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空想読解なるほど、村上春樹 小山鉄郎
「村上春樹を読む」脈略もなく一直線に並べる新幹線 冥界と現実を結ぶ

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(文芸春秋)
『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(文芸春秋)

村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(2013年)の主人公である多崎つくるは、小さい時から鉄道の駅が大好きで、大学も東京の工科大学に進みます。そして鉄道の駅をつくることを仕事にしています。

当然、この作品は鉄道オタク(鉄オタ)、鉄ちゃん、あるいは鉄女という鉄道好きの人たちからも読まれたでしょうし、この点から同作を論じる記事や評論もありました。さらに、でもその割には新幹線のことなどが詳しく書かれていないので、村上春樹は、それほど鉄道オタクでもないのではないか…という意見もありました。

村上春樹が鉄道オタクであるか、そうではないかは、さておいて、今回は『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の中にも何回か出てくる「新幹線」と「村上春樹作品」の関係という問題を考えてみたいと思います。

まず『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の中に「新幹線」がどのように出てくるかを紹介するところから、書き始めてみましょう。

この物語は名古屋の高校の仲良し5人組の話です。彼らは名古屋市の郊外にある公立高校で同じクラスでした。その5人のうち、多崎つくる以外の4人は、名古屋の大学に進み、多崎つくるだけが、東京の大学に進んだのです。ですから、多崎つくるが東京―名古屋間を移動する時に「新幹線」が出てきます。

幼いときから、多崎つくるは「一貫して鉄道駅に魅了されてきた。新幹線の巨大な駅であれ、田舎の小さな単線駅であれ、実用一筋の貨物集積駅であれ、それが鉄道駅でありさえすればよかった。駅に関連するすべての事物が彼の心を強く惹きつけた」という人です。大学進学前、多崎つくるが高校3年生になったとき、仲良し5人で進路の相談をするのですが、多崎つくる一人だけ、東京の工科大学にいる駅舎建築の第一人者として知られる教授のゼミで学びたかったので、東京へ行く決心をしています。その多崎つくるの気持ちが堅いことを知ると、他の4人も「東京とは新幹線なら一時間半くらいの距離だ。いつだってすぐ帰ってこられるじゃないか」と言っています。

そして大学に進学した多崎つくるは、東京では友人ができないのですが、でも彼には「まだ戻れる場所があった。東京駅から新幹線に乗って一時間半ほどすれば、『乱れなく調和する親密な場所』に帰り着くことができた」という気持ちがあったのです。

その多崎つくるたち5人組に異変が起きるのは、大学2年生の夏休み。多崎つくるは「いつものように、大学が休みに入るとすぐに荷物をまとめ(たいした荷物はない)、新幹線に乗った。そして名古屋の実家に帰って一息つくと、すぐに四人の家に電話をかけた」のです。でも誰とも連絡がつきません。そして、多崎つくるは他の4人から、突然仲間はずれにされ、絶交されてしまうのです。理由もわからないままにです。

思えば、この前グループの全員が集まったのは5月の連休のとき。「つくるが新幹線に乗って東京に戻るとき、四人はわざわざ駅まで見送りに来てくれた。そして列車の窓に向けてみんなで大げさに手を振ってくれた」のでした。それは「まるで遠い辺境の地に出征する兵士を見送るみたい」だったとも記されています。

4人からきっぱりとはねつけられた多崎つくるは「明くる日の朝、家族には適当な理由をつけ、そのまま新幹線に乗って東京に帰った。何はともあれそれ以上一日も名古屋に留まりたくなかった」のです。

以上、紹介したように、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』には、物語の冒頭近く、単行本で20ページぐらいの間に6回も「新幹線」という言葉で出てきます。これはやはり村上春樹にとって意識的な「新幹線」の登場だといえるでしょう。

