47NEWS >  エンタメ >  小川志津子の新刊レビュー
新刊レビュー
『今夜もカネで解決だ』ジェーン・スー著 満たされてはいけない女


他人にもてなされたい夜や週末ってものが、人にはどうもあるように思う。友だちをつかまえて愚痴るのではなく、行きつけの居酒屋で親父と世間話するのでもなく、まったくの赤の他人、こちらの素性をカケラも知らない他人に、優しくしてもらいたい夜が。

そういうときに飛び込む先が、多くの女にとってはマッサージ店ということになる。見ず知らずの人間が、「凝ってますねえ」「頑張りましたね」と受容してくれ、最後には「こんなに揉みほぐしたのだからもう大丈夫」と笑顔で太鼓判をくれる。そう、私たちはただ揉みほぐされに行くのではない。「もう大丈夫」って言ってもらいに行くのだ。

コラムニストとして、あるいはラジオ番組のパーソナリティーとして、日々もりもりと働くジェーン・スー。四十路前半の彼女もまた、ほぐされたいときはマッサージ店に行く。本書は各店舗の価格帯ごとに章立てされており、「プチプラ」店から「諭吉」クラスの店までまんべんなく体験。その様子と考察をつづっている。

受け手はうつぶせなのに、天井いっぱいに広がる「満天の星空(的な明かり)」が自慢のマッサージ店のエピソードや、きれいに除去された足裏の角質を「パルミジャーノ・レッジャーノ」に例えるなど、今日もジェーン・スーはあらゆる面白の種を拾い上げる。けれど興味深いのは、この本はただただそういった種だけを羅列してあるわけではない、という点である。

腰が痛いからといって、腰を揉めばいいってわけではないのだと彼女は学ぶ。身体だけでなく脳も休まないと、疲れは取れないのだとも。せっかく施術者の腕がいいのに、なっちゃいない店の体制に憤る。指先から伝わってくる施術者の不安を察知し、気づかい、よけいくたびれてしまう。

この本1冊分のマッサージを受けてもなお、彼女の果てのない旅は続く。揉まれても揉まれても、ジェーン・スーのアンテナは全開で、勝手にいろんな種を拾う。人の機微を読む。白いことも黒いことも拾いたおして、たちまち文章にしてしまう。

その感受性こそが、彼女のエッセイが愛される所以である。そしてそれを私たちがこれからも読み続けるためには、彼女は決して、満たされてしまってはならないのだ。ほんのちょっと、何かが足りない。常にそんな実感を行く書き手だからこそ、彼女のコラムは輝くのである。

(朝日新聞出版 1300円+税)=小川志津子



『カウントダウン』真梨幸子著 「イヤミス」と「終活」の相性


「イヤミスの女王」が「終活」を書く。その時点で期待度はかなり上昇している。病を得た主人公が、湧き上がる負の感情をどんなふうに着地させ、どう納得して「その日」を迎えるのか。もしくは納得しないまま逝くのか。「嫌な気持ちにさせるミステリー」の女王だもの、後者も普通にありうるのだ。

主人公は「お掃除コンシェルジュ」としてテレビ出演やコラム執筆など、八面六臂の活躍を見せる五十路女性。ある日、歩道橋から転げ落ちたときに撮ったレントゲン写真で、喉に末期のガンが見つかる。余命は半年。さあどうする。

彼女はあらゆる悲しみや憤りを、とりあえず後回しにしながら生きてきた。いや、「その場しのぎ」とでも言おうか。しっかり対峙するのではなく、相手にきつい言葉をぶつけたり、あるいはコラムのネタにすることで、明日への推進力を得てきた。けれど終活するにあたって身辺整理していると、否が応でもそれらと対峙しなければならない。忘れ去っていた幼い日の思い出が蘇る。若い頃に敵視していた同僚のことも。ああひどいことをしてしまった、しかも今までそれを思い出すことすらなかった。そんな事実がぽろぽろとこぼれ出す。

