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2017年07月19日

映画『ハクソー・リッジ』の舞台前田高地を訪ねて~後編~

 桜咲く2月下旬の沖縄。
 わたしを乗せた車は、旧軍道5号線(現在の国道330号線)を、那覇の新都心から北上し、嘉数(かかず)を目指していた。


 そして嘉数展望台公園に辿り着いたわたしは、そこで多くの戦跡を巡ることができた。
 最初に目にしたのは、民家の塀に残された生々しい銃弾の痕。
 この塀は移築してきたものだが、この嘉数での死闘を物語るイントロのように感じた。
 

 そこからさらに急な階段をえっちらほっちら登ってゆくと、柵で入り口を覆われた陣地壕があった。
 戦々恐々覗いてみたが、暗くてよくわからない。それにしても、中は相当深そうで、ゴツゴツした琉球石灰岩が醸し出す陰影を見つめていると、とてつもなく恐ろしい気分に襲われる。


 地球型の展望台がある下には、慰霊塔がいくつかあった。
 京都出身兵士の京都の塔。
 青丘の塔は、朝鮮半島出身者の兵士のもの。
 島根の塔というものもあった。沖縄戦では、県外出身の兵士が多かったそうだ。
 そして、嘉数の塔。これは嘉数の住民が建てたものだった。
 沖縄戦は多くの民間人が犠牲になった悲劇でもあるのだ。


 トーチカ(砲台)跡もあった。
 無惨に崩れかけたそれには、二つの銃眼(射撃するための穴口)と出入り口があるものの、弾痕が激しい戦争の痕跡を物語っていた。
  

 1945年4月に沖縄本島中西部海岸から米軍が上陸し、南下。
 目指すは日本軍司令部のある首里。ここ嘉数の丘陵地帯から、浦添、西原。そして安里、首里へと続く一帯は激しい首里攻防戦となった。
 中でもこの嘉数高地の戦いは、最初の死闘だったと言われている。


 展望台を登ってあたりを見下ろす。
 読谷、北谷、そして普天間基地を眼下に望む高台。
 確かに、ここは死守したい場所だ。
 山が多い北部に対し、平坦な地形が多い南部において、高地は争奪戦。
 戦争では敵陣を見渡せる高地をとるものだ。


 嘉数高地での戦いでは、米軍は16日間も戦わなければ攻略できなかったそうだ。しかも戦死者は相当な数に上ったと聞く。


 展望台には多くの外国人家族がいた。
 海も見える見晴らしの良い展望台からは、普天間基地に止まっているオスプレイも見える。
 妻とまだ幼い子どもたち相手に英語でなにやら語っている父親。
 聞き耳を立てると、沖縄戦の話をしているようだった。


 そして「Hacksaw Ridge」というワードがその父親から囁かれた瞬間、私はさらに耳をダンボのように大きく傾けた。
 しかし、言葉は風に舞って飛んでいってしまった。


 ここが、ハクソーリッジなのだろうか。
 いや、なにかが違う。リッジは尾根、或いは稜線。ハクソーとは弓鋸、鋸の歯という意味らしい。
 

 それにしても、幼子を連れた外国人家族の姿がやたらに多い。
 乳母車を押しながらこの階段をどう上がってきたのだろう。
 帰り道、若い米兵カップルとすれ違う。
 彼女の手をとってゆっくり階段を上るその姿に、私はまだ見ぬ公開前の映画『ハクソー・リッジ』の主人公デズモンド・ドスを重ねる。
 

 一旦那覇に戻り、沖縄っ子たちにハクソー・リッジの舞台となった場所は一体どこなのだろうと持ちかけてみる。
 すると、地図を解析した結果、浦添の「ようどれ」に行くべきだと言われた。
 「よーどれ、なにそれ?」
 「琉球時代の王様が眠るお墓。尚寧王とあと誰かが眠っているはず。浦添城址の一部っていうのかな」
 首里城よりも昔の浦添城。そこにある「ようどれ」は、琉球王国の尚寧王と英祖王が眠る古墓だった。


