2007年05月30日
東京五輪、とにかく開催を! 機運の盛り上げ焦らずに
by 正田 裕生
「ところで、オリンピックは日本に本当に来るのかねえ。どうせ無理じゃないの?」―。スポーツ団体の事務局で、こんな問い掛けがよくある。2016年の夏季五輪開催地に東京都が名乗りを上げたが、スポーツ界が一体となって五輪招致を実現しようという熱気は感じられない。世論の盛り上がりにも欠け、招致活動は漠然とした空気に包まれている。
▽胸に響かない言葉
5月24日、五輪招致を広くアピールする初代の「招致大使」が東京都庁で報道陣にお披露目された。来年の北京五輪出場を目指す野球日本代表の星野仙一監督、1984年ロサンゼルス五輪柔道の金メダリスト山下泰裕氏、五輪2大会連続でメダルを獲得したマラソン女子の有森裕子さんの3人。東京五輪招致委員会会長を務める石原慎太郎都知事らと笑顔でカメラに納まった。
「(1964年の)東京五輪は高校3年の時だったが今でも鮮明に覚えている。子どもにもう一度日本で五輪を見せてやりたい」と星野監督。「夢や希望や感動を与えたい」と山下氏。有森さんは「感動するというのは人間をこんなに前向きにするのかと感じた」と、それぞれ自らの経験を語った。
五輪開催の意義が語られるとき「スポーツや五輪の素晴らしさ」が強調される。その趣旨は理解できるのだが「だから五輪を日本で開く」という結論には、論理的にもうひとつなにかが欠けている。その言葉はどうも胸に響いてこないのだ。
▽難しい意義付け
五輪招致委は国内での招致機運の盛り上げに頭を悩ませる。それは、来年1月までに国際オリンピック委員会(IOC)に提出する申請ファイルに「世論」の項目があり、国内での五輪支持、不支持の率を出さなくてはならない。もちろん、支持率が高いほうがIOCの評価は高くなる。しかし、わたしも都民の1人だが、ご近所の人から「五輪をぜひ東京でやってほしい」という声を聞いた事がない。仕事柄、小学生の息子は「ナマで見てみたい!」とはしゃぐが…。4月の都知事選では五輪開催の是非が議論されたが争点とはならなかった。周囲の人の関心は、わが子の教育問題、住みやすい社会のための治安確保、介護や医療の問題で、五輪は二の次、三の次というのが実感だ。ましてや、地方都市に五輪招致に期待する声がどれだけあるのか疑問だ。
石原知事は「成熟した都市の姿を世界に示したい」と強調する。64年五輪は、戦後の荒廃から復興し、高度経済成長の大きなステップとなった。次回の五輪は違う。成長期は過ぎ、安定した時代の五輪だ。前回五輪は「国全体が変わる」というダイナミズムがあり、国民にとっても分かりやすかった。現代の日本で、誰もが納得できる五輪開催の意義を、実際に開く9年も前に提示するのは至難の業だろう。
▽とにかく開催
世界各国の人々と触れ合い、勝負を通した熱い感動を与える「スポーツの祭典」は理屈抜きですごい。ただ、その素晴らしさは実際にやってみないと分からないのかもしれない。一方、アテネ五輪でギリシャ中がオリンピックフィーバーに沸いていたわけではない。ロンドンで開かれる12年五輪を前に、今から英国中が興奮に包まれているなんて聞いた事もない。
とにかく、まずは開催することだ。計画的に、そして戦略的に招致活動をして。開催地はIOC委員の投票で決まる。意義付けや機運盛り上げに焦ることなく、IOC委員の票をつかむこと。あとは国中が一体となって五輪を開催できれば、16年には感動を共有できるだろう。(了)
正田 裕生(しょうだ・ひろき)1965年生まれ。埼玉県出身。千葉支局、水戸支局などを経て99年から運動部。水泳、五輪、国体などを担当。
2007年05月23日
やっぱり厳しいアウエーの環境 選手とともに報道陣も奮戦
by 山室 義高
サッカーの世界ではホームかアウエーか、試合の開催場所を強烈に意識する風習がある。同じサッカーをやるのだから、どこでやろうと一緒と思われる方も多いかもしれない。ただ、特に国際試合ではホームとアウエーの差はバカにならない代物だ。
アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)で、日本の王者浦和がアウエーで3戦3分けと苦しんだ。一方の川崎はアウエーで白星を重ね、9日に日本勢で初めて1次リーグを突破。関塚監督や選手は口々に「アウエーの2勝が大きかった」と振り返った。それほど敵地での戦いには神経をすり減らし、アウエーの勝利には本拠地での1勝以上の重みを実感していた。
