、1500万円アップの推定年俸4800万円と大幅増となった。決してスターではなく、普段は表舞台に立つことの少ない中継ぎ投手。うれしそうな、でも照れくさそうな、はにかんだ笑顔で取材を受けていたことが思い出される。

 高木は今では数少なくなった、近鉄に在籍したことのある選手の1人でもある。2000年にドラフト2位で静岡高からプロ入り。近鉄には04年までで、05年からはオリックスの所属だ。2004年は「球界再編」として知られる年。高木も球団合併のあおりを受け、分配ドラフトでオリックスへと移籍したのだ。

 

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 小海雅史(こかい・まさし)1982年生まれ。東京出身。2005年共同通信社入社。福岡支社で大相撲やサッカー、プロ野球ソフトバンクなどを取材。11年から東京でヤクルトに続き巨人を担当。


2013年09月04日

職人支えた正確なスローイング 目に焼き付けたい宮本慎也内野手の守備  

基本に忠実で地道な練習の日々が名手宮本を育み、支えた(2013年2月8日、浦添キャンプで、共同) 見栄えのするダイビングキャッチやジャンピングスローを、果たして何度見たことがあっただろうか。8月26日に今季限りでの現役引退を表明したプロ野球ヤクルトの宮本慎也内野手の話だ。球団担当だった昨年までの2年間、毎試合のようにプレーを見たが、記憶をさかのぼってもグラウンドを飛び跳ねる姿が思い浮かばない。その年度に守備で活躍した選手をポジションごとに記者投票で選ぶゴールデングラブ賞の受賞は、セ・リーグ最多の10度を数える。同賞の最年長記録も合わせ持つ名手のプレーは、派手や華麗といった表現とは無縁だった。担当時代、好プレーを好プレーと感じさせない玄人受けする守備を見るのが、私は好きだった。

 正確な送球が、宮本の武器だったと思う。長く遊撃手を務め、30代後半から三塁手にコンバートされた。一直線で見るからに速い、強肩を誇るような送球とは違った。どちらかといえば柔らかく、それでいて一塁手のミットにスポッと収まるのが不思議だった。41歳で迎えた昨年の春季キャンプで、その秘けつを尋ねたことがある。「自分でも肩の力はいつ落ちるかと思ってやっていたけど…」と笑いながら「積み重ね。キャッチボールを肩慣らしじゃなく、スローイングの延長と思ってやっている。小学生の時は、キャッチボールを一日やり続ける練習の日もあった」という答えが返ってきた。

 宮本のキャッチボールは、投手のように体を大きく使い、相手の胸元に投げるのが特徴的だ。「正しい投げ方が身に付いているんだと思う」と言った。実際の守備でも、腰を落とした捕球体勢から、そのまま流れるように体全体を使って投げる。肩だけに頼らないから、体格や体力の衰えにあまり左右されない。上下左右にもぶれない。2011~12年にかけて、長嶋茂雄の持っていた三塁手としての連続守備機会無失策(連続シーズン)のリーグ記録を更新した。ベテランとなっても、少年野球でたたき込まれた送球の正確さは球界随一だった。

 

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 小海雅史(こかい・まさし)1982年生まれ。東京出身。2005年共同通信社入社。福岡支社で大相撲やサッカー、プロ野球ソフトバンクなどを取材。11年から東京でヤクルトに続き巨人を担当。


2012年12月12日

「野村の考え」に学べ 今も生きる名監督の教え  

ヤクルトの選手、スタッフらを前に持論を説く野村克也元監督。今回は選手の心構えがメーンテーマだったが、来年2月には技術論が披露される(11月27日、共同) 11月の終わり、東京都港区にあるプロ野球ヤクルトの球団事務所に球界秘伝のファイルがやってきた。1990年代にヤクルトを3度の日本一に導いた野村克也元監督の考えをまとめた「野村ノート」。選手やチーム関係者は閲覧自由だが、事務所の外への持ち出しは原則禁止という、まさに門外不出の1冊だ。

 今季担当したヤクルトはセ・リーグ3位に終わった。ここ数年は上位争いには絡むものの頂点に届かない。リーグ優勝からは2001年を最後に遠ざかる。優勝奪回のためのオフの目玉が、衣笠剛球団社長が発案した野村元監督を講師に招いた講習会だ。1年を締めくくる恒例の球団納会の前に、選手、監督、コーチやスタッフ全員が集まり、約2時間のミーティングでみっちりと名将の教えをたたき込まれた。

 「中心なき組織は機能しない」「恥を持ってグラウンドに立て」―。ミーティングの内容は、社会人として、プロ野球選手として、選手の持つべき心構えが中心だったという。身だしなみも注意点の一つ。もみあげからあごまで伸びたひげがトレードマークの畠山和洋は「ひげをそりなさい」と名指しで注文を付けられた。今季の畠山は主軸を任されながら、打率2割6分6厘、13本塁打、55打点と全てで昨季の成績を下回った。野村元監督は「お前は中心選手だろう。畠山を見習いなさい、と言われるような選手にならないと」と自覚を説いた。人間的にも尊敬される選手が中心にいるチームは強い。「V9時代の巨人の王、長嶋はチームの模範生だった」とONを引き合いに出して理想を語った。

 

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 小海雅史(こかい・まさし)1982年生まれ。東京出身。2005年共同通信社入社。福岡支社で大相撲やサッカー、プロ野球ソフトバンクなどを取材。11年から東京でプロ野球担当。


2012年03月14日

由規投手を見て思う スポーツにできること  

球界屈指の本格派・由規の力感あふれる投球フォーム(2012年3月4日、札幌ドーム、共同) 故郷を思う気持ちが人一倍の若者にとっては不本意な登板だった。東日本大震災から1年がたった3月11日、仙台市出身のプロ野球ヤクルトの22歳、由規(本名・佐藤由規)投手は、広島県福山市で行われた広島とのオープン戦で先発マウンドを任された。登板前から「一球一球、かみしめて投げたい」と気合十分だったが、三回に打球が右膝下を直撃して無念の降板。球場全体で震災発生時刻に黙とうをささげた時は、すでにベンチ裏に下がっていた。

 2010年に日本投手で最速の161キロをマークした速球派。ドラフト会議の当日に、感極まって涙した甲子園のヒーローを記憶されている方もいるだろう。「内容はいまひとつ。この日に投げられたことに、いろいろと感じるものがあった」。元気なプレーを届けたかっただけに、試合後は複雑な表情だった。

 地震直後はショックを隠しきれないでいた。家族は無事だったが、それでも一時は車の中での生活を余儀なくされたという。本人が普段暮らす埼玉県戸田市の寮では、地震が起きるたびに誰よりも早く部屋を飛び出すほど敏感になった。ようやく交流戦で戻った地元で見た、移動バスの車窓に映るがれきの山。そして仙台育英高時代にバッテリーを組み、兄のように慕った先輩の死。全力プレーを心掛けても、被災地の現実と球場の華やかさとのギャップに戸惑うことは多かったはずだ。故障を繰り返してもどかしさばかりが募るシーズンでもあった。震災の話題には「もう1年なんだな、という気持ち。あっという間と表現していいのか分からないけれど」と口調は慎重になった。

 

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小海雅史(こかい・まさし)1982年生まれ。東京出身。2005年共同通信社入社。福岡支社で大相撲やサッカー、プロ野球ソフトバンクなどを取材。11年から東京でプロ野球担当。