
宮本(左)と話すヤクルト・小川監督
プロ野球は16日から約1カ月間のセ・パ交流戦に突入する。2005年から始まった交流戦は戦い慣れた相手と違うため波乱含みで、前半戦のヤマ場となる要素が強い。
▽交流戦最中に代行に
ヤクルトの小川淳司監督が1軍の指揮官としてデビューしたのは2年前の交流戦の最中だった。2010年5月、前任の高田繁監督(現横浜DeNAのGM)が13勝32敗1分けの成績で退任。交流戦での9連敗という無残な戦いぶりが、退任の理由だ。小川監督代行はその後の98試合を59勝36敗3分けで乗り切り、オフに監督に昇格した。昨季は一時独走状態だったが、故障者続出で息切れして、終盤中日に逆転され2位に甘んじたが、今季も勝率6割前後で序盤戦はがっちり2位にいる。「勝てる監督」である。
▽セオリーにしばられないさい配
数人のプロ野球記者に小川監督はどんな監督で、どんな野球をやろうとしているかを聞いてみたが、「よく分からない」という答え。小川監督は自他ともに認める“超地味”な性格で、なかなか本音が聞こえにくいこともあろうが、多分「小川野球」をひと言では表現しづらいのだろう。今季のヤクルトは青木宣親外野手が大リーグに行き、バレンティン選手を除けば、タイトルを取るような日本人選手はいない。投打のバランスのよさで接戦をものにしているという印象だ。小川監督が「野球に正解はない」と言っているように、セオリーにしばられず、固定観念を排して試合に臨んでいる。なにより感情に左右されない選手起用は、選手たちには「心地いい」と思う。
54歳の小川監督は千葉・習志野高時代、夏の甲子園の優勝投手となり、中央大では日米大学野球の日本代表として、岡田彰布オリックス監督や原辰徳巨人監督とクリーンアップを組んだ。プロではヤクルト10年、日本ハムで1年プレー。940試合で412安打、66本塁打の成績を残した。
▽無欲と強い意思
2年前、監督就任が決まったとき、「(プロ野球で)実績もネームバリューもない自分でいいのかな、というのが正直な気持ち」と言っている。ヤクルトはスター選手だった荒木大輔投手コーチを監督に就任させるのが既定路線で、小川監督代行も「そう思っていた」そうだ。球団が監督代行での実績と選手育成の手腕を買った結果の“逆転就任”となったが、小川監督は「次のために」2軍行きを希望した荒木氏を1軍投手コーチに就任させた。ここに2つの顔が見て取れる。欲がない、しかし引き受ける以上は勝てるチームづくりのために必要な人材配置を実現させる意思の強さである。
▽スカウトと2軍監督を経験
現役時代、当時の野村克也監督の深い洞察力など広い視野で野球を捉えることを肌で感じたという。さらにヤクルトでの3年間のスカウト経験と9年間の2軍監督は「得難い財産」になったと思う。小川監督はあるインタビューでこんなことを言っていた。「スカウト時代、積極的に接触しなかった選手がプロでこんな選手になるのかと何度も驚いた。人への判断を早くし過ぎてはいけない」「監督代行のとき、得点力不足を感じ、打力のある(2軍の)畠山を、守備に目をつむって1軍に呼んだ」。なかなかの人物である。
昨年、日本一になったソフトバンクの秋山幸二監督も2軍での指導経験があり、私には小川監督とだぶって見えるが、選手を生かそうとするあまり、勝負どころで「非情」になれないところも似ているように思う。日本シリーズのような短期決戦では課題になるのではないかと見ているのだが。
▽早くも148勝
つい先日、楽天・星野仙一監督が投手出身として初の1000勝監督となった。史上12人目。元南海(現ソフトバンク)監督だった故鶴岡一人氏の1773勝を筆頭に、故三原脩氏、故藤本定義氏、故水原茂氏、野村克也氏がトップ5に名を連ねる。そして6位の故西本幸雄氏(1384勝)と7位の上田利治氏(1322勝)はプロ選手としての実績はなかったが、名監督として名を残した。小川監督は実質2年間で148勝(5月15日現在)を挙げている。
田坂貢二[たさか・こうじ]のプロフィル
1945年広島県生まれ。共同通信では東京、大阪を中心に長年プロ野球を取材。編集委員、広島支局長を務める。現在は大学野球を取材。
ノンフィクション「球界地図を変えた男 根本陸男」(共著)等を執筆

西鉄時代の稲尾和久投手
西武球団の前身はプロ野球史上、巨人と並ぶ最強チームといわれた西鉄ライオンズである。日本シリーズで3年連続で巨人を倒して「福岡に西鉄あり」と日本中を沸かせたのは1958年(昭和33年)だった。中西太、豊田泰光、仰木彬選手らとともに、その偉業達成の中心にいたのが稲尾和久投手で、西武がその背番号「24」を球団初の永久欠番にする。
▽西武が稲尾デーを企画
