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新刊レビュー
『殺し屋、やってます。』石持浅海著 殺しよりも惹かれる謎解き


主人公は、一人の殺し屋である。依頼人の事情や動機には深入りせずに、ただ、職務のみを粛々と果たす。所定の前金が振り込まれたら、期日までに実行しなければならない。まず、ターゲットの行動パターンを探る。ターゲットが一人きりになる時間を把握するためである。けれど、そこでターゲットの奇妙な行動を殺し屋は目にする。何だかどうも引っかかる。あれは一体何だろう。

保育士の女性が、夜な夜な、黒い水筒の中身をわざわざ公園まで捨てに来る。

独身であるはずの青年が、ベビー用品店で、なぜか紙おむつを1パックだけ買っていく。

この作品の、最初の面白さはそこにある。つまり、殺しそのものについての謎解きではなく、殺される側の、極めて日常的な習慣に焦点を当てている点。主人公はターゲットを調べ上げながらそれについて思考する。そして任務を遂行したあと、依頼人と自分をつなぐ「連絡役」の旧友に、その推理を語って聞かせる。

その見解は、若干、突拍子がない。パズルのピースが全部ハマって「なるほどー!」と唸らせるというよりは「ふうん、そういう考え方もアリなのね」系のミステリーだ。つまり、推理という営みの、自由さをこの本は説いている。あくまで推測に過ぎないけれど、こうやってみんなでいろいろ考えることこそが、ミステリーの醍醐味なのだと。

後半へ読み進むに従って、謎解きの質感が変わってくる。「日常的な謎」系から、依頼の奇妙さ加減へと軸足が移る。「首に刺し傷を二つつけて、吸血鬼に噛まれたみたいにしてくれ」とか、「あいつを殺してくれ」「やっぱやめた」「いや、やっぱり殺してくれ」とか。主人公の恋人も加わって、依頼人について推理をふくらませる。テーブルには缶ビールとビーフジャーキー。それが彼らの定番スタイルだ。

そして最終章。主人公の前に提示されたターゲットの写真には、主人公自身が映っている。プロフェッショナルな殺し屋として、不合理な事情がない限り、仕事を断ることのない主人公。少し考えたのち、この仕事を引き受ける。そう、引き受けちゃうのである。その顛末は、ぜひご一読を。

(文藝春秋 1400円+税)=小川志津子



『あの頃トン子と』城明著 男たちの「母性」のゆくえ


芸を覚えることに秀でた子ブタの物語である。養豚場の跡取り息子として汗を流し、同じような日々を重ねる主人公・洋一のひとり語りで物語は始まる。母ブタのおっぱいにうまくありつけず、もじもじしている一匹の子ブタが、その後の彼を翻弄する運命の女神である。「トン子」と名付けられたその子ブタに、洋一は気まぐれに「お手」とか「お座り」とかを仕込む。その様子を見ていた幼なじみのマナブは、洋一の家に住み込み、朝から晩までトン子の調教に精を出す。彼は東京で商社マンになるも、夢破れて実家に戻ったばかりだ。

洋一の幼かった恋模様も描かれる。同級生から陰ながら「イモ子」と呼ばれていた大柄な彼女は、大人になっても一途に洋一に尽くしている。洋一は、かつて彼女を傷つけた日のことを思い返して、彼女を強く拒むことができない。

やがてトン子が言葉らしき音声を発するようになる。「トン子」とか「エサ」とかの単純な言葉を、子ブタなりに精いっぱい発音してみせるトン子。ごほうびに好物のリンゴを差し出すと、まっしぐらに突進してきて食らいつく。いじらしいったらないのだ。

トン子の姿は読み手の母性をくすぐる。こんなふうに一心に、なおかつ楽しそうに自分たちに尽くしてくれる動物がいたら、男だろうと女だろうと、誰だってめろめろになるだろう。

