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スポーツリレーコラム

2016年06月22日

楽しみ方いろいろ、サッカー欧州選手権 ドイツが優勝候補、テロ警戒の厳戒態勢も  

2014年、ワールドカップトロフィーを掲げ、優勝を喜ぶGKノイアーらドイツの選手たち=リオデジャネイロ(共同) サッカーの欧州選手権がフランス各地で開催されている。ワールドカップ(W杯)の中間年に行われる4年に1度の晴れ舞台。クラブでは敵同士の選手が同じ代表チームで戦ったり、その逆で同じクラブ所属の選手が対戦したり。あるいは個性的な選手にスポットが当たることもある。試合の勝ち負け以外にも楽しみ方はいろいろだ。

 優勝候補に挙げられるのがドイツ。W杯を制した2年前に続くビッグタイトルの獲得を狙っている。ドイツを支えているのが、GKノイアーら同国1部リーグの強豪バイエルン・ミュンヘンの選手たちだ。

 16日のポーランドとの一戦では、相手FWにBミュンヘン所属のレバンドフスキがいた。クラブでは同僚として戦う間柄だが、敵と味方に分かれ、レバンドフスキの突破をボアテング(Bミュンヘン)が迫力あるスライディングで阻止する場面もあった。拮抗した試合は0―0の引き分け。レバンドフスキは「ゴールを奪えなかったのは残念だけど、相手は世界王者。勝ち点1に満足している」と語った。

 

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 土屋 健太郎(つちや・けんたろう)1979年生まれ。千葉県出身。2002年に共同通信社入社。福岡でソフトバンクなどを担当。07年1月から東京でサッカー、大相撲、バレー、バスケットボールを担当。15年からベルリン支局でサッカーを中心に取材。


2015年12月16日

百戦錬磨の指揮官に無邪気な笑み 欧州CL初制覇狙うベンゲル監督  

浦和―アーセナル 後半、試合を見詰めるアーセナルのベンゲル監督(左)=埼玉スタジアム(2013年7月26日、共同) この人もこうやって笑うことがあるのだなと、妙に感心してしまった。サッカーの欧州チャンピオンズリーグ(CL)で敗退の瀬戸際に追い込まれながら辛くも1次リーグ突破を決めたアーセナル(イングランド)のアーセン・ベンゲル監督である。皮肉を込めたようなニヤリとした笑いではなく、心の底から喜びがあふれ出したような素直な笑顔だ。冷静で本心を悟らせず、思慮深いイメージがあったベンゲル監督の「無邪気」な笑みは、意外でもあり新鮮でもあった。それだけ、この勝利が持つ意味が大きかったということだ。百戦錬磨の指揮官でさえ、そんなふうにしてしまう魅力が欧州CLにはある。

 12月9日の1次リーグ最終戦でオリンピアコス(ギリシャ)に敵地で3―0と快勝し、16シーズン連続のベスト16入りを引き寄せた同監督は「完璧な出来だった。わたしにとって欧州(の大会)でのベストゲームの一つだ」と手放しの喜びようだった。連敗スタートとつまずき、綱渡りの末に手にした決勝トーナメント進出だっただけに「この大会に居続けることに焦点を絞っていた」と欧州CLの価値をあらためて強調した。

 ベンゲル監督はフランス1部リーグのモナコを率いて実績を積み、1995年からJリーグの名古屋で監督を務めた。ストイコビッチらを擁して攻撃的なサッカーを展開。それまで低迷していたクラブを、リーグ優勝争いをするまでに鍛え上げた。同年度の天皇杯全日本選手権では見事に頂点に立っている。学者然とした風貌もあって「知将」「理論派」として名を知らしめ、アーセナルの監督に就任するため96年秋に惜しまれつつ日本を去った。

 

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 土屋 健太郎(つちや・けんたろう)1979年生まれ。千葉県旭市出身。2002年に共同通信入社、12月から福岡でソフトバンクなどを担当。07年1月から東京でサッカー、大相撲、バレー、バスケットボールなどを担当。15年からベルリン支局でサッカーを中心に取材。


2014年04月09日

懸念される本田の「代役」 W杯日本代表「サプライズ」は?  