この「新幹線」とは、村上作品の中で、どのような意味を持っているのかということを考えてみたいのです。

コラム「村上春樹を読む」の中で紹介した作品の中から、新幹線が特徴的に出てくる長編を紹介すれば、まず『ノルウェイの森』(1987年)かと思います。

同作で直子という女性が、京都のサナトリウムの森の中で自死してしまうと、サナトリウムで直子と同室だった「レイコさん」が、東京にいる「僕」に会いにきます。そのときにレイコさんは、死んだ直子の服、ツイードの上着と素敵な柄のマドラス・チェックの半袖のシャツを着てやってきます。直子とレイコさんは服のサイズがほぼ同じで、直子は自分の服をレイコさんにあげることを遺言していました。

レイコさんは、直子からもらった洋服を着て、新幹線に乗って、東京にやって来ます。その新幹線のことを「棺桶みたいな電車」とレイコさんは語っています。

この「棺桶みたいな電車」である新幹線に乗って、死んだ直子の服を着て「僕」に会いに来るレイコさんとは、直子のお化けでしょう。そして「レイコさん」とは「霊子さん」あるいは「霊魂」のことではないかと、私は思います。

つまり、この場合の新幹線は、京都のサナトリウムという霊界・冥界である「あの世」と、東京という現実の「この世」を結ぶ乗り物として、描かれていると思います。

さらに『ノルウェイの森』には、もう一つ大事な場面で「新幹線」が登場します。

直子が自死してしまった後、八月末の直子の葬儀の後、「僕」はアルバイトも休み、新宿駅から列車に乗って、一人旅に出ます。「僕」は各地を放浪していくのですが、ある時、山陰の海岸にいます。そこで「僕」はウイスキーを飲みながら、波の音に耳を澄ませ、直子のことを思い、死んだ直子と対話を重ねます。すると、若い漁師がやってきて、親切にしてくれます。そして「僕」は、その漁師からもらった「五千円札」で東京に帰ってくるのです。

この漁師とは何か。直子の霊との対話とは何か。それらについては、このコラムの「象徴的な『五』という数 四つに折った五千円札」という回に記しましたので、興味のあるかたは、そちらを読んでほしいのですが、「僕」は漁師からもらった「五千円札」を持って、「国鉄の駅まで歩き、今から東京に帰りたいのだがどうすればいいだろうと駅員に訊いて」みるのです。すると駅員は「夜行をうまくのりつげば朝には大阪に着けるし、そこから新幹線で東京に行ける」と教えてくれます。

「僕」は駅員に礼を言って、漁師の「男からもらった五千円札で東京までの切符」を買います。そうやって、「僕」は東京に戻ってくるのです。大阪から「新幹線」に乗って、「僕」は東京に戻ってきています。僕が山陰の海岸の町の駅で、列車を待つ間に新聞を買って日付を見ると「一九七〇年十月二日」で、ちょうど1カ月旅行を続けていたことを知るのですが、そのとき「なんとか、現実の世界に戻らなくちゃな、と僕は思った」とありますので、この「新幹線」は死んだ直子との対話の世界、つまり霊界・冥界の世界から、「現実の世界」である東京へ戻る乗り物としてあるのでしょう。

さらにもう1つ、長編で「新幹線」が出てくる作品を紹介すると、『海辺のカフカ』(2002年)の最後にも「新幹線」が出てきます。

主人公の「僕」は15歳の少年ですが、その「僕」が四国の香川県高松の甲村記念図書館という私設図書館や高知県の森の闇の中で、自分と闘い、成長していく物語が『海辺のカフカ』です。

最後に「僕」は甲村記念図書館の大島さんに「東京に戻ろうと思います」「たぶん学校に戻ることになると思います」と話します。大島さんは「君は成長したみたいだ」と応じています。物語の最後、成長した「僕」が高松駅まで行って「駅の窓口で東京行きの切符を買う」のです。そして「橋を越え、海を渡り、岡山駅で新幹線に乗り換える」と書かれています。

