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スポーツリレーコラム

2007年04月25日

選抜で輝いた帝京の杉谷兄弟 父はボクシングの元日本王者  

 by 戸田 康文

 選抜高校野球大会に出張で行ってきた。東京本社勤務なので、主に東日本の学校を担当する。ベスト4に入った帝京の杉谷翔貴、杉谷拳士の1年違いの兄弟を取材するのが感慨深かった。

 既に新聞各紙で何度も報じられ、ご存じの方も多いと思うが、彼らの父は元ボクサーで、世界挑戦を経験した実績もある元日本フェザー級王者の杉谷満さん。なるほど、拳士なんて名前はいかにもボクサーの息子だ。

 少年時代、大のボクシングファンだった僕が、初めて生観戦した世界タイトル戦が杉谷満の試合だった。1989年3月26日で、当時僕は17歳の高校2年生。川崎駅から徒歩20分ほどの川崎市体育館で、2階の自由席をお小遣いで購入した。ベネズエラから来た世界王者、エスパラゴサに3回に右フックを打ち込んでダウン寸前に追い詰めた時は思わず立ち上がって絶叫した。結局は力の差を見せつけられ、10回KO負け。それでも何度倒されても、不屈の闘志で立ち上がり、向かっていく姿に観客は試合後も温かい拍手を送った。

 ▽お腹の赤ちゃんが甲子園に

 僕も感動してアリーナ席に駆け降り、控室に戻る杉谷に「また頑張れー」と背中をぽんぽんとたたいた。そういえばあの時、新聞で見た杉谷の奥さんの腹が膨らんでいた。「生まれてくる子供のためにも」なんて記事だったかな。当時おなかの中にいた赤ちゃんが、いま名門校のレギュラーとなって甲子園でプレーしているのだ。

 既に昨夏、弟の拳士君は甲子園に出ている。帝京のような強豪校で、要のポジションであるショートのレギュラーを1年生で獲得するのは大変なセンスの持ち主だ。3回戦の福岡工大城東戦。六回の守備で打球が右ほおを直撃し、その場に崩れ落ちた。懸命に立ち上がり、試合終了まで元気にプレーした。「代えられるのが嫌だったから、立ち上がってやれることをアピールした」。試合後に判明したが、右ほお骨折の重傷だった。18年前のお父さんの敢闘精神がよみがえった。「左フックを受けた感じですね」と笑いを取ることも忘れていなかった。

 兄の翔貴君は2年生だった昨夏はベンチ入りできなかった。チームの8強入りをアルプス席から声援を送っていた。脚光を浴びる弟を見て「それはそれは悔しかった」と本音を漏らす。

 今回の選抜大会では、兄貴が輝いた。準々決勝の広陵戦で、一回に満塁本塁打をたたき込んだのだ。8番打者ながら、父譲りの強烈なパンチ力を大舞台で見せつけた。テレビカメラの前に立ち、記者に囲まれて上気した顔でインタビューに答える兄の姿を見て、今度は弟が悔しがっていた。

 ▽兄弟はライバル

 ここまで読んで、既に感づいた方がいるかもしれない。実はこの兄弟、相当仲が悪いのだ。昨秋の東京都大会に兆候はあった。優勝してセンバツ出場を確実にして、拳士君に「来春は兄弟そろって出られたら最高だね」と声を掛けたら「兄貴がレギュラーなんて、全然決まってませんからね」と言って、へへへと笑った彼にあぜんとした思い出がある。

 僕らマスコミはどんなスポーツであれ、兄弟で同時に試合出場すると、ついつい「2人で力を合わせて頑張ろう」みたいな感動物語を書こうとするが、こいつらは見事に裏切ってくれる。しかし兄弟がお互いに負けまいと競い合うことでこのチームは強くなっているのだとも思う。