ACL1次リーグ貴州戦の後半、相手選手と競り合う川崎・中村憲剛(右)(2014年2月26日、共同) 5月12日。サッカーのワールドカップ(W杯)ブラジル大会の日本代表メンバーが発表される。これまでも選手選考は、悲喜こもごものドラマを生んできた。果たして今回「サプライズ」は―。
 「外れるのは市川。カズ、三浦カズ。それから北沢」。日本が初出場した1998年フランス大会。直前にメンバーは25人から22人に絞り込まれた。当時の岡田武史監督は、長く日本のエースとして活躍した三浦知良を外した。
 日本代表監督の土壇場の決断には心の揺れも透けて見える。技術的な基準だけでメンバーを選ぶという単純作業ではないからこそ、人々の関心を呼び、時に涙も誘う。2002年日韓大会のトルシエ監督は中村俊輔を外し、チームのまとめ役としてベテランの中山雅史と秋田豊を呼び寄せた。ジーコ監督が率いた06年ドイツ大会は久保竜彦が外れ、巻誠一郎が滑り込んだ。再び岡田監督が指揮した10年南アフリカ大会は、けがでその年の公式戦出場がゼロだったGK川口能活が精神的な柱に指名された。
 今回のW杯に向けては、代表メンバー発表前最後となる日本代表候補の合宿が7日から千葉県内で行われた。国際Aマッチのタイミングではないため欧州組は呼べず、国内の常連組の招集も見送った。裏を返せば、今回呼ばれていない国内組の遠藤保仁や今野泰幸(ともにG大阪)、柿谷曜一朗や山口蛍(ともにC大阪)らはW杯メンバー入りが「当確」の位置にいると見ることができる。もちろん、本田圭佑(ACミラン)や香川真司(マンチェスター・ユナイテッド)ら日本代表の骨格をなす欧州組のメンバーを軸に、23人の大半は固まっている状況といっていい。
 参加したのは19歳の南野拓実(C大阪)、昨季J1得点ランキング2位の川又堅碁(新潟)ら初招集が7人。加えて国際Aマッチ出場経験のない選手を含めれば、23人中の11人が「新顔」といえる構成だ。昨年末、63人の日本代表候補がいると公言していたザッケローニ監督は「W杯最終メンバーを選考するにあたりこの中のメンバーが食い込んでくることを期待している」と新戦力の台頭を歓迎する。
 過去4大会、国際Aマッチに出場経験のない選手がW杯の日本代表に選ばれたことはない。「何パーセントかの可能性にかけて頑張る」(川又)。この合宿を足がかりに、W杯の切符をつかめば、かつてない「大逆転」のドラマとなる。
 個人的には、本田の「代役」が固まっていないことに懸念を感じている。日本代表で左サイドが主戦場の香川は、何度かトップ下でも試されてはいるが好プレーは見せることができていない。今回の合宿には呼ばれていないが、周囲との連係を考えればベテランの中村憲剛(川崎)の存在を忘れてはいけないだろう。前回のW杯を経験しているという点でも貴重なチームの一員になれるはずだ。本田にけがなどの不測の事態が起こった場合の備えをどうするのか。サイドアタッカーやFWの枠を増やすという判断もありうる。指揮官の胸の内は、1カ月後に明らかになる。


【写真】ACL1次リーグ貴州戦の後半、相手選手と競り合う川崎・中村憲剛(右)(2014年2月26日、共同)

 

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 土屋 健太郎(つちや・けんたろう)1979年生まれ。千葉県旭市出身。2002年に共同通信入社、12月から福岡でソフトバンクなどを担当。07年1月から東京でサッカー、大相撲、バレー、バスケットボールなどを担当。


2011年12月07日

J1復帰1シーズン目の快挙と不屈の躍進 柏の初優勝、4位仙台の頑張りに思う  

優勝皿を掲げる大谷主将と歓喜の柏イレブン(2011年12月3日、埼玉スタジアム、共同)

