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2017年04月07日

桜色の記憶~母と岸辺のアルバム~

 桜咲く東京。


 夜、半蔵門辺りを歩いていたら、真新しい鞄にスーツ姿の若いサラリーマンたちにすれ違う。両手に酒と肴を持ち、いそいそと靖国方向へ歩いてゆく。


 渋谷駅の改札で見かけたほろ酔い顔の若い男女。
 「どこまで帰るの?」
 「ええ? どこって、フフ、どうしようかなー」


 いいなあ、若さ。食い気も色気もある。


 いろんなひとびとに春が来た。
 桜の樹の下で、酔いしれるほどいつのまにか大人になったものの、元をたどれば、みんなお母さんの腹の中で育って生まれてきた。


 そういえば、初めて花見をしたのはいつだろう。
 いつか見た母のアルバムにみつけた白黒写真。
 記憶にない風景。
 私を乗せた乳母車を押す母と桜。
 全く記憶にないはずなのに、なぜか懐かしさがこみ上げてくる写真だった。


 あれは私が生まれて間もない2、3歳くらいだろうか。
 それは小金井公園の桜だったり、多摩川沿いの土手に咲く桜だったりした。
 武蔵野で生まれた私は1歳になると、多摩川の右岸の丘陵にあるカントリークラブの近郊に引っ越した。


 近くには旧日本軍の弾薬庫跡地があり、有刺鉄線が巡らされたその辺りは、在日米軍基地の施設になっていた。
 一帯は鬱蒼と緑が生い茂り、いわゆる多摩丘陵らしい風景が広がり、ちょっと行けば多摩川の河川に出られた。


 ふと思い起こせば、家族で花見をしたのはそれきりだった。
 後にも先にも家族そろって花見をした記憶は、それが最後だ。


 幼子を乳母車に乗せた若い夫婦は、多摩川土手に咲く桜や、カントリークラブの桜を眺めながら、新しい季節に何を感じていただろう。
 そんなことを思い出していたら、ふとあるドラマのことを思い出した。


 あれは私がいくつくらいのことだっただろう。
 そのドラマが放映されたのは、1977年だというから、12歳頃だろうか。
 当時、母が夢中になって見入っていたドラマだった。
 『岸辺のアルバム』(山田太一脚本 1977年 TBS系連続ドラマ)。


 私と同世代なら、ジャニス・イアンが歌う『Will You Dance?』のメロウな調べとともに、あのタイトルバックを思い出すだろう。
 台風で多摩川の河川が決壊し、住宅が流されてゆく本物の映像と穏やかな多摩川の河川の空撮。
 あれが私にとって、初めての大人のドラマ体験だった気がする。


 物語は、昭和49年に実際起こった台風16号による多摩川氾濫による水害が背景にある。家を失った家族が家を失った以上にショックだったのは、家族のアルバムを失ったことだという話から着想したと言われている。


 多摩川の土手に一戸建てを買って暮らす平凡な中流家庭の家族4人。
 一見幸せそうな家族だが、偽りの笑顔を浮かべて暮らす家族だった。
 倦怠期を迎えた夫婦と、親離れしてゆく子どもたちの葛藤。
 やがて家族が崩壊し、最後には多摩川の氾濫で家までもが濁流に飲まれ崩壊してゆく。


 それぞれ秘密を持ち始める家族。
 父は商社マンだが、倒産の危機を迎え早期退職(リストラ)の対象になり、次第にダークな仕事に手を出すようになってゆく。
 ある日突然、見知らぬ男からの電話を受け、不倫をしてしまう母。


 外国に憧れを抱き、大学の英文科に通う姉はアメリカ人の恋人に裏切られ、レイプされてしまう。大学受験を控えそんな家族の狭間で揺れ動く弟。
 そして、その家族を取り巻くひとびと。


 不倫相手の男性、塾の先生、ハンバーガーショップの「哀愁」というあだ名の女の子。末期ガンを患った同僚の妻などなど。
 とにかくそれぞれの人物像の描き方がとても深い。


