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2016年12月20日

クリスマスとチャーリー・ブラウン

 今年も街を彩るクリスマスのイルミネーションのあれこれ。
 いつの頃からだろう、このイルミネーションがはやりだしたのは。
 もはや街中がテーマパーク状態。

 先日、目黒川のほとりを歩いていたら、宝来橋から朝日橋にかけてイルミネーションが点灯していた。
 灯りの方へ近づいてゆくにつれ、人けも多くなり、橋の上は交通整理をする警備員が人の流れをさばいていた。


 記念写真を撮る人混みの中、川のほとりに佇み、仄暗い川の水面に滲む黄金色の灯りを見つめながら、この賑わいに奇妙な感覚を覚える私がいた。
 日本人にとってのクリスマスっていったいなんなんだろう。

 その昔、私もクリスマスを楽しみにしていた普通の子どもだった。
 小さなツリーに電飾やオーナメントを飾り、不二家のクリスマスケーキやシャンメリーが並ぶ食卓には、母がクリスマスの刺繍を施したテーブルクロスを広げたのを覚えている。

 クリスマスにしか聴くことが許されなかった木馬座の「ケロヨンのクリスマス」のピクチャーレコード。「サンタとケロヨンはお友達♪」と三角帽を被りながら高らかに歌い、本当にケロヨンはサンタと友達なのだと頑なに信じていたあの頃。

 あるとき、ドアの外にプレゼントを仕込む健気なサンタの正体を見抜いて以来、プレゼントをおねだりするのも、なんとなく親の顔色を伺うようになってしまった。


 やがて大人になってからのクリスマスは、男女が必死で演出する派手で豪勢なものばかりが目についた。
 予約のとれないレストラン。めくるめく一夜を過ごすための高級ホテル。
 プレゼントの箱を開けたらなぜか色っぽい下着だったり。
 クリスマスとは一体何をするためのものなのだろうか?


 私はそんなクリスマスが滑稽に思え、ひとりで過ごす時もあった。それでも、馴染みの店から「クリスマスメニューを用意してお待ちしております」などと聞くと、まあいいかと、なんとなく楽しそうな方へ流されてゆくのだから、まったくどうかしている。

 あるとき『チャーリー・ブラウンのクリスマス』というアニメを見た。
 私は、谷啓とうつみ宮土理の日本語吹き替え版のスヌーピーを観て育った世代だが、今観てもとても清々しい気持ちになれる。
 あの登場人物の誰かに自分の姿を重ねてみたり、そっと寄り添ってくれる不思議な漫画だ。


 愛犬スヌーピーと子どもたちしか出てこないクリスマス。
 シンプルな物語だが、とても穏やかな気持ちにさせてくれる。

 本来、キリストの誕生を祝う神聖なクリスマスのはずが、いつのまにやら商業主義に汚されてしまっていると嘆く主人公チャーリー・ブラウン。
 「クリスマスなのにちっとも楽しくないんだ」と安全毛布のライナスに彼は語りかける。


 スヌーピーは新聞でみつけた電飾飾りつけコンテストに応募するため、犬小屋飾りの準備に忙しい。あわよくば、入賞賞金を狙おうという魂胆だ。
 幼い妹サリーも「プレゼントは〝お金〟をください!」と傲慢なプレゼントリストをサンタに送りつけようとしている。


 みんながクリスマスを楽しんでいるのに、自分だけが違和感を抱き、馴染めない。
 そんな悩みを抱えたチャーリーは、お悩み相談所を開いているルーシーの元へ訪れる。

 「診察料は前払い、5セントよ」
 拝金主義者のルーシーからはお悩み相談もあやふやにされそうになる。
 すると、ルーシーからクリスマスの劇の監督をすすめられたチャーリー。


 意気揚々と稽古をつけるチャーリーだが、劇の稽古に集まった子どもたちは皆ダンスに夢中で劇のことなどそっちのけ。


 みんなにダメだしするチャーリーにルーシーが「近頃はクリスマスだってただのお祭りなのよ、サンタだってどっかの金持ちに雇われてるっていうじゃない!」と一撃。反撃するチャーリー「この劇はそんなんじゃないんだってば!」—。

 困ったチャーリーは舞台にクリスマスツリーを飾ることを思いつき、早速クリスマスツリーを買いにライナスとともに出かける。
 「大きくてピカピカしたピンク色のやつをお願いよ!」とルーシーに注文されながら。
 はやりの煌びやかで豪華なツリーがたくさんある中で、チャーリーが選んだのはしょぼい粗末で小さな樅木だった。