 サッカーのJリーグは3日、今季の最終節が行われ、19年目のシーズンが閉幕した。J1は柏がJ2から復帰1シーズン目で初優勝という快挙を達成し、東日本大震災で被災した仙台は4位と躍進。2011年、とりわけ深く印象に残った試合を振り返ってみた。

 ▽4・29 杜の都にスポーツの喜び再び

 

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土屋 健太郎(つちや・けんたろう)1979年生まれ。千葉県旭市出身。2002年に共同通信入社、12月から福岡支社でソフトバンクなどを担当。07年1月から東京本社でサッカー、大相撲、バレー、バスケットボールなどを担当。


2011年09月07日

「なでしこ」に刺激受け目指す五輪 サッカー男子U―22日本代表  

itou.misei.jpg サッカー女子の日本代表「なでしこジャパン」が来年のロンドン五輪出場を懸けたアジア最終予選(中国・済南)を戦っている。女子ワールドカップ(W杯)ドイツ大会で初優勝し、団体で史上初となる国民栄誉賞を受賞。今や、なでしこジャパンの動向は日本中の関心事ともいえるが、五輪を目指す男子のU―22(22歳以下)日本代表も今月21日から最終予選に臨む。

 8月29~31日に佐賀県鳥栖市内などで行われた合宿でのこと。U―22日本代表の守備のリーダー、センターバックの鈴木大輔(新潟)は「注目度は、なでしこの方があると思う。自分たちも負けられない」と言葉に力を込めた。

 昨年11月の広州アジア大会では、当時U―21(21歳以下)として臨んだ男子も、なでしこジャパンも史上初の金メダルを獲得した。同じ舞台で奮闘したなでしこは、今夏の女子W杯を初制覇して周囲からの期待度が急上昇。男子にも大きな刺激を与えている。

 

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土屋 健太郎(つちや・けんたろう)1979年生まれ。千葉県旭市出身。2002年に共同通信入社、12月から福岡支社でソフトバンクなどを担当。07年1月から東京本社でサッカー、大相撲、バレー、バスケットボールなどを担当。


2011年06月29日

判定はあくまで毅然と偏りなく ウズベキスタンのイルマトフ主審  

itou.misei.jpg U―22(22歳以下)日本代表が突破を決めたサッカー男子のロンドン五輪アジア2次予選で、23日のU―22クウェート代表との試合で笛を吹いたのは、アジアで最高といわれるウズベキスタンのラフシャン・イルマトフ主審だった。2008年から3年連続でアジア・サッカー連盟(AFC)の最優秀主審に輝き、2010年ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会では準決勝のウルグアイ―オランダなどで主審を務めた有名な審判員だ。

 23日の試合では開始直後、相手選手が日本のペナルティーエリア内で反則を受けたように見せかけて倒れた場面があった。スタンドの観客は「PKだ!」と叫んだが、イルマトフ主審は毅然とした態度で、クウェート選手のシミュレーションの反則を取った。日本にとってアウェーの一戦だったが、試合を通じて偏りのない判定を主審が下したことを象徴するシーンだった。

 試合の翌日、クウェートの空港で偶然イルマトフ主審と出会った。試合の「お礼」を伝えようと話しかけた。すると彼は「最終予選進出、おめでとう」「主審として、もうアジアのすべての国で笛を吹いたんじゃないかな」「日本に地震や津波がもう二度とないことを祈っている」と話してくれた。183センチと長身の33歳は、余裕を感じさせる物腰で初対面の私に応じてくれた。以前ウズベキスタンを取材で訪れた際、イルマトフ主審が携帯電話のテレビコマーシャルに出演するなど高い人気があったのを思い出した。

 

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 土屋 健太郎(つちや・けんたろう)1979年生まれ。千葉県旭市出身。2002年に共同通信入社、12月から福岡支社でソフトバンクなどを担当。07年1月から東京本社でサッカー、大相撲、バレー、バスケットボールなどを担当。