北京五輪を目指すU―22(22歳以下)日本代表もアウエーで勝ち続けている。アジア2次予選ではマレーシア、シリア、香港を巡り3戦全勝。すでに5連勝のB組1位でアジア最終予選進出を決めた。時差や長距離移動、サポーターの有無、審判の判定基準の微妙なズレ、気候や芝の違いなど不慣れな条件を克服する力は五輪出場に絶対不可欠になる。相手のレベルが格段に上がる最終予選も、今回のような好結果を敵地で出せるかが重要になりそうだ。
▽報道陣もアウエーの洗礼
さて、選手だけでなく、しばしば報道陣も「アウエーの洗礼」を浴びることがある。多くのビジネスマンと同様、記者にとってもパソコンと携帯電話は必須アイテムだが、その通信がスムーズにいかない場合がアウエーでは多々ある。日本と同じような感覚でいると痛い目に遭ってしまう。
シリア戦ではダマスカスの会場の電波状況が悪く、ほとんど携帯電話が通じなかった。東京本社との連絡が滞り、大きなロスとストレスを感じることになった。記者席も机も電源もなく、まさに〝完全アウエー〟の状態だ。香港では、パソコンから記事送信ができない事態に。締め切り間近だと、これは本当に冷や汗ものだ。香港スタジアムはパソコン通信用の無線LANが使用可能で助けられたが…。
出発前にそれなりの準備はしていくが、現地の状況は実際に行ってみないと分からない。トラブルはつきもので「ホーム」の日本国内と違って円滑に仕事ができない場合は少なくない。記者も不慣れな環境に適応し、何とか克服しないといけない。
▽移動の負担
U―22日本代表を追いかけていて、移動の際に気の毒に思うことがある。日本のフル代表は航空機でビジネスクラスに搭乗するが、年代別代表は基本的に選手や監督、スタッフもエコノミークラス。大型FWの平山相太らが体を折り畳むように狭い席に座っているのは、tちょっとかわいそうになる。これも乗り越えなければならない試練の一つだ。
それでも8月の最終予選になれば、チームにはビジネスクラスが用意されるという。4大会連続の五輪出場へ向けて、さらなるバックアップ体制が整う。移動の負担は軽減されそうだ。その分、現在を上回るパフォーマンスが発揮できるのかどうか。
ただ、記者の多くは2次予選だろうと最終予選だろうと、フル代表だろうと年代別代表だろうと、エコノミークラスに変わりはない。悲しいけれど、仕方がない。まだ最終予選の相手は決まっていないが、厳しい環境は今から覚悟しておかないと…。
山室 義高(やまむろ・よしたか)1975年生まれ。神奈川県横浜市出身。名古屋、大阪両支社を経て05年12月から東京運動部。主にサッカー担当でJリーグや02年、06年ワールドカップ(W杯)などを取材。
2007年05月16日
変ぼうする"野球中心主義" 相次いで問題発生
by 榎本 一生
年明けに大阪へ転勤し、4カ月がすぎた。高校野球を任され、のんびりと単身赴任生活をおくる計画は幻と消え、西武の裏金事件に端を発した特待生問題でもう2カ月以上も振り回されている。これでもか、というぐらいに次々と問題が発生し、今後もさらに振り回され続けることになりそうな案配だ。
ここでは特待制度について論じるつもりはない。ただ間違いなく言えるのは、この国における野球の歴史、存在がほかの競技とはあまりにも違う次元にあるということだ。
▽甲子園は別格
例えば、高校では多くの競技が東京にある全国高校体育連盟に加盟しているのに対し、野球は日本高校野球連盟が統括団体として、東京ではなく大阪にある。高校総体が行われている同じ時期に、夏の甲子園大会があり、総体よりも多くの注目を集める。テレビは2週間連続で朝から晩まで生中継、新聞の扱いも総体と甲子園ではかなりの差がある。
幸か不幸か私は、そんな状況が当たり前と思って少年時代を過ごしていた。ナイター中継が試合途中で終了すると怒り、テレビドラマが30分遅れになることで憤っている人のことなど考えたこともなかった。
高野連が野球の独自性を主張する流れの中で、明治時代の「野球害毒論」なる言葉が注目を集めた。当時、既に人気スポーツだった野球を批判的に論じたのは、興味深いことに、全国中等学校野球大会(現在の夏の甲子園)を後に主催することになる朝日新聞だった。
今では番組名は変わったが、テレビ界にはかつて「プロ野球ニュース」があった。文字通りに受け取れば、プロ野球のニュースだけを報道するということになるのだが、野球ニュースの後にほかのスポーツも扱っていた。活字の世界でも同じような例がある。ベースボール・マガジン社は野球の関係だけ出版しているのではなく、サッカーをはじめ、さまざなな競技の雑誌、出版物も発行している。いずれも、スポーツ報道が野球中心に回ってきたことの表れなのだろう。
