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空想読解なるほど、村上春樹 小山鉄郎
「村上春樹を読む」ワーグナー『ニーベルングの指環』 古代神話と長い因縁話・その2

『1Q84』BOOK1
『1Q84』BOOK1

『1Q84』に出てくる「天吾」と、天吾がリライトしてベストセラーとなる『空気さなぎ』の作者「ふかえり」は、実は兄と妹の関係にあるのではないだろうか。そんな考えについて、前回の「村上春樹を読む」で紹介しました。

もし、天吾とふかえりが兄妹だとすると、天吾はカルト宗教集団・さきがけのリーダー(深田保)の子ということになります。物語の最後、天吾の子を青豆が妊娠しているわけで、その子は、リーダーの血を引き継ぐことができる存在でもあります。

だからこそ、それまでリーダーの殺害者である青豆を追跡していたカルト宗教集団・さきがけのメンバーが「青豆さんをこれ以上追及するつもりはありません。我々が今求めているのは彼女と語り合うことです」と語っているのだと思います。

さらに「我々は声を聞き続けなくてはなりません」とさきがけの人たちは言うのです。さきがけのリーダーは〈声を聴くもの〉でした。そして青豆のお腹に宿っている天吾の子どもは、血統的には〈声を聴くもの〉となる有資格者なのでしょう。そのような子どもを青豆が妊娠しているところで、この物語は終わっています。

『1Q84』では、雷と洪水の日の夜に、ふかえりと天吾が交わることで、なぜか青豆のほうが天吾の子どもを妊娠するという、村上春樹らしい“ねじれのある展開”になっているわけですが、私のように考えると、天吾とふかえりの交わりは近親相姦の場面とも言えるので、やはり天吾とふかえりを兄と妹だとすることには、ちょっと、飛躍があると思う人もいるかと思います。

でも『ねじまき鳥クロニクル』と『1Q84』との関係を考えてみると、そんなに突飛な考えとも言えないと思うのです。

『ねじまき鳥クロニクル』と『1Q84』はいくつかの対応を有する作品です。例えば『ねじまき鳥クロニクル』の作品の時代設定が1984年から1985年ぐらいです。『1Q84』は現実の1984年から時間・空間が少しねじれて、「1Q84」年の世界へ主人公たちが導き込まれるのですから、ほぼ同じころに時代が設定されています。

最初に2冊が刊行され、その翌年に3冊目が刊行されるというのも同じです。細かいことを言いますと、『ねじまき鳥クロニクル』で、自分の前から失踪してしまっている妻からの温かい手紙が来る章の名前は、「ねじまき鳥クロニクル#17」(クミコの手紙)ですし、『1Q84』で青豆と天吾が20年をかけて結ばれるホテルの部屋は17階にあります。

この2つが、なぜ「#17」と「17階」なのかについては、「4」という数字は村上春樹作品では「死」や「異界」を表していて、その「4」(死・異界)と「4」(死・異界)が掛け合わされた世界が「16」であり、その「16」の世界を脱出してきた数として「17」(16+1)があるのだろうと、私は考えています。

この他にも幾つか、『ねじまき鳥クロニクル』と『1Q84』に重なるディテールがあります。「牛河」という人物が両作に共通して登場することも特徴的です。

そして『ねじまき鳥クロニクル』では、「僕」と「牛河」のこんな会話があります。

「僕」が「牛河」に言います。「つまりあなたは綿谷ノボルとクミコとのあいだに性的な関係みたいなものがあると言いたいわけですか?」

「牛河」は「いや、何もそんなことは言ってません」と否定していますが、『ねじまき鳥クロニクル』の中で、「僕」の妻・クミコと、その兄・綿谷ノボルの兄妹の近親相姦的な関係が考えられている会話です。

『ねじまき鳥クロニクル』の「僕」の「牛河」への「つまりあなたは綿谷ノボルとクミコとのあいだに性的な関係みたいなものがあると言いたいわけですか?」という、この言葉を横に置いてみれば、『1Q84』の天吾・ふかえりが兄と妹で、その2人が「お祓い」の儀式のようにして性的に交わるという考え方も、それほど突飛なものとは言えないのではないかと思うのです。

前回は、この「兄と妹が性的に結ばれる」という問題について、日本の古代神話である『古事記』の軽太子(かるのみこ)と実妹の軽大郎女(かるのおおいらつめ、衣通姫=そとおりひめ)との道ならぬ恋を反映しているのではないかと書きました。衣通姫と呼ばれた軽大郎女の「そとおり」と「ふかえり」というネーミングが似ているのではないかという指摘をしたわけです。