2011年03月30日

スタンドに手作りの「日の丸」 震災に心痛めるウズベクの人々  

 「ジャパン? ツナミ?」。タクシーに乗るたびに、運転手から心配そうに声を掛けられた。来年のロンドン五輪出場を目指すサッカーのU―22(22歳以下)日本代表が遠征したウズベキスタンの首都タシケント。遠く離れた中央アジアの地でも、東日本大震災の大きな被害に、人々は心を痛めていた。

 26日のU―22ウズベキスタン代表との第1戦の試合前のことだった。地元のサポーターが大きな紙の束を抱えながら話しかけてきた。「ウズベキスタンの国旗は3枚しか持ってきていないけれど、日本の国旗は300枚も用意したんだ」。白い画用紙の真ん中に赤いスプレーをかけただけの手作りの「日の丸」だったが、日本のことを気遣って準備してくれたのだと思うとジーンと来た。試合になるとスタンドには日の丸だけではなく「with you、JAPAN」の横断幕も掲げられ、地元のサポーターからは「ニッポン」コールも起こった。

 U―22日本代表の関塚監督は「世界から日本にたくさんの励ましが届けられている。日本が頑張っているということを発信するのも、われわれの使命」と、今遠征の意義を語っていた。26日の試合は黙とうをささげ、喪章をつけてプレー。試合は0―1と敗れてしまい、「こういう時期に遠征させてもらっている。勝って明るいニュースを届けたい」(FW永井=名古屋)との思いが結果に表れなかったのは残念だったが、選手は単なる強化の一環にとどまらないことを理解しながらピッチに立っていた。

 

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土屋 健太郎(つちや・けんたろう)1979年生まれ。千葉県旭市出身。2002年に共同通信に入社し、12月から福岡支社でソフトバンクなどを担当。07年1月から東京本社でサッカー、大相撲、バレー・バスケットボールなどを担当。


2010年12月01日

黒く塗りつぶされた名刺 肌で感じた日中の壁  

 手元に1枚の名刺がある。名前の部分は黒く塗りつぶされている。11月に行われた広州アジア大会の「奇妙な」思い出の品だ。
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 ある競技会場でのこと。アジア大会について中国メディアの記者からインタビューを受けた。「日本はアジア大会を軽視しているのではないか」といった内容だった。競技によっては世界選手権と時期が近かったり、重なったりしている事情を説明した。インタビューを受けた代わりに、こちらも話を聞かせてほしいと申し出た。すると、わざわざ日本語のできる地元ボランティアを連れてきて、通訳代わりにして丁寧に対応してくれた。記者はアジア大会の意義や中国という国の発展などについて熱心に語り、「アジア大会は中国をアピールする、いい機会なのです」と言った。

 今大会、主に取材したサッカーでは男女を通じて毎試合、日本はアウェーの環境だった。中国と対戦した試合はもちろん、それ以外でも声援は相手チームばかり。日本のピンチになるとスタジアムは大いに盛り上がった。やはり聞くべきだと思って聞いた。「ところで中国では、どうして日本の対戦相手ばかりを応援するのでしょう?」。すると記者が答える前に地元ボランティアが、ほおを真っ赤にしながら言った。「本当ですか? そんなことはあるはずがない。中国人は日本もちゃんと応援しています」。確かにその会場では大音量のBGMを流し、出場する全選手に対し「模範的な応援」が送られていた。わたしは「でもサッカーの競技場では、ここのような応援の雰囲気ではないんです」と説明した。

 記者は「それは日本が強くて応援する必要がないからでしょう」とぽつりと言った。なんだか、その場の空気が重たくなった気がした。すると、記者とボランティアのスタッフが中国語でなにやらやりとりをし始めた。記者が硬い表情を浮かべて切り出した。「申し訳ないが、わたしの漢字の名前や会社名を絶対に記事に載せないでほしい。本当はインタビューに応えることは許されていないんです」 

 

