47NEWS >  スポーツ >  スポーツリレーコラム >  山川 岳

ライター名

スポーツリレーコラム

2014年03月19日

競争激化でレベルアップを NPBが審判員養成の新制度  

 日本野球機構(NPB)が審判員養成のために新設した「アンパイア・スクール」の1期生から、4人の審判員が誕生した。1月18日から6日間、さいたま市で初開催したスクールには女子を含む52人が参加した。選ばれた4人は2月に沖縄県での日本ハム、阪神、DeNAのキャンプに参加して実地でジャッジする“最終試験”に合格。3月7日に東京都内のNPB事務局で晴れて契約を結んだ。

 NPBは審判員の養成のためにスクールを新設し、これまではいくつかあった新規審判の採用方法を修了者のみに一本化する方針を決定。これに伴い、審判員の契約体系も拡大した。プロ野球の審判には1,2軍の試合に出場するNPB契約と2軍で技術を磨く育成契約があったが、今回、国内の独立リーグなどで研修を積む研修契約を新設し、派遣先としてルートインBCリーグ、四国アイランドリーグplusと提携した。育成契約と研修契約の審判員は3年をめどに昇格できるか判断される。

 新制度では、競争による審判員の技術向上が期待される。今回契約した4人は20歳前後と若く、審判経験もあり技術的な評価が高い。NPBは今後もスクールを毎年開催し、有望新人と契約していく方針で、前審判長の井野修審判技術委員長は「競争でレベルは上がる。若手審判員は追い抜かれれば、いらないと言われるからね」と期待。若くて体力のある経験者や選手OBの挑戦を求めた。若くして現役を退いたOBのセカンドキャリアとしても魅力的な選択肢になるかもしれない。

 

続きはこちら



 山川 岳(やまかわ・たかし)1974年、札幌市出身。99年、共同通信に入り2年目からプロ野球の近鉄から巨人まで5球団を担当。2008年からロサンゼルス、ニューヨーク支局でドジャース、ヤンキースなどを担当。12年末の帰国後はWBC、日本野球機構(NPB)などを取材。


2013年05月29日

野球の日本代表常設化 ブランド化だけでは…  

JAPANのユニホーム姿で誇らしげに勝利を喜ぶWBC戦士たち(2013年3月10日のオランダ戦から、共同) 野球ファンにとって胸が高鳴る言葉だった。その響きからは、サッカーのように、トップ選手がしのぎを削り、競技者の目標となるフル代表を継続的に組織していくという意味合いが感じられた。これまでのところその意味は、日本代表をブランド化し、継続的に収益を上げるということにとどまっている。

 3月のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に挑んだ日本代表は準決勝で敗れ、3連覇を逃した。苦しみながら東京での2次ラウンドを勝ち抜いた選手の必死の戦いには胸が熱くなった。それだけに、もっと早くから首脳陣を決めて大リーグ組にも参加を打診し、チーム編成を議論できていれば、と悔しさが募った。前回に続いて監督選考は迷走した。難しい立場を引き受けた山本浩二監督に責任を押しつけるのは気の毒だった。

 選手側は大会前、変わらない日本野球機構(NPB)の準備過程に苛立ちを募らせた。昨年の7月、日本プロ野球選手会は臨時大会でWBC不参加を決めた。主な理由は、チームのスポンサー権が大会主催者にあることなど収益に関することだったが、背景にはNPB側が、故障のリスクを負ってWBCに出場する選手のために積極的に動かないことへの不満があった。球団側は重い腰を挙げ、NPB内に日本代表専門の事業部局設置を約束し、収益確保の方策を示して事態は収束した。NPB側が宣言したのが「代表の常設化」だった。

 

続きはこちら



 山川 岳(やまかわ・たかし) 1974年、札幌市出身。99年、共同通信社入社。2年目からプロ野球の近鉄から巨人まで5球団を担当。08年からはロサンゼルス、ニューヨーク支局でドジャース、ヤンキースなどを担当。12年末の帰国後はWBC、日本野球機構(NPB)を取材。


2010年11月24日

決め手は星野監督の言葉 日本で再出発する岩村  

 プロ野球楽天の入団会見に臨んだ岩村明憲内野手の表情は、本当に晴れやかだった。5季ぶりの日本球界復帰は、悩み抜いた末の決断だった。決め手に挙げたのは星野監督の電話だった。「おまえが必要だ、というひと言が欲しくてたまらなかった」との言葉は、本音だった。
PR2010111700351.jpg
 米マイナー3Aでの最終戦が思い出される。9月6日、競馬のケンタッキーダービーで有名なケンタッキー州ルイビルの小さな球場。グラウンドに出てきた岩村は本当に寂しそうだった。トレードでレイズからパイレーツに移籍後、春先から打撃不振で6月に戦力外通告された。球団はトレード先を模索したが成立せず、メジャー出場の前提となる40人枠に入ったまま昇格の見込みがない、いわゆる「飼い殺し」の状態で、マイナーのシーズンを終えた。