新幹線が名古屋を過ぎたあたりから雨が降り始め、「僕は暗い窓ガラスに線を描いていく雨粒を眺め」、いろいろな場所に降る雨のことを思ううちに、「ほとんどなんの予告もなく、涙が一筋流れる」のです。物語の最後に降る雨は再生の恵みの雨、頬をつたう「僕」の涙は感情を取り戻した成長のしるしの涙でしょう。

そうやって「僕」は「新幹線」で、東京に戻ります。この『海辺のカフカ』の「新幹線」も四国・死国という霊界・冥界から、東京という現実に戻る乗り物として、あると思います。

さて、今度は村上春樹の短編のうち、紹介した長編と繋がる形で「新幹線」が出てくる作品を紹介してみましょう。それは短編集『カンガルー日和』(1983年)の中の「5月の海岸線」です。

この作品の主人公は友人からの結婚式への招待状をもらって故郷に帰ります。「晴れわたった五月の朝、僕はアタッシュ・ケースに身のまわりの品を詰め、新幹線に乗り込む」のです。これまで紹介した長編とは違って、ここには新幹線の車内の様子も少し記してあります。

「窓際の席に座り、本のページを開き、そして閉じ、缶ビールを飲み干し、ほんの少し眠り、それからあきらめて外の風景を眺める」とあります。

さらに「十二年前と何もかもが同じだ」ともあります。「十二年前、僕は『街』に恋人を持っていた。大学の休みがやってくると僕はスーツケースに荷物を詰め、朝いちばんの新幹線に乗った。窓際の席に座り、本を読み、風景を眺め、ハム・サンドウィッチを食べ、ビールを飲んだ」のです。

この「5月の海岸線」には、冒頭部に「新幹線」という言葉が、3度記されていますが、私はこの記述にも、村上春樹は意識的であると思います。

友人の結婚式で帰った「僕」が、街に降り立つと「海の匂いがする。微かな海の匂い」を感じます。「もちろん本当に海の匂いがするはずはない。ふとそんな気がしただけのことだ」ともあります。

村上春樹にとって、「海」「海岸線」は非常に重要なものです。そして、帰京した「僕」が海の匂いへの思いに誘われ、タクシーで移動して、かつての海岸に立ってみると「海は消えていた」のです。「いや、正確に表現するなら、海は何キロも彼方に押しやられて」いて、古い堤防堤の名残だけが、何かの記念品のように残されていたのです。

その向こう側には、波の打ち寄せる海岸ではなく、コンクリートを敷きつめた広大な荒野がありました。「その荒野には何十棟もの高層アパートが、まるで巨大な墓標のように見渡す限りに立ち並んでいた」のです。

現実的には、これは村上春樹が育った、昔の芦屋浜を埋め立てて、その土地に建てた芦屋浜シーサイドタウンのことだと思います。この埋め立て後、芦屋川河口に、たった「五十メートル」となってしまった砂浜が残されています。長編『羊をめぐる冒険』(1982年)は、その芦屋川の河口にたった「五十メートル」になって残された砂浜に腰を下して、「僕」が2時間も泣く場面で終わっています。私も「五十メートル」になってしまった砂浜に何度が立ちましたが、それはほんとうに荒涼とした風景でした。

「5月の海岸線」の「僕」にとって、20年前には、夏になると毎日僕が泳いでいた海なのでした。「砂浜で犬を放してぼんやりしていると何人かのクラスの女の子たちに会えた。運がよければ、あたりがすっかり暗くなるまでの一時間くらいは彼女たちと話しこむことだってできた。長い丈のスカートをはき、髪にシャンプーの匂いをさせ、目立ち始めた胸を小さな固いブラジャーの中に包み込んだ一九六三年の女の子たち。彼女たちは僕の隣りに腰を下ろし、小さな謎に充ちた言葉を語り続けた」と書かれています。その海が消えていたのです。

