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2017年10月19日

〝侵略する散歩者〟

 秋。
 散歩するにはよい季節。
 とはいうものの、東京の空は雨模様が続く。
 まるでロンドンのよう。


 そんなこぬか雨降る、ある日。
 東京の青山ブックセンター本店で黒沢清監督と篠崎誠監督によるトークイベントがあると聞いたので、いそいそと出かけていった。


 新作映画公開にかけて『世界最恐の映画監督 黒沢清の全貌』(文學界編集部編 文藝春秋社)の出版記念イベント。会場には100人近い黒沢映画ファンが集まっていた。


 黒沢清監督の新作『散歩する侵略者』(公開中)は早々に見させていただいたが、べらぼうに面白かった。
 『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』(1953年 ドン・シーゲル監督)や『ウルトラセブン』の「狙われた街」的な侵略SFモノを想起させるも、黒沢監督らしさあふれる娯楽SFサスペンスであり、かのゴダール作品『アルファビル』に通じる愛についての物語をも感じさせる作品だった。


 地球に侵略してきた宇宙人(?)が人間から「概念」を抜き取るという設定は、現代の社会にも通じるある種の怖さすら感じるが、全体的に黒沢映画らしさがぐるぐる渦を巻いている。


 概念を抜き取られた面々の演技も素晴らしく、主演の松田龍平に関しては、もう宇宙人なのか人間なのかめちゃくちゃ曖昧で面白く、風に吹かれながら演説する満島真之介のアップの表情なども印象的だった。
 

 そこに「やんなっちゃうなあ、もう!」という台詞でぎゃふんとさせる長澤まさみが最高にいい。
 この台詞は小津安二郎監督『東京物語』(1935年)に出てくる〝うらら美容室〟の杉村春子風に、監督がわざわざ彼女に言わせたそうだ。


 私は昔からこの「やんなっちゃうなあ、もう!」という杉村春子の台詞の節回しが大好きで、演じる時など密かによく真似たものだった。
 まさか、今作品でそれが聞けるとは思いもしなかったので、つい心の中で小躍りしてしまったほどだ。


 映画はその他にも、『北北西に進路を取れ』(1959年 アルフレッド・ヒッチコック監督)を彷彿とさせるアクションや、とてつもない異物感を放つ東出昌大の登場に圧倒されながら、あれこれ面白い仕掛けを楽しませてもらった作品だ。


 閑話休題。
 青山ブックセンターでのトークショウ。
 両監督のお話が終わり、客との質疑応答。
 これが、面白くて大笑いしたいほどだった。


 とにかく、黒沢映画ファンは映画を隅々までよく見ている。
 それはとても素晴らしい才能だと思うし、自分にとっても刺激的だった。


 しかし中には、映画が好き過ぎてか、まさか「概念」を取り上げられてしまったのか、『侵略する散歩者』というタイトルまがいの新手のスピンオフまで登場させるファンがいるほど。
 これには監督も含め会場中がどっと笑いに揺れた。


 この本は、最新作『散歩する侵略者』に至るまでの黒沢映画に関する貴重なインタビューや対談などをおさめた大変読み応えある一冊だが、「現代映画はバランスの悪さこそが魅力であってよいのだ」という監督による帯の言葉が魅力的だった。
 そして、黒沢さん自身によるエッセイが個人的にはとても興味深かった。


 「帰宅好き」と題したエッセイ。
 とても黒沢さんらしい語り口調で、ニヤニヤしながら活字を追って上り詰めていくと、最後に「ぎゃふん」とはしごを外された気分になる、まるで黒沢映画そのもののような話だった。

 
 放浪癖がないと始まって、実は案外放浪好きなのかもしれないと結んで終わっているのだ。
 しかも、ヤドカリの移動スタイルが理想で、そう考えるとワクワク心が浮き立つのだというのだから、ぶっ飛んでいる。
 その詳細を私が説明すると全く面白くないので、これはぜひ手にとってお読みになってほしい。


 「帰宅」という行為にここまで深く言及をしている黒沢さんの文章を読んで、ふと「あ!」と気づかされることもあった。

 
 私は帰宅が嫌いな子どもだった。
 必ず寄り道をし、毎回違う道をほっつき歩き、適当な森や藪を探し、そこに段ボールで作ったアジトをコツコツこさえた。居心地の良いアジトで、のら猫を手なづけ、ポケットの中に隠し持った菓子を口に含みながら好きな本や漫画を読みふけり、宿題や家の手伝いをいかにサボるかという、非日常に没頭するのに異常なまでに夢中になっていた。

