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スポーツリレーコラム

2015年04月22日

200バタ専念の松田に心打たれる 競泳、種目選択に悲喜こもごも  

ロンドン五輪の200メートルバタフライで前回北京大会に続く銅メダルを獲得した松田丈志(2012年8月1日、共同) 「第2コースは棄権します」。アナウンスに一瞬、耳を疑った。スタート台に立つはずだった松田丈志(セガサミー)の姿がない。競泳の日本選手権第2日、4月8日のことだ。世界選手権の代表を懸けた大会で、松田は男子200メートル自由形の出場を取りやめ、予選を棄権した。この種目の決勝と同じ日に予選と準決勝がある、200メートルバタフライに専念するためだった。
 200メートル自由形は、男子800メートルリレーの代表を争うレース。同リレーの日本は、前回の世界選手権で3位の中国にわずか0秒21及ばず5位だったが、ことしの世界選手権、そして来年のリオデジャネイロ五輪でメダルを狙う種目だ。松田は代表入りするだけの力は持っていたし、大黒柱としてリレーメンバーを束ねる役割も果たせる存在だ。
 しかし松田は「もう一度、200メートルバタフライで自分らしい泳ぎをして優勝したい」と、2008年北京、12年ロンドン五輪で2大会連続銅メダルを獲得した、ひときわ思い入れの強い種目に懸けた。ロンドン五輪以降、この本命種目では納得のいく泳ぎができていない。13年の世界選手権は決勝に進めず、昨年の仁川アジア大会では若手にこの種目の代表を譲ったが、松田の代名詞といえばバタフライ。誰もが認める猛練習を積んで、全盛期の“怪物”マイケル・フェルプス(米国)に勝負を挑み、食らいついてきた。
 国内では瀬戸大也(JSS毛呂山)らが台頭し、代表争いが熾烈(しれつ)な種目の一つだ。代表枠は最大で「2」。3位以下なら世界選手権への道は絶たれる。松田はレースの2日前まで悩んだ末に、バタフライ1本で勝負することを決断した。幼少期から松田を指導し、一昨年コンビを復活させた久世由美子コーチは「安全パイはいらない。どっちつかずになるのは嫌。もし代表に入れなくても後悔しない、リオまで迷わないというなら、(自由形は)棄権してもいいんじゃないかという話をした」と明かした。
 覚悟を決めて挑んだレースは、序盤から軽やかな泳ぎで150メートルをトップで通過した。強い決意を体現するかのような積極的な泳ぎっぷりだったが、松田の武器である最後の50メートルで推進力を失った。結果は3位。代表から外れた。それでもへこたれた様子は見せなかった。「最後は持たなかったが、最高の泳ぎができた。可能性を感じている部分はある。リオデジャネイロ五輪は何としても出たい舞台。簡単には諦め切れない」との力強い言葉に心を打たれた。
 松田と同じように、ベテランの藤井拓郎(コナミ)も選択を迫られた。ロンドン五輪で男子400メートルメドレーリレーの最後の自由形を泳ぎ銀メダル獲得の立役者となった男が、100メートル自由形を泳がず、日程の重なった100メートルバタフライに懸けた。藤井はレース前から「負けたら引退」と宣言。腹をくくって臨んだレースでは、終盤に猛然とまくって優勝した。レース後のインタビューでは「引退かもしれないので両親が見にきてくれましたが、どうやらもう1年やれそうです」と笑いを誘った。
 多種目挑戦で注目を集める万能スイマー、萩野公介(東洋大)を筆頭に、このところ「どの種目を泳ぐのか」ということが大事な取材テーマになっている。萩野は昨年、一昨年の日本選手権で6種目にエントリーしたが、ことしは背泳ぎ2種目の出場を見送り、4種目にとどめた。憧れのフェルプスのように、泳ぐ種目すべてで金メダルを取れれば理想的だが、萩野は「自分はまだ世界で金メダルを取っていない。まず金を取ることを最重要として今年はやっていきたい」という。背泳ぎはもともと最も得意とする泳法だけに、葛藤はあっただろう。3月まで悩み、最も頂点に近い個人メドレーを最優先した。
 対照的に、ターゲットを広げつつあるのがライバルの瀬戸だ。萩野と覇権を争う個人メドレー2種目に加え、昨年は200メートルバタフライでブレークして世界一を狙える位置にいる。日本選手権では、松田が欠場した200メートル自由形でも萩野に次ぐ2位に躍進し、リレーの代表の座も確保。さらに、これまであまり泳いでいない100メートルバタフライにもエントリーしていた。結局出場は見送ったが「一つでも多く代表権がほしい。絞ったら絞ったで集中できると思うが、たくさん泳いでふらふらになって、それでもふたを開けたらいい結果、ということも多い」と色気を隠そうとしない。
 平泳ぎと個人メドレーを泳ぐ女子のエース、渡部香生子(JSS立石)も含め、日本でも多種目で世界に通用する選手が増えた。エントリーはそれぞれの種目で自身の立ち位置を見極めることに加え、競技日程、順序にも左右される。様々な思惑が入り交じり、その結果に悲喜こもごもがある。五輪イヤーとなる来年は、ことし以上に競技人生の分岐点となる選択もあるだろう。各選手の思い、個性が表れるこうした種目選びも、競泳の一つの面白みだと思っている。