 通訳を付けず、若手に交じっての2カ月半。メディアの数もわずかで、この日も岩村を取材する記者はわたし一人だった。岩村は、心の中で何度もつぶやいたであろう思いをぶつけてきた。「人間として一番大事なのは、必要とされること」。受け止めるには、あまりに重い言葉だった。

 日本のヤクルト、大リーグのレイズで優勝を争う主力としてプレーしてきた岩村にとって、今季は坂道を転げ落ちるようなシーズンだった。打撃不振の原因は、昨年試合中に負った左ひざの大けがが影響している。パイレーツでは首脳陣との意思疎通がうまくいかなかった。説明不足のまま、減っていく出場機会。マイナー降格後、孤独感は一層増したはずだ。

 

続きはこちら



山川 岳(やまかわ・たかし) 1974年5月30日生まれ。札幌市出身。99年、共同通信入社。2年目からプロ野球担当記者として近鉄、オリックス、阪神、広島、巨人を担当。2008年、ロサンゼルス支局でドジャース、09年からニューヨーク支局でヤンキースを担当、今季は遊軍


2010年06月09日

「遅球」を武器にメジャーで活躍 メッツの左腕・高橋尚成  

 米大リーグ、メッツの高橋尚成投手の「遅球」の効果は、想像以上だった。決め球のシンカー、スローカーブは110キロ前後。直球のスピードが140キロ程度でも、この緩い球にメジャーの強打者のバットがくるくる回る。高橋は「遅い球で打ち取るのが楽しい。一番の快感」という。

takahashi.jpg

 先発デビューとなった5月21日のヤンキース戦の投球は鮮烈だった。全米が注目する「サブウエー(地下鉄)シリーズ」の舞台で、強力打線を相手に6回無失点。勝ち星こそ付かなかったが、5三振を奪った。好打者スウィシャーが低めのシンカーを空振りし、あきれたような苦笑いを浮かべたシーンは象徴的だった。続く26日のフィリーズ戦で先発初勝利を挙げ、存在感は一気に増した。

 

続きはこちら



山川 岳(やまかわ・たかし) 1974年5月30日生まれ。札幌市出身。99年4月、共同通信入社。2年目からプロ野球担当記者として近鉄、オリックス、阪神、広島、巨人を担当。2008年、ロサンゼルス支局でドジャース、09年からニューヨーク支局でヤンキースを担当、今季は遊軍


2010年03月17日

メジャーでよみがえった男 米国流に素早く順応 斎藤隆投手  

 今季、ブレーブスに移籍した斎藤隆投手は、日本から米大リーグに移籍したことで、最も成功した選手といえるだろう。36の年にドジャースとマイナー契約。1年目に抑えを任され、2年目にはオールスター戦に出場。メジャー4年間で15勝10敗83セーブ、防御率2・05をマークし、レッドソックス、ブレーブスと名門球団を渡り歩いた。

PN2010031701000173.-.-.CI0003.jpg

 渡米前の3年間は故障に苦しみ、横浜を自由契約になった後も、なかなか移籍先は決まらなかった。それが米国に来た途端に球速が増し、見違えるほどの活躍。「なぜ米国に渡ってここまで成功できたのか」。疑問をあらためてぶつけてみると斎藤は「いつも聞かれるんだけどね」と苦笑いしながら、自己分析してくれた。

 

続きはこちら



山川 岳(やまかわ・たかし) 1974年5月30日生まれ。札幌市出身。99年4月、共同通信入社。2年目からプロ野球担当記者として近鉄、オリックス、阪神、広島、巨人を担当。2008年、ロサンゼルス支局でドジャース、09年からニューヨーク支局でヤンキースを担当、今季は遊軍


2009年12月17日

「自らのバットでチームを勝利に」 松井秀喜外野手、NYに思い残し移籍  

 ヤンキースからフリーエージェント(FA)になっていた松井秀喜外野手のエンゼルス入団が決まった。AP通信によると、1年契約で年俸は今季の1300万ドル(約11億6000万円)から約半分の600万ドル(約5億4000万円)に。ワールドシリーズで大活躍し、最優秀選手に輝いたことを考えれば「なぜ?」と言いたくなるが、これが大リーグのシビアな現実だ。

matui1.jpg 松井秀は来季、36歳になる。30代後半を迎える選手は、実績があっても大型契約を結ぶのは難しい。急激な衰えや故障のリスクが増すため、球団は極端に契約年数を絞る。今オフは不況の影響もあり、各球団が年俸総額を抑え、若手起用へシフトしたことも大きかった。松井秀は両ひざの不安から今季一度も守備についておらず、指名打者として出場機会が限られた。ヤンキースのキャッシュマン・ゼネラルマネジャー(GM)はそんな男の外野手としての復帰論を退け「ビジネスだから。市場でDHの値段は下がる一方だ」と交渉を先送りし続けた。
 
