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日本で暮らす(2)

異国でも明るく前向きに   民族差別逃れたクルド人

 埼玉県のJR蕨駅近くにあるケバブ店「ハッピーケバブ」に、オーナーのテイフィキ・タシさん(29)の明るい声が響く。「いらっしゃい、中で食べていって」。流ちょうな日本語だ。2014年7月の開店時から通う近所の女性は「店員さんがおしゃべりで楽しいから、また来たくなる」と笑顔で話す。

 タシさんは、国を持たない最大の少数民族とされるクルド人。トルコから来日して13年になる。「最初は言葉も習慣も全く分からなかった」。15歳のとき仕事で日本へ来ていた父に会いに来た。その後、故郷で民族差別が悪化し難民申請をしたが、認められずに時間が過ぎた。

 不安定な身分のまま、東京都内のケバブ店などでアルバイトをしながら過ごした。知り合った女性と日本で結婚し、配偶者ビザを得て、クルド人の多く住むこの場所に念願の自分の店を開いた。今では地元でも人気の店の一つだ。

 クルド人の故郷は、トルコ、イラク、イラン、シリアの国境沿いに広がる山岳地帯。出身国の政治情勢による民族差別から逃れるため、故郷を離れる人は多い。

 蕨市や埼玉県川口市周辺では、毎年3月にクルド人の新年を祝う祭り「ネウロズ」が開かれる。昔、残酷な怪物をクルド人の青年が倒し、抑圧から解放された日を祝う祭りで、女性は色鮮やかな衣装を身にまとい、軽快な音色に合わせて陽気に踊る。会場ではケバブも振る舞われ、多くの日本人も共に楽しむ。彼らの存在はもはや町の一部だ。

 その一方で、日本に逃れてきたクルド人を巡る状況は今も厳しい。

 川口市に住むタシさんの同級生アイディン・アルスランさんは2年前、トルコの政治情勢の悪化から日本に逃れた。故郷ではクルド人というだけでテロリストと同一視された経験もあるという。

 現在は難民申請中で、健康保険や就労資格がない。親戚を頼って来たものの、世話になり続けるわけにもいかない。自分たちの状況は、日本ではなかなか理解されないのでは、と不安になる。「例えば日本人がどこか違う国で僕らと同じ状況になったらどうするのか、考えたことはあるのかな」。表情を曇らせ、つぶやいた。

 頼るべき祖国を持たずに生活するのは楽ではないはずだ。それでもタシさんは「一度しかない人生、傷ついていてはもったいない」と言い切る。その姿に、苦難の中を生きる民族の歴史が垣間見えた気がした。(共同=佐藤史恵23歳)

取材を終えて

 

 学生時代に難民問題を調べる中で、埼玉県の蕨市や川口市に多くのクルド人が身を寄せ合って暮らしていることを知った。「彼らと話をしてみたい」。そんな希望を持っていると、たまたま同県に赴任した。仕事の合間を縫ってJR蕨駅に立ち寄った。

 クルド人と思われる人たちが次々に吸い込まれていく店を見つけた。不思議な光景に恐る恐る近づくと「お嬢さん、ケバブ食べていく?」と陽気な声。それがテイフィキ・タシさんとの出会いだ。

 クルド語が飛び交う店内はまるで異国のようだったが、居心地は悪くなかった。ケバブサンドを一つ頼むと「もっと太らないとだめだよ」と、思い切り肉を詰め込むタシさん。おちゃめな性格で、ぎこちない取材にも丁寧に応じてくれた。

 タシさんに出会ったのをきっかけに、20人以上と話をした。「クルド人であることを理由に故郷で就職できなかった」「銃弾が飛び交って家から出られなかった」。来日を決めた理由はさまざまだが、話を通して感じたのは「なかなか自分たちの境遇を理解してもらえない」というもどかしさだった。

 彼らの住む地域では、新年を祝う祭り「ネウロズ」の他にも、駅前でのパトロール活動やクルド料理教室などの活動が盛んに行われている。フェイスブックでも活動を紹介しており、投稿を見て遠方からイベントに参加する日本人も少なくない。地域住民から「いつもごみ拾いをしてくれてありがとう」と感謝されたことをうれしそうに話すクルド人もおり、着実に地域に溶け込みつつある。

 ただ、来日しても不安定な身分のまま苦しんでいるクルド人が多いことを、取材を通して知った。「日本は難民を受け入れない。良い国だけど、今のままではまるで人間と認められてないようだ」。ぎこちない日本語で訴えるアイディン・アルスランさんの言葉は、ぐさりと心に刺さった。

 タシさんは、人間としてみんな同じように生きていけるようになってほしいとの思いを明かす。「夢はできると思えばかなう。生きていれば無理なことは何もない」と、難しい境遇から前を向いて進もうとする姿をぜひ伝えたいと思い、記事を書いた。

 取材に立ち寄る度にケバブサンドを食べたおかげで、ベルトがややきつくなったのは気がかりだが、取材を通してたくさんのすてきな人たちに出会えたことに感謝したい。
(年齢、肩書などは取材当時)