 家族の持つ秘密、リストラ、不倫、レイプ、受験、それぞれのモチーフを全てつなげて、あの台風の惨事へつなげてゆくという脚本の凄みには、大人の深い事情など理解できぬ子どもながらにも、圧倒された。


 それは、かつて住んでいた家の近くにあった多摩川を襲った未曾有の大水害の映像が余りにも生々しかったからだろうか。
 あるいは、不倫をする八千草薫の色っぽさにドキッとさせられたからだろうか。


 それまで、ホームドラマといったら、『奥様は魔女』とか『肝っ玉かあさん』くらいしか知らなかった私には、かなりの衝撃だった。


 しかしそれ以上に私の心に深く刻まれたのは、あのドラマが始まると、まるで魔法にでも掛けられたような、何かに取り憑かれたように無我夢中な母の姿だった。
 

 母は傍にいる寝巻き姿の子どもの存在すら意識にない様子で、「お母さん」などと気安く声を掛けられるような雰囲気ではない、ただならぬオーラを発していた。
 そして、一瞬垣間見た母の横顔がほんのり紅潮していて、なんだかとても艶めかしく、今まで見たことのない、私の知らない母の姿だったのだ。


 やがて大人になった私は、奇しくも初めての連続ドラマで、あの『岸辺のアルバム』の脚本家・山田太一先生と仕事をすることになる。
 『時にはいっしょに』(1986年)というフジテレビの連続ドラマだった。


 両親の離婚に揺れる姉弟の物語。
 私の役どころは、弟を翻弄するレンタルビデオ屋のアルバイト店員。
 初めての山田太一脚本の印象は、独特の台詞回しがとても新鮮で、絶妙な返答のやりとりに驚かされた。
 「確かにこんな時に、そういうとんちんかんなこと言う時あるよね」。そんな絶妙な会話のやり取り。
 どの人物像においても、その人物が抱えているコンプレクッスまで深く描かれていて、役柄を演じる上でもとてもありがたかった。


 1997年、『ふぞろいの林檎たちⅣ』にも再びお声をかけていただいた。
 仲手川良雄と婚約することになる相崎江里役。仲手川君にとっての〝いとしのエリー〟だった。


 それから、渋谷のNHKの近くで、何度か山田太一先生をお見かけした。
 一度だけ手を振って「先生!」と大声でお声かけしたことがあった。
 通りを隔てた向こう側で、先生はこちらに気づくと、恥ずかしそうに微笑みを返してくださった。
 確か、満開の桜の季節だった。


 それにしてもあの『岸辺のアルバム』に見入っていた母の姿が忘れられないのはなぜだろう。
 頬杖をつき、小首を傾げる彼女がドキっとするほど艶めかしく、一瞬垣間見たあの横顔。 
 うっすら桜色に頬を染め、母は何を思っていたのだろう。


 桜の花の色をみるたびに、私はそんなことを思い出すのだった。

桜色の記憶~母と岸辺のアルバム~ 濡れた桜 家族連れのシルエット ホテルオークラの夜桜

洞口依子

洞口依子(どうぐちよりこ)

女優。1980年、「週刊朝日」11月7日号の表紙を飾り、雑誌「GORO」で篠山紀信の「激写モデル」として芸能界デビュー。85年、映画「ドレミファ娘の血は騒ぐ」(黒沢清監督)の主役に抜擢された。この時共演した伊丹十三監督の「タンポポ」「マルサの女2」に出演。テレビドラマでは92年の「愛という名のもとに」(フジテレビ)、97年の「ふぞろいの林檎たち」(TBS)などで個性的な演技を披露し、女優としての地位を確立した。2004年に子宮頸がんを発病したが克服し、06年に復帰。07年には闘病生活を綴った「子宮会議」を発刊。女優業の傍ら、ウクレレバンド「パイティティ」でライブ活動もしている。週刊文春「シネマチャート」連載中。

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