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新刊レビュー
『しいたけ占い 12星座でわかるどんな人ともうまくいく方法』しいたけ著 これは果たして「占い」なのか


ほんの数年前のこと。ゴージャス系ファッション誌『VOGUE GIRL』の公式サイトに、何だかすっとんきょうな名前の占いコーナーが登場した。「しいたけ占い」? 卓上に干ししいたけをころころと並べ、くるくると裏返しながらふむふむと占う人のビジュアルが浮かんで笑いをこらえる(実際は12星座占いとオーラリーディング)。「ゴージャス系ファッション」にはまるで縁のない私だが、毎