 日を改め、曇り空の中、浦添へ向かった。
 わたしの脳内にはなぜかアンドリュー・シスターズの「ブギウギ・ビューグル・ボーイ」が鳴り響く。
 

 何回も沖縄には来ているにもかかわらず、浦添に城址があることすら知らないでいたわたし。嘉数に行く際も通った辺りだったが、なぜか巨大な霊園を遠くに眺めて立ち寄るのを避けていた場所だった。
 

 だが、その霊園の上に浦添城址とようどれはあった。
 住宅街を抜け、浦添ようどれ館という場所に辿り着く。
 駐車場に車を止め、ようどれ館で案内地図をもらうと、なんと、のら猫が2匹、わたしの足元にすり寄ってきた。


 人懐っこいのら猫2匹がこっちこっちと尻尾を立てて道案内をするので、のらのらついてゆくと、なんと、ようどれの入り口まで奴らが誘うではないか。
 「おお、よしよし。君たちいい子だね」。猫写真家・岩合さんの口調のわたし。


 しかし、ようどれを前に、人の気配が一切感じられないその場所で、なんとなく足が止まってしまった。


 「ハクソー・リッジはここなんだろうか……」
 くるりと来た道を振り返ると、さっきまでいたのら猫たちの姿がない。
 人けのないその場所で、さらに低くなった曇り空を見上げると、辺りが一瞬冷んやりした。


 すると、いきなり「ハクソー・リッジ」と誰かの声がする。


 そのひと言に我々は背筋が凍り、恐る恐る振り返ると、さっきまでいたのら猫たちは姿を消し、突如、おじさんが一人ぽつんと佇んでいた。


 お茶を片手にストローでちうちうしながら、遠くを見つめるおじさん。
 表情がこわばる女二人組。
 勇気を振り絞り、おじさんに問いかけてみる。
 「いま、ハクソー・リッジって言いましたよね?」
 「見にきたの?」。おじさんはそう言うと手招きして来た道をとぼとぼ歩き始めた。


 恐る恐るついてゆくと、ようどれの上に案内された。
 「ここがそう」
 おじさんはストローをちうちうしながら下を指差すと、ここがあのハクソー・リッジだと語り始めた。


 一見、ここで猛攻が繰り広げられていたことなど想像できぬほどの静けさ。 鬱蒼と緑が茂る中、高い崖になっている。
 辺りの琉球石灰岩もギザギザしていて弓鋸の歯が切り裂いたようにも見える。
 

 ハクソー・リッジとは、ようどれの上、つまり、ようどれと浦添城址の間にある崖のことだったのだ!
 

 おじさんは昨年の11月頃から、ここを訪れる米軍関係者を案内しているそうだ。ちっちゃな子どもを連れてくる米軍ファミリーに対し、日本人はほとんど来ないらしい。


 ハクソー・リッジ、前田高地の戦いは嘉数に次ぐ激戦だったことや見てもいない映画のことについてもなぜか詳しそうだった。


 ここで75人もの負傷兵を助けた衛生兵デズモンド・ドス。
 第77歩兵師団第307連隊第1大隊B中隊第2小隊、つまりカンパニーBだったのだ。
 前田高地を巡る私の脳内に鳴り響く曲は第二次大戦中、米軍戦意高揚にも努めた3姉妹歌手アンドリュー・シスターズの「ブギウギ・ビューグル・ボーイ」。カンパニーBの兵士の歌だ。これも奇遇である。


 圧倒的な物量攻撃の米軍に対し、昼夜かかわらず戦い続けた日本軍。
 しかし、この前田高地の猛攻では米軍も苦闘。長い要塞のような崖の一帯に多くの壕があり、150メートルほどある崖は戦車も通れない。


 そんな前田の戦いは白兵戦の至近攻撃、両軍は殴り合いだったらしい。
 すでに嘉数の戦いで22台ものシャーマン戦車を失った米軍だが、ニードル・ロック裏手には戦車が通れる道があった。だからどうしても米軍はここを取りたかったのだろう、などと熱弁を振るっていた。


