47NEWS > エンタメ > 洞口依子・のら猫万華鏡 > 2017春 那覇のマチグヮー放浪記

2017年03月10日

2017春 那覇のマチグヮー放浪記

 先月、寒緋桜咲く沖縄へ行ってきた。
 島の友達と映画『沈黙』をコザのライカムシネマで見て、浜辺の潮風に当たって、島猫たちと日光浴をしたり、街をのらのら歩く。


 南の島の友達と過ごす時間は楽しい。
 声がかれるまで喋って、腹がよじれるほど笑う。
 映画や本、音楽、人生、語り合うネタも尽きなければ、あっという間に時間もすぎる。
  

 みんなでぞろぞろ街を歩く。
 いつものように「マチグヮー」をのらのら歩く。
 マチグヮーとは沖縄で「市場」のこと。


 奇跡の1マイルと呼ばれた国際通りから、平和通りへ折れる。
 マチグヮー(牧志公設市場)を中心に、むつみ橋通り、桜坂、新天地市場通り、大平通り、浮島通り、そして開南バス停あたりまで歩く。

 毎回、こうしてマチグヮーを中心にのらのら歩くのが好きだ。
 だが、マチグヮーも消えつつある運命にある。
 桜坂に大型外資系ホテルが建ち、界隈の姿が変わってゆくのは、まるで巨大な消しゴムで消されていく勢い。


 そんな街並みの変化を、いつしか我々旅人の間では「認知症」と呼び合うようになった。
 「ここ、何があったんだっけ?」
 「へ、ここってこんなだったっけ?」
 「この道に続くのは、確か、えっと……ああ、なんだっけ?」
 急速に変化するマチグヮー界隈を歩きながら、脳内にある記憶と目の前の風景が重ならない。思い出せないのである。

 「時代の流れサー」と、素知らぬ顔でマチグヮーを闊歩するのら猫とすれ違う。猫を追いかけて、路地裏に迷い込む。一瞬、体内方位磁石が狂うあの浮遊感。ふと戦後の闇市にいるような錯覚に陥ってしまうほど、マチグヮー界隈の散歩は楽しい。

 マチグヮーの成り立ちは、戦後1947年頃。
 現在の開南バス停あたりで、米軍物資の横流し品や香港台湾などからの密貿易で得た商品を売っていた闇市が、マチグヮーの原型だと聞く。
 いまでも、外国製品などを陳列して売っている商店がある。
 その時代からの名残りだろう。流通ルートを尋ねると、「企業秘密よ」とおばちゃんに笑われた。

 そんなマチグヮーも、いつまで存続するかわからない。

 一昨年、沖縄の伝統文化である旗頭を見た農連市場あたり。
 開発が進み、ガーブ川向こうにはもう何も残っていない。
 工事現場の完成予定図には、どこにでもありそうな近代的な建物が描かれていた。
 市場で見かけたのら猫たちの居場所もやがてはなくなることだろう。

 それでも、公設市場周辺には、観光客相手の商売で賑わっている店もある。
 ここ数年、雨後のタケノコ状態で増え続けている小さな飲み屋たち、立ち飲み酒場・角打ち。通称〝せんべろ〟だ。

〝せんべろ〟とは(奇妙な響きで好ましくはないが)千円でベロベロになるまで酔える店という意味。
 ルーツは、中島らも氏と編集者・小堀純氏の共著『せんべろ探偵が行く』(2003年・集英社)。安い。美味いアテ。気取らない。  そんな名店を飲み歩いたガイドブック的な一冊である。

 それから10余年、大阪の新世界や横浜の黄金町、東京の下町などにあった立ち飲み・角打ち文化が、“せんべろ”という奇妙な名前で流行りだし、とうとう沖縄にも上陸したというわけだ。

 酒好きな島の友達は「いけませんよ、沖縄にそんな文化を持ち込んじゃ。危険すぎます!」と笑いながら、うれしそうに話す。

 沖縄は酒飲みにとってのパラダイス。
 南の島独特の時間のテンポがそうさせるのか。
 熱帯の気候が開放的な気分にさせるからだろうか。
 喉が渇けばビールを飲み、なにかと泡盛で乾杯する。

 某ホテルの朝食バイキングでは、食事の列に泡盛とビールが置いてあったりする。
 朝から、ちゃんぷるーをつまみにビールをプハーっとやっている観光客もいる。

 マチグヮーに隣接した沖縄そば屋の向かいに立ち飲み酒場を見つけたのは、確か2年ほど前のことだった。
 東京都足立区出身のオーナーが営む大衆串揚げ酒場「足立屋」。
 近くには〝角打ち〟もできていた。