『1Q84』における、この「兄」と「妹」の性的な関係について、今回はもう1つ別な面から考えてみたいのです。それはリヒャルト・ワーグナー作曲の楽劇『ニーベルングの指環』との関係です。

『ニーベルングの指環』は『ラインの黄金』『ワルキューレ』『ジークフリート』『神々の黄昏』を合わせた楽劇ですが、『神々の黄昏』のことが、『1Q84』BOOK3の中に出てきます。それは第24章で天吾の父親が亡くなって、その葬儀の模様が描かれる場面です。天吾の父親はNHKの集金人でしたから、最後はきれいにアイロンのかかったNHKの集金人の制服に包まれて簡素な棺におさめられます。父親の遺体は死んでいるようには見えず、仕事の合間に仮眠でもとっているように見えます。

NHKのマークが縫い込まれた制服は「彼が最後に身につける衣服として、それ以外のものは天吾にも思いつけなかった。ヴァーグナーの楽劇に出てくる戦士たちが鎧に包まれたまま火葬に付されるのと同じことだ」とあり、さらに父の遺体が乗せられたのはいちばん安あがりな霊柩車だったらしく「そこにはおごそかな要素はまったくなかった。『神々の黄昏』の音楽も聞こえてこなかった」と書かれています。

この『1Q84』は、高速道路を行く、タクシーの中で、青豆がヤナーチェクの最晩年の管弦楽作品「シンフォニエッタ」を聴く場面から始まっていますし、作中にたくさんの音楽が出てきますが、「『神々の黄昏』の音楽も聞こえてこなかった」という否定形の表記ながら、音楽の固有名詞が記されているのは、この『神々の黄昏』が最後です。

村上春樹の初期3部作の1つ『羊をめぐる冒険』(1982年)にも「鼠も羊もみつからぬうちに期限の一カ月が過ぎ去ること」になれば「あの黒服の男は僕を彼のいわゆる『神々の黄昏』の中に確実にひきずりこんでいくだろう」とありました。その黒服の秘書の男は「僕」と最初に会った際、男の先生が作った組織は、もし先生が死ねば「先生の死によって組織は遅かれ早かれ分裂し、火に包まれたヴァルハラ宮殿のように凡庸の海の中に没し去っていくだろう」と語っています。ヴァルハラ宮殿は『神々の黄昏』の最後に火に包まれる神々の宮殿です。このように、村上春樹は初期のころから、ワーグナーに興味を抱いていたと思われるのです。

そのような関心からワーグナー『ニーベルングの指環』を見てみると、双子の兄(ジークムント)と妹(ジークリンデ)が結ばれて、妹(ジークリンデ)が「ジークフリート」を身ごもり、産んで亡くなるという展開の楽劇になっています。

天吾とふかえりという兄・妹の性的な交わりの場面は、ワーグナー『ニーベルングの指環』の双子の兄(ジークムント)と妹(ジークリンデ)の交わりの場面とも呼応して読めるのではないかと思うのです。そうだとすると、天吾とふかえりという兄・妹が交わって、青豆が身ごもっている天吾の子どもとは、『ニーベルングの指環』の「ジークフリート」に相当する子どもだということなりますね。

このような考えで、『1Q84』を読んでみますと、いくつかの部分で、『1Q84』とワーグナー『ニーベルングの指環』が、呼応しながら書かれているのではないかと思えてくる部分があるのです。

例えば、物語の最後に天吾の子を妊娠している青豆は、女殺し屋ですが、殺し屋となっていく動機は次のようなものでした。

青豆には大塚環(たまき)という友だちがいました。2人は同い年で、都立高校のソフトボール部のチームメート。青豆は投手で4番打者、文字通り投打の中心でしたし、大塚環は二塁手でチームの要でキャプテンをつとめていました。そんな「環は青豆が生まれて初めてつくった親友だった。どんなことでも隠さずに打ち明けあうことができた。環の前にはそんな友だちは青豆には一人もいなかったし、彼女のあとにも一人も出てこなかった」とあります。

環は24歳の時に2歳上の男と結婚しますが、彼女は26歳の誕生日を3日後に控えた、風の強い晩秋の日に自宅で首を吊って死んでしまうのです。環は夫の絶え間ないサディスティックな暴力によって、身体的にも精神的にも傷だらけになっていたのです。青豆は鋭い針で瞬間的に相手を死に至らしめる力を身につけて、環の夫を殺害してしまいます。

