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スポーツリレーコラム

2016年03月02日

「伝え方こそすべて」 手倉森監督のマネジメント  

サポーターに向かい優勝トロフィーを掲げる手倉森監督=ドーハ(1月30日、共同) 「伝え方が9割」というベストセラーがあったが、サッカー男子でリオデジャネイロ五輪出場権を獲得したU―23(23歳以下)日本代表の手倉森誠監督を見ていると「伝え方こそすべて」とでも言いたくなる。低い前評判を覆して優勝したU―23アジア選手権では、コミュニケーションの質がチームを大きく変えた。日本サッカー協会の技術委員会も大会総括の勝因で「監督のチームマネジメント」を挙げたほどだ。

 「周りをその気にさせられないなら監督の資格はない」とまで言う指揮官の真骨頂はイランとの準々決勝。途中出場で決勝点を奪った豊川雄太(岡山)とのやりとりだった。負ければ五輪への道が絶たれる一戦。監督は上背のある相手に対応するため、各位置で最も背の高い選手をピッチに送り出す策を練った。前日の非公開練習で左MFに入ったのは173センチでヘディングも強い豊川。本番前の最も重要な予行演習となるセットプレーの練習でキッカーも務めた。164センチの背番号10、中島翔哉(FC東京)はベンチスタートのはずだった。

 だが試合戦当日の朝、監督は豊川と中島の入れ替えを決める。勝負勘がさえ「ひらめいた」という。ただ、これを選手に伝えるのが難しい。選手は練習の布陣などから自身の起用法を敏感に察し、心身の準備を進める。伝え方を間違えれば、大一番での先発で意欲を高めていた豊川に冷や水をかけることになる。コミュニケーション力が試される場で、指揮官は豊川にこう語りかけた。

 

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 出嶋 剛(でじま・たけし)1980年生まれ、佐賀市出身。スポーツ紙で8年間勤務し、2011年7月に共同通信に入社。大相撲とボクシングなどを担当し、13年からはW杯ブラジル大会などサッカーを主に取材。


2015年07月15日

胸打った厳しい姿勢 準優勝なでしこに「文化」への熱い思い  

カナダから帰国し、記者会見するサッカー女子日本代表の宮間主将(2015年7月7日、共同) 勝負への厳しい姿勢が胸を打った。サッカー女子日本代表「なでしこジャパン」は、2連覇を目指した女子ワールドカップ(W杯)カナダ大会を準優勝で終えた。帰国直後の報告記者会見。宮間あや(岡山湯郷)に「連覇こそ逃したが、代わりに得たものはあったか」との質問が投げかけられた。準優勝を祝うようなムードが満ちた会見場に響いた主将の返答は「一番欲しかったW杯を手にすることができなかったので、代わりになるものは何もない」。卑屈さはなく、自然な口調だっただけに潔さが際立った。勝負師の誇りも感じられ、周囲と同じように健闘をたたえる気持ちで聞いていた記者が「甘い」と戒められたような気さえした。

 質問には、ロンドン五輪と2度のW杯の3大会連続で決勝に進出して得た自信や、チームの団結を示す美談を引きだそうという意図があったように思う。主将の答えは、全く逆だった。「日本のスタイルは通用した」、「内容はよかった」というような言い訳がましい言葉は一切なし。「やるべきことは全力でやった」という思いも明かしているが、一方で並々ならぬ結果へのこだわりがあった。この勝負への執着があったからこそ、下馬評を覆す決勝進出につながったのだろう。

 宮間だけが特別なのではない。記者会見後に取材に応じた他の選手からも「優勝と2位は全く違う」という言葉が次々と聞かれた。準決勝でイングランドを退けて決勝進出を決めた直後には、川澄奈穂美(INAC神戸)が「ほっとした」と語っていたのを思い出す。普段は男子代表を取材する身からすれば、これも驚きだ。男子なら胸をなで下ろすどころか、お祭り騒ぎの快進撃だ。競技人口や大会の歴史が違う男女の単純比較に意味はないと知りつつ、なでしこほど地に足を着けて世界の頂点に挑めるサッカーチームは日本にはないとあらためて感じた。女子には金メダル以外は評価されない、と自らを追い込んで五輪に臨む柔道家のような勝者のメンタリティーが備わっているのではないか。

 

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 出嶋 剛(でじま・たけし)1980年生まれ、佐賀市出身。スポーツ紙で8年間勤務し、2011年7月に共同通信に入社、大相撲とボクシングなどを担当し、13年からはW杯ブラジル大会などサッカーを主に取材。


