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スポーツリレーコラム

2008年01月30日

裏金問題から再起 元早大野球部の清水選手  

BS-0058__-200801131914_L.jpg 「清水勝仁」という名前を覚えている人も多いだろう。昨年3月、プロ、アマ両野球界が揺れた裏金問題。早大の選手が西武球団から栄養費や授業料を受け取っていたことが発覚。大学野球部からの退部と1カ月間の停学処分を受けたのが、その清水選手だった。
 
 大勢の報道陣を前に、金銭授受の経緯を明らかにした謝罪会見から約10カ月がたった。1月13日、清水選手は昨年開幕した独立リーグのベースボール・チャレンジ(BC)リーグ、信濃グランセローズの入団テストに挑戦し、見事に合格した。一度は断念した野球を続けられる喜びの会見に臨んだ。

 退部後は、完全に野球と縁のない生活をしていた。勉学に集中するととともに、居酒屋でアルバイトを経験。高校時代から野球中心の生活を送り、プロ入りが有望視された清水選手が、「普通の学生」の生活をしながら反省の日々を過ごした。大学卒業後は一般企業に就職することも考えたという。

 「自分のために、いろんな人が応援してくれた。親も僕が野球をやることを望んでくれていた。そうするうちに、やってやろうという気持ちがわいてきました。ずっと続けていた野球が大好きだから…。22歳でプロを目指すのは簡単じゃないと思うが、必死にやってプロに行きたい」。日本プロ野球組織(NPB)入りへ、力強く再挑戦を誓った。

 家族や高校時代の指導者らと相談し、企業、クラブの社会人野球よりBCリーグの方がNPBへの近道と判断した。信濃球団を選んだのは大学2年時に痛めた右ひじの治療環境が整っているからだった。約6カ月のブランクを経て、昨年10月からトレーニングを再開。自宅近くを走ったり、街のバッティングセンターに通ったりするしかなかったが、そんな努力が実った。プロから注目された選手だけあって、入団テストではミート、グラブさばき、スローイングなど信濃球団の指導者を納得させる身のこなしを披露した。

 日本ハム球団の元チーム統括本部長で、現在は信濃球団社長を務める三沢今朝治氏は「裏金問題で野球をやりたくてもやれなくなった。そんな彼の夢を壊すのはかわいそうだった。もう、みそぎは済んだ。ファンに認めてもらえるよう頑張ってほしい」と再起にエールを送る。

 4月に予定されているBCリーグ開幕に向け、右ひじの完治とともに、遊撃手としてレギュラー獲得を目指す。ただ、BCリーグという「舞台」に出てくることで、周囲から「あの裏金の―」という冷ややかな目で見られることもあるだろう。汚いやじが飛んでくるかもしれない。試練が待ち構えている。

 反省の気持ちを忘れないよう、清水選手の頭は謝罪会見以来、ずっと丸刈りのままだ。「もし僕が、髪を長く伸ばしたり、染めたりすると、友達とか支えてくれている人たちに迷惑がかかると思うから」。後ろ指をさされ、悲嘆に暮れた自分を元気づけてくれた人たちへの感謝の気持ちも込められている。

 そんな謙虚さや、テスト合格の会見で見せた喜びを忘れず、長野のファンに受け入れられるプレーや態度で試練を乗り越えてほしい。清水選手のチャレンジが始まる。

【写真説明】信濃グランセローズの入団テストに合格し、木田勇監督(左)と握手する清水勝仁選手=1月13日、長野市の長野オリンピックスタジアム

倉見 徹(くらみ・とおる)1970年生まれ。石川県珠洲市出身。96年からプロ野球を取材。近鉄、阪神、ダイエー、ロッテ、西武、巨人を担当。現在は球界全体をカバー。



2008年01月23日

切磋琢磨し、互いに向上 皆川が佐々木の刺激に  

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 競技者に欠かせない闘争心に火を付けるため、力になるのが身近なライバルの存在だ。今季のスキー取材を続けながら、それを強く感じている。

 アルペンスキーのワールドカップ(W杯)で日本勢最高の2位に3度入った実績を誇る佐々木明(ティーシーエス)が、今季途中からレベルアップした滑りを見せている。①急斜面②アイスバーン③視界良好―の条件に恵まれれば、近いうちに2シーズンぶりの表彰台に上れるはずだ。


 昨季は不振だった。印象に残っているのが、シーズン序盤に佐々木が「兄貴分」と慕うA氏が漏らした「賢太郎がいないのが痛い」のひと言だ。A氏は、昨季が始まった途端に大けがをして残るシーズンを棒に振った皆川賢太郎(アルビレックス新潟)の不在が、佐々木に影響することを予見していた。

 練習でタイムを競い、大会で結果を出して切磋琢磨(せっさたくま)する。佐々木は北海道・北照高時代から先輩の皆川と刺激し合ってきた。「永遠のライバル」を一時的にも失い、眼光から鋭さが消えたように見えた。

 今季、皆川が復帰して、誰よりも歓迎しているのが佐々木だろう。「賢太郎さんは練習ですげえ速いよ。今に(上位に)来るね」と強く意識し、自身も昨季よりずっと練習に熱を入れている。