そして、まだ環の不幸が起きる前の記述の部分ですが、頻繁に「処女」という言葉が繰り返されるのです。例えば「環は大学一年生の秋に処女を失った」「それは処女性の喪失とか、そういう表面的な問題ではない」「恋人もつくらないで、ずっと処女のままでいるつもり?」「青豆は二十五歳になっていたが、まだ処女のままだった」…という具合です。

これは、もしかしたら、青豆が「ワルキューレ」であることを述べている部分なのではないかと、私は思います。「ワルキューレ」とは「処女戦士」という意味です。ワルキューレは戦場において、死を選定する女性です。そしてよく読めば、青豆の親友・大塚環の名前も「指環」に繋がる「環」です。

他にもまだあります。『1Q84』にはリトル・ピープルというものが出てきます。ふかえりの小説『空気さなぎ』にもリトル・ピープルは出てきますが、ふかえりの育ての親である戎野先生は「リトル・ピープルは目に見えない存在だ。それが善きものか悪しきものか、実体があるのかないのか、それすら我々にはわからない。しかしそいつは着実に我々の足元を掘り崩していくようだ」と語っています。

もちろんジョージ・オーウェルの『一九八四年』の中に出てくる、ビッグ・ブラザーに対応するものとして、リトル・ピープルがあります。

でもこれもワーグナー『ニーベルングの指環』に出てくる地底に住むニーベルング族のこびと、また地上に住む巨人族との対応関係を考えてもいいのではないでしようか。

ワーグナー『ニーベルングの指環』や、そのもとの1つとなったと思われる北欧神話などへの興味から村上春樹作品を見ていくと、他作品にもたくさん関連性を見ることができます。

例えば、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(1985年)の「世界の終り」のほうの物語に「門番」が出てきて、彼は大小様々の手斧やなたやナイフを持っています。手斧の柄は「十年もののとねりこの木を削って作るんだ」「東の森に行くと良いとねりこがはえているんだ」と「門番」が「僕」に話しています。この「とねりこ」は『ニーベルングの指環』や北欧神話に「世界樹」としてある木です。

また良いとねりこがはえている「東の森」というものも、村上春樹作品には、しばしば出てくるものです。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』では、他にも「東の森にぽっかりとあいた野原に座り、古井戸に背をもたせかけて風の音に耳を澄ませていると、僕は門番の言ったことばを信じることができるような気がした」とあるし、『羊をめぐる冒険』には羊男が「ごそごそと身をよじって羊の衣裳に体をなじませてから、足早に草原を東の森に向けて突っ切っていった」と記されています。

この「東の森」も『ニーベルングの指環』の中に出てくるものなのです。

逃げるジークリンデが「どちらへ向かったらよいのかしら?」と聞くと、ワルキューレたちは「東に向かっては森が広がっている」「森がジークリンデを護ってくれる」「権威ある神も森は恐れ、あの辺りを敬遠する」「急いで、東へ進みなさい!」と言うのです。

現時点では、最新の長編作品といえる『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(2013年)にも、こんな「緑川」と「灰田の父」との会話が記されています。

「もし緑川さんが死んだらそのトークンはどうなるのでしょう?」

「さあな。それは俺にもわからん。はて、どうなるんだろう? 俺と一緒にあっさり消滅してしまうのかもしれない。あるいは何かの形であとに残るのかもしれない。そして人から人へとまた引き渡されていくのかもしれない。ワグナーの指環みたいにな」

村上春樹が『ニーベルングの指環』に興味を抱いて、作品を書いていることが伝わってきますね。そのもとになっている北欧神話などにも、きっと初期から関心を抱いていたのだろうということも伝わってきます。

天吾とふかえりが、実は兄と妹ではないか。それは日本の古代神話である『古事記』の軽太子(かるのみこ)と実妹の軽大郎女(かるのおおいらつめ、衣通姫=そとおりひめ)の話と関係しているのではないかと、私は思いますし、リヒャルト・ワーグナー作曲の楽劇『ニーベルングの指環』の双子の兄(ジークムント)と妹(ジークリンデ)が結ばれて、ジークフリートが生まれてくることとも、私の中では響き合っています。

ドイツや北欧の人たちは、このような村上春樹作品をどのように受けとめているのでしょうか。そして、当然、青豆が身ごもっている天吾の子どもは、どんな子どもに成長していくのだろうという興味も、私の中で持続しているのです。(共同通信編集委員・小山鉄郎)



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