ここ数年の西武は「われわれのルーツは西鉄」とばかりに西鉄を意識したイベント展開をやっていて、今夏には選手全員が「24」番のユニホームを着て試合をする「稲尾デー」の計画もあるそうだ。ただ、昭和30年代の西鉄は伝説化した球団であり、西武とは違うと思うファンもいるだろう。西鉄のイメージを残していた東尾修投手や大田卓司選手も引退して西武にはもういないし、なにより「黒い霧事件」という八百長事件に深くかかわった西鉄との関係を消し去ったのが西武だったことを考えれば、それなりに感慨深いものがある。
▽7年目で200勝達成
5年前に70歳で亡くなった稲尾氏は記憶にも記録にも残る大投手だった。通算成績は276勝137敗。大分県の高校から西鉄に入りいきなり21勝。6年目にはプロ野球記録の年間42勝を挙げ、7年目で200勝に達している。1シーズンで投球回数が400イニングを超えたことが2度ある「鉄腕投手」だった。私が知っているもう一人の鉄腕投手は元阪急(現オリックス)の故野口二郎投手で、1942年に投球回数527回3分の1という、今では信じられない数字を残した。さらに驚くのは投げない日は野手で出場していたことだ。阪急のコーチ時代の野口氏から話を聞いたことがあったが、「3連投目が一番肩の調子がよかった」と言ってのけたものだ。隔世の感ありである。
稲尾氏のマウンドはプロ野球記者時代には見ていないが、小学生のころ大阪・ナンバの大阪球場でよく見た。当時はスライダーとはいわなかったと思うが、右打者の外角に小さく曲がる球と内角シュートに、わが南海ホークス(現ソフトバンク)はきりきり舞いさせられた。超満員のスタンドとともによく覚えている。
「神様、仏様、稲尾様」と崇められたのは昭和33年の日本シリーズだった。西鉄は3連敗の後、4連勝して3連覇を達成したが、この4勝はすべて稲尾氏が挙げたもので、三原脩監督が「神様、仏様、稲尾様」と口にして一躍流行語となった。
▽個性豊かなパは面白かった
稲尾氏といえば思い出すのが南海の故杉浦忠投手である。立教大で長嶋茂雄氏と投打の中心だった杉浦氏はサイドハンドからの快速球と大きなカーブが特長で、一流打者の西鉄・豊田がそのカーブに大きくのけぞって見逃すと「ストライク」のコール、という映像が目に焼き付いている。杉浦氏も稲尾氏に続けとばかりに、翌昭和34年の巨人との日本シリーズで4連投4連勝の離れ業をやってのけている。稲尾氏が緻密な制球力を誇ったのに対し、大まかな性格の杉浦氏は「ストライクゾーンを大きく4つに分けて、そのあたりに投げていただけ」という対照的なもので、それで通用する球威があった。東映(現日本ハム)には張本勲氏など個性的な選手が多くおり、あのころのパ・リーグは実に面白かった。
▽監督の役割
稲尾氏はロッテの監督時代にはその懐の深さを発揮して、落合博満氏ら選手のよき理解者だった。共同通信のプロ野球担当記者は毎年、ゲストを招いて勉強会をやった。第1号は王貞治氏で、広岡達朗氏、「プロ野球ニュース」の佐々木信也氏ら多くの野球関係者が応じてくれた。もちろんノーギャラで。稲尾氏もそんな一人だった。
長嶋氏との対戦の裏話を紹介する。「長嶋さんにはよく打たれた。打席でどんな球を待っているか、いろいろ探ったがまったく読めない。あるとき気が付いた。『あの人は何も考えていないんだ』と。それから自分も考えるのを止めたら抑えられるようになった」。一番印象に残った話は「いかに選手の特長を引き出してやるかが監督の役割」であった。
プロ野球が開幕して1カ月が過ぎた。高い評価を受けていた巨人と西武がともに苦戦を強いられている。セ、パとも混戦を予感させるが、ペナントレースは長い。苦しいときこそ、監督の真価が問われる。稲尾氏ではないが、「監督がいかに選手を信じるか」である。監督で負ける試合は数多くあるが、監督で勝てる試合は年にいくつもない。要は「選手が働いてなんぼ」なのである。
田坂貢二[たさか・こうじ]のプロフィル
1945年広島県生まれ。共同通信では東京、大阪を中心に長年プロ野球を取材。編集委員、広島支局長を務める。現在は大学野球を取材。
ノンフィクション「球界地図を変えた男 根本陸男」(共著)等を執筆

ミスター赤ヘル、山本浩二外野手
プロ野球巨人の新人選手に対する破格の契約金が波紋を広げたが、「申し合わせを守っているのは広島ぐらい」の一部の声に、複雑な気持ちになった。「当たらずとも遠からず」とでも言ったらいいのか、ぎりぎりのところで球団経営を続けている広島には、巨人のように7億円や10億円といった契約金を払える財力はないからだ。
