「貴乃花と時代がクロスしていれば…」朝青龍の引退に思う
朝青龍を初めて取材したのは、1999年1月上旬の朝だった。当時まだ18歳。高知・明徳義塾高から入門し、初場所の新弟子検査を受検した時だ。「目標は千代大海関と旭鷲山関です。一生懸命頑張って、お父さんとお母さんを喜ばせたい」。丸坊主の少年は引率の兄弟子に促され、相撲協会職員や報道陣に何度も深々と頭を下げていた。

私はその場所を最後にプロ野球担当となり、朝青龍との再会は相撲担当に復帰した3年後の1月。丸坊主の少年は新関脇だった。私のことなど覚えていないと思い、名刺を出して自己紹介しようとしたら、笑顔でさらっと言われた。「名刺なんかいらないですよ。新弟子検査にいたでしょ? 相撲に帰ってきたの? これからもよろしくね」。何て頭のいい男なんだろうと思った。それからあっという間に私の名前や会社名を誰かから聞き、覚えてくれた。1年後には横綱になり、7歳年上の私を「おい、田井!」と呼び捨てにしたが、やんちゃ坊主がそのまま大人になったみたいで、どこか憎めなかった。
暴力問題の責任を取って―というか、それを口実に角界を追われるようにして朝青龍が引退した。問題行動は今回だけでなく、積もり積もったものが相撲協会幹部の怒りを爆発させた。私は非常に残念に思う。4日の引退記者会見で涙を流す朝青龍を見て、初めて取材した時や再会した時のことを思い出した。頭の回転が速く、根は純粋だったはずの少年はどこで脱線したのだろうか。
朝青龍の周囲にはコントロールしてくれる人物がおらず、知らないうちに自分自身も制御不能に陥ってしまった。角界屈指の厳格な指導で知られる阿武松親方(元関脇益荒雄)は言う。「人生において『この人だけは怖い、頭が上がらない』と思うような存在は絶対に必要だ。力自慢の男だったら、なおさらでしょう」。言い得て妙だ。
本来ならば父親代わりであるはずの師匠の高砂親方(元大関朝潮)は、今回の騒動が過熱し出した1月下旬、大勢の報道陣が張り込む部屋の真ん前にある居酒屋で泥酔。ろれつが回らず、千鳥足のかたわらには、一緒に店から出てきたおかみさんもいた。看板である現役横綱の一大事なのに、武蔵川理事長(元横綱三重ノ海)は「師匠からの報告を待つ」の一点張り。師匠の頼りなさは百も承知なのだから、なぜ処分を決める理事会前に自ら朝青龍を呼び出し、詳しく事情を聞かなかったのか。
最後まで横綱としての自覚が芽生えなかった本人も悪いが、まさに〝放し飼い〟を続けた相撲協会と師匠も同じくらいに悪い。ここで私が惜しむのは、横綱貴乃花が引退した2003年初場所後、入れ替わるようにして朝青龍が最高位に立ってしまったことである。あと1年でも2年でもよかった。貴乃花が現役の先輩横綱として、身をもって範を示していたら…。
そして今回。朝青龍の引退とともに、貴乃花親方が相撲協会の新理事に当選した。現役時代は朝青龍に2戦2勝の同親方は品格にあふれ、相撲道に対して一切の妥協を許さなかった。やんちゃ坊主も頭が上がらないだろう。平成の大相撲を間違いなく彩った朝青龍にとって最大の不幸は、平成の大横綱と称された貴乃花親方と時代がクロスしなかったことだった。
【写真】引退会見を終え、手を振って引き揚げる朝青龍。右は高砂親方(共同)
(この コラムはしばらく休載し、3月10日付から再会します)
田井 弘幸(たい・ひろゆき)1973年生まれ。大阪府出身。96年に入社。大相撲担当からプロ野球の阪神、中日担当を経て、2002年から大相撲に復帰。
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