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スポーツリレーコラム

2016年12月21日

「リレーコラム」個性派がそろうゴルフの「2017年組」 畑岡奈紗がデビューする米女子ツアー  

米女子ゴルフツアー出場権を獲得し、母親の博美さん(右)と喜ぶ畑岡奈紗=デイトナビーチ(共同) 日本女子ゴルフ界の注目の若手、17歳の畑岡奈紗が来季の米女子ツアー(LPGA)参戦の資格をつかみ取った。12月上旬、冬のフロリダ州デイトナビーチで行われた来季出場権を懸けた最終予選会を通過したのは合計で20人。選手の出身地は米国以外にもアジアや欧州など13の国・地域にわたり、17歳の畑岡以外にも個性派がそろった。

 史上最年少で日本女子オープン選手権を制してプロに転向したばかりの畑岡。ギャラリーもまばらな予選会という舞台で、日本のテレビクルーや記者が早朝の練習場から追いかけた。無名の選手が集う会場で、その様子は不思議な光景に映ったようで、大会運営を支える地元ボランティアの女性は「彼女は有名なの」と筆者に話しかけてきたほどだった。「17歳の高校生で、この秋に日本のビッグトーナメントで優勝したんですよ。名前はNASA(ナサ)。スペースシャトルのNASAだから覚えやすいですよね」と教えると、その彼女は「覚えておくわ」とほほ笑んだ。

 畑岡は3日目まで首位に立ち、ショットの完成度の高さを見せつけたが、残り2日間で大きくスコアを落とした。特に最終日は14番まで4ボギー、1ダブルボギーの大崩れ。15番以降の4ホールはパーをセーブし、なんとか踏みとどまった。その重圧は相当なもので、ラウンド後の畑岡からは「寿命が10年縮まりました。もうしばらくゴルフはしたくないです」と本音が漏れた。目に涙を浮かべた母親の博美さんは「私は20年縮まった」と言い、優しいまなざしで娘を見つめる姿が印象的だった。

 

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 吉谷 剛(よしたに・つよし)1975年、北海道出身。放送局勤務を経て2002年に共同通信へ。03年12月から07年まで大阪で阪神などを担当。その後、東京で野球の横浜や大リーグ、卓球やテニスなどスポーツ全般を広く取材。冬季五輪・パラリンピック取材ではソチ支局長を務めた。15年1月からニューヨーク支局勤務。


2014年07月23日

欧米の休暇の感覚に驚く 家族と仕事の関係にも違い  

米大リーグオールスター戦恒例の街頭パレードに参加、ファンに手を振るレッドソックスの上原投手と長男の一真君。父子にとっても得がたい思い出となった。(2014年7月15日、共同) 日本と欧米で価値観が異なることで、代表的なものは夏休みだろう。先日も驚く出来事があった。
 6月にバレーボール男子のワールドリーグ越谷大会で日本と対戦したドイツチームの監督に今後のスケジュールを聞いた時だ。明るい笑顔で「3週間の休みを取る。選手たちには妻や子供たち、家族としっかりと休養を取ってもらう」との答えが返ってきた。欧州の中でも日本に似て勤勉というイメージが強いドイツだけに少し意外だった。
 卓球の元女子日本代表でドイツ・リーグでのプレー経験もある梅村礼さんと先日、話をする機会があった。梅村さんはこの夏まで2年間、日本オリンピック委員会(JOC)の指導者海外研修でオーストリアにあるシュラガーアカデミーに滞在していた。今は夏休みで日本に一時帰国中で、今後もシュラガーアカデミーに拠点を置いてコーチ業に就くとのことだった。彼女も欧州の人たちのバケーションへの考えには最初は驚いたようで「スポーツ界の休みは一般の人よりも短いが、それでもチームのマネジャーは夏休みは一切、メールも返信しないし、携帯電話も出ない」と言う。ここまでのオンとオフの切り替えは、日本ではちょっと難しい。
 休暇を突き詰めると、家族と仕事の関係に行き着く。欧米では家族を大切にし、仕事はその手段という価値観が定着しているが、日本の(男)社会では仕事が人生の大半を占め、家族が優先されるケースはまずないだろう。仕事場に家族が顔を見せることさえほとんどない。
 その意味で、先のワールドカップ(W杯)ブラジル大会では印象的な場面があった。オランダ代表は大半の選手が現地に家族を同行させ、拠点となる練習場の芝生の片隅では子供たちがボール遊びをしている様子がテレビに映し出された。ピッチの上では厳しい顔つきで戦うオレンジ軍団も、試合がないオフは子供たちとリラックスした様子で過ごし、次の戦いに備える。ファンハール監督の采配だけでなく、選手に対する環境作りもオランダ4強入りの背景にはあったのではないかと感じさせられた。優勝したドイツも、決勝戦で試合が終わると選手がスタンドに行き、自分の恋人や家族を次々とピッチに招き入れ、喜びを分かち合った。
 米大リーグのオールスター恒例の街頭パレードでも、レッドソックスの上原浩治投手が息子さんと一緒に車に同乗していた。同世代の同じ父親として素直に「かっこいいな」と思えたし、息子さんも父親を偉大な存在として実感したことだろう。
 日本も家族や恋人がパートナーの晴れの舞台に遠慮なく同行してもいいのではないかと思う。日本では女性アスリートの方が元気だ。彼女たちの恋人の男性会社員がたっぷりと有給休暇を取って、応援に行き、試合後はともに泣き笑う。2020年東京五輪の喧騒の中に、そんな温かい景色が自然と映し出される社会になってくれればと思う。