2014年09月17日

「自由」とどう向き合うか 自主性尊重のアギーレ・ジャパン  

アギーレ・ジャパンのお披露目となった日本ーウルグアイ戦で、支持を出すアギーレ監督(2014年9月5日、共同) サッカーのワールドカップ(W杯)ブラジル大会で1勝も挙げられなかった日本代表が、ハビエル・アギーレ監督の下で4年後のW杯ロシア大会に向けて再始動した。新体制のお披露目となったウルグアイ、ベネズエラ両代表との国際親善試合は1分け1敗に終わったが、鋭い速攻には見応えがあり、新戦力の活躍とともに収穫はあった。監督が与える「自由」と選手がどう向き合っていくかという大きなテーマも見えた。
 アギーレ監督は選手の自主性を重んじ、ピッチ内外で大人扱いする。特に今回は試合までの準備期間が短かったこともあり、戦術面の決まり事は最小限だった。その代わりに求めたのは柔軟さや発想力だ。ベネズエラ戦前のミーティングでは「日本選手の枠から飛び出してほしい。私が指導したことだけにこだわらず、自由にプレーしてほしい」と指示を出したと明らかにした。
 約束ごとが多かったザッケローニ監督体制に慣れた選手にとって、これが何より難しい“お題”だったかもしれない。ベネズエラ戦では、いくつかのパターンを繰り返し練習した守備ラインからの組み立てに拘泥した。相手が前線からプレスをかけてきても、同じように後方からつないだ。前半30分すぎに立て続けに自陣でボールを奪われてピンチを招いた原因だ。
 チームの立ち上げ期の選手には、とりわけ練習の内容を試合で忠実に再現しないといけないという思いが強い。それが代表定着へのアピールになるという思いもある。だがメキシコ人監督が求める本質は違う。「アイデアは与えるが、それを発展させるのは選手の自由。チェスやコンピューターゲームのように、このようにやらないといけないというものではない。ピッチの中で人間がプレーを考えながらやっていくのだ」との考えを浸透させるのが大きな仕事だろう。
 同じように選手に自由を与えたブラジル人のジーコ監督の下で挑んだ2006年ドイツ大会は1次リーグで敗退した。約束ごとや戦術で縛らないことで創造性や真の責任感が生まれるとの信念から選手を大人扱いしたが、それに応えられるほど成熟していなかった。「自由」の重さに耐えられなかった日本はそれ以来、オシム、岡田、ザッケローニと戦術指導にたけた監督が続いている。
 特にイタリア人の前任者は、ボールの位置による体の向きや追い方、味方のマークを外すためのおとりの動きや位置取りなど攻守に事細かく指導した。言われたことに忠実に従う日本選手には合ったやり方だったかもしれない。反面、W杯ブラジル大会では相手との力関係や試合の流れに応じ、ピッチの中で選手が判断して戦うという柔軟性に欠けた。想定外の事態に対する弱さは、決定力不足に並ぶ長年の課題と言っていい。
 ジーコ体制以来、8年ぶりに向き合う「自由」と選手はどう格闘するか。酒井高(シュツットガルト)は「ザックさんみたいに細かく決まり事が多いと、言われた通りに遂行してやられても『それは仕方がない』という逃げが出ることがある。選択肢が与えられた選手は自己主張が問われ、責任感を持ってプレーしなければならない。試合の展開を読んでどう動くか。チームとしてのレベルを上げるには大事なことだ」と意気込む。「自由にプレーしたいと思わない選手はいない。そう思いたい」というアギーレ監督に応えられるか。日本選手の成熟度が試される新体制になりそうだ。

 ★★★アジア大会開催などに伴い本欄は9月24日付から休載し10月15日付から再開します★★★
【写真】アギーレ・ジャパンのお披露目となった日本ーウルグアイ戦で、支持を出すアギーレ監督(2014年9月5日、共同)

 

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 出嶋 剛(でじま・たけし)1980年生まれ、佐賀市出身。スポーツ紙で8年間勤務し、2011年7月に共同通信に入社、大相撲とボクシングなどを担当し、13年からはW杯ブラジル大会などサッカーを主に取材。


2013年07月31日

もっとできるはず!! 元日本代表DF中沢佑二の思い  

W杯南ア大会で16強入りした充足感を胸に帰国後の記者会見に臨んだ中沢佑二(2010年7月1日、関西空港、共同) サッカー日本代表は2014年ワールドカップ(W杯)ブラジル大会のテスト大会、コンフェデレーションズカップで1次リーグ3戦全敗を喫した。3試合で9失点ともろさを露呈したDFの人選を見直すべきだという声も上がっていたころ、J1横浜Mの元日本代表DF中沢佑二と話をする機会があった。

