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日本で暮らす(1)

「U30のコンパス」本音話せる月1回の相談   学校巡る日系人先生

 海を越え、日本に来る外国人はどんな思いで日々を過ごしているのだろう。言葉、習慣、考え方…。いろいろな違いを認め合い、共に生きることは難しい。自らの苦しかった経験を基にポルトガル語で相談に乗るアルゼンチン出身の語学相談員。故郷での迫害を逃れ、日本でケバブ店を出したクルド人。未来を信じ、明るく生きようと奮闘する姿を届ける。


 「アエロモッサ(客室乗務員)が興味あるな」。愛知県江南市の公立中学の一室で、進路に悩む日系ブラジル人の中学2年ルアナ・アイコさん(14)が希望を口にした。語学相談員菊地健二(きくち・けんじ)さん(29)が月に1度訪れるこの日は、ポルトガル語だけでおしゃべりできる特別な日だ。

 小学校はブラジル人学校に通っていたため、日本語での受験は不安だという。「僕でもできたから諦めないで」と、アルゼンチン出身の日系人の菊地さんが励ました。菊地さんは16歳で来日し、23歳で定時制高校を卒業した苦労人。ルアナさんにとり「面白くて頼りになる先生」だ。

 ポルトガル語も堪能で、愛知県教育委員会の職員として、母語のサポートが必要なブラジル人の子どもら約70人を担当。名古屋市周辺の小中学校約30校で通訳や個別相談を通じ、孤立しがちな子どもと教員の間の橋渡しをしている。

 「親の離婚とか誰にも言えない悩みを聞くのも大事」と話す。日本生まれの外国人の子は、母語しか話せない親と意思疎通できないこともある。

 南米の日系人が散らばって住む名古屋市近郊には、部品工場やコンビニ弁当を作る食品会社が多く立ち並ぶ。現場を支えるのが、出稼ぎで海を渡ってきた日系人だ。

 法務省などによると昨年6月現在、在日の南米国籍者約23万人のうち約6万人が愛知県に住む。同県は労働力を必要とする自動車産業が集積し、1990年の入管難民法改正で就労しやすくなった日系人が急増した。

 同時に子どもも増え、愛知県で日本語指導が必要な小中学生は、約6千人(2014年)と全国最多。菊地さんはこれまで、日系人の子が学校になじめず不登校や非行に走る姿を見てきた。

 「僕も10代の頃、悪さばかりでした」。恥ずかしそうに丸刈り頭にピアス姿の写真を見せてくれた。母国から静岡県に移住し、3年後定時制高校に入学。だが疎外感や家庭不和から悪い仲間と荒れた日々を送った。

 転機は日系人が集まる教会に通い始めたことだった。悩みを打ち明けるうちに改心し、迷惑を掛けたことを家族に謝った。卒業後、名古屋市の語学学校に通い、15年春から今の仕事を始めた。

 「悪ぶっている子でも、本当は優しい心を持っている。家庭や学校の悩みがなくなれば、いつでもやり直せる」

 これからも同じ苦労を背負う子どもを応援し続ける。今は日本語教師を目指し、来年から通信制大学に学ぶつもりだ。(共同=柴田智也33歳)

取材を終えて

 昨年末に「やります」と企画取材に手を挙げたものの、誰を取り上げるか決まらず、愛知県内を1カ月さまよった。そんな中、名古屋市の南米日系人カップルが、ポルトガル語とスペイン語で外国人向けの防災情報を動画配信していると聞き、取材に向かった。

 その1人が菊地健二さん(29)だった。当初は、メディアにもよく登場していた日系ブラジル人の彼女(22)を取り上げようと考えていたが、語学相談員という見知らぬ仕事や、菊地さんの優しげな雰囲気から想像も付かないヤンキー時代の過去を知り、「ここに隠れたヒーローがいた」と執筆を決めた。

 記事では表現しきれなかったが、菊地さんは日本の小中学校に通わずに専門的な仕事をこなす珍しいケースだという。取材をした愛知県江南市の中学校の校長先生は外国人子弟の教育に積極的だったが、「せめて小学5年までに日本の学校に来ないと、高校や大学へ進学する日本語を習得するのは厳しい。16歳で来日して、翻訳や相談業務ができるなんて」と驚いていた。

 そんな菊地さんが日本に住み続けられたのは、偶然と周りの人の好意にも支えられていた。静岡県内の定時制高校4校の受験に失敗し、アルゼンチンに帰国しようとしたところ、1校だけが聴講を認めてくれて翌年の入学につながった。また悪い仲間とつるんだ時は、友人の誘いで趣味だったギターを教会で教えることが、立ち直るきっかけとなった。「クリスチャンになってなかったら、刑務所にいたかもしれない」と当時を振り返っていたのが印象深い。

 菊地さんのそんな境遇に、外国にルーツを持つ子どもたちが信頼を寄せるのは、自分も同じつらい状況に置かれていると感じているからだろう。外国人の子どもの不就学は減り進学率も年々上がっており、改善傾向にある。ただ悩みという心に不安を抱えた児童生徒が多いことに変わりはなく、菊地さんら語学相談員の役割は、これからも重要だと感じた。

 また子どもたちと同じよう、僕自身も事件取材が忙しい時には、菊地さんの取材したメモを見て励まされてきた。その言葉を最後に記したい。

 「僕はヤンキーやったことを後悔したけど、その経験があるから勉強を諦めてしまったり非行に走ったりした子を励ませるかもしれないって思えるようになりました。一度道から外れても終わりじゃない、戻れるんだって。チャンスがあるんだって。諦めてほしくない。俺なんとかできたからって伝えたい」