特大なのは、妹と母への思いだ。いつだって自分は家族からは爪弾きだと、主人公は思っている。自分との別れを選んだ夫が、次に結婚したのは自分の妹。彼が実家でマスオさん状態で暮らし始めたため、主人公には帰る場所がない。だからがむしゃらに働くしかない。夫と買ったマンションの他に、青山に一室構えるまでに至った主人公。いまやゴミ屋敷と化したかつての愛の巣を、片付けて手放すことが終活の大きなタスクとなる。

後半は、これまで名前が上げられてきた、過去に主人公と出会った女たちの本心が物語を動かす。主人公の人生の地中深く渦巻いてきた黒いどろどろが、一気にぶわあっと噴出する。黒いどろどろは比喩でも何でもなく、とても具体的に彼女に襲いかかる。そしてそのどろどろは、主人公が終焉を迎えてもなお、噴出することをやめない。噴出し続ける。そして最後に明かされるのは、一番古くから噴出し続けてきたどろどろ。その執念に、息もつけない。

人の心を巣食うどろどろは、晴れることがない。笑顔ではしゃぎあう者同士でさえ、その笑顔の下にどろどろを住まわせている。何らかの方法で、きっちりフタをして。はあ生きるって大変。無難に、そうっと生きていこう。そんな決意をしたところで、どろどろは散らない。どうひっくり返ったって、人は「無難にそうっと生きているふりをする者」でしかないのだ。

(宝島社 1300円+税)=小川志津子



『プログラム』土田英生著 日常と地続きの非日常


私たちは決して、同じ世界を見てはいない。いや、見ているのは同じ世界なのかもしれないけれど、肝要なのは、世界のどこにピントを合わせるかである。それは作家の数だけあって、読み手は自分にフィットする1冊を求めて書店をめぐる。書籍に限らない。テレビだって映画だって演劇だって、そんなふうにして作り手と受け手は互いを選びあっている。

土田英生は演劇畑で生まれた作り手である。関西を拠点に「MONO」という劇団を率いて、軽妙な会話劇をいくつも紡いできた。彼はまず、状況設定を置く。それらは、わりと、突拍子もない。先日上演された舞台『ハテノウタ』で描かれたのは、ある薬によって老いを止めることができる人間たちの、100歳を目前にした同窓会。私が愛してやまない『地獄でございます』(07年)は、死んで、地獄へ収容されるまでの、受け付けの一室。何とものん気な死者たちと、全然怖くない鬼たちが闊歩する。

けれど、それらのシチュエーションの中で描かれるのは、そのシチュエーションの推移ではない。土田作品における照準は、「それらのシチュエーションの中で交わされる日常会話」に置かれる。

本書も、そんな感じである。古き良き日本を再現した「日本村」というテーマパーク。得体の知れない発電システムが原因(と思われる)で、謎の赤い雲が空の上に浮かび、徐々に大きくなっていく。人々は耳に異変を感じ、突然眠気を訴え、次々と眠り始める。けれど土田は、その赤い雲の正体が何なのか、その解明に重きを置かない。徹底して、その赤い雲の下にいる人々に照準を合わせる。毎日、売店の売り子が手渡してくれるカレーパンをこよなく愛する男。妻と離婚して若い女と再婚し、順風満帆に思われた男を襲う大小の危機。駅に居合わせた女子の恋バナに聞き耳を立てる男。夫のDVから逃れてここまで来たけれど、交通費がなくて困り果てる3人組の女たち。豪華客船を貸し切って、普段はできない笑い話に興じる葬儀屋たち。その頭上で、ただただ、赤い雲が膨張していく。本書に綴られているのは、そんな風景だ。

壮大な謎解きや、死ぬの生きるのといった人々の極限や、何だかそういうようなものを期待すると肩透かしを食う。けれど、この本は教えてくれる。どんなにありえない事態が訪れようと、それは私たちの、普段の、日常の、延長線上に降ってくるものなのだと。災害も事故も戦争も、私たちののん気な日々と地続きだ。だから恐ろしい。じわりと恐ろしいのである。

(河出書房新社 1500円+税)=小川志津子



アラーキーの幸福写真
乃木坂/ギャルママ(下)

    スタジオでの撮影が続く。17歳で長男を出産した大工原里美さんは、3人の子どもとカメラ…