 ライナスは「これじゃルーシーの注文通りじゃない、今時これじゃ時代遅れだって笑われるよ」と咎めるが「これをみんなで飾れば綺麗になるだろうし、このツリーは僕を必要としている」とチャーリーは意気揚々とそのツリーを買って帰る。


 だが案の定、そのしょぼい粗末なツリーをみんなに笑われ馬鹿にされる。
 「クリスマスっていったいなんの日なの?」。ますます困惑するチャーリー。
 そこへ安全毛布のライナスが突然、舞台中央で新約聖書のキリスト誕生の聖句を一気に暗誦し始め終えるとひとこと、「今のが、クリスマスが何かってことさ、チャーリー・ブラウン」としめるのだ。


 ライナスが暗誦した聖書の引用、イエスキリストの誕生の意味を理解した上で、本当のクリスマスの意味に気づかされるチャーリー。
 「喜びとなる知らせを持ってきたのだ。ダビデの町に救いの星となるキリストが生まれた、これがその印だ」


 夜空に瞬く星を見上げ、「僕のクリスマスは商売とは無縁、派手に飾らなくても、僕は僕のクリスマスで」とチャーリーは納得する。

 しかも、スヌーピーが電飾犬小屋コンテストで1位に選ばれたことを知ると、チャーリーはその犬小屋を見て「派手に飾るのも悪くないね」などと言うのだ。
 結局、不器用なチャーリーはツリーを飾る事はできなかった。
 だけど他のみんながその粗末で小さなツリーをスヌーピーの犬小屋を飾っていたデコレーションで飾り立て始める。


 「このツリーも悪くないよ、愛情が必要なだけさ」。
 ライナスは自分の安全毛布でツリーを包んであげる。
 「チャーリーにしてはいい木を選んだじゃない!」と褒めるルーシーの姿もいる。
 可愛らしく飾られたツリーを囲み、みんなで賛美歌を歌って物語はしめやかに幕を閉じる。


 1965年にクリスマス企画番組として初めてアニメ化され、全米放映されたこのお話。
 当時、登場人物の子どもがいきなり聖句を引用し、一気に暗誦するということは、画期的な試みだったと思う。
 宗教色が濃いとなると、それは批判の対象にもなりかねないからだ。


 しかし、その後このアニメは毎年、クリスマスに放映されていると聞く。
 アニメを通じて、クリスマスの本当の意味を子どもたち自らに気付かせるという作者の狙いが叶ったのだろう。

 私はクリスチャンではないが、ライナスのこの聖句の暗誦には驚かされた。
 子どもが聖句を引用しながらキリスト誕生の来歴を伝える、その潔さ。

 そして、クリスマス商戦で浮かれている世間との違和感を本能的に抱いていたチャーリーの正当性。本来のクリスマスの意味を改めて気づかせてくれるのだ。


 今でもクリスマスにはこのアニメを観る。
 スヌーピーのテーマソングを手がけたピアニスト、ヴィンス・ガラルディによる『チャーリー・ブラウンのクリスマス』のサントラ盤も欠かさない。

 子どものいない我が家のクリスマス。
 今年も、スヌーピーの代わりに愛しの愚猫を傍らに、クリスマスカードもギフトもいらない「きよしこの夜」を迎えることだろう。


 イルミネーションが消えたら、駆け足で正月がやってくる。
 クリスマスツリーを、急いで正月飾りに早変わりさせねばなるまい。
 チャーリー・ブラウン、そんなとき君ならなんと言うだろうか。

クリスマスとチャーリー・ブラウン 目黒川と表参道の煌びやかなイルミネーションとホテルオークラのツリー

洞口依子

洞口依子(どうぐちよりこ)

女優。1980年、「週刊朝日」11月7日号の表紙を飾り、雑誌「GORO」で篠山紀信の「激写モデル」として芸能界デビュー。85年、映画「ドレミファ娘の血は騒ぐ」(黒沢清監督)の主役に抜擢された。この時共演した伊丹十三監督の「タンポポ」「マルサの女2」に出演。テレビドラマでは92年の「愛という名のもとに」(フジテレビ)、97年の「ふぞろいの林檎たち」(TBS)などで個性的な演技を披露し、女優としての地位を確立した。2004年に子宮頸がんを発病したが克服し、06年に復帰。07年には闘病生活を綴った「子宮会議」を発刊。女優業の傍ら、ウクレレバンド「パイティティ」でライブ活動もしている。週刊文春「シネマチャート」連載中。

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