▽もがき続ける球界
しかし、世間や報道機関の〝野球中心主義〟は確実に変ぼうを遂げつつある。日本の子どもの数そのものが減り、反比例するように誰でも楽しめるスポーツが増えているのだから、競技人口が減少するスポーツが出てくるのは当然の流れだ。
とは言うものの、昨夏の甲子園、早実の斎藤佑樹投手の「ハンカチ王子」フィーバーのように、ちょっとしたきっかけで野球に興味のないと思われていた層の関心が全国的広がりを見せることもある。恥ずかしい話だが、昨夏の甲子園は現場にいながら、その後のフィーバーの予兆を感じ取ることはできなかった。自分たちを含めた報道の影響もあるのだろうが「ハンカチ王子」ブームは、野球の特異性を強烈に示す出来事ではあった。
日本の野球は高校、大学、社会人、プロ、さらには少年野球と、それぞれが独自に発展してきた歴史がある。今回の裏金や特待生のような問題が起きても、各団体が問題解決のために一つにまとまるのは不可能ではないかとも思う。スポーツ報道に携わる立場としては、野球界がもがき続ける姿を読者が理解できるように伝えることしかない、との思いを強くしている。
榎本 一生(えのもと・かずき)1969年生まれ、92年入社。プロ野球担当、大相撲担当などを経てことしから高校野球担当。取材で最も印象に残っているのは1994年夏の甲子園佐賀商の優勝。
2007年05月09日
心揺さぶられた2人の涙 福見の悔しさと秋本の感激
by 森本 任
日本柔道界にとって4月は全日本選抜体重別選手権、男女の全日本女子選手権、全日本選手権とビッグイベントの連続だ。今年は各大会が世界選手権(9月・ブラジル)の代表選考会を兼ねており、来年の北京五輪代表争いをにらんで熱戦が繰り広げられた。特に全日本選抜体重別選手権では2人の若手の涙に遭遇し、心を揺さぶられた。
▽潔かった福見
女子48キロ級は優勝した福見友子(筑波大)が悔し涙を流した。決勝で2年ぶりに復帰してきた谷亮子(トヨタ自動車)を破ったが、全日本柔道連盟の強化委員会は過去の実績を評価して谷を世界代表に選出した。
強化委員会の中でも「試合に勝って代表になれないのでは、選考会の意味がない」という声も上がり、全日本柔道連盟には一般の人から多くの抗議の電話が寄せられた。だが、福見は「自分が首脳陣から信頼されていないから」と潔かった。
筆者が「本音では『なんで』という思いもあるのでは」と聞くと、「そう思うとここで止まってしまう。北京五輪のチャンスがある限り、勝ち続けて自分なりに実績を積んでいくつもりです」と迷いはなかった。谷に2連勝している福見。今の気持ちを忘れなければ、来年4月の五輪代表選考で谷を追い抜く可能性も十分にあるだろう。
▽本当の自分に戻った秋本
両目ににじんだのは感激の涙だった。男子66キロ級を制した秋本啓之(筑波大)は「やっと本当の自分に戻れました」とガッツポーズをつくった。
昨年は五輪同級金メダリストの内柴正人(旭化成)を差し置いて日本代表に抜てきされたが、ワールドカップ(W杯)や12月のドーハ・アジア大会は低調に終わった。
スタミナ不足に加え、不安定な精神面。ドーハ・アジア大会後、日本代表の岡田弘隆コーチ(筑波大総監督)は秋本の異変に気付き、じっくりと2人で話し合った。そして、秋本は衝撃の事実を口にした。
周囲の期待の大きさにストレスを感じていた。試合前になると落ち着きがなくなり、ごまかすために食べ物を口にした。だが、減量がある。食べたものをトイレで吐くようになった。行動は日増しにエスカレートしていき、おなかが膨れ上がるほどの量を食べて吐き出すようになった。
岡田コーチは秋本をメンタルクリニックに連れて行き、「摂食障害」と診断された。ここから二人三脚での障害克服が始まった。岡田コーチは自宅に秋本を泊まらせ、生活をともにした。妻の手料理を一緒に食べさせ、トレーニングは早朝から付き合った。秋本は生気を取り戻した。今年はフランス国際と全日本選抜体重別選手権で圧勝し、世界選手権代表の座を文句なしにもぎ取った。
最初に摂食障害のことを知ったとき、プライバシーにかかわることなので原稿には書けないなと思った。いずれ本人が明らかにすればと思っていたが、4月末の公開取材の際に秋本自ら切り出して報道陣に説明した。