 まあ、1年違いの男兄弟なんて、生まれつきライバルみたいなもの。彼らがそろってプレーするのは最後となるこの夏、どんな兄弟物語を見せてくれるか楽しみだ。

戸田 康文(とだ・やすふみ)1971年横浜市生まれ。神奈川・桜丘高―明大を経て入社し大阪、福岡支社を経由して01年12月から本社勤務。担当はボクシングのほかアマチュア野球、ラグビーなど。



2007年04月18日

人々魅了するゴルフの祭典 最高の舞台作りに強い意志  

 by 高村 收

 まぶしいほどに鮮やかな緑の芝に、そこに咲き誇る美しい花々。世界最高峰の舞台といえるゴルフのマスターズ・トーナメントが今年も終わった。毎朝、早起きしてテレビ中継にかじりついたファンも多いのではないか。昨年まで取材のため、3年連続で米ジョージア州のオーガスタ・ナショナルGCを訪れた。テレビ画面からだけでは伝わらないマスターズの姿がある。

 ▽独特のにおい

 マスターズの前には、何か月もコースを閉めて芝の養生などにつとめるという。そよぐ風に乗って漂う芝生の香りはやはり心地いいが、初めて行った年に、それを上回るような独特のにおいが存在することを知った。日本ではあまりかいだことのない葉巻の煙だった。やはりギャラリーにはお金持ちが多いのか、普通のタバコを吸っている人なんてあまりお目にかかれない。そこら中で太い葉巻を口にくわえた観衆がいる。日本でも最近、「シガー・バー」が流行っているらしいが、オーガスタでも十分に葉巻のにおいを堪能できる。

 世界中のゴルファーがあこがれる舞台だけあって、出場選手も年に一度の大会を楽しんでいる。特に練習日はプレーヤーと身近にふれ合えるチャンスもある。3年前、クラブハウスの前に設けられたテラス席で、美味と評判のクラムチャウダーをすすっていると、となりのテーブルには大御所のアーノルド・パーマー(米国)一陣が座った。その年でマスターズを引退すると決めていたパーマーに、日本から来た知人は興奮気味。思わず、その知人は、マスターズのロゴが入った紙コップとマジックを持っていき、サインを頼むとパーマーは快く応じてくれた。見た目は怖そうなビジェイ・シン(フィジー)もよく、気さくにギャラリーに話しかけ冗談を言うなど、試合中とは違った一面にも遭遇できる。

 ▽招待試合

 マスターズはもともとは〝球聖〟と呼ばれた伝説的名選手、ボビー・ジョーンズ(米国)が仲間を集めて実施したプライベートなコンペだ。今は米ツアーに組み込まれているが、オーガスタ・ナショナルGCの招待試合という性格は現在でも随所に感じられる。

 例えば携帯電話。日本などでは「電源は切っておいて下さい」という程度の注意書きだが、ここではコースに持ち込むこと自体がNG。以前、クラブハウス付近でさえ、通話していた日本人メディアの電話が没収されたこともあるほどで、とにかく徹底している。

 また、選手とギャラリーを仕切るロープの内側にメディアが入っていけないのも極めて珍しい。メジャー大会を含め、普通の試合なら取材陣は腕章などをしてロープ内を歩くことが許される。取材用に便宜を図ってくれるのだ。しかし、ここではそうはいかない。だから観客が集中するグリーン周りでは、大柄な外国人ギャラリーのすき間から、お目当ての選手のプレーを見なければならない。

 これらの措置はいずれも選手のことを第一に考えてのことだろう。素晴らしいプレーができるよう、最高の舞台を整えるためには妥協を許さない。オーガスタ・ナショナルGCの強い意志がある。それを初めて悟ったのは初めて訪れた年。コースから小走りでメディア・センターに戻っているときに、係員からコース内を走ってはいけないと忠告され、ここの決まり事だと説明を受けた。そう、われわれはお招きいただき、取材させていただいている立場なのだ…と痛感した瞬間でもあった。

