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2017年08月30日

「夏といえばカレー」~後編~

 未知なるカレーを求め、あちこち〝のらのら〟歩くのは楽しい。
 そのきっかけとなった店が、世田谷の経堂にあった『TAPiR(タピ)』だった。 
 女性ひとりで切り盛りするその店主は画家の岡野亜紀子さん。
 

 20年ほど前、経堂の路地裏にあったその店は新宿へ移転し、現在、新大久保の路地裏でやっていると聞いたので、久しぶりに行ってみた。

 彼女の作るカレーの味は、筆舌に尽くしがたい。
 「唯一無二」という言葉が安易に使われている昨今、彼女のカレーこそ真の意味で「唯一無二」だ。 ここでしか食べられない、彼女しか表現できない味。そして、それは確かに旨い。

 店の内装も、彼女自身が手がけている。
 店内の全てが彼女の作品といってもいいくらい独特なセンス。
 渡仏して絵を描きがなら土地の料理を覚えたという。
 その時のパリでの経験が影響しているのだろう。
 カレーのみならず、出てくる料理のそれは、エスプリの効いた、摩訶不思議な世界に満ち溢れている。まるで彼女の小惑星に浮遊している気分だ。
 

 そんな彼女の店だが、建物の老朽化に伴い、しばらくしたら残念ながら店じまいすると聞いた。絵心のある、あの美味しい料理を、今度は誰のために作るのだろう。
 あるいは、どこか異国の路地裏でひっそり『TAPiR(タピ)』のシンボルだったバクの看板を掲げているかもしれない。
 しかし、たとえ店がなくなっても、彼女がこさえてくれた料理の味は私の記憶に刷り込まれ、たまに思い出すことができる。味の記憶というものは貴重だ。
 
 
 カレーをめぐるさらなる冒険は続く。
 週末のランチバフェが楽しい神谷町の『ニルヴァナム』。インド人街と呼ばれる西葛西の『アムダスラビー』。パキスタン人が多く暮らす 〝ヤシオスタン〟と呼ばれる埼玉県八潮の『カラチの空』などに出向いたりもした。

 そして、今夏。あるカレー屋と衝撃的な出会いがあった。
 錦糸町にある『ヴェヌス・サウスインディアン・ダイニング』だ。
 昼間のランチバフェ。
 5分程度並んだものの、すぐ席に着けた。

 店内のカウンターには数種類のカレーや南インドの惣菜がずらりと並ぶ。
 そこに群がるひとびと。
 皆、夢中になってカレーを食べている。
 料理が並ぶカウンターと自席をぐるぐる行き交うひとびと。

 料理はあっという間になくなり、黒板のカレーのメニューはひっきりなしに書き換えられていく。
 私が店にいる間だけでも、3種類以上の異なる味のカレーが楽しめた。
 腹を空かせたひとびとで活気に溢れる店内。
 とにかく回転が速い。お腹いっぱい食べて1000円という安さもありがたい。

 それはいつかマレーシアの路地裏で食べたインド定食屋の活気に似ていた。
 ホーチミンでのら猫に誘われてたどり着いた路地裏のカレー屋台の記憶もよみがえる。
 ネパールで食べたダルバードの素朴な味、アラブで食べた羊の脳みそのカレー、パキスタン人と食べたビリヤニ、シンガポールのインド人街の食堂の裏で飲んで腹を壊したココナツジュースのことも。

 「これじゃん。これでいいのだ」
 私はなんだか意味もなくとっても納得してしまった。
 行ったこともない南インドの料理から、なぜか旅の記憶までもがよみがえる。
 その不思議な味わい。
 スパイスの魔法だろうか。
 「南インドカレーを食べるならここだ!」と納得した。

 他にも、お気に入りの南インド料理店をご紹介しよう。

 大田区の『ポンディ・バワン』という店。
 ここは年中いつでも南インドの本格的なミールスが食べられるのがうれしい。
 先日、お粥のような〝ポンガル〟というものを生まれて初めて食べた。
 米とムング豆をスパイスと炊いた、硬めの粥やオートミールといった食感。

 スパイスは、南インド料理には欠かせないカレーリーフ、クミン、マスターシード、ジンジャーをはじめ、おそらく「ヒング」という不思議なスパイスも入っているとみた。
 ヒングは生のままだと相当キツイ臭いだが、油で調理するとガラリと食欲をそそる香りに変化する。整腸作用があり、夏バテした胃腸にはありがたい。初めて食べたポンガルは優しい味わいだった。

 世界最高のタブラ奏者で有名なザキール・フセインに師事し、インド滞在経験が豊富なU―zhann(ユザーン)君が、この店のポンガルを薦めていた。
 恐らく現地の味に近いのだろう。

 わがウクレレユニット・パイティティの相方、マハラジャ石田によれば、「ザキール・フセインのタブラと、ジョン・マクラフリンの超絶ギターで知られるバンド「シャクティ」の楽曲は、カレーを食べる時に聞くには最高だ」という。
 しかもミールスのようなカレーはスプーンではなく手食。手で混ぜて好みの味にして食べるのだとも。

 手食が苦手で、サントラ好きの私は、カレーという言葉を耳にすると『ダージリン急行』(ウェス・アンダーソン監督)のアルバムをなぜかいつも聞きたくなる。


 中でもお気に入りは、インド映画の巨匠サタジット・レイの『チャルラータ』(1964年)のスコアから「チャルのテーマ」。

 古い録音による不思議なインド音階の旋律。
 のぞき見る万華鏡の世界へ誘う楽器の音色。
 あの浮遊感。カレーを求め彷徨う 孤独な〝のら探偵〟にぴったりな楽曲。未知なるスパイスを味わった脳に、まったりと心地良い。

 スパイスはひとを魅了する。
 私はクローブ(丁子)を浮かべた白湯を傍らに「チャルのテーマ」を聞きながら、酷暑に食べ歩いたカレーのあれこれを思い出す。
 そして、過ぎゆく夏の青い夕暮れを惜しむのであった。

「夏といえばカレー」~後編~ カレー三昧の夏、青い夕暮れ

洞口依子

洞口依子(どうぐちよりこ)

女優。1980年、「週刊朝日」11月7日号の表紙を飾り、雑誌「GORO」で篠山紀信の「激写モデル」として芸能界デビュー。85年、映画「ドレミファ娘の血は騒ぐ」(黒沢清監督)の主役に抜擢された。この時共演した伊丹十三監督の「タンポポ」「マルサの女2」に出演。テレビドラマでは92年の「愛という名のもとに」(フジテレビ)、97年の「ふぞろいの林檎たち」(TBS)などで個性的な演技を披露し、女優としての地位を確立した。2004年に子宮頸がんを発病したが克服し、06年に復帰。07年には闘病生活を綴った「子宮会議」を発刊。女優業の傍ら、ウクレレバンド「パイティティ」でライブ活動もしている。週刊文春「シネマチャート」連載中。

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