【写真】米大リーグオールスター戦恒例の街頭パレードに参加、ファンに手を振るレッドソックスの上原投手と長男の一真君。父子にとっても得がたい思い出となった。(2014年7月15日、共同)

 

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 吉谷 剛(よしたに・つよし)1975年、北海道出身。テレビ局勤務を経て2002年に共同通信へ。03年12月から07年まで大阪で阪神などを担当。同年12月から東京で、横浜や大リーグ野球担当の後、卓球やテニスを含めスポーツ全般を幅広く取材。ソチ冬季五輪・パラリンピックではソチ支局長を務めた


2013年05月08日

スポーツの能力を数値で 観戦の楽しみ方変える可能性  

 サッカーの強豪、スペイン・バルセロナのエース、メッシがドリブルをしている時のトップスピードはどれぐらいの速さか。大リーグで活躍するイチローのヒットゾーンや守備範囲はどれぐらい広いのか。これまで漠然と「すごい」と感じていたアスリートの「能力」を最新のテクノロジーを用いて、数値で解析できる時代が到来している。

 メッシやイングランドのマンチェスター・ユナイテッドの香川真司が契約するアディダス社ではサッカーシューズの足底にICチップを入れ、スピードや走行距離などを計測する技術を実用化した。北米プロリーグでは昨夏のオールスターチームとチェルシー(イングランド)との親善試合で試験的に選手がこのシューズを履いてプレーし、パフォーマンスを数値化した。元フランス代表のストライカー、アンリの走行距離はわずか1マイル(約1・6キロ)で、無駄にボールを追わず効率的に動くベテランのプレーが数字でも証明された形となった。この技術が進化し、ファンが手にする携帯端末などと連動すれば、日本代表の長友佑都がサイドラインを駆け上がった回数やその時のトップスピードの変化などが手元で瞬時に分かるようになる。お気に入りの選手の「ドクン、ドクン」という心拍数の上下動も一緒に体感できる。技術の発達が、サッカーの楽しみ方を変える可能性がある。

 選手の動きを追う技術をトラッキング(追跡)システムといい、このシューズのようにデバイス(装置)を用いて行う方法の他に、最近ではビデオ映像を基にして自動的に分析する技術も発達している。欧州や米国にはスポーツ専門の映像分析会社があり、テニスやサッカー、大リーグで活用される。こうした動く人やものを映像で追跡するシステムは、軍事技術からの応用だという。

 

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 吉谷 剛(よしたに・つよし)1975年、北海道出身。テレビ局勤務を経て2002年に共同通信へ。03年12月から07年まで大阪で阪神などを担当し、同年12月から東京で、横浜や大リーグ野球担当の後、卓球やテニスを含めスポーツ全般を幅広く取材。