【写真】ロンドン五輪の200メートルバタフライで前回北京大会に続く銅メダルを獲得した松田丈志(2012年8月1日、共同)

 

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 菊浦 佑介(きくうら・ゆうすけ)1983年生まれ。鹿児島県出身。2006年共同通信社入社。福岡支社運動部、大阪支社社会部を経て10年5月から本社運動部で水泳、スピードスケート、東京五輪などを担当。


2014年10月22日

2度目の東京五輪が目指すものとは? 開催意義、語り継げる大会に  

「五輪で世界を変えよう」2020年東京五輪・パラリンピックの大会ビジョン骨子が発表され、ガッツポーズでエールを送る五輪出場経験者ら(2014年10月10日、共同) 1964年東京五輪の開会式から50年を迎えた10月10日、2020年東京五輪・パラリンピックの新たなビジョンの骨子が発表された。招致段階で掲げた「Discover Tomorrow ~未来(あした)をつかもう~」というスローガンを具体化するものとして、新たなビジョンの骨子「スポーツには、世界と未来を変える力がある。1964年、日本は変わった。2020年、世界を変えよう」が打ち出された。
 この骨子の基本コンセプトとして「すべての人が自己ベストを目指そう」「一人ひとりが互いを認め合おう」「そして、未来につなげよう」の3項目も出た。「スローガン」「ビジョン」「骨子」「コンセプト」…。さらに「ビジョンの骨子の要約」というものもあった。節目の日のイベントの中で、2度目の東京五輪へ向けた気運を盛り上げる狙いがあったが、正直に言って取材していて頭が混乱しそうだったし、ピンとこなかった。
 それでは、20年東京五輪・パラリンピックが目指すものは、一体何か。東京にとどまらない日本全体の活性化、コンパクトで選手に負担の少ない会場計画、安心・安全・確実な大会、スポーツに親しむ環境の整備、日本の最先端技術の発信、東日本大震災の復興への寄与…。ぱっと思い浮かぶだけでいろいろと出てくる。ただ、これという決め手がない。即答できる人も、少ないのではないか。
 50年前、五輪を開く意義は明確で、誰もが分かるものだった。五輪開催によって敗戦から立ち直った姿を世界に発信し、高度経済成長の一つの原動力ともなった。時代は変わり、当然のことながら20年は同じようにはいかない。価値観は多様化しており、震災からの復興をはじめ日本社会には解決すべき課題が山積している。日本国民の大多数が共感するような方向性を導き出すのは非常に難しいと思う。
 今回のビジョンをつくるにあたり、大会組織委員会はスポーツ団体や有識者、アスリート、自治体などにとどまらず、ホームページ上では一般からも意見を募ったほか、全国の小中学校から作文も集めた。たくさんの意見から共通項を探し出してできあがったのが、冒頭のビジョンの骨子だ。組織委の担当者は「すべての意見を取り入れることはできないし、どうまとめるか非常に難しかった」と漏らした。その通りだろう。
 そもそも20年大会は世論の盛り上がりを受けて招致したわけではなく、招致段階では開催支持率アップが大きな課題だった。開催が決まって徐々に気運が盛り上がりつつある一方で、メーンスタジアムとなる新国立競技場には依然根強い反対意見があり、震災復興を阻害するとの懸念もある。被災地からは厳しい意見もある。
 思い出すのは、50年前の開会式で聖火をともし、9月に亡くなった坂井義則さんの言葉だ。昨年取材させていただいたとき、熱っぽく語っていたのが忘れられない。「今考えると感動で、感激で、すごく純粋で。理屈なんか抜きにね。今の日本はつかみどころがなくてよく分からん。だからそういう意味で東京五輪をもう一回やりたいって思うわけ。みんなで協力しよう、一致団結しよう、一つの目標に向かって。今、そういうムードがないでしょ、日本は。それをもう一回、若い子に経験させたらどうかなって思う」
 成熟国家となった今、五輪は日本全体が何かに向かって突き進む数少ないチャンスであり、それを実現できる可能性があるのが五輪なのだろう。まだ私はロンドン、ソチと夏冬1度ずつの取材経験しかないが、五輪にしかないパワー、高揚感があることは感じた。東京が何を目指すべきか、これだと断言できるものはないし、答えがあるのかどうかも分からない。ただ、20年大会が終わった後、坂井さんのように開催意義を語り継げる人が1人でも多く出てくればと願っている。


