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スポーツリレーコラム

2015年01月14日

ファンの夢考えて対応を アギーレ監督疑惑で  

報道陣に囲まれ八百長疑惑の質問に重い口を開く日本サッカー協会の大仁邦弥会長(中央)(2014年12月18日、共同) 昨年12月中旬に担務が変わり、サッカー担当デスクとなった。まさにその初日、現地時間15日に日本代表のアギーレ監督が、スペインでクラブチームを率いていた時代の八百長関与疑惑で検察当局に告発された。当日夜はお世話になった方の転勤に伴う送別会の予定が入っていたが、結局会社を出たのは11時すぎ。何とか二次会途中から参加できたが、前途に漂う暗雲を感じた1日となった。

 今回のアギーレ監督の一件では、日本サッカー協会の対応のまずさが指摘されている。告発直後、記者会見したのはコミュニケーション部長(広報部長)のみ。大仁邦弥会長は発言を避け、監督の招聘に携わった原博実専務理事は「ノーコメント」と繰り返した。原専務理事は18日の協会理事会後の会見で、アジア・カップ(杯)をアギーレ監督が指揮する方針を示すなどこの件について公の場で語ったが、大仁会長は記者の囲み取材にこそ応じたものの、正式な会見の場は一度も設けていない。

 難しい問題だと思う。告発されたとはいえ、まだ疑惑の段階。スペインの司法制度では告発が裁判所に受理された後で本格的な捜査が開始され、その後嫌疑が固まれば起訴される。有罪、無罪といった判決が出るまでにはさらに長い時間がかかるとみられている。監督自身が「有罪を証明されるまでは何人たりとも無罪だと思うので、仕事をする権利はある。推定無罪は法によって定められている」と話したように、日本協会としても疑いの局面では動きようがないだろう。ただ、アジア杯でも外国人記者から八百長疑惑の質問がアギーレ監督自身にぶつけられたように、この先、2018年ワールドカップ(W杯)ロシア大会のアジア予選を戦う上で、八百長というスポーツの根幹に関わる問題を抱えた監督が指揮を執る弊害は目に見えている。

 

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 山本 地平(やまもと・じへい)1973年生まれ。横浜市出身。2008年3月、他社の運動部記者から共同通信社に転身。大阪支社で遊軍をした後、09年5月から東京運動部でサッカー、12年1月からプロ野球を担当。同12月からデスクを務めている。


2012年10月10日

引き受けてほしかった秋山監督 ごたごた続き、球界大丈夫?  

渋い表情で戦況を見やる秋山監督(8月25日のロッテ戦から、共同) 個人的な意見を言わせてもらえば、引き受けてほしかった。野球の日本代表が3連覇を狙う来春のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に臨む代表監督の就任要請を固辞したソフトバンクの秋山幸二監督のことだ。「現場は無理」という理由以外にも、受諾できない深い訳があったのかもしれない。だが、昨季チームを日本一に導いた実績などを考えても、指揮官として脂がのりきった秋山監督が最適任者だったと思う。

 2006年の第1回は当時ソフトバンクを率いていた王貞治監督(現球団会長)、09年の第2回は巨人の原辰徳監督と、いずれも現役監督が日本代表を指揮した。米大リーガーも含めた一流選手を束ね、日の丸を背負って戦う重圧。ましてや大事なシーズンを前にチームを離れることは、相当な覚悟がいると思う。実際、前回大会後に原監督は「もう一度やってほしいと言われても、引き受けるかどうか。その時は熟考するだろうな」と話したという。

 秋山監督は一貫して兼務は難しいと主張した。シーズン終盤、優勝の可能性がまだあった時期にペナントレース以外の騒動に巻き込まれたことに対するいら立ちも十分に理解できる。それでも、日本野球機構(NPB)関係者が「球界全体のことを考えて、受けてほしかった」と漏らした言葉が記者にも響いた。

 

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山本 地平(やまもと・じへい)1973年生まれ。横浜市出身。2008年3月、他社の運動部記者から共同通信社に転身。大阪支社で遊軍をした後、09年5月から東京運動部でサッカー、12年1月からプロ野球を担当


2012年01月18日

野球でプロアマ、自由化実現への道 「夢の向こうに」が一翼担う  

2004年のシンポジウムで高校生を指導する松坂大輔(右)と工藤公康(中央)の両投手。高校生には夢のような経験だった(2004年1月8日、東京の明治神宮会館で。共同) 昨年12月23日、横浜文化体育館で開催された現役プロ野球選手が高校生に技術指導などを行うシンポジウム「夢の向こうに」を取材して、心底「今の高校生がうらやましいなあ」と思った。

 同日は神奈川・日大藤沢高出身で46歳の山本昌投手(中日)、神奈川・鎌倉学園高出の長田秀一郎投手(西武)らプロ7選手が参加。山本昌は野球の基本となるキャッチボールの大切さや投球の際の体、腕の使い方など細かな技術もステージの上で指導した。神奈川県下から集まった約4千人の高校球児の中には熱心にメモを取る生徒もおり、プロ選手から多くを学び取ろうとする姿が印象的だった。筆者も高校時代には神奈川県で野球に打ち込んだ。その当時、こういった機会があれば「もっとうまくなったんじゃないか」などと夢想してしまった。

 2003年12月に始まった「夢の向こうに」は昨年で全47都道府県を回り終え、一区切りを迎えた。これまではホールなどで行われ、高校生は制服姿で指導を受ける「講義」といった趣だったが、ことしはテストケースとしてグラウンド上で両者がユニホームを着用する形で実施される。高校生から「グラウンドで指導を受けたい」という声が多かったためだという。