2011年11月16日

OLの顔を持ちながら目指す五輪 ハンドボール女子日本代表  

ロンドン五輪のアジア予選、北朝鮮戦で奮闘する上町史織(2011年10月17日、中国・常州、共同) 「走る、跳ぶ、投げる。ダイナミックなこの競技の面白さをもっと多くの人に知ってもらいたい」。ハンドボール女子日本代表の上町史織(北国銀行)が、目を見開いて語った。アマチュアにとって五輪の力は大きい。太田雄貴(京都ク―森永製菓)が北京五輪で銀メダルを獲得し、注目を浴びたフェンシングが好例だ。一握りのプロはいるが、ことしワールドカップ(W杯)で優勝した女子サッカーの「なでしこジャパン」もしかり。周囲の期待をはるかに超えた活躍は、競技の認知度を一変させる。

 10月に中国・常州で開催されたハンドボールのロンドン五輪女子アジア予選は、長く五輪出場から遠ざかる日本代表にとって、千載一遇のチャンスだった。NHKがBSで放送し、スポーツニュースの中で取り上げたことも国内の盛り上げに一役買った。

 4戦全勝で迎えた最終の韓国戦。勝てば1976年モントリオール五輪以来、36年ぶりの五輪出場だった。だが、アジアの王者は強かった。22-27の力負け。日本代表のスタッフの一人がつぶやいた。「アジア予選で枠が一つとは少ないですよね」。団体競技は五輪への門戸が狭いことをあらためて痛感させられた。

 

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吉谷 剛(よしたに・つよし)1975年、北海道出身。テレビ局勤務を経て2002年に共同通信へ。03年12月から07年まで大阪で阪神などを担当し、同年12月に東京に異動。横浜や大リーグ野球担当の後、卓球やテニス、JOCなどを幅広く取材。


2011年08月31日

ナダルは東京がお気に入り? 今年もジャパン・オープンに出場  

 10月3日開幕のテニスの楽天ジャパン・オープンに今年もラファエル・ナダル(スペイン)が出場することになった。世界ランキング1位の座はノバク・ジョコビッチ(セルビア)に譲っているが、現役で最高の選手の一人であることは間違いない。昨年、初来日で初優勝を飾った際に「来年も戻ってきたい」と話していたナダルが、その約束を守ってくれたことにまずは感謝したい。

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 福島第1原発事故の影響でトップ選手が欠場するのではという声もあった中で、ナダルの2年連続参戦は大会関係者の努力のたまものと言っていい。

 

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吉谷 剛(よしたに・つよし)1975年、北海道出身。テレビ局勤務を経て2002年に共同通信へ。03年12月から07年まで大阪で阪神などを担当し、同年12月に東京に異動。横浜や大リーグ野球担当の後、卓球やテニス、JOCなどを幅広く取材。


2011年06月08日

若手伸び悩む現状に苦言 意識改革求めるクルム伊達公子  

itou.misei.jpg 8畳ほどの小さな記者会見場の空気が、ピンと張り詰めた。テニス女子のクルム伊達公子(エステティックTBC)が全仏オープンの女子ダブルス2回戦で敗退が決まった5月26日。試合後の記者会見で自身の総括からやや脱線し、若手が伸び悩む日本のテニス界に話題が移った時だ。

 「ジュニア時代は強いけどプロになってから足踏みする。アップ(成長)の幅が落ちるのは昔と同じ」「海外の選手はホテルや大会会場のジムでいつもトレーニングをしている。強い選手ほど意識が高い。日本の若手はもっとやれることがある」。世界のトップを肌で知るクルム伊達だからこその意見が続いた。

 クルム伊達は、常に日本のテニス界の発展を願ってきた。1990年代の全盛期もそうだったと聞くし、昨年の広州アジア大会の時も躍進著しい中国やインド、カザフスタンなどの台頭に、最も強い危機感を示したのは彼女だった。「日本のテニスはこのままでは世界から取り残されてしまう」。その予感は、会見から1週間余り後の6月4日に李娜(中国)のアジア選手初の四大大会シングルス優勝という形で的中した。

 

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 吉谷 剛(よしたに・つよし)1975年、北海道出身。テレビ局勤務を経て2002年に共同通信へ。03年12月から07年まで大阪で阪神などを担当し、同年12月に東京に異動。横浜や大リーグ野球担当の後、卓球やテニス、JOCなどを幅広く取材。