「よく言ったなあ」と感心すると「あのままじゃ柔道だけじゃなく、生きていく上でも危なかった。もう隠すことでもないと思って、カミングアウトしちゃいましたよ」。屈託のない笑顔に正直ホッとし、同時にたくましさを感じた。
森本 任(もりもと・まこと)1998年入社。プロ野球担当として阪神、日本ハムを取材。2005年12月に東京本社に異動。現在は柔道、レスリング、大相撲、スキーなどを担当。柔道3段。
2007年05月02日
出るか、シンデレラボーイ フューチャーズで出場機会
by 松岡 登
いい形で軌道に乗ってほしい球界の新機軸がある。プロ野球の2軍であるイースタン・リーグ(EL)は、今季から通常の公式戦とは別に、若手選手の育成を目的とした試合「チャレンジ・マッチ」を新設した。ELに所属する7球団から育成選手や若手などを集めた混成チーム「フューチャーズ」を編成し、公式戦のないELのチームと対戦している。実戦経験の機会を少しでも多く提供し、レベルアップを図ることが狙い。松坂(レッドソックス)らをはじめ、人気選手の相次ぐ米大リーグ移籍による国内空洞化が懸念される中、なかなか才能を開花させられずに埋もれている「金の卵」の飛躍の手助けとなることができるか。関係者の期待は大きい。
▽若手限定の登竜門
ELの公式戦がスタートした直後の3月28日。ヤクルト2軍の本拠地である戸田市内の戸田球場には、昨春のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で初代王者に輝いた日本代表のユニホームによく似た上着を着た選手が集まった。胸には「Futures」の文字が大きく躍る。投手6人、捕手3人、内野手5人、外野手6人の計20人を基本に構成される混成チーム「フューチャーズ」のデビュー戦は好天に恵まれ、午後1時前にプレーボールがかかった。
「フューチャーズ」構想の始まりは昨年1月だった。巨人が若手限定の試合として、フレッシュ・リーグ(仮称)の実施を提案。当初は公式戦の一部を年齢制限して充てる方向で検討していた。一方、EL所属は7球団と奇数のため、常に1チームは試合ができない状況を抱えていた。公式戦の試合数を減らしたくないなどの意向もあり、方向性はその余ったチームと若手の混成チームを対戦させる新方式へと変わっていった。
「フューチャーズ」のメンバーは固定されず、試合によって入れ替わる。また経験を積ませるために全員の試合出場が原則。初年度は3月28日から8月18日までに約30試合を予定し、球場は2軍の本拠地が使用される。趣旨に賛同する企業がスポンサーとして支援することも決定。加えてタレントの萩本欽一さんが監督を務めるクラブチーム「茨城ゴールデンゴールズ」との対戦も検討されるなど、周囲の関心も高まっている。
▽意義とメリット
2軍は「選手育成が役割」といわれるが、現実には1軍から2軍落ちしてきた選手が再調整する場となっているケースが見受けられる。そんなチーム事情には左右されず、出番に恵まれない若手に試合出場の機会を与えられることの意味は大きい。EL関係者によると、所属の2軍チームでは守備固めや代打などでしか出番のなかった若手が「フューチャーズ」の一員として「チャレンジ・マッチ」で好結果を残し、自分のチームに戻って先発出場のチャンスをつかんだ好例も報告されているという。
過去のデータを振り返れば、プロ野球で活躍することを夢見て入団しながら、2軍でさえあまり出番に恵まれず、3、4年限りでユニホームを脱いでいる選手の数は少なくない。もちろん、故障して選手生活を続けられない場合もあるだろうが「チャレンジ・マッチ」のような仕組みが存在していれば、違った結果になっていた可能性もある。主導的な役目を果たしてきた巨人の清武英利球団代表は「一芸に長けたダイヤの原石はいる。埋もれた選手にチャンスを与えて、才能を開花させたい。安い給料で1軍を目指す人にシンデレラストーリーを演じてもらいたい」と意義を強調する。
ELは「フューチャーズ」の遠征費などの負担増を避けるため、開催球場は関東地区の6球団とし、仙台を本拠地とする楽天は対象外とするなどの工夫を施している。しかし、初めての試みのため、これからトラブルが出てくることがあるかもしれないが、関係者の尽力で何とか長年続くような制度として確立させてほしい。そして、サクセスストーリーを実現する「シンデレラボーイ」の誕生を持ち望みたい。
松岡 登(まつおか・のぼる)1966年生まれ。広島県出身。98年からプロ野球担当となり、中日、阪神、ヤクルトなどを取材。05年からはコミッショナー事務局やセ、パ両リーグなどを中心に取材。