「巨大な墓標のように」立ち並ぶ何十棟もの高層アパート群に対して、村上春樹は「僕は預言する。君たちは崩れ去るだろう」と、激しい呪詛のような言葉を作中に記しています。

さて、このことと、冒頭3度も記される「5月の海岸線」の「新幹線」はどのように関係しているかということを考えてみたいと思います。

まだ海岸が、損なわれてはいない20年前の海岸では「何人かのクラスの女の子たちに会えた」し、「運がよければ、あたりがすっかり暗くなるまでの一時間くらいは彼女たちと話しこむことだってできた」のですが、その女の子たちは「一九六三年の女の子たち」と書かれています。

「東海道新幹線」が東京オリンピック開催に合わせて開業したのは1964年10月のことです。

「5月の海岸線」の冒頭「新幹線」に乗った「僕」が外の風景を眺めると「新幹線の窓に映る風景はいつも同じだ。それはむりやりに切り開かれ、脈略もなく一直線に並べたてられたかさかさとした風景だ。まるで建て売り住宅の壁に飾られた額縁の絵のように、そんな風景は僕をうんざりした気分にさせる」と記されています。

村上春樹は効率性を求めて、人間個々の存在を一直線に並ばせるような力に対して、そのような考え方に対して、闘い続けてきた作家です。「5月の海岸線」の「新幹線」は「むりやりに切り開かれ、脈略もなく一直線に並べたてられたかさかさとした」ものなのです。「建て売り住宅の壁に飾られた額縁の絵」のような風景を作り出した乗り物なのです。

7年もかけて「山を切り崩して、ベルト・コンベアで運んだその土で海を埋めたんだよ。そして山を宅地にして、海にアパートを立てた」というものが、巨大な墓標のように立ち並ぶ何十棟もの高層アパートですが、この高層アパート群と同じように「むりやりに切り開かれ、脈略もなく一直線に並べた」乗り物である「新幹線」は、効率性を求める考え方の具現として「5月の海岸線」の中で描かれているということなのでしょう。

その「新幹線」が開業した1964年以降、何か、大切なものが損なわれてしまったのです。効率を求めて、人間の生活の匂いまで、消し去っていくような乗り物が「新幹線」というものなのです。「新幹線」が登場する前年の「一九六三年の女の子たち」とともに、損なわれていない海岸が1963年には、まだあったということなのだと思います。そういう考えの延長線上に『ノルウェイの森』のレイコさんが乗ってきた「棺桶みたいな電車」である「新幹線」も、重ねて読む必要があるかもしれません。

『カンガルー日和』に収録された短編は、いずれも「トレフル」という雑誌に掲載されたものです。その中で「5月の海岸線」は「トレフル」連載の最初に書かれた短編で1981年4月号の掲載です。このことは村上春樹が作家デビューから間もないころから「新幹線」というものを意識的に書いてきたことをよく示していると思います。効率を求めて、人間の個性、生活の匂いを消し去っても、一直線に人間を並ばせる力に対して、ずっと村上春樹が意識的に闘ってきたことをよく示していると思うのです。

『ノルウェイの森』や『海辺のカフカ』の「僕」が「新幹線」に乗って帰っていく「現実」の東京という場所も、人間の個性や生活の匂いを奪い、一直線に人間を並ばせる力に充ち満ちたところであり、その効率性追求社会に対して、よりタフな闘いが「僕」には待っているということも「5月の海岸線」は示していると、私は思います。

ここで『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』に戻りましょう。その最終の第19章に、多崎つくるがJR新宿駅を眺める場面があります。「多崎つくるはJRの新宿駅を眺めるのが好きだった」と記されています。「新宿駅に行くと、彼は券売機で入場券を買って、だいたいいつも9・10番線のプラットフォームに上がる。そこには中央線の特急列車が発着している。松本行きか甲府行きの長距離列車だ」と同書にあります。