2011年03月09日

「英才教育」で逸材が続々台頭 卓球界を盛り上げる小学生たち  

 多数のカメラと報道陣が追い掛けた。その先にいたのはスター選手の福原愛(ANA)や石川佳純(ミキハウスJSC)ではなく、小学生の女の子たち。1月に東京体育館で開催された卓球の全日本選手権では小学生の活躍が相次ぎ、話題になったのは記憶に新しいところだ。
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 10歳で小学4年生の伊藤美誠(豊田町スポーツ少年団)と、平野美宇(ミキハウスJSC山梨)が一般の部で福原愛(ANA)が持っていた最年少勝利記録を塗り替え、5年生の加藤美優(TOM)や6年生の浜本由惟(すみよし長居T・C)といった選手も自分たちより年上の選手を倒して、会場を沸かせた。あどけない少女が卓球台の前に立つと、きりっとしたアスリートの目つきに変わる。過去にも福原や石川ら小学生で活躍し始めた選手はいたが、一つの大会でこれだけの「タレント」が出てきたことはない。17歳の石川が初優勝し、2011年の全日本選手権はティーンエージャーが盛り上げた大会として記憶に残ることになった。

 小学生の台頭が目立つようになった背景を考えると、「英才教育」と「好循環」というキーワードにつきあたる。上記の選手たちはいずれも、卓球経験のある親の影響で3~5歳から競技を始めるようになった。さらに、日本卓球協会が指導のノウハウを伝える指導者向けの研修会を開くようになり、その結果、地域の卓球教室のレベルが充実した。伊藤が所属する静岡県のクラブは男子のトップ選手、水谷隼(明大)の出身クラブでもある。
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 また、全国大会も年代別に整備され(小学2年生以下のバンビの部、3・4年生のカブの部、小学5・6年生のホープスの部)同年代で切磋琢磨する機会が増え、子どもたちのレベルが上がっていった。毎年7月に開催される小学生の全国大会はその年代別の頭文字から「ホカブ」と呼ばれ、会場はステージママならぬ卓球ママが、我が子を応援する姿で埋め尽くされるという賑わいぶりだ。日本卓球協会が2001年から本格的に整備してきたこの仕組みは順調に機能し、コンスタントに才能のある子が全国の各地から輩出されるようになった。日本協会の前原正浩専務理事は「福原や石川は一握りの才能だったが、いまは才能のある子が複数いて層が厚くなっている」と話す。

 かつての福原と同じように、パワーで劣る面をスピードでカバーするプレースタイルは伊藤や平野らに共通する。台上近くで構えて球の跳ね際をたたくバックハンド(BH)のカウンターは、大人顔負けのスピードを持つ。だが、こうした戦型は「弊害」もあるとの指摘もある。BHはフットワークを使わずに相手の力を利用して打てるため、大人と対戦する時はどうしてもBHに頼ってしまう。その結果、フットワークとパワーが必要なフォアハンドの力が劣ってしまうという問題だ。

 

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吉谷 剛(よしたに・つよし)1975年生まれ。北海道出身。テレビ局勤務を経て2002年に共同通信へ。03年12月から07年まで大阪で阪神などを担当し、同年12月に東京に異動。横浜や大リーグ野球担当の後、卓球やテニス、JOCなどを幅広く取材。


2010年10月20日

強さの秘密は「ハイブリッド」 40歳のクルム伊達公子   

 金字塔まであと1勝のところで、力尽きた。17日まで大阪で行われたテニスのHPジャパン女子オープンで、40歳のクルム伊達公子(エステティックTBC)が決勝でタマリネ・タナスガーン(タイ)に敗れ、女子ツアーシングルス最年長優勝記録更新を逃した。記録は1983年にビリー・ジーン・キング(米国)が作った39歳7カ月。40代プレーヤー初の優勝という快挙はかなわなかった。
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 ツアー大会の中では格付けが低く、トップ選手の大半が出場していなかったとはいえ世界ランキング8位(当時)のサマンサ・ストーサー(オーストラリア)らを破っての準優勝は立派な成績だ。1週間で5試合を戦い抜くのは20代の選手でも厳しく、クルム伊達が「最後のチャンスでしょう」と語ったのは、本音だろう。