 こういう独自なルールがあっても人々を魅了してやまないマスターズ。逆に言えば、どこまでも完ぺきさを求めて〝ゴルフの祭典〟としての威厳や大会の質を維持しているとも言える。大会側は試合を報じた日本の新聞などを取り寄せ、日本語の分かるスタッフを介してどんな記事が掲載されたかをチェックしているという。まさかそんなことまで、と思うかもしれないが、マスターズだったら、と納得してしまう。

高村 收(たかむら・おさむ)1973年生まれ。山口県出身。大相撲、ラグビー等を担当した後、03年からゴルフ担当となり、宮里藍やミシェル・ウィーを取材。07年からは大相撲担当も兼ねる。



2007年04月12日

また始まった旅の生活 大リーグで見た米国の都市  

 by 神田 洋

 また始まった。こういう生活になじんで13年を迎える。米国に住むここ4年は、特にその頻度が高くなった。4月になると旅が始まる。

 野球記者の基本は担当球団を追って動くこと。横浜や巨人を担当していたときはまだ簡単だった。例えば横浜担当なら、巨人、ヤクルトは家から通えるし、名古屋まではものの1時間で、大阪なら2時間半ほど。今から思えば、広島が少し遠いくらいだった。

 それに監督、選手もわれわれと同じように公共交通機関で動くので、日程に無理がない。最長6連戦で、雨天中止の代替試合はたいてい日程に余裕のできたシーズン末に入る。

 ▽チームについていかなきゃ

 大リーグはどうだろう。今季のヤンキースは13連戦が5度、18連戦が1度予定されている。ここに代替試合が入ったら…。選手は試合直後に専用機で移動してしまう。それを民間機で追いかける。どう取材し、どう書くか。そんなことも、まずチームに追いついてからじゃなきゃ言えない。

 断っておくが、旅は好きだ。苦にならない。例えばテキサスでナイトゲームを終えて、翌早朝にニューヨークへ移動すると、午前7時発で11時半着。レンタカーを返却して空港に出発1時間前に着くため、ホテルを離れるのは午前5時。午後3時半にヤンキースタジアムのクラブハウスが開く。試合が終わって原稿を書き上げたら…。こんな感じで遠征が続いても、嫌になることはない。

 ▽本拠地トップ5

 苦にならないのだから、ホテルの部屋でじっと体力を温存していることもない。そこが旅好きの駄目なところだろう。自己管理に厳しい松井秀喜選手はあきれながら、笑って都市探検の報告を聞いてくれる。4年間米国を動き回り、偏った経験を重ね、自分なりに都市の概要はつかんだ。独断で大リーグのフランチャイズ都市トップ5を挙げてみる。

 5位、アーリントン。大塚選手の所属するレンジャーズの本拠地周辺には何もない。これがいい。球場が際立つ。近郊のフォートワース北部の西部劇風の街並みも絶品。

 4位、サンフランシスコ。60―70年代にカウンターカルチャーの中心だった気概はまだ生きている。それほど自由でない「自由の国」の中では、かなり自由な街。

 3位、セントルイス。ブッシュ・スタジアム近くのブルース・バー3軒に地元ミュージシャンが集まる。「オマエもやれ」と言われるので、腕自慢は行くべし。

 2位、シカゴ。アメリカの大阪と、だれかが言った。哀愁と迫力の街。音楽の質と夜の長さは一番か。

 1位、フェニックス。アリゾナの空気は日光をまるで弱めずに通してしまうようだ。アリゾナで見る山、鳥、花、サボテン。すべて他の土地で見るのと違うものに見える。もっともサボテンはアリゾナでしか見たことがないが。

 今季も米国を旅し、最高レベルの野球にしかないぎりぎりの勝負を日本に伝えたい。球場のバックに何があるのか、あるいは勝負の後、選手たちがどんな街へ繰り出すのか。ちょっとだけイメージしていただければ…。

神田 洋(かんだ・ひろし)1966年生まれ。東京都出身。高松支局、アマチュア野球担当を経て、95年からプロ野球担当。2003年、松井秀とともに渡米、ニューヨーク支局でヤンキースを中心に大リーグを取材。