やがてトン子にテレビ出演の機会が訪れる。トンコツラーメンのCMの話も来る。マナブはトン子にAKB48のヒット曲を踊らせようと必死だ。「トン子はやがて育つし飽きられるから、今のうちに稼がないと」が彼の言い分。マナブの目の色が変わってくる。東京での挫折からもう一度人生を取り戻そうとするかのように、トン子に執着するマナブ。もっとおおらかでトン子らしい日常を取り戻してやりたいと願う洋一と、少しずつ距離ができる。

このご時世、子を育てる母たちにあらゆる言い分があるように、トンコを愛する彼らにも各々の言い分がある。何をどうすることがトン子にとっての幸せなのか、それを断じることは誰にもできない。洋一とマナブの亀裂は、子育てをめぐる親たちの齟齬に似ている。

マナブの言い分はやがて破綻を招く。「芸ができる子ブタ」から「一匹のブタ」に戻ったトン子を、あっけなすぎるラストが待ち受けている。えっ、本当にこれで終わり?ってページを戻ってしまうほどにあっけないラストが。

彼らの日々は、その後も続く。それぞれが、トン子を介することのない、自分の幸せを歩み始める。実のところ、人間にできるのは、それだけなのかもしれない。どんな状況にあっても、自分を幸せにしてやること。人生、それだけで、十分なのである。

(講談社 1500円+税)=小川志津子



『いちばん悲しい』まさきとしか著 「自分が一番哀れ」という快楽


一人の中年男が、包丁で滅多刺しにされて死ぬ。この物語の軸足はその謎解きというより、彼をめぐる女性たちの心理描写に置かれている。

二人の子どもを遺して夫に先立たれた妻。事件を通して、夫に愛人がいたことがわかる。家族の前では存在感も自己主張もイマイチだったダメ夫の、まるで別の顔。近所の住民からは奇異の目で見られ、家の壁には「人ごろしの家」(原文ママ)と落書きをされて、思春期の娘はみるみる態度を硬化させていく。家のローンもある。養育費もある。昼も夜も働かねばならない。どうして自分ばかりがこんな目に遭わなくてはならないのか。世界で一番惨めなのは、自分だ。

男の愛人。土曜日だけ会うことができて、妻とは離婚調停中であるらしい彼と、自分はもうすぐ結婚できるのだと信じ切っていた。ある日突然、そんな男は存在しないと刑事が告げに来る。男が自分の前では偽名を使っていたのだ。信じていた相手のぬくもりが、日に日に薄まっていく。彼との日々を証明できるものが失われていく。どうして自分ばかりがこんな目に遭わなくてはならないのか。世界で一番哀れなのは、自分だ。

やがて、男の大学時代の友人も不審死を遂げていたことがわかる。事件を捜査する刑事たちは、そこに、何かを感じる。そして新たなるキーパーソンにたどり着く。彼女もまた、長年に渡って、ある思いを鬱積させている。世界で一番悲しいのは、自分であるに違いないと。

男であろうが女であろうが、周囲で人が死のうが死ぬまいが、誰もが少しは身に覚えのある感情ではないかと思う。「今、自分が一番不幸なんじゃないのか」感。閉ざされた世界で、周囲なんて見えず、ただただ自分の辛い境遇ばかりが胸を塞ぐ。たとえば、幸せな人たちを見た時。自分は得ることが一生ないだろうなと思うような幸せを、軽々と得ている(ように見える)人たちを見た時。その暗雲はもくもくと、視界のすべてを覆い隠す。

その暗い景色の肝は、この「ように見える」点にある。不幸のスパイラルに落ちている時、たいがいの人の目と耳は、不幸ばかりを拾い上げる。不幸の知覚過敏。これが実に厄介なんである。なぜなら不幸は、快楽だから。一つの不幸に見舞われると、次の不幸を探してしまうようなところが、人にはどうも、あるように思う。

読み進むほどに、女たちの暗雲が層を増していく。怒りが怒りを呼び、悲しみが悲しみを呼ぶ。笑って暮らしたいのなら、笑わせてくれなかった誰かを恨むのではなく、自分が率先して笑うのみ。わかっている。それはわかっているのだけれど、でもそれがどうしても難しい季節が、人生には一度ならず訪れるなあと思うのだ。

(光文社 1700円+税)=小川志津子



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