 市場界隈で昼から堂々と酒が飲めて、美味しいアテがある気の利いた店といえば、かつては「節子鮮魚店」くらいしかなかった。
 立ち食いで牡蠣や島タコを頬張りながら、かち割り氷の冷えた白ワインで喉を潤し、夜の帳が降りるのを待つ。そこから那覇の深い夜が始まるのだ。

 節子鮮魚店や立ち飲み酒場・足立屋を筆頭に、便利な立ち飲み酒場が増える一方で、昔馴染みの名店の灯りが消えていくのは切ない。
 しかし、時代とはそういうものかもしれない。

 立ち飲み文化を沖縄に広めた先駆けの足立屋は、当初、昼から夜10時くらいまでの営業だったが、とうとうモーニングまで始めるようになっていた。

 朝から酒を楽しむ客たちの姿は滞在中にも見かけた。
 朝6時~夜10時。
 「お酒2杯とめざし3匹相当のつまみ 500円 」 と、品書きには書いてある。

 朝から酒を楽しむ客たちの姿は滞在中にも見かけた。
 観光客のみならず、地元のひとびとも混じり合い賑わっている。

 マチグヮー界隈には、そんな立ち飲み酒場が増殖。
 そこかしこで、「せんべろ」という奇妙な言葉を見かける。
 健康的な沖縄の家庭料理をアテに飲む〝琉球せんべろ〟、果ては「せんぺろ」という奇妙な看板まで見かけ笑いを誘う。


 そんな路地裏でのら猫がユクル(ゆっくりする)情景をぼんやり眺める。
 肩寄せ合い、互いを支えながら建っている不思議なコンクリマンション。
 継ぎ足し連なる建物を縫うように路地が続き、その路地裏に薄暗い闇ができる。
 そこには、立ち飲み酒場の人影や小さな露店で商いをする人々が混在している。
 そして、そこにのら猫がいるだけで、風景が情景に変わるのだ。

 戦後の闇市から発展したマチグヮー。
 その路地裏にはまだ闇がある。
 あの闇があるから、独特な情緒が生まれるのだと思う。


 路地裏の闇。
 私の幼い頃にも街の路地裏には闇があった。
 それは私にとって、どこか大人の世界との見えない境界線でもあった。

 戦後復興の象徴とも言われる那覇のマチグヮー界隈。
 闇市に集まったひとびとの夢が光のように輝いた街。
 闇から生まれた光のありがたさ。
 その闇と光の狭間で幸も不幸も分かち合ったマチグヮーのひとびと。
 誰かの言葉を思い出す。誰かは忘れたけれど。
 「闇があるから光がある。闇から出て来た人こそ、本当に光の有り難さがわかるんだ」


 やがてマチグヮー路地裏の闇も、昭和の遺物として消えゆく運命にある。
 過去と現在と未来を共振させ、異空間へ私を誘う不思議な闇。
 私は、マチグヮーを歩きながら、カメラのシャッターを切るように情景を瞼に焼き付ける。

 永遠などというものはない。
 だけど、私が見たこの風景が永遠であれば、それでいいのだ。

2017春 那覇のマチグヮー放浪記 浮島通りとマチグヮー。路地裏せんべろ酒場。ウクレレ爪弾き練り歩いたり、島猫観察も楽しいマチグヮーの記憶

洞口依子

洞口依子(どうぐちよりこ)

女優。1980年、「週刊朝日」11月7日号の表紙を飾り、雑誌「GORO」で篠山紀信の「激写モデル」として芸能界デビュー。85年、映画「ドレミファ娘の血は騒ぐ」(黒沢清監督)の主役に抜擢された。この時共演した伊丹十三監督の「タンポポ」「マルサの女2」に出演。テレビドラマでは92年の「愛という名のもとに」(フジテレビ)、97年の「ふぞろいの林檎たち」(TBS)などで個性的な演技を披露し、女優としての地位を確立した。2004年に子宮頸がんを発病したが克服し、06年に復帰。07年には闘病生活を綴った「子宮会議」を発刊。女優業の傍ら、ウクレレバンド「パイティティ」でライブ活動もしている。週刊文春「シネマチャート」連載中。

  • 前の記事へ
  • 記事一覧へ
  • 次の記事へ