 常勝を求められるヤンキースには厳しい先例がある。バーニー・ウィリアムズはポストシーズン通算80打点と黄金時代を支えた強打者だったが、37歳で7年契約が切れた2005年オフに年俸150万ドルプラス出来高150万ドルの1年契約で残留。06年以降は大リーグでプレーしていない。 

 チームを支えたスーパースターでも、衰えが目立ち始めると待遇は一変する。資金が限られる小規模都市の球団では、年俸が跳ね上がりそうな全盛期の選手を放出し、年俸の安い伸び盛りの選手を獲得することになる。年俸が20億円を超える選手が出る一方で、日本で見られる将来の指導者を見据えた処遇という選手への「温情」はない。松井秀は手術を経験した両ひざに故障再発の不安がある点でも不利で、早い段階で希望に近い条件を出したエンゼルスを選択したということだろう。

 

続きはこちら



山川 岳(やまかわ・たかし) 1974年5月30日生まれ。札幌市出身。1999年4月、共同通信入社。2年目からプロ野球担当記者として近鉄、オリックス、阪神、広島、巨人を担当。2008年、ロサンゼルス支局でドジャース、09年からニューヨーク支局でヤンキースを担当


2009年09月09日

不運嘆かず黙々と  ドジャース黒田を支えた夫人のひと言  

電話の元気な声に、心底ほっとした。「大丈夫なの?」との問い掛けに、米大リーグ、ドジャースの黒田博樹投手は「大丈夫やないわ。当たったときはホンマやばかった。子どもの顔が浮かんだで」。わたしのメールに対して、黒田は退院後、すぐに電話をくれた。冗談めかした物言いに、安心させようという気遣いが感じられた。
kuroda2.jpg
 衝撃的なシーンだった。8月15日、アリゾナ州フェニックスでのダイヤモンドバックス戦。黒田は六回、先頭打者の強烈な打球を右側頭部に受け、マウンドで倒れ込んだ。投手にとって最も怖いアクシデント。ドジャース担当を離れ、ニューヨークに異動したわたしにもすぐに情報は届いた。黒田が首などを器具で固定され、カートでグラウンドを出る姿は、テレビで全米に何度も繰り返し放送された。

 米国勤務になった昨年、黒田を1年間追った。広島担当時代から取材し、同い年ということもあって何度も食事をともにした。雅代夫人が同席することもあった。夫人はさっぱりとして気丈な性格。決して出しゃばることはなく、球場での観戦は年に数試合。それでいて、常に黒田の体調、心のささいな動きを理解していた。

 遠征先での黒田のアクシデントを、雅代さんは自宅のテレビで見ていたという。黒田は「救急車の中から電話をかけたら『死んだかと思った』って言うとったわ」と笑った。最初は涙声だったという、奥さんのほっとした笑顔が目に浮かんだ。

 

続きはこちら



山川 岳(やまかわ・たかし) 1974年5月30日生まれ。札幌市出身。1999年4月入社。2年目からプロ野球担当記者として近鉄、オリックス、阪神、広島、巨人を担当。2008年、ロサンゼルス支局でドジャース、09年からニューヨーク支局でヤンキースを担当


2009年06月03日

名門ヤンキースに変化? 「勝つためにプレー」は不変  

米大リーグの名門ヤンキースのクラブハウスに変化が起きている。選手に厳格な規律を求め、黄金時代を築いたトーリ監督(現ドジャース監督)がチームを去って2年目。若いジラルディ監督や他球団から移籍してきた選手が中心になり、これまでは許されなかった独特のイベントが行われるようになった。
yankies.jpg
 5月の連勝中には本拠地での試合前に「カンガルー裁判」なる催しがあった。最年長のリベラ投手が裁判長となり、選手や関係者がフランクに敗因や気になる選手を挙げ、裁判長の判断で罰金を取る。「カンガルー裁判」の由来は、話題がポンポン飛ぶかららしい。初体験の松井秀喜は「面白いよね」と苦笑いし、自身の罰金の有無については言及しなかった。

 規律を重んじる名門の雰囲気ははた目には大きく変わった。これも他球団からの移籍選手が大半を占めたからかもしれない。1990年代後半の黄金時代の経験者は主将のジーター、抑えのリベラ、捕手のポサダら数えるほど。7年目を迎える松井も古株になった。さぞチームのムードの変化を感じているのではと思ったが、松井は「基本的には変わっていない」という。

 松井は「ヤンキースらしさとはひと言で言うと、ひたすら勝つためにプレーすること」という。言い換えればそれは、グラウンドに向かうまでのアプローチは関係ないということだ。「何を考えてプレーしているかはプレーぶりに出る。勝つために自分が何をするべきかを考えていない選手は、ここにはいられない」

 

続きはこちら



山川 岳(やまかわ・たかし) 1974年5月30日生まれ。札幌市出身。1999年4月入社。2年目からプロ野球担当記者として近鉄、オリックス、阪神、広島、巨人を担当。2008年、ロサンゼルス支局でドジャース、09年からニューヨーク支局でヤンキースを担当