 あらためて思うのが、40歳の彼女が20代の選手に交じり「どうして互角に戦えるのか」という素朴な疑問だ。負けず嫌いで妥協のない性格、ブランクの間もフルマラソンに挑戦していた体力など、それなりの理由は挙げられるが、何か物足りない。筆者はこの2年、世界で戦う彼女を見てきて、この謎をひもとくキーワードを考えてきた。そこで思い付いたのが、自動車で主流になってきた「ハイブリッド(異質のものの混成物)」という言葉だ。

 

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吉谷 剛(よしたに・つよし)1975年生まれ。北海道出身。テレビ局勤務を経て2002年に共同通信へ。03年12月から07年まで大阪で阪神などを担当し、同年12月に東京に異動。横浜や大リーグ野球担当の後、卓球やテニス、JOCなどを幅広く取材。


2010年07月28日

「リオ五輪で金!」 本気で目指す日本テニス協会  

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 多くの人の想像を超える結果を出すには、周りから無謀と思われる発想であったり、時に摩擦を引き起こすほどの強引な手腕でことに当たる必要がある。日本テニス協会がこのほど立ち上げた「G-Project」は、2016年リオデジャネイロ五輪で金メダルを取る、という壮大な計画だ。主に女子の強化を目指すものだが、従来の当たり障りのない強化プランから一転して、関係者の日本テニス復活に懸ける強い意気込みが伝わってくるものだ。

 「G-Project」の概要は次の3つだ。①女子ダブルスでの金メダル獲得に焦点を合わせ、シングルスの強化も併せて図る②対象選手を現在20歳前後の10数人に絞る③協会の強化担当者によるプロツアーの同行日数を増やし、継続的な強化を行う。

 

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吉谷 剛(よしたに・つよし)1975年生まれ。北海道出身。テレビ局勤務を経て2002年に共同通信へ。03年12月から07年まで大阪で阪神などを担当し、同年12月に東京に異動。横浜や大リーグ野球担当の後、卓球やテニス、JOCなどを幅広く取材。


2010年05月06日

残した成績がすべての厳しい世界 テニスのランキング制度  

 スポーツの中で、最も選手の順位付けがはっきりしている競技は何か。テニスこそ、その代表格ではないだろうか。理由は選手が残した成績だけが、そのまま反映される公平なランキング制度があるからだ。

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 テニスの世界ランキング(WR)は1年、52週間の成績で得たポイントで決まる。男子のATPツアーは年間で60数試合、女子のWTAツアーは50数試合を世界各地で実施する。ピラミッドのように格付けされた大会の最上位は、ウィンブルドン選手権などの四大大会だ。試合で獲得できるポイントは大会の格によって異なり、四大大会で優勝すれば2000ポイント。東京で開催される女子の東レ・パンパシフィック・オープンは上位に格付けされた大会で、昨年優勝したマリア・シャラポワ(ロシア)は800Pを得た。

 

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2010年01月20日

「敗れ去った者たち」 五輪代表選考会で見た深い哀感  

 2009年の年の瀬、バンクーバー冬季五輪への最後の切符を懸けた選考会の現場に居合わせた。4年に1度の大舞台へ、これまで積み重ねてきた努力が実を結ぶかどうかが決まる厳しい戦いが目前で繰り広げられた。翌日の紙面を大きくにぎわすのは「勝者」や「選ばれた者」であるのは仕方がない。今回はコラムという場を借り、「敗れ去った者たち」の姿にスポットを当ててみたい。
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 12月27日、フィギュアスケートの全日本選手権最終日は女子のフリーが実施された。五輪出場の残り2枠を争うものだったが、実績などからSP首位の浅田真央(中京大)がフリーでよほど乱れない限り、代表になるのは確実だった。もう1枠を鈴木明子(邦和スポーツランド)中野友加里(プリンスホテル)村主章枝(AK)の誰が勝ち取るかが焦点だった。結果は、今季に入って安定感と表現力に磨きをかけた鈴木が中野にわずか0・17点差で五輪代表の座を手にした。