もちろん巨人の金満ぶりは突出していて、広島に限らず多くの球団は指をくわえて見ているしかない。2008年以降は新人の契約金上限が設けられたが、こうした不公平な体質を持ち続けているのが日本のプロ野球で、すべては「球団の経営努力」で片付けられている。ドラフト制度が効果を発揮しているのは確かだが、一方であの手この手でこの制度をねじ曲げてきた事実もあるわけで、球団間の格差はある。弱小球団は「優勝争いができないから観客が増えず、有力選手を補強できないから勝てない」といった、負のスパイラルに陥ることになる。こうしたことはプロ野球全体から見れば、大きく価値を損ねる由々しき事態だと認識すべきだろう。
▽14年連続Bクラス
セ、パ両リーグで優勝から一番遠ざかっているのが広島である。リーグ優勝6度、日本一3度と、かつては常勝を誇った「赤ヘル軍団」も、1991年を最後に優勝はなく、98年から昨季まで14年連続してBクラス(4位以下)の成績である。阪神の大阪と同じように熱狂的なファンが多い土地柄だけに、勝てないとファンの足は遠のくことになる。
広島球団の歴史はそのまま経営危機との戦いといえる。球団創設2年目の1951年には他球団との合併話があり、この危機を救ったのが、球場前におかれた酒樽による市民の「樽募金」だった。以来「市民球団」のイメージが定着したが、実態は自動車のマツダの創業者である松田家による個人経営が主として今日まで続いている。
▽FA宣言選手の流失
ただ、苦しい台所事情は知恵と工夫を生む。ドミニカ共和国に野球学校「カープアカデミー」をつくり、日米球界に選手を供給したこともあった。また、野球どころの広島出身者を軸にする一方、スカウトの手腕による選手発掘などもある。山本一義、山本浩二、衣笠祥雄、外木場義郎、安仁屋宗八、達川光男、北別府学、津田恒実といった個性的な選手を生み出してきた。
半面、フリーエージェント(FA)宣言した選手は基本的に引き留めない方針であるため、金本智憲と新井貴浩の両選手が阪神入りし、黒田博樹投手(今季はヤンキース)は大リーグへ去るなど、主軸が次々と抜けていった。
Aクラス(3位以内)を目指す今季は、昨年の福井優也(早大)に続いて野村祐輔(広島・広陵―明大)と即戦力投手を獲得。エース前田健太にクローザーのサファテら投手陣はまずまずだ。今季は巨人に3連勝するなど出足は悪くない。昨季も前半戦は上位に位置していたが、終盤に息切れしたのはやはり戦力不足だったからだ。もし金本や新井がいたら、と思うファンは多いに違いない。チームの軸となる選手がいないのは、ペナント争いの勝負どころでは苦しい。
▽地域の役割担う球団
2009年から新本拠地となったマツダスタジアムは米国のボールパークをモデルにした野球専用球場である。平和記念公園・原爆ドームの前にある旧広島市民球場は、原爆の廃虚からの復興のシンボルとしてつくられた球団の本拠地として半世紀にわたってその役割を果たした。昔は球場近くの本川沿いにバラックがひしめき、球場のある紙屋町は夜になるとほとんど人通りがなかった。そこに球場のナイターのまぶしい光があふれ、繁華街へと変ぼうしていった。単なる1球団、1球場の話ではなかった。現在のマツダスタジアムはJR広島駅から歩いて15~20分ぐらいの所にあるが、土地を提供した広島市の狙いの一つは駅前再開発かもしれない。地域での役割を担っているといえる。
▽市民球団として再出発しては
スポーツの多様化でプロ野球人気もかつてのようなものではないが、日本ハムの札幌、楽天の仙台という新フランチャイズが成功を収め、ソフトバンクの福岡を含めた地方球団は一つの方向性を示している。ただ、孤軍奮闘してきた老舗地方球団の広島もそうだが、やはり優勝争いをするチームであり、人気選手を持つ球団でないと、安定した球団経営は望めない。
広島は個人経営から脱却し、真の市民球団として再出発してはどうだろうか。現在の松田元(はじめ)オーナーの父、故松田耕平オーナー時代にそう助言したのが広島で監督を務めた故根本陸夫氏だった。
親会社の宣伝媒体でない独立採算が可能な球団経営を他球団に呼び掛け、目指したらどうだろうか。12球団は運命共同体であり、根底でプロ野球人気を支えるのは均衡した戦力で戦う拮抗したペナントレースであると主張してもらいたい。難しいことだが、それを言えるのは苦労してきた広島だと思っている。
田坂貢二[たさか・こうじ]のプロフィル
1945年広島県生まれ。共同通信では東京、大阪を中心に長年プロ野球を取材。編集委員、広島支局長を務める。現在は大学野球を取材。ノンフィクション「球界地図を変えた男 根本陸男」(共著)等を執筆。
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