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新刊レビュー
『出会いなおし』森絵都著 出会い「なおす」喜び


「年を重ねるということは、おなじ相手に、何回も、出会いなおすということだ。人は会うたびに知らない顔を見せ、立体的になる」

短篇集の1本目、このくだりにまっすぐ射抜かれた。これまで年齢を重ねるごとに、キャラを変えては人生の関門をするりと越えていく人たちを数多見てきた。志を共にしたはずの友は、あっさり転職して手の届かないところへ行き、至らなさを慰めあっていた友は、猛勉強の末にどでかい資格を得て道筋を確かにし、おばあちゃんになっても一緒にいようねと誓いあった友は、急にパートナーを得て、気軽に会うことが叶わない身の上になっていく。呆然と彼ら彼女らを見送っていた私が、四十を過ぎてようやく思い至ったこと。私と、彼ら彼女らとの間に、これから先に思い描ける愉快な可能性があるとしたら、まぎれもなく「出会いなおし」なんじゃないかと。

この本にはいくつもの「出会いなおし」がつづられている。数年の時を経て、かつて自分の編集担当者だった男の変貌ぶりにあわてるイラストレーター。小学校時代の運動競技で植え付けられた心の緊張を、同窓会の席でほどいていくヒロイン。ため息が漏れたのは5本目の『テールライト』だ。別れ際に、どうか相手に幸あれと、次にめぐり会う時にはまっすぐにあなたを愛せますようにと、強く念じあう男と女の物語が、深刻度を上げて連ねられている。なぜか目を真っ赤にしたタクシー運転手と客の男。川を隔てて想いを交わしていた男と女。それから闘牛場で相対した牛と闘牛士。そして「安全」を謳われていた何らかの施設の職員とその愛妻。4つのエピソードはそれぞれに、登場人物たちが念じる「どうか」の三文字で締めくくられている。明日もあなたが隣にいることを、当たり前みたいに思っていたけど、そうじゃない。どうか、また会えますように。どうか、幸せでいてくれますように。彼らは切実に、そればかりを祈る。どうか、どうか。

出会いがあり、別れがある。別れてしまったら、もう後がないみたいな気持ちに私たちはすぐなりがちだけれど、そうじゃない。遠く別れてしまった人とも、いつかまた出会う。そうでも思っていないかぎり、この世界は寂しすぎる。あの人はどこでどうしているだろう、いつか、出会いなおしに行こう。それだけでこの人生はだいぶ、軽やかになるように思うのだ。

(文藝春秋 1400円+税)=小川志津子



『稽古とプラリネ』伊藤朱里著 孤独と結婚は無関係だ


多くの物語は、とかく「孤独」と「結婚」を結びつけがちである。結婚適齢期に結婚「できない」女子たちの揺れを描いたマンガやドラマがヒットし、「あなたとの結婚」こそが自分の幸せであると結婚情報誌のCMは高らかにうたう。適齢期女子たちはカフェでスイーツなんかをつつきながら、独女話に花を咲かせる。自分を取り巻く孤独の原因は、ただただ、独身であることなのだと。

そしてその「独身であること」においてのみ、彼女たちは連帯する。「独身であること」を互いに嘆き、あるいは称え合うことで、自分たちの絆はいつまでも続くのだと、どこかで信じ切ってさえいる。

どうか、気を確かに。人生は「変化」でできている。人は、いずれ必ず変わりゆく。大切なものも、大切な人も。だって私たちは10代の頃から、身を持って知っているではないか。クラスや学校や職場が変わるたび、しがみつく相手(その都度「親友」とか呼ばれるもの)を乗り換えに乗り換えながら生きてきたではないか。

本書のヒロインは、アラサー独身ライターである。女性誌でお稽古事に関する体験ルポを連載している。打ち込みたい仕事があって、それなりに女友だちもいる。10年越しの恋人との別れが決定的になると、スイーツのやけ食いにつきあってくれる友人である。