 
 団地に住んでいたというもの理由のひとつだった。
 マッチ箱のように、簡素でどの棟も同じ型の不気味な団地の群れ。
 初めて引っ越して来た際、こんなに同じ建物ばかりじゃ、自分の家にはたどり着けないんじゃないか? という恐怖にすら駆られた。


 私にとって団地は「異星」であり、いつの日か遠い富士山麓あたりにある隠れ基地から円盤が飛来し、根こそぎ住民ごと誘拐されるに違いないと妄想したほど。
 団地の棟の上に設置されたタンノイのスピーカーから流れる割れた音声の自治会放送も、少女の私にとっては奇妙な暗号みたいに思えた。


 夜毎布団の中で妄想する少女。
 もしかしたら、2階に住んでいる足の弱いおばあさんは、実はスルスルと瞬間移動できて、人間になりすましている宇宙人かもしれない。
 ボリスという名の犬を飼っている4階に暮らすササキさんちも怪しい。だって、ボリスは執拗に私たち姉弟を追い回すし、私をのぞき込むササキさんの大きな黒目がちの瞳も、なんとなく宇宙人っぽいかもしれない、と。


 帰宅嫌いの少女はいつしか時を経て、「家を間違える恐怖」や「通学電車でうたた寝して乗り過ごす」ことからも解放された。
 たまに寄り道して、はしご酒で泥酔。部屋を間違えて「やんなっちゃうなあ、もう!」と夫に叱られることもめっきりなくなった。


 家路につくという行動は、普段当たり前のように繰り返し行われるが、こうして俯瞰してみるとなかなか面白い。
 家路につくまでの間の恐怖や、そこにものすごく緊張を感じるということなど、すっかり忘れて生きている人々がほとんどかもしれない。
 
 
 ある時、私は散歩がてらのらのら歩いていると、家路を急ぐ黒沢さんと何度か遭遇することがあった。
 それはいつも唐突で、不意なので、一瞬驚きの表情をされる。
 遭遇する場所も、立ち位置も偶然にも同じなので、ちょっとこちらもびっくりする。
 そしてなぜかどこからともなくスーッと一筋の風が吹いてきて、くるりと互いの隙間にまとわりついたかと思うと、スッと消えてゆくのだ。


 まるで黒沢映画の一場面のような遭遇。
 そこに一瞬、レンズフレアでも射したら、「概念」を抜きとられる『散歩する侵略者』ならぬ〝侵略する散歩者〟だ。


 どっちが侵略者かって?
 それはもう、圧倒的に黒沢さんでしょう。
 そもそも、あんなに不思議な映画をずっと撮れるのは黒沢さんしかいないですし、散歩の途中で遭遇して、あんなに映画的な方も黒沢さんでしかありませんから。

 
 ひと雨ごとに冬が近づく。
 都会の雑踏をすり抜けて、そそくさと家路に着く。 
 あんなに寄り道好きな私が。 
 あるいは、いつのまにか何者かに私の「概念」を抜き取られてしまったのだろうか。


 まさか。

〝侵略する散歩者〟 出版記念イベントで久しぶりに黒沢清監督と再会

洞口依子

洞口依子(どうぐちよりこ)

女優。1980年、「週刊朝日」11月7日号の表紙を飾り、雑誌「GORO」で篠山紀信の「激写モデル」として芸能界デビュー。85年、映画「ドレミファ娘の血は騒ぐ」(黒沢清監督)の主役に抜擢された。この時共演した伊丹十三監督の「タンポポ」「マルサの女2」に出演。テレビドラマでは92年の「愛という名のもとに」(フジテレビ)、97年の「ふぞろいの林檎たち」(TBS)などで個性的な演技を披露し、女優としての地位を確立した。2004年に子宮頸がんを発病したが克服し、06年に復帰。07年には闘病生活を綴った「子宮会議」を発刊。女優業の傍ら、ウクレレバンド「パイティティ」でライブ活動もしている。週刊文春「シネマチャート」連載中。

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