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2010年10月13日

再出発支えた大切な人の「言葉」 謹慎明けで十両優勝の豊ノ島  

 横綱白鵬の連勝記録が62にまで伸びた大相撲秋場所。十両では野球賭博関与による謹慎が明け、幕内から降格した豊ノ島が14勝1敗で優勝した。自らの軽率な行為で失ったファンの信頼は簡単に取り戻せるものではないだろうが、第一歩をしるした再出発の陰には、大切な人からの「言葉」があった。
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 今年6月、元琴光喜関らとともに野球賭博関与が明るみに出た。その約1カ月前に豊ノ島は歌手の竹内沙帆さんとの婚約を公にしたばかりだった。謹慎処分で7月の名古屋場所は全休。この間、部屋でけいこに打ち込み、反省の意味も込めて幕下以下の力士らが担当するちゃんこ番なども手伝ったという。「1人では苦しいけど、支えになってくれている人がいるから」とフィアンセに感謝した。

 処分が明けて迎えた8月の夏巡業に臨むにあたって、豊ノ島はファンの視線がやはり気になった。過ちを犯してしまった自分を再び受け入れてもらえるのだろうかと、思い悩む胸の内を竹内さんに明かした。

 「巡業に行きたくないな、とこぼしたんです。自分としては甘い言葉を返してもらいたい気持ちもあったんですが…」。その時、竹内さんは〝夫〟の尻をたたくようにこう言ったそうだ。「ファンを喜ばせるとか口で言っておいて、やっていることと言っていることが違うじゃない。ぐずぐずしていたら駄目よ」。豊ノ島が、それで目が覚めたのは言うまでもない。巡業では横綱白鵬の胸を借り、砂まみれになって汗を流した。

 

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土屋 健太郎(つちや・けんたろう)1979年生まれ。千葉県旭市出身。2002年に共同通信に入社し、12月から福岡支社でソフトバンクなどを担当。07年1月から東京本社でサッカー、大相撲、バレー・バスケットボールなどを担当。


2010年07月21日

国を、大陸を一つに! サッカーW杯の「魔力」  

 サッカーのワールドカップ(W杯)は、スペインの初優勝で幕を閉じた。アフリカ初開催の祭典。南アフリカという複雑な国を、さらにはアフリカ大陸全体を一つにしたW杯の「魔力」を目の当たりにした1カ月間だった。
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 南アという国のパワー、熱気を最も肌で感じたのは開幕2日前の6月9日だった。ヨハネスブルクの中心部で行われた同国代表チームのパレード。選手らが乗り込んだバスを一目見ようと、南アのユニホームを着た人が道にあふれ、民族楽器ブブゼラのけたたましい音が街中に響き渡った。白人、黒人、カラード(混血)…人種は関係ない。

 「南アは決勝まで勝ち上がってスペインに2―1で勝つよ!」と目を輝かせる10代の黒人の少年。「W杯は大きなパーティー。この瞬間を楽しまなくちゃ」と笑みを浮かべる40代の白人女性。主催者によれば、わずか1マイル(約1・6キロ)という行程だったが、バスは1時間以上をかけてゆっくりと移動。詰め掛けた約20万人ともいわれる人々の表情は、一様に輝いていた。開幕前なのに、まるで優勝パレードのようだった。

 

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2010年04月28日

「ポスト5・15」Jリーガー登場か 待たれるリーグ誕生後世代の台頭  

 2010年のJリーグが開幕して、もうすぐ2カ月が経つ。18シーズン目の今季はJリーグにとって記念すべきシーズンになるかもしれない、という予感がしている。それは「ポスト5・15」年代の登場―。Jリーグが誕生した1993年5月15日以降に生まれた選手が、初めてJリーグのピッチに立つ可能性があるのだ。

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 彼らは生まれながらにして、Jリーグがこの世に存在していた年代である。同じ「Jリーガー」でも、80年代から90年代にかけてプレーして日本リーグからの劇的な変化に驚いた年代とは大きく異なるし、少年時代にプロリーグのスタートの華々しさを目に焼き付けた年代とも違う。そこにJリーグがあることが当たり前、という中で生まれ育った年代だ。同じプロスポーツでも長い歴史を誇る大相撲や野球には遠く及ばないが、Jリーグも年月を重ね、そんな選手が間もなく生まれるまでになった。

 