 世界に目を向けると、同じようなケースに気付く。今季のW杯アルペンスキーはフランス勢の台頭が著しいが、これもチームメートの競争のたまものだ。ジャンバプティスト・グランジェは、男子回転第3戦で初優勝を遂げ、勢いづいて回転第6戦まで3勝。同僚のジュリエン・リゼルーも昨季までは無名だったが、回転第6戦で自己最高の4位に食い込むなど健闘している。

 今季のグランジェの滑りは神懸かり的だ。皆川は「ほかの選手が(旗門を)大きく回り込むところを、思い切りスキーを踏んで(方向転換して)いる。あれが出来るのは相当な自信があるから」と説明する。そんな滑りを間近で見るリゼルーが奮起するのは当然だろう。グランジェも「僕だけでなくチーム全体の調子が良いので、負けられない気になる」と好循環を口にする。

 ノルディックスキーのジャンプでは今季序盤、オーストリアのトーマス・モルゲンシュテルンとグレゴア・シュリーレンツァウアーの2人だけが別次元で飛んでいた。日本チームのユリアンティラ・ヘッドコーチにオーストリア勢の強さについて聞くと「正直なところ、理由は分からない。ただ、誰かが飛び出すと周囲も引き寄せられるものだ」と答えが返ってきた。

 ライバル関係は「特に仲良しではないが、互いを認め合う」という微妙な距離感が理想かもしれない。例えば、男子回転の五輪王者ベンヤミン・ライヒと世界選手権覇者マリオ・マットのオーストリア勢。2人は練習ですごい火花を散らし、終わってもほとんど目を合わせて会話をしない。昨季はずっとそんな感じで、最後まで回転の種目別優勝を争った。

 佐々木と皆川は性格が違うし、プライベートでの付き合いはほとんどない。ただ、互いの実力を誰よりも高く評価し、負けないように努力を続ければW杯でも優勝できるとわたしは信じている。

【写真説明】W杯の難コースに挑む佐々木明(上)と皆川賢太郎

戸部 丈嗣(とべ・たけつぐ)1972年生まれ。2004年11月からローマ支局。サッカーとスキーを主に取材。サッカー担当としてはJリーグで横浜M、イタリアが優勝した2006年W杯を取材



2008年01月16日

天国の父と夢の実現へ 北京五輪でメダル目指す上山選手  

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 昨年11月1日から3日までカナダのケベックで行われたトランポリンの世界選手権で、五輪種目の男子個人で世界ランキング1位の上山容弘選手(大体大大学院)が銅メダルを獲得した。団体も2大会連続の銀メダルに貢献し、外村哲也選手(ビッグスポーツ)とシンクロナイズドで日本初の金メダルに輝き、メダル3個と大活躍した。

 五輪種目メダリストとなった上山選手の北京五輪代表はこれで決まったが、日本に帰国した直後に悲劇が起こった。「トランポリンの基本を教えてくれた」という父親の剛さんが11月14日に胆管細胞がんのため、56歳の若さで他界したのだ。

 

 日本トランポリン協会にとっても上山競技部長の急死は大きな痛手だった。協会は北京五輪でトランポリン初のメダルを目指し、「メーンポールに日の丸を!」をスローガンに掲げてきたが、強化の中核的な人材を失ったからである。

 東京運動記者クラブ・体操分科会幹事を務める、わたしにとってもショックは大きかった。アテネ五輪翌年の世界選手権直前に、ワールドカップ(W杯)シリーズで連戦連勝と台頭した上山選手ら代表選手の取材をするため、静岡県掛川市の体育館を訪れて以来、お世話になっていたからだ。

 昨秋の世界選手権を前に期待が大きかった代表選手の経歴などの資料を要望すると、「動けるうちにやれることはやりたい」と、演技構成入りの詳細なプロフィールを作成してくださった。毎週の投薬治療で教員も休職し体調を崩していたにもかかわらず、マスコミに取り上げられることがトランポリンの普及、発展につながると労を惜しまなかった。

 上山さんの資料を持参し取材に臨んだ北京五輪予選の世界選手権で、男子は上山選手と外村選手の決勝進出で最大2枠、女子も半本ひろみ選手(金沢学院北国ク)の12位で1枠の五輪切符を確保し、日本の強さをアピールした。

 アテネ五輪予選を兼ねた03年世界選手権では、男子が上山選手の最高30位と惨敗し、五輪出場枠を逃した日本がリベンジに成功した。上山選手は予選が終了すると「4年前があるから今がある。プレッシャーで心が折れそうになったけれど、使命をまっとうできた」と喜びを爆発させた。

 05年世界選手権で銀メダルと躍進し、06年W杯決勝大会で初優勝した上山選手は実績などをもとに、2度の選考会抜きで世界選手権代表入り。しかし「不透明な代表選考」と質問状も出たため、一身に背負った期待と重圧は大きかったという。

