47NEWS >  スポーツ >  スポーツリレーコラム >  正田 裕生
スポーツリレーコラム

2008年10月15日

「祭りのあと」の寂寥感 敗者も勝者も、人生いろいろ  

 「祭りのあと」だ。北京五輪が終わった。日本選手の活躍や、世界新記録に沸いた。4年に1度のスポーツの祭典から約2カ月がたつ。競泳の北島康介(日本コカ・コーラ)やソフトボールの上野由岐子(ルネサス高崎)、フェンシングの太田雄貴(京都ク)ら、活躍した選手はテレビやイベントに引っ張りだこで、いまだに五輪の余韻を引きずる。彼らも五輪を目指して苦しい練習に耐えてきたのだが、取材する方も同じく、五輪のためにやってきた。スーツ姿でステージに登場するメダリストを取材しても、五輪前のような緊迫感はなく、どこか力が入らない。
%E5%8C%97%E5%B3%B62.jpg
 しかし、すべての選手にとって、本当に北京が「終わった」かというとそうではない。先日、競泳の柴田亜衣(チームアリーナ)に話を聞いた。アテネ五輪女子八百㍍自由形で金メダルを獲得したが、北京五輪では不本意な泳ぎで予選落ちだった。「北京はどうしてああいう結果になったのだろう」。遠慮がちに問い掛けると、言葉が出ない柴田は「たまらない」とばかりにマネジャーに助けを求めた。まだ話したくないのだった。4年間、大きな期待を受け、重圧を背負いながら自分の限界に挑み、臨んだ大舞台で思い描いた結果  

続きはこちら



正田 裕生(しょうだ・ひろき)1965年生まれ。埼玉県出身。千葉支局、水戸支局などを経て99年から運動部。水泳、五輪、国体などを担当。


2008年06月11日

LR着用を決断した松田 水着自由化の陰で葛藤     

matsuda.jpg 英国スピード社の「高速水着」レーザー・レーサー(LR)は、速い。6月6日から8日までの競泳のジャパン・オープンで、日本新記録17のうち16がLRを着た選手が出し「LR効果」を嫌というほど見せつけた。水着でタイムがこれほどまでに変わるのか、と思い知らされた。

 驚きの連続だった3日間で、LRの速さとは別に衝撃を受けた瞬間があった。初日、男子二百㍍バタフライ決勝。日本水泳連盟が水着提供契約を結ぶ国内3社のひとつ、ミズノの水泳チームに所属する松田丈志がLRを着て登場したのだ。

 松田は、ミズノ所属選手として契約上はミズノの水着でレースに出ることになっている。しかし、この種目の世界記録保持者、マイケル・フェルプス(米国)を始め、世界のトップスイマーの多くはLRを着ている。松田は世界で戦うためにLRのテスト着用を希望し、大会前に準備していた。しかし、ミズノは契約順守を求め、松田の心に大きな重しとなっていた。それだけに、こちらはスタート台でLRを着た松田を見た瞬間、「着てしまった!」と息をのんだ。レースでは、松田は背中に羽根が生えたようにぶっちぎり、自己ベストを1秒以上更新する日本新をマークした。

   

続きはこちら



正田 裕生(しょうだ・ひろき)1965年生まれ。埼玉県出身。千葉支局、水戸支局などを経て99年から運動部。水泳、五輪、国体などを担当。


2008年04月09日

北京へGO! 北島に抜群の存在感 15日から競泳日本選手権   

BS-0061__-200802231146_L.jpg 柔道の全日本選抜体重別選手権と全日本選手権、競泳の日本選手権、体操のNHK杯―。4月から5月に掛けて、北京五輪で日本選手の活躍が期待される競技の代表選考会が続く。栄光へのドラマが繰り広げられ、「オリンピックイヤーの本番突入」を感じさせる。

 15日からは、競泳の日本選手権が始まる。五輪は4年に1度の大舞台。そこに立つには国内のライバルに打ち勝たなければならないが、競泳の代表選考は厳しい。日本選手権の決勝で、日本水泳連盟が設定した派遣標準記録を突破して、2位以内に入ることが個人種目の条件だ。派遣標準記録は国際的な標準記録よりも高い。選考は、過去の実績は一切関係ない一発勝負。アテネ五輪のメダリストであれ、昨年の世界選手権の優勝者であれ、条件をクリアできなければ、五輪切符は手にできない。

 選考会は独特の緊迫感がプールを包む。笑顔、難しい顔、こわばった顔、ぎこちない笑い…。コーチや選手の表情はさまざまだ。決勝の選手招集所の張り詰めた空気。先日会った元五輪メダリストは「いよいよ選考会ですね。緊張するなあ」と、まるで自分のことのように話した。選考基準が  

続きはこちら



正田 裕生(しょうだ・ひろき)1965年生まれ。埼玉県出身。千葉支局、水戸支局などを経て99年から運動部。水泳、五輪、国体などを担当。


2007年12月26日

揺らぐ方向性と将来像 国体改革論議に疑問  

BS-0100__-200709291803_M.jpeg

 ちょっと地味な話題だが、納得いかないことがある。日本体協の国体改革の論議だ。

 現在、日本体協の国体委員会は、二つのテーマを話し合っている。一つは、冬季国体の問題。スキーとスケート、アイスホッケーの3競技は施設が備わっている地域が限定され、同じ自治体が短い間隔で開催しなければならず、開催費用の負担が大きい。このため、競技団体も費用を負担する方向性などが出ている。これはよく分かる。