 後輩たちならもっとできる。そんな思いがある35歳のセンターバックは「もっともっと細かいところまで突き詰め、できる限りの事を考えて、いろいろな想定をして戦ってほしい」と叱咤(しった)の言葉を口にした。大会を象徴したゴールは初戦のブラジル戦でネイマールに決められたボレーシュートだという。「世界レベルの相手ではどこかでサボったら失点する。結果論だけど、それがよく現れていた」と指摘した。

 前半3分。左サイドバックのマルセロが弾丸のような左クロスを上げ、フレジが胸で巧みに落とした。ネイマールはそれを右足で完璧にミートし、ゴールにたたき込んだ。アジアレベルではこの流れのどこかでミスが出る。ブラジルの選手は高い技術を連鎖させ、ゴールへと結実させた。

 

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 出嶋 剛(でじま・たけし)1980年生まれ、佐賀市出身。スポーツ紙で8年間勤務しサッカーなどを担当。2011年7月に共同通信に入社、大相撲とボクシングなどを担当、13年からはサッカーも。


2012年12月05日

奮闘する小兵横綱、日馬富士 魅力は精神面の強さ  

白鵬に下手投げを喫し、新横綱の場所を屈辱の5連敗で終えた日馬富士(下)(11月25日、福岡国際センター、共同) スポーツの現場で、体重などで階級が分けられる競技なら別だが、体の小ささがアドバンテージになることは少ない。体を直接ぶつける競技ならなおさらだ。サイズを補う特別な武器を持っていない選手はたいていの場合、淘汰(とうた)される。記者自身も体が小さく、野球をしていたころは苦い思いをした。だからこそ小兵の奮闘には心を動かされ、いつの間にか応援していることがある。

 大相撲の日馬富士は、新横綱として臨んだ九州場所で幕内最軽量の133キロだった。瞬発力や相手の動きに対する対応力といったアスリート的な資質に優れ、幕内の平均体重が160キロを超える土俵で大立ち回りする。

 何よりの魅力は闘争心などの精神面の強さだ。稽古熱心は有名で、新弟子時代は何度負けてもかみつかんばかりの表情で「もういっちょ」と兄弟子たちに向かっていった。それが行きすぎ、品格面に疑問符が付く行動が多かったのも否定できない。巡業での若い力士に対する必要以上に厳しい稽古や駄目押しは、敬愛する元横綱朝青龍とのイメージが重なる部分もあった。

 

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 出嶋 剛(でじま・たけし)1980年生まれ、佐賀市出身。スポーツ紙で8年間勤務しサッカーなどを担当。2011年7月に共同通信に入社、大相撲とボクシングを担当。


2012年02月29日

浮かない思い、吹き飛ばすか 亀田家と因縁の清水智信  

復帰戦決定にもどこか浮かない表情の清水智信(右)と、その後の清水を待ち受ける左から大毅、興毅の亀田兄弟(2月13日、共同) 世界ボクシング協会(WBA)から休養扱いの王者とされたスーパーフライ級の清水智信(金子)が、4月4日に横浜アリーナで同級チャンピオンのテーパリット・ゴーキャットジム(タイ)とタイトルマッチを行う。2月13日の記者会見。待望の復帰戦が組まれたというのに、東京都内の亀田ジムに姿を見せた清水の表情は浮かなかった。「この試合に勝てば、すべてのモヤモヤを吹き飛ばすことができる」。こんな思いをよそに休養認定の経緯でもめたうえ、会見場所が興行を主催する亀田ジムとあっては居心地が悪そうで、出てくる言葉もどこか歯切れが悪かった。

 隣には同じ日に試合をする同バンタム級チャンピオンの亀田興毅とスーパーフライ級の亀田大毅が座っていた。階級が同じ大毅は、清水がテーパリットに勝った場合「チャンスがあればやるよ」と挑戦の意向を表明。1階級上の興毅も「大毅が(清水戦で)アカンかったら、おれが行くから。おれも(4階級目の世界タイトルとなる)スーパーフライ級がほしい。清水選手はチャンピオンになったら忙しいよ」と言い放った。興行権の関係で、亀田側は清水の防衛戦を計画できる。清水は籠の鳥の感があった。

 この亀田兄弟との対決で思い出されるのは、先に現役を引退した元世界ボクシング評議会(WBC)フライ級チャンピオンの内藤大助だ。興毅との舌戦から亀田家との因縁に火が付き、2007年10月に大毅と対戦。反則行為を連発した相手を大差の判定で退けて「国民の期待に応えられた」と語り、一躍時の人となった。09年11月、敵討ちとばかりに出てきた興毅に敗れたが、一連の対決を通して大いに知名度を上げ、印象深い王者として歴史に名を残した。

 

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出嶋 剛(でじま・たけし)1980年生まれ、佐賀市出身。スポーツ紙で8年間勤務しサッカーなどを担当。2011年7月に共同通信に入社、大相撲とボクシングを担当。