記者コラム
聞きづらい、素人が話す符丁・隠語 ゲンセレ、ハルサイって…

コバケンのブルハチ。正しくは小林研一郎指揮、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団のブルックナーの交響曲第8番
コバケンのブルハチ。正しくは小林研一郎指揮、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団のブルックナーの交響曲第8番

その道の“通”と呼ばれる人がいて、こういう人たちに話を聞くと、意外にも居丈高にものを言う人は少なく、逆に素人に対して丁寧に教えてくれたりもする。しかも話の中に、“通”と言われることへの恥じらいみたいなものも感じられる。

それとは別に“通ぶった人”というのがいる。通ぶった人が目指すところは“通”であって、通であることを周りの人に認めてもらいたい人たちのことだろう。本当の通が、誰かに認めてもらう必要がないのとは逆だ。そして、“ぶった”人が認めてもらうためには、どうしてもその声が不自然に大きくなる。

普通、人は相手との距離に応じた音量で話すという、空間の心理というべきものに従っている。肩を並べている人に向かって、3メートルも離れた人に話すようには話さない。なのに、そういう声を出す人がいる。これはもう、隣の人に話すふりをして、半径3メートル以内にいる人たちに聞かせようと思っているのだろう。

「寿司屋に行くと、まるで人間が変わってしまうようになる人がいる」と言って“通ぶった人”を批判したのは作家の故山口瞳さんだ。日常生活では絶対にワサビをサビとは言わないのに、寿司屋に行くと、「サビ」と言ってしまう…などなど。こういう言い方を山口さんは「聞いていて不愉快になる」と吐き捨てている。なるほど、気をつけていると、サビどころか、シャリだ、ムラサキだ、アガリだ、ガリだ、と、板前さんの符丁をこれでもかと披露している。

こういった符丁は、板前さんに限らず、職人さんの隠語なのであって、それを「どんなもんだ」と言わんばかりに口にするのは、やはり洗練された行いとは言えないだろう。職人の隠語は職人が使ってこそ格好いい。

音楽ファンの世界にも、ぶった人が少なからずいて、特にクラシック音楽では目立つ。 クラシックの曲はおおむね、曲名がないものが多い。いや、あるには違いないのだが、「恋の何とか」とか「涙の何とか」とかと一発で分かる名前はなくて、大抵は「ベートーベン作曲の弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調作品131」などとなっていて、どこまでがタイトルなのかも分かりにくい。たまに名前がついていても「告別」とか「めんどり」とか、楽しくない。せめて「涙の告別」「恋するめんどり」程度にはできないものか。

だから、クラシック音楽を商売にしている人たちの間では、どうしても略した符丁が言い交わされるのは分かる。いちいち、誰それのピアノ協奏曲第何番○○短調と繰り返すのでは、「寿限無」のようなもので、話が先に進まない。が、寿司屋の客同様、一般のファンがこれを声高に言うのは、聞きづらい。

そんなファン同士の会話に聞き耳を立ててみると…「チャイコのゲンセレ」だとか「ハルサイ」だとか。「チャイコのゲンセレ」と言われて一体どれくらいの人が即座にわかるのだろうか。チャイコはまあ想像通りチャイコフスキーだが、ゲンセレは弦楽セレナーデ。ハルサイは、春雨の総菜ではなくて、ストラビンスキーのバレエ音楽「春の祭典」。一般の人が聞けば、判じ物です。そう、なぞなぞ。ほかにも「モツレク」に「ヴェルレク」、「マラ3」に「ブル8」…何だかもぞもぞしてきそう。

かわいいところでは、チャイコフスキーのバイオリン協奏曲(コンチェルト)を「チャイコン」と言い、メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲を「メンコン」と言うのはまだ分かる。この人気の2曲をカップリングしたディスクを、何と「メンチャイ」と呼んで、大の大人が恥ずかしがることもない。

曲名だけではない。楽団名もおおむね略されていて、新日本フィルハーモニー交響楽団を「シンニッピル」と言う人も。以前、音楽雑誌「ショパン」が音大の新入生に向けて、音楽界の隠語を特集したことがあった。これを見て驚いた人がいた。音楽評論家の黒田恭一さん。「オレのニックネームが載っている」と電話を頂いて、見てみると、コバケン(指揮者の小林研一郎さん)、ヤマカズ(指揮者の山田一雄さん)と並んで、クロキョウと書かれていた。

演奏会の休憩時間などに「昔、コバケンがニッフィルで振ったハルサイを聴いたんだけど、これをクロキョウがほめててね…」などと聞かされれば、山口瞳さんならどう言っただろうか。まあ、ほどほどにしてもらわないと、流れてくる音楽までもが、垢じみた代物に思えてくる。(エンタメ編集デスク・小松美知雄)


こまつ・みちお 2009年からエンタメ編集デスク。芸能記者時代の記憶に残る楽しいインタビューは、アン・ルイスさん、浅野温子さん、ジュリー・アンドリュースさんら。昔から好きな言葉は「様子を見よう」。つまり判断の先送り? まあ、いいじゃない、様子を見てみましょう。水戸黄門じゃないけど。