 おじさんは「ニードル・ロック」まで案内するよと、ちうちうしながら歩き出した。


 途中、ジャングルに覆われた足場の悪い崖道をかき分けてゆくこと数分。
 前田高地の慰霊碑が見えてきた。
 前田高地で戦った志村大隊の慰霊碑だ。これは前編にも述べた前田高地の激戦手記を綴った那覇出身の外間守善氏(当時20歳)がいた部隊である。
 志村大隊は北海道出身者が多かったそうで、慰霊碑の文字は北海道知事によるものだった。


 ここから見上げる崖の高低差が、さっきの浦添城址のところよりもリアルに感じられた。さらにここからニードル・ロックへ向かう途中、壕の入り口のような場所の上が、実際のデズモンド・ドスが立っている記録写真の場所だとも説明してくれた。


 やがて左側に霊園が見えてくる。
 眼下に広がる霊園の景色とハクソー・リッジに挟まれ、奇妙な感傷にかられる間もなく、ニードル・ロックを目指す。
 柵には鍵がかかっているのにもかかわらず、おじさんはなぜかするりと鍵を開け、我々を先導する。
 

 やがて、尖った大きな岩が見えてきた。
 ニードル・ロックだ!
 「ここからは北は読谷、嘉手納、南部、那覇、首里など四方が見渡せる。晴れた日には久高だって見える。ここはね、そういう場所なんだよ」。おじさんの話を聞くうちに、ここまで辿り着けたことが本当に不思議に思えた。


 見てもいない映画の舞台になった場所を訪れることで、個人的に映画への興味が深まったこと。
 そしてなにより、嘉数と前田を訪れ、知らない沖縄戦について少し学べたこと。
 聖書の「汝、殺すなかれ」の戒めに従い、武器を持たずしてここで多くの負傷兵を救った『ハクソー・リッジ』の主人公デズモンド・ドスのこと。
 ここで命を落とした多くのひとびとのこと、平和について考えさせられたこと。
 おじさんには感謝するばかりだった。


 ハクソー・リッジの舞台・前田高地へ訪れた2月22日。
 奇しくも猫の日に、猫に誘われたかと思いきや、猫が消えておじさんに誘われた不思議な体験をしたわたし。


 「マヤーにマヤーされたマヤーの日」だと沖縄っ子が笑う。
 沖縄の方言、マヤー(猫)とマヤー(化かされる)をかけたジョークだ。
 前田高地の手記を傘寿で綴った外間守善と御子息の外間隆史氏とわたしの不思議な縁。
 映画が繋ぐ大変貴重で不思議な体験だった。

 
 現在、映画『ハクソー・リッジ』も公開され、沖縄では浦添市主催による先行試写も行われ、NHKワールドではハクソー・リッジを訪ねる特集番組も放送された。


 舞台になった前田高地を訪れる日本人観光客も増えたそうだ。
 浦添にある「ようどれ館」には、ハクソー・リッジの舞台になった前田高地を案内するツアーもできた。私が訪れた際にはなかった名所の看板も立った。
 そしてついに、Googleマップには「デズモンド・ドス」というポイントまで表示されるようになったのだ。


 映画の公開は20日で終わってしまうようだが、この夏沖縄へ旅行するのであれば、あの前田高地を訪れてみてはいかがだろう。この世の地獄と呼ばれた場所で、あなたは何を思うのか。

映画『ハクソー・リッジ』の舞台前田高地を訪ねて~後編~ のら猫とおじさんとハクソーリッジ。ニードルロックには当時の銃弾が食い込んだまま

洞口依子

洞口依子(どうぐちよりこ)

女優。1980年、「週刊朝日」11月7日号の表紙を飾り、雑誌「GORO」で篠山紀信の「激写モデル」として芸能界デビュー。85年、映画「ドレミファ娘の血は騒ぐ」(黒沢清監督)の主役に抜擢された。この時共演した伊丹十三監督の「タンポポ」「マルサの女2」に出演。テレビドラマでは92年の「愛という名のもとに」(フジテレビ)、97年の「ふぞろいの林檎たち」(TBS)などで個性的な演技を披露し、女優としての地位を確立した。2004年に子宮頸がんを発病したが克服し、06年に復帰。07年には闘病生活を綴った「子宮会議」を発刊。女優業の傍ら、ウクレレバンド「パイティティ」でライブ活動もしている。週刊文春「シネマチャート」連載中。

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