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2017年07月07日

映画『ハクソー・リッジ』の舞台前田高地を訪ねて~前編~

 映画『ハクソー・リッジ』(メル・ギブソン監督)がやっと日本で公開された。
 アメリカでは2016年公開。第二次世界大戦下、武器を持たずして戦ったひとりの米軍衛生兵の実話に基づく作品だ。


 日本公開がなぜここまで遅れたのかという謎はさておき、10年ぶりのメルギブ作品。しかもアカデミー賞2部門受賞。そして主演はあの『沈黙』(マーティン・スコセッシ監督作品)でロドリゴを演じたアンドリュー・ガーフィールドだというのだから、興味が高まらないわけがない。


 以前、このコラムでも触れたが、私は『沈黙』の撮影中に一度だけメイクトレーラーで彼と同席したことがある。その時の彼の印象が記憶の中に鮮烈に焼き付いている。


 思い起こせば彼の出演作を何本も観ていた。テリー・ギリアム監督『Dr.パルナサスの鏡』(2009年)。カズオ・イシグロ原作の『わたしを離さないで』(2010年)。フェイスブック創設者のマーク・ザッカーバーグを描いた『ソーシャルネットワーク』(2010年)。彼の出世作『アメイジング・スパイダーマン』(2012年)。
 それから『沈黙』『ハクソー・リッジ』と主演作品が続くのである。
 

 その2作とも、信念を貫く敬虔なキリスト教徒を描き、舞台が日本という点も共通だ。(ただし『沈黙』のロケ地は台湾、『ハクソー・リッジ』のロケ地はオーストラリア)。 連続してこれらの困難な役どころに挑んだアンドリューに、役者としての興味を抱いた。
 

 今年の2月18日。
 わたしはなぜかどうしても沖縄で『沈黙』を再び観たいと思い旅立った。
 基地の街コザにできた新しい映画館「シネマライカム」で観たいと思ったのだ。


 シネマライカムのあるイオンモール沖縄ライカム。
 噂には聞いていたが、どこかの主要駅ほどはありそうな広大な敷地に驚かされる。在日米軍の泡瀬ゴルフ場跡地に建てられた場所と聞いてはいたが、それは日本サイズに収まらない、まるでハワイあたりのショッピングモールの雰囲気だった。


 土曜の最終回。
 劇場内にはわたしたち4人の他、数人の客の中に混じって米軍関係者と思しき若者たちとおばちゃんの二人組がいた。
 

 客の反応が面白かった。
 映画が終わりエンドロールの間、おばちゃん同士が膝掛けをたぐり寄せながら「あの人よかったわねえ」「あのシーンでね、そう思ったのよ」云々楽しそうにヒソヒソおしゃべりしているのである。


 戦後から映画を娯楽の殿堂として楽しんできた沖縄。
 戦争でいろいろなものを失い、長い米軍統治下におかれた沖縄のひとびとにとって、映画は心の闇を明るくするような存在でもあっただろう。
 最終回の映画を観終わったおばちゃんたちの笑顔を横目に、思わず握手してしまいそうな気分に駆られるほど、うれしい気持ちで劇場をあとにした。

  
 さて、『沈黙』に続きアンドリューが主演を務めた作品『ハクソー・リッジ』の舞台の一つが、どうやら沖縄のどこかにあるらしいと知り、わたしは翌日から単独調査に出向いた。


 2017年2月19日。
 のら猫探偵としてわたしは地図片手にあちこち探し歩いた。


 その時点で、わたしがハクソー・リッジについて知っている事柄といえば、映画『ハクソー・リッジ』のロケは沖縄ではなく監督の故郷オーストラリアで行われたこと。実際の舞台は「ありったけの地獄をひとつに集めた戦場」と米軍に言わせた前田絶壁という場所だということ。それと誰かがインターネットに載せている沖縄戦の戦跡や当時の戦場の状態などを記したもの。そして、『私の沖縄戦記 前田高地六十年目の証言』(外間守善著 角川ソフィア文庫)というまだ読みかけの文庫本だった。
 

 当時20歳で現地入隊した外間守善が戦後60年経って傘寿を迎えた時に、前田高地での凄惨な戦場の記憶を綴った手記で、ハクソー・リッジの戦いを知る上でも大変貴重な本である。
 外間守善は沖縄学の父・伊波普猷の志を継ぐ沖縄学の第一人者であり「おもろさうし」の研究家として今上天皇へ御進講役も務めた。


 奇しくもわたしは外間守善のご子息である方と濃厚な仕事をすることになる。シネマヴェーラ渋谷で開催したデビュー25周年イベント「洞口依子映画祭」(2009年)のパンフレットのデザインを担当してくださったのが外間隆史氏だった。
 ある人はわたしのことを出会いのわらしべ長者と呼ぶが、外間氏との出会いは今思うと映画がつなぐ奇跡的で身震いする。