【写真】「五輪で世界を変えよう」2020年東京五輪・パラリンピックの大会ビジョン骨子が発表され、ガッツポーズでエールを送る五輪出場経験者ら(2014年10月10日、共同)

 

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 菊浦 佑介(きくうら・ゆうすけ)1983年生まれ。鹿児島県出身。2006年共同通信社入社。福岡支社運動部、大阪支社社会部を経て10年5月から本社運動部で水泳、スピードスケートなどを担当。


2013年11月20日

世界を転戦、荷物が届かなくても… 移動も苦労のスピードスケート陣  

ソルトレークシティーで調整の合間に言葉を交わす日本の両エース、長島圭一郎(右)と加藤条冶(2013年11月15日、共同) またこの季節がやってきた。担当するスピードスケートのシーズンが開幕し、ソチ冬季五輪の出場枠を争うワールドカップ(W杯)も始まった。世界各地を転戦する選手を追い掛けてレースを取材するが、氷上での戦いとともに移動の苦労も目の当たりにしている。

 第1戦(11月8~10日)が行われたカナダのカルガリーから、第2戦(11月15~17日)の開催地、米ソルトレークシティーへ向かった。たまたま選手と同便での移動となった。早朝の空港でチェックインに並んでいたところ、日本代表の今村俊明監督から「今日は荷物届きませんよ、覚悟しておいてください」と声をかけられた。何のことやらと思ったが、どうやら預け入れの荷物をすべて積み込めないという。

 選手の荷物は膨大だ。機内に持ち込むバッグとは別に、ほとんどの選手が道具、食料を詰めたスーツケースを二つ持ってきている。そのほかにマッサージ用のマットレスなどかさばる物も多く、選手によっては練習用の自転車まで持ち運ぶ。今回の便は、100人も乗れないほどの小さな航空機だった。海外勢も含めて乗客の大半をスピードスケート選手が占めたため、小型の飛行機には積めない量の荷物が殺到した。

 