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2010年01月13日

W杯へ、わずかな可能性に懸ける 清水へ移籍の小野ら「黄金世代」  

 2010年が明けた。心機一転、大きな目標に向かって進もうとするスポーツ選手たちも多いだろう。サッカー元日本代表のMF小野伸二。30歳となった彼も、その1人だ。ドイツ1部リーグのボーフムからJリーグ1部(J1)清水エスパルスへ移籍。静岡・清水商時代に慣れ親しんだ地元で奮起を誓う。小野をはじめ近年は日本代表から遠ざかる選手たちにとっては、ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会のメンバー入りへ、わずかな可能性にかける1年が幕を開けた。
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 小野は当時18歳だった1998年フランス大会に始まり、2002年日韓大会、06年ドイツ大会と、W杯は過去3大会に連続出場。しかし、最近はけがにも悩まされ08年8月を最後に日本代表戦の出場はない。小野は「99・99パーセント可能性はないかもしれないが、残りの0・01パーセントにかけたい」と南アフリカ大会の代表入りへ、意気込んでいるという。

 小野と同じ79年生まれの選手たちは日本サッカー界の「黄金世代」と称される。99年にナイジェリアで行われたワールドユース選手権=現在のU―20(20歳以下)W杯=で準優勝するなど、若いころから注目を浴びる存在だった。FW高原直泰(浦和)、MF稲本潤一(レンヌ)、MF小笠原満男(鹿島)…。今ではみな30歳となり、ベテランと呼ばれる年齢に達した。

 稲本は今季移籍したばかりのレンヌ(フランス)でほとんど出場機会をつかめなかった。日本代表には選出されるものの定位置をつかむには至っておらず、さらなるアピールが必要な立場。試合出場を求めて小野同様にJリーグ復帰を決断し、J1川崎を新天地に選んだ。2009年に最優秀選手に輝くなどJリーグ3連覇の鹿島の大黒柱である小笠原は、13日発表の日本代表メンバーに岡田武史監督からようやく初めて選ばれた。高原は全盛期の切れ味が影を潜め、若返りを図るクラブ事情もあって控えに甘んじることが多くなった。

 

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2009年09月16日

師弟でつかんだ銀メダル 女子マラソンの尾崎と山下監督  

8月23日、陸上の世界選手権(ベルリン)の女子マラソンで尾崎好美選手(第一生命)が銀メダルを獲得した。「監督を超えられなかったけど、とりあえず追い付けてよかった」。尾崎が肩を並べた監督とは、1991年世界選手権(東京)で同じく銀メダルに輝いた第一生命の山下佐知子監督だ。
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 6年ほど前のこと。鹿児島市で行われた陸上の南九州高校大会を取材する機会があった。上位入賞者が全国高校総体の切符を手にする大会で、スタンドから高校生に熱い視線を送る山下監督の姿を見つけた。緊張しつつ、名刺を渡して話をうかがったのを覚えている。

「スカウトのために、どれくらい日本を飛び回っているのか」「走りのフォームでチェックするところは」…。いきなりの取材にもかかわらず、山下監督は丁寧に答えてくれた。「一番見ているのは選手の脚の運びです」。素人同然のわたしはうなずいてはみたものの、トラックを走る選手のフォームの違いを、遠くからすぐに判別するのは難しい作業だった。

 陸上の世界選手権で日本人メダリスト第1号である山下監督は、18年前の世界選手権当時のことも聞かせてくれた。そのときのマラソンで4位に入ったのが有森裕子さん。「ゴールの後、有森さんにいきなり抱きつかれて『おめでとう』って言われてびっくりしたんです。順位が逆だったら、わたしは『おめでとう』と言えるかなって。でも、そういう考え方もあるんだと、その時に教えてもらったんです」
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 個人競技ではライバルには負けられないというのが本音だろうが、それ以来、2人の距離はぐっと縮まったそうだ。翌92年のバルセロナ五輪で2人は再び一緒に走り、結果は前年の逆。有森さんが銀メダルで山下監督は4位だったが、互いに健闘をたたえ合った。

 

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