 

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山本 地平(やまもと・じへい)1973年生まれ。横浜市出身。2008年3月、他社の運動部記者から共同通信社に転身。大阪支社で遊軍をした後、09年5月から東京運動部でサッカー、12年1月からプロ野球を担当


2011年10月19日

格下相手に勝つ難しさ W杯予選の日本代表、精神面でも圧倒を  

itou.misei.jpg サッカーの日本代表が、2014年ワールドカップ(W杯)ブラジル大会へ突き進んでいる。3次予選の前半3試合を終え、2勝1分けでC組首位。ただ、順調な足取りの中であらためて感じるのが、格下相手から確実に勝利を収めることの難しさだ。

 1―0で辛勝した3次予選初戦の北朝鮮戦(9月2日)が好例だ。相手はJ1川崎でもプレーしたFW鄭大世(ボーフム)1人を前線に残すだけの、いわゆる「ドン引き」状態。必死に守る相手に対し、日本はボール支配率約65%、シュート数20対5と圧倒しながら、ゴールは後半ロスタイムに吉田麻也(VVVフェンロ)が奪った1点にとどまった。

 「きれいなサッカーをしようとし過ぎると足をすくわれる。もう少し強引に、がむしゃらに点を取りにいく姿勢が必要だと思う」。試合後、主将の長谷部誠(ウォルフスブルク)が漏らした言葉が、苦戦に陥った理由を端的に言い表しているような気がした。

 

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山本 地平(やまもと・じへい)1973年生まれ。横浜市出身。2008年3月、他社の運動部記者から共同通信社に転身。大阪支社で遊軍をした後、09年5月から東京運動部でサッカーを担当


2011年07月13日

飽くなき向上心胸に欧州へ 高み見据える香川ら若手有望選手  

itou.misei.jpg サッカーの欧州各リーグの開幕を控え、香川真司(ドルトムント=ドイツ)長友佑都(インテル・ミラノ=イタリア)長谷部誠(ウォルフスブルク=ドイツ)ら海外でプレーする選手たちがつかの間の日本でのオフを終え、続々と各地へ出発した。

 昨季は、香川のドイツ1部リーグ前半戦だけで8ゴールを奪う活躍に始まり、長友のチェゼーナからインテルへの移籍。さらには長友、内田篤人(シャルケ=ドイツ)の欧州チャンピオンズリーグ準々決勝での直接対決など、日本選手が大舞台で躍動した。新しいシーズンで彼らがどんなプレーを見せてくれるのか、今から楽しみだ。

 6月中旬、日本を離れる前の香川にインタビューをする機会があった。移籍1年目の昨季は前半戦の活躍後、1月のアジア・カップでは右足小指骨折と天国と地獄を見た22歳。直接話を聞いていると、その飽くなき向上心がひしひしと伝わってきた。

 

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2011年04月13日

「被災地の力になりたい」 地元に思い寄せるJ1仙台の選手たち  

 東日本大震災の発生から1カ月がたった。この間、取材するサッカー選手たちから「自分たちにできることは何だろう」という声を何度も聞いた。特に自らも被災者となり、現地の実情を知るJ1ベガルタ仙台の面々からは「被災地のために何とか力になりたい」との思いがひしひしと伝わってきた。

 3月11日、仙台イレブンは翌日の試合に向けた練習を終え、思い思いの時間を過ごしていた。午後2時46分、MF関口訓充選手は知人の家、FW柳沢敦選手は自宅で、MF梁勇基選手は車を運転中に大きな揺れに襲われたという。

 これまでに感じたことのない恐怖。梁勇基は「車のタイヤがパンクしたのかと思った」と振り返る。地震後、関口は食料を確保するため、1時間スーパーマーケットのレジに並んだ。「生きることにいっぱいいっぱい。サッカーのことなんて考えられなかった」と述懐した。

 

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2011年02月02日

伝わらないW杯への熱い思い サッカー、アジア杯開催のカタール  

 日本が4度目の優勝を遂げたサッカーのアジア・カップ。激闘を勝ち抜いた選手の活躍に拍手を送りながら、決勝の後の過度な演出による閉会式や、ハリファ競技場周辺に次々と打ち上がる派手な花火をどこか冷めた目で見ている自分がいた。もちろん、日本代表に対してではない。アジア杯の開催国カタールについてだ。
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 カタールは、日本も招致に名乗りを上げた2022年のワールドカップ(W杯)開催が決まったばかり。前評判は決して高くなかったが、世界最大の生産量を誇る天然ガスで潤う財力を背景に、豊富な資金を投入してロビー活動を展開。国際サッカー連盟(FIFA)理事による投票で「逆転勝利」を収め、世界を驚かせた。

 そのカタールの開催能力を示す場ともなった今回のアジア杯。運営には昨年のW杯南アフリカ大会や北京五輪などビッグイベントを経験したスタッフが携わり、大きなトラブルは起きなかった。報道陣には無料で食事が提供され、各会場の有線、無線LANも無料で使用させてもらった。仕事環境は申し分なく、われわれも「資金力」の恩恵をあずかる形になった。

 しかし、大会そのものが盛り上がったかと言うと、疑問符がつく。スタンドは空席が目立つ試合ばかりだったが、もともとスタジアムでサッカー観戦するファンが少ないカタールでは仕方ない。それよりも、もっと根本的なところで冷めているように感じた。

 

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