 生前の上山さんは「容弘に限らず、日本の誰かが五輪でメダルを取ってくれればと思って強化してきた」と口にしてきた。上山選手はショックを乗り越え、昨年12月に北京で行われた五輪テスト大会で銀メダルを獲得して、本番のメダル奪取に弾みをつけた。6歳で本格的に始めたトランポリンの集大成が北京五輪となる。わずか20秒近くの演技に教わったすべての技術をぶつけるつもりだ。天国の父と夢の実現のために―。

【写真】トランポリンの世界選手権男子個人で銅メダルを獲得し、北京五輪の日本代表に決まった上山容弘=2007年11月3日、ケベック(共同)

奥出 裕充(おくで・ひろみつ)1969年生まれ。アテネ五輪の体操、トリノ五輪のフィギュアスケートなどを担当。慶大時代はバドミントン部に所属し、ことしからはコーチ。



2008年01月09日

「粛」から「祝」へ変化期待 伝えたいのは土俵の熱気  

PN2007113001000701.-.-.CI0002.jpg 正月に届けられた年賀状には、「昨年は大変でしたね…」「今年こそ穏やかな1年になればいいですね…」との言葉が添えられたものが多かった。わたしも「騒動続きで大変でした」といったメッセージをたくさん書いた。もちろん双方とも、大相撲を意識してのものである。

 

 昨年の今ごろを振り返ってみる。良くも悪くも、大相撲はあまり注目されていなかった。朝青龍の独走は一段落し、大関昇進時に高い人気を誇った琴欧洲は伸び悩み、当時は大関の白鵬は休場明けで初のかど番。そして、わたしも何となく正月気分が抜けないまま、1月7日に初場所が普通に始まった。まさに「嵐の前の静けさ」だった。

 賜杯レースも淡々と進み、朝青龍が史上5人目の優勝20回を難なく達成。しかし、ここからだった。千秋楽翌日の22日に朝青龍を中心とする「八百長疑惑」報道が週刊誌で繰り広げられた。年6回ある大相撲の本場所は奇数月だから、相撲記者にとって偶数月は少し息抜きができる期間。それが息を抜くどころか、息をつかせぬ日々が初場所直後に幕を開けた。

 朝青龍騒動や時津風部屋の力士死亡問題など、その後のトラブルは周知の通り。騒ぎに埋もれてしまったが、大関栃東の病による無念の引退劇や白鵬の横綱昇進、琴光喜の大関昇進と土俵の中もそれなりに動きがあった。こんなふうにして、季節の移り変わりを感じる暇を与えてくれないほどに、角界は次から次へと取材テーマを提供してくれた。

 騒々しい1年が終わり、物思いにふけりながら年末年始を過ごしていると、ふと気が付いた。テレビに出演する力士をほとんど見かけなかったことだ。わたしが知る限り、白鵬と千代大海が1本ずつ出ていた程度。ある幕内上位の若手力士によると、人気の浅尾美和とビーチバレー対決する番組企画が持ち込まれたものの、日本相撲協会の許可が下りなかったという。この力士は「楽しみにしていたんですが、今の相撲界の状況を見れば仕方ありませんよね」と話した。

 実は、相撲協会広報部は民放各局に力士のバラエティー番組への出演を断る通達を出していた。もちろん理由は騒動による「自粛」。いろんな意見があると思うが、わたしは大賛成だ。昨年や一昨年などは、みんな明らかに浮かれていた。テレビに出まくる朝青龍は千代大海らと細木数子さんの番組で共演して大笑いしていたし、人気絶頂期の琴欧洲は何かに取りつかれたかのようにバラエティー番組を行脚。お笑いグルメ番組で「まいうー」とおどける姿を見た時は、思わず目を背けてしまった。

 そういう意味では、騒動が続いたせいで、相撲界全体が少しは引き締まったのではないか。これだけ問題が山積する中で、たとえば人気力士がテレビ番組で「おっぱっぴー」とやったら、どれほどの苦情が殺到するだろうか…。番組出演を自粛して、つくづくよかったと思う。

 さらに、年末にはプロスポーツ大賞の受賞も自粛。北の湖理事長(元横綱)は「今は前に出ない方がいいんだ」とつぶやいた。2007年の世相を表す漢字一文字が「偽」なら、08年の角界は「粛」かもしれない。失墜した信頼の回復と汚名返上に向け、親方や力士は今年こそ「粛々」と相撲道に打ち込んでほしい。テレビ画面の中よりも、土俵の中で奮闘する男たちの姿をわたしは伝えたい。必死な思いがファンに理解されれば、今年の終わりには「粛」が「祝」の字に変わるはず―。昨年のように、角界が世間のひん〝しゅく〟を買わないことを、相撲記者として切に願うばかりだ。

【写真】約3カ月ぶりに再来日し、記者会見で高砂親方(右端)とともに頭を下げる横綱朝青龍=2007年11月30日午後6時すぎ、東京・両国国技館

田井 弘幸(たい・ひろゆき)1973年生まれ。大阪府出身。96年に入社。大相撲担当からプロ野球の阪神、中日担当を経て、2002年から大相撲に復帰。