連載のためのリサーチを通して、彼女は幾人かの女性と出会う。けれど、彼女の孤独はむしろ深まっていく。かつて憧れていた先輩の、若い女へのむき出しの敵意に触れて戸惑う。親友だと思っていた前述の友との間にも、些細な疑心が生まれて心が離れる。

未婚女子を孤独にするのは、断じて、結婚相手の有無ではない。時を重ねれば重ねるほど、誰の身にも容赦なく押し寄せる、人生の境地の変化である。

物語の終盤、主人公がかつて見限った、10代の頃の友人が現れる。上目遣いで顔色をうかがい、しがみつくみたいにして友情をねだってきたその友人を、振り捨てるようにして新しい友だちとつるんだ、その罪悪感の欠片が彼女を不自由にしている。大人になり、その友人と再び対峙した瞬間、主人公を取り巻くそれまでの孤独が反転する。相手の変化にはじき出されるようにして色を濃くしていった主人公の孤独。しかし、自らの変化もまた、誰かに孤独を強いていた。

徹頭徹尾、女の友情物語である。しかし「やっぱレンアイよりユージョーよね!」的な着地とは、はっきりと異質である。孤独をうたって連帯する独女たちの井戸端会議に乗れない向きはこれを読むべし。結婚していようがいまいが、人と人はあっけなく切れるし、強く結び合うのだ。

(筑摩書房 1600円+税)=小川志津子



『まぬけなこよみ』津村記久子著 誰の身にも公平に降り注ぐもの


初詣とかバレンタインとか花見とか、「季節のことば」をひとつずつ掲げて、それについてのあれやこれやを積み重ねたエッセイ集である。かといって「もっと季節感を愛でましょう」とか「もっと1日1日を豊かに大切に」的なたぐいの啓発本ではない。大人になるまで初詣という習慣がなかったという著者は、それでも(というか、だからこそ)今は欠かさない初詣の逐一や、正月モードから通常モードに至るまでのグラデーションなんかを、新鮮かつ簡潔に伝えてくれる。率直な実感に根ざして言葉が紡がれているから、書き手の眼差しや息遣いをつぶさにキャッチすることができる。

季節のそこここに登場する、少女時代の書き手自身が何とも愛おしい。なんというか、どことなく「イケてない」のである。中学の卒業式の時点で進学先が決まっておらず、やけくそな気持ちでドッジボールに熱中。ケーキやお肉より、実はじゃがいもが好き。大人になってからの彼女だってそうだ。朝起きたら、体があたたまるまではストーブのそばから離れない。4月の晴れやかさが苦手なわりに、春の惰眠をむさぼるのが大好き。そして読み進めるうちにじわじわと気付かされる。彼女の日々は、ただ「イケてない」だけじゃないと。過ぎゆく季節を遠く見送るのではなく、これはこれでそれなりに、季節に思いを重ね(ようとし)ながら暮らしていることがわかってくる。窓の外の猫の鳴き声に耳を傾け、季節のものをどう食べようか思案する。花が咲いたとなればひとまず見に行き、不意に七夕の折り紙飾りを折りたくなってしまって百均へ走る。自作のドライカレーの出来に首をかしげ、新米の味に目を細め、おでんにうどんを投入して喜ぶ。背伸びのないエピソードがいくつも噴出して、子供の頃から今に至るまで、自分が何が好きでどう生きてきたか、噛み締めなおすみたいにしてこの本は紡がれている。

それにしても、である。清冽な歳時記エッセイは、全部で70本を超える。それだけかけて、彼女は1年間の季節のうつりかわりをつづりまくる。そういえば私たちも、同じ日々を、生きてきた年の数だけ、繰り返しているのだ。そのことの妙を思う。どこで何をしていようと、季節は誰の身にも等しく降り注ぐ。誰かがそれを言葉にして、別の誰かがうんうんとうなずきながら読む。そうして世界のバランスが保たれて、また明日がやってくる。そんな幸福な循環が、きっと今日もどこかで起きているのだ。

(平凡社 1500円+税)=小川志津子



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