そして、その日も、仕事を終えた多崎つくるは、JRの新宿駅に向かいます。9番線では松本行きの最終の特急列車が出発の準備をしています。多崎つくるは数え切れないほど多くの松本行き特急列車を眺めてきたにもかかわらず、自分自身は松本や甲府や塩尻に行ったことがありません。多崎つくるは今から松本に向かうところを想像したりもしています。でも「多崎つくるには向かうべき場所はない」のです。

そうやって、多崎つくるは、高校の仲良し5人組の時代のことや自分の父親のこと、これまでの自分の人生のことを思い出していきます。駅舎をつくる仕事についている自分のことや、恋人の沙羅のことなどを考えるのです……。

同作最後の文章は「意識の最後尾の明かりが、遠ざかっていく最終の特急列車のように、徐々にスピードを増しながら小さくなり、夜の奥に吸い込まれて消えた。あとには白樺の木立を抜ける風の音だけが残った」というもので、これは最終の松本行き特急列車が新宿駅を離れていく場面と重なったエンディングです。

さて、この場面と「新幹線」とは、どのように関係しているのでしょうか。

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』には、紹介したように、冒頭に近い部分で、6回も「新幹線」という言葉で出てくるにもかかわらず、途中、36歳になった多崎つくるが名古屋を訪れて、かつての親友たちに会っていく場面には「新幹線」は出てきません。でもこの最終章に、1度だけ「新幹線」が出てくるのです。それは、松本行きの最終特急列車を紹介する場面です。

「列車は見慣れたE257系だ。新幹線の列車のように人目を惹く華麗さはないが、彼はその実直で飾りのないフォームに好感を持っていた。塩尻まで中央本線を進み、それから松本までは篠ノ井線を走る。列車が松本に到着するのは真夜中の五分前だ。八王子までは都市部を走るので、騒音を抑えなくてはならないし、そのあともおおむね山中を進み、カーブが多いこともあって、派手なスピードは出せない。距離のわりに時間がかかる」

「新幹線の列車のように人目を惹く華麗さはない」という松本行きの最終特急列車の

E257系の「実直で飾りのないフォーム」への好感を記す文章です。否定形の「新幹線」の使われ方ですが、今回「村上春樹を読む」で紹介してきたことから考えてみれば、この否定形の「新幹線」によって、松本行きの特急列車に強い肯定が記されていることが分かってもらえると思います。

「新宿駅」は村上春樹作品にとって、とても重要な場所です。それは『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(1985年)や『1Q84』(2009年―2010年)を読めば、よく分かります。「新宿駅」は巨大な駅で、JR新宿駅を「世界で最も乗降客の多い駅」としてギネスブックも認定しているほどです。私鉄も含めて、非常に多くの路線が交差している駅です。でも、そんなに巨大な駅であるのに、「新幹線」が通っていない駅でもありますね。

その「新宿駅」から発車する松本行き特急列車は、都市部を走る間は騒音抑制のために、その後はおおむね山中を進み、カーブが多いために、派手なスピードでは走らない乗り物です。「カーブが多い」鉄路を行く松本行き特急列車は「むりやりに切り開かれ、脈略もなく一直線に並べた」ような「新幹線」の対極にある乗り物として、描かれているのだと思います。ここに村上春樹のデビュー以来、貫かれた考えが反映していると思います。

最後に、1つだけ、新幹線と村上作品のことを考えた評論を紹介しておきたいと思います。それは加藤典洋さんの『村上春樹の短編を英語で読む 1979~2011』(2011年)です。この中で、『東京奇譚集』(2005五年)の中の短編「品川猿」について、加藤典洋さんが「新幹線小説」という視点で、同作を考察した部分があります。そこには、この小説がなぜ「品川猿」と名付けられたのかという点にもかかわる重要な指摘が記されています。

今回の「村上春樹を読む」で村上作品と「新幹線」の関係について興味を抱かれた人は、この考察を読んでみることもお勧めしたいと思います。(共同通信編集委員・小山鉄郎)



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