 というわけで、それだけ情報量と映画がつなぐ奇跡的な出会いがあれば映画の舞台になった場所は簡単に見つかるはずと高をくくっていた。
 しかし、地図上にハクソー・リッジは見当たらない。
 ハクソー・リッジと米軍が呼んでいた場所の和名は前田高地だ。
 そして、その前田高地という地名がどこにあるのかさえあやふやだった。


 そうだ、地元の沖縄っ子たちに聞けばきっと知っているにちがいない。
 早速沖縄っ子たちに「前田高地の戦いがあった場所はどこ?」と聞くと「前田高地?それは嘉数の戦いのことじゃない?嘉数展望台公園があるところ。あそこ高台だし」と言われた。


 嘉数展望台公園は普天間基地の近くにある。
 那覇の新都心から国道330号を北上すること、約20分程度で行ける。
 地図上で辿ると近くに前田という地名はあるが、まずは嘉数へ向かえということだった。


 奇しくも出発した新都心は、首里攻防戦の激戦地となった場所だ。
 1980年代に返還され、現在は免税店や大型ショッピングセンターなどが立ち並び、そこが激戦地であったことなど知らぬ人もいるだろう。
 

 米軍から「シュガー・ローフ」と名付けられたその場所は当時一番高いところで100メートルほどあった丘陵だったそうだ。
 シュガー・ローフとはアメリカの甘いパンのことで、その丘陵がそのパンに似ていることから米軍が名付けたそうだ。他に「チョコレート・ドロップヒル」や「ストロベリー・ヒル」という場所もある。


 ここで、のら猫探偵の妄想が爆走する。
 日本軍による米軍向けプロパガンダ放送の東京ローズならば、それらがそんな夢のような甘い名前からは想像できない地獄であるということを、あの蠱惑的(こわくてき)な声でささやきかけたことだろう。
 

 わたしはなぜか昔の話を聞くとひとり妄想してしまう癖があるようだ。
 

 ある時、ドイツのニュルンベルクを訪れた知人から、そこで拾った石を土産にもらったことがある。
 「これは、ヒトラーが演説した場所であり、かのニュルンベルク裁判が行われた場所から拾ってきた石なのだ!」。そう恭しく解説された瞬間、なんの変哲もない石を通して、1933年の第1回ナチス党大会やのちの裁判に至るまでの様子が映し出された。多感な10代の想像力とは恐ろしいものである。


 沖縄には戦跡をめぐる旅もある。
 むかし両親を沖縄へ連れて行った時、最初に小禄の海軍壕と南部のひめゆり壕に案内した。国道58号線沿いにある米軍基地を横目に北上し、基地に囲まれた街の様子も見てもらった。
 しかし、娘が案内するそんな沖縄よりも、父はなぜか首里城の城壁の一部に見惚れ、公設市場の古き佇まいに目を輝かせていた。母は乙女の眼差しで南の島の花々や綺麗な海にうっとり。
 わたしの思惑はまんまと外れ、がっくりしたものだ。


 だが沖縄のイメージといえば、それが一般的なのかもしれない。
 わたしだって美しい海は好きだし、市場も好きだけれど、沖縄の激戦地の跡を巡ることであぶり出される、過去から現在への沖縄を知るという視点もある。
 わたしは映画『ハクソー・リッジ』で、前田高地という激戦地を初めて知り、激しく興味をそそられた。


 わたしを乗せた車は、米軍が作ったコザ十字路から那覇市に続く旧軍道5号線、現在の国道330号線を新都心から北上し、嘉数へと向かった。
 そこで、わたしは驚愕の出来事に遭遇することになる。


 (後編につづく)

映画『ハクソー・リッジ』の舞台前田高地を訪ねて~前編~ 映画からさまざまな歴史を知ることは、ちょいと映画的だったりして楽しい

洞口依子

洞口依子(どうぐちよりこ)

女優。1980年、「週刊朝日」11月7日号の表紙を飾り、雑誌「GORO」で篠山紀信の「激写モデル」として芸能界デビュー。85年、映画「ドレミファ娘の血は騒ぐ」(黒沢清監督)の主役に抜擢された。この時共演した伊丹十三監督の「タンポポ」「マルサの女2」に出演。テレビドラマでは92年の「愛という名のもとに」(フジテレビ)、97年の「ふぞろいの林檎たち」(TBS)などで個性的な演技を披露し、女優としての地位を確立した。2004年に子宮頸がんを発病したが克服し、06年に復帰。07年には闘病生活を綴った「子宮会議」を発刊。女優業の傍ら、ウクレレバンド「パイティティ」でライブ活動もしている。週刊文春「シネマチャート」連載中。

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