2007年04月04日

人の一生左右するパワー 楽しみな陸上世界選手権  

 この夏、陸上の世界選手権が大阪にやってくる。メダル獲得が期待される日本選手は「現役のうちに地元で世界選手権があるなんて、一生に一度あるかどうか」と目を輝かせるが、記者にとってもそれは同じ。高校以来、陸上にかかわって人間として、今の立場でどう大会を盛り上げることができるか。あれこれと考えを巡らせる日々だ。

 ▽間近で「ヘイ、カール」

 前回、日本で開催された1991年の東京大会。当時大学3年生だった。中継テレビ局でアルバイトをする機会に恵まれ、連日、国立競技場に通った。実況のアナウンサーに、競技の経過状況などを知らせるのが主な業務内容のはずだった。実際に与えられたのは総合司会役の長嶋茂雄さんらをお世話をする仕事。男子百メートルを世界新記録で制したカール・ルイス(米国)に「ヘイ、カール!」とスタンドから巻き舌で呼び掛けたとき、間近にいた。マイク・パウエル(米国)の男子走り幅跳びの世界新記録に興奮し、男子マラソンの谷口浩美の金メダルや四百メートルの高野進の決勝進出にも感激した。毎日が刺激的だった。この大会前までは実は教員志望。だがスポーツを伝える現場に初めて身を置いたことで、気持ちが変わった。この大会にかかわることがなければ今の自分はなかった。

 以来、身近で開催される世界的なビッグイベントは、それに触れた人の一生を左右するパワーがある、と感じている。谷口さんは当時を振り返り「扱われ方があれで変わった。金メダルが海外の大会だったら注目度はもっと低かったと思う。だからいまの選手は今回の大会を大事にしたほうがいい」と語る。日本男子短距離のエース、末続慎吾(ミズノ)は小学生ながらに東京大会の高野にあこがれ、その後の師弟関係につながっていく。高校生だった男子ハンマー投げの室伏広治(ミズノ)も日本陸連の計らいで毎日、会場を訪れ、有力選手と練習した。こうしたことすべてが日本で大会を開くことの意義であり、財産。東京都知事選挙で16年東京五輪招致が争点の一つとなったが、こういうイベントは可能な限り国内でやれればいい。

 ▽選手がファン拡大をリード

 今回の大阪大会を、四百メートル障害の為末大(APF)は「陸上をメジャーにする最後で最大のチャンス」ととらえる。自ら成績を残せばさらに飛躍できるし、世間の注目を浴びやすい国内開催を陸上界の発展の契機にしようと意気込む。91年東京大会では連日、国立競技場が満員になった。だが、ファンの継続的な取り込みに無策で「内輪の競技」に逆戻りした。この反省もあって、全国の小学校を回って陸上の面白さをアピールする企画を立てたりと、為末ら選手側がリードする形でファン層拡大に務めている。大阪大会に向けた事前イベントにも協力的だ。

 だが、積極的な選手の姿勢とは裏腹に、大会組織委員会などの動きは鈍い印象を受ける。前売り券の売れ行きも決して順調ではないと聞く。日本のトップ選手は海外転戦する機会が増え、欧州の大会の盛り上がりの素晴らしさを肌で感じている。ここで得た知識をもとに、様々なプランを提案しても理解できる人間が乏しく、温度差が生じている。

 大会を盛り上げるのは地元選手の活躍が第一。東京大会ではマラソンぐらいしか活躍を望めない状況だったが、今はトラック、フィールド種目の人材も豊富だ。開幕まで5カ月を切った。有力選手には、そろそろ本職の競技で成績を残すための練習に集中させてあげたい。その環境作りに、関係者が一丸となって努力する必要がある。われわれも見た目では分からない選手の思いやバックグラウンドなどをきっちり伝えたい。大会後に「今度はどんな風に自分が変わるのだろう」と楽しみにしながら。

宮田 宏(みやた・ひろし)1970年生まれ。栃木県出身。93年入社。名古屋、大阪でプロ野球などを取材し、97年末から本社運動部。現在は主に陸上を担当。