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 菊浦 佑介(きくうら・ゆうすけ)1983年生まれ。鹿児島県出身。2006年共同通信社入社。福岡支社運動部、大阪支社社会部を経て10年5月から本社運動部で水泳、スピードスケートなどを担当。


2013年02月06日

海外遠征の食事情 しっかり食べないと…  

ロシア・モスクワ郊外コロムナのハンバーガーチェーンにて。これは世界中どこに行っても裏切らない。海外のスケーターもこぞって来店していた。(2012年11月、菊浦佑介撮影) 仕事柄出張が多く、旅先の名物に舌鼓を打つのも楽しみの一つだ。ただ、海外では口に合わないものが多かったり、現地の料理に飽きたりと、どうしても米など和食や、慣れ親しんだ食事が恋しくなる。われわれは1度や2度の食事を抜いたところでどうということはないが、選手にとってはしっかり食べることも仕事の一つと言っていい。どこに行って何を食べても大丈夫、という者もいる一方で、ベストパフォーマンスを出すために食事の工夫をするアスリートも多い。

 昨季から担当するスピードスケートは、シーズン中海外遠征が続き、1、2ヶ月に及ぶこともある。日本代表の女子選手は、トラベルクッカーを持参する選手が多いという。小さな角形の鍋をコンセントにつないで調理するもので、湯を沸かすことから米を炊くことまでできる。朝おにぎりを作って、試合会場に持っていくことが多いのだそうだ。最近は代表チームに同行する国立スポーツ科学センター(JISS)のスタッフもおにぎりを作ってくれるそうで、主に男子選手から注文が殺到している。

 首脳陣も手慣れたもので、日本代表監督を務めることが多い今村俊明・日本スケート連盟スピード強化副部長は15年ほど前に購入したというトラベルクッカーを持ち運ぶ。自慢の逸品は袋ラーメン。地元スーパーで卵や野菜、にんにくなどの食材を買い込み、選手たちに振る舞う。私も先日、ハンバーガーチェーンに通い詰めてしまったロシアの田舎町でごちそうになり、おなかも心も満たしていただいた。

 

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 菊浦 佑介(きくうら・ゆうすけ)1983年生まれ。鹿児島県出身。2006年共同通信社入社。福岡支社運動部、大阪支社社会部を経て10年5月から本社運動部で水泳、スピードスケートなどを担当。


2012年02月22日

「脱マイナー」の新たな挑戦  ライブハウスでセパタクロー  

ライブハウスでの熱戦。セパタクローのスピード豊かでアクロバティックな動きに息をのむシーンも。 関係者にはいつも申し訳なく思っているが、普段その競技の記事を書く機会はほとんどない。新聞で、競技名が載っているのを見たことも数えるほど。それでも最近、妙に心を動かされているマイナースポーツがある。セパタクローだ。

 マレー語で「蹴る」を意味する「セパ」と、タイ語で「ボール」を意味する「タクロー」。バドミントンと同じ広さのコートで、3人もしくは2人1組のチームがネットをはさんでボールを蹴り合う、足を使ったバレーボールのようなスポーツだ。サッカーで言うところのオーバーヘッドキックやバイシクルシュートのようなアタックは迫力満点だ。五輪のアジア版であるアジア大会では正式競技として採用されている。タイ、マレーシアなど東南アジアが発祥で、タイにはプロリーグもある。

 このスポーツと出会ったきっかけは、2010年広州アジア大会でたまたま私の担当競技の一つにセパタクローが入っていたことだった。初めて取材したのは、夏の盛りにある大学の体育館で行われていた全日本選手権だった。殺風景な会場で空調もなく、観客は選手の関係者のみ。熱戦は繰り広げられていたが、どこか粛々とした雰囲気が漂い、盛り上がりはいまひとつだった。

 

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菊浦 佑介(きくうら・ゆうすけ)1983年生まれ。鹿児島県出身。06年共同通信社入社。福岡支社運動部、大阪支社社会部を経て10年5月から本社運動部で水泳、スピードスケートなどを担当。