 前回のトリノ五輪で代表を逃し「今回が最後の五輪への挑戦」と位置付けていた中野は全員が演技を終え、しばらくしてから腫れぼったい目で取材エリアに現れた。負けん気の強さで知られる中野はカメラの前では泣かないと決めていたのだろう。「この大会まで何度も全日本のことが夢に出てきた。この気持ちは続かない。ようやく解放される」と思いを口にした。ただ彼女の武器でもある3回転半ジャンプを封印したことに質問が及ぶと「リスクを考えてやらない方がよかったと思うけど、やりたかったという気持ちもある」。それまで気丈に話していた中野の表情が少しうつむき、後悔の念が浮かびあがったように見えた。

 

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2009年09月23日

“マイナー競技”の悲哀 アーチェリー世界選手権取材で感じたこと  

 スポーツ記者をしていて野球やサッカーなどのメジャー競技を取材する機会は多いが、いわゆるマイナースポーツと言われる競技を目にする機会は五輪などの総合大会でもカバーしない限り、ほとんどないと言っていい。その数少ないチャンスが突然、舞い込んできた。9月上旬に韓国の蔚山で開催されたアーチェリー世界選手権の団体で、日本は男子が3位決定戦に、女子は決勝に進出を決めた。史上初のアベックメダルの可能性が出てきたことから、急きょ2泊3日の海外出張を命ぜられた。
アーチェリー
 8日午前、成田発の航空機に飛び乗り釜山の空港に着いたのが午後1時半過ぎ。競技場は空港から60キロほど離れた場所にあり、タクシーで会場に着いたのは試合開始10分前の3時ごろとバタバタの移動だった。もちろん、息も荒い筆者のことなどお構いなしに、男子の3位決定戦(対中国)が始まった。3人で戦う団体戦は1人1本ずつ、3人で3本を1回のローテーションとし、合計8回(矢の数では24本、得点では240点満点)の合計点数で勝負を決める。

 70メートル先の的を狙うが、中心の10点のエリアはわずか直径12センチ。ちょっとしたミスが勝敗を左右する戦いで、アテネ五輪個人銀メダリストの山本博(日体大女短大教)を中心とする日本は中国を破り、32年ぶりの銅メダルを手にした。続いて行われた女子決勝での日本は王者・韓国に敗れはしたものの、6年ぶりの銀メダルを獲得。日本のアーチェリー界にとって歴史的な一日を目撃する機会に恵まれた。
 
 翌日の大会最終日は個人戦の準決勝、決勝が実施されたが、日本選手は勝ち上がっていなかったため、日本代表の関監督と全日本連盟の秦常務理事から「アーチェリー界の現状」についてじっくりと話を聞いた。「選手は大学を卒業しても競技を続けられる環境がない。受け皿となってくれる企業も減っている」「大会にスポンサーなんて夢の話、企業は見向きもしない」「2016年の東京五輪招致が決まってくれれば、夢の島公園に会場が新設される。そうなれば都心でも大きな大会を開催できるようになり、競技人口の増加につながる」

 こうした現場の人たちが抱える問題点や悩み、願望はアーチェリーに限らず、おそらくメジャー以外のどの競技にも共通していることなのだと思う。関係者の方々は日々、競技力の向上や普及に尽力されているのだろうが、一方で今回初めて取材をしてみて「アーチェリーはまだ自分たちの競技が持つ魅力を十分に活用できていない、世間に伝え切れていないのではないか」とも感じた。
 
 アーチェリーは気持ちの揺れが矢のぶれにもつながる、非常に見応えのあるスポーツだった。少ない固定カメラで中継もでき「ネット向き」のコンテンツにも思えた。会場も100メートルの直線距離があれば競技を行え、現に欧州の大会では街の広場などに特設会場をつくり実施しているという。行政や法律、安全面の問題もあるのかもしれないが、日本でも都会の公園や道路、港などで大会が実施されたら、ぜひ見てみたいという人は出てくると思う。

 

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吉谷 剛(よしたに・つよし)1975年生まれ。北海道出身。テレビ局勤務を経て、2002年に入社。03年12月から07年まで大阪で阪神などを担当し、同年12月に東京に異動。昨年は横浜や大リーグ野球を担当し、今年から卓球やテニスなどを取材。