 疑問なのは、もう一つの2013年以降の実施競技の議論だ。毎年実施する競技と、1年おきに実施する競技(隔年競技)を設けるというのだ。事の発端は、日本体協に加盟しているのに国体で実施されていない競技があり、「これらの競技にも国体で実施する道を開こう」という意見だったという。仮定の話をすると、現在40競技が行われているが、競技数を40のままに固定し、うち3競技を隔年競技に「格下げ」すると、新たに3競技が導入されるということが想定される。

 実施が隔年となれば、その競技には死活問題だ。新規採用となれば、その  

続きはこちら



正田 裕生(しょうだ・ひろき)1965年生まれ。埼玉県出身。千葉支局、水戸支局などを経て99年から運動部。水泳、五輪、国体などを担当。


2007年09月05日

来年の北京は“厳しい夏”に 「五輪前哨戦」に見る日本勢の不振  

BS-0183__-200709022230_M.jpeg

 「それにしても陸上はどうしてあんなにダメなの?」。

 スポーツ団体役員や事務局員から、こんな質問をよく受ける。もちろん、9月2日に終わった大阪での世界陸上選手権のこと。日本勢は目を覆いたくなるような惨敗だった。女子マラソンの土佐礼子が最終日に銅メダルを獲得したのが、唯一のメダルで唯一の救いだった。

 不振の理由はいろいろあるだろう。直接取材はしていないので分析は専門家に任せるが、自己ベスト記録を更新できないばかりか予選敗退や記録なしに終わるケースもあり、痛々しくさえあった。

 ▽世界競泳って?
 世界陸上の直前、8月下旬に千葉県習志野市で「世界競泳2007」という耳慣れない名前の大会があった。中継したテレビ局は「日本、また金メダル!」と盛り上げていた。この大会には「陸上に比べて水泳はしっかり結果を残す」と評価する感想がある一方で「世界のトップがどのくらい参加しているの? 実際はどうだったんですか」という疑問の声も聞かれた。

 世界競泳は取材し  

続きはこちら



正田 裕生(しょうだ・ひろき)1965年生まれ。埼玉県出身。千葉支局、水戸支局などを経て99年から運動部。水泳、五輪、国体などを担当。


2007年05月30日

東京五輪、とにかく開催を! 機運の盛り上げ焦らずに  

 by 正田 裕生

 「ところで、オリンピックは日本に本当に来るのかねえ。どうせ無理じゃないの?」―。スポーツ団体の事務局で、こんな問い掛けがよくある。2016年の夏季五輪開催地に東京都が名乗りを上げたが、スポーツ界が一体となって五輪招致を実現しようという熱気は感じられない。世論の盛り上がりにも欠け、招致活動は漠然とした空気に包まれている。

 ▽胸に響かない言葉

 5月24日、五輪招致を広くアピールする初代の「招致大使」が東京都庁で報道陣にお披露目された。来年の北京五輪出場を目指す野球日本代表の星野仙一監督、1984年ロサンゼルス五輪柔道の金メダリスト山下泰裕氏、五輪2大会連続でメダルを獲得したマラソン女子の有森裕子さんの3人。東京五輪招致委員会会長を務める石原慎太郎都知事らと笑顔でカメラに納まった。

 「(1964年の)東京五輪は高校3年の時だったが今でも鮮明に覚えている。子どもにもう一度日本で五輪を見せてやりたい」と星野監督。「夢や希望や感動を与えたい」と山下氏。有森さんは「感動するというのは人間をこんなに前向きにするのかと感じた」と、それぞれ自らの経験を語った。

 五輪開催の意義が語られるとき「スポーツや五輪の素晴らしさ」が強調される。その趣旨は理解できるのだが「だから五輪を日本で開く」という結論には、論理的にもうひとつなにかが欠けている。その言葉はどうも胸に響いてこないのだ。

 ▽難しい意義付け

 五輪招致委は国内  

続きはこちら



正田 裕生(しょうだ・ひろき)1965年生まれ。埼玉県出身。千葉支局、水戸支局などを経て99年から運動部。水泳、五輪、国体などを担当。


2007年02月14日

日本指導者の評価高めたい 中国行き決めた井村雅代さん  

 「え! まさか…」。わが耳を疑った。昨年12月、ドーハ・アジア大会のハマド水泳センターでのことだった。シンクロナイズドスイミングで長く日本を引っ張ってきたカリスマ指導者、井村雅代さんが、なんと中国代表のヘッドコーチに就任するというのだ。

 おりしも、アジア大会では日本はデュエット、チームともに中国に初めて敗れ、銀メダルに終わった。“歴史的敗北”を喫した選手たちは衝撃を受けていたが、コーチだった井村さんの「中国行き」はそれ以上のショックだったに違いない。

 後日、井村さんに尋ねてみた。すると、こう言った。「正田さんだって言ってたやないか。『次は中国を教えるしかないですね』って」。

 そうだった。2004年、アテネ五輪を最後に井村さんが日本代表ヘッドコーチを辞めたときだった。どんな機会だったかは覚えていないが、シンクロに情熱の限りを尽くしてきた井村さんに「次は何をするんですか」と辞めた後の活動について話をしていたときだった。「中国を教えるのはおもしろいですよね。絶対、次は中国ですよ」。わたしは軽い気持ちで井村さんに“提案”していた。

 ▽知恵絞りロシア追い詰める

 井村さんの指導暦は、そのまま日本シンクロ界の国際舞台での戦いの歴史と言っても過言ではない。1984年、シンクロが初めて五輪に採用されたロサンゼルス大会以来、すべての五輪で日本代表の指導に携わってきた。そして、日本は6大会連続して全種目でメダルを獲得。奥野史子、立花美哉、武田美保ら多くの教え子をメ  

続きはこちら



正田 裕生(しょうだ・ひろき)1965年生まれ。埼玉県出身。千葉支局、水戸支局などを経て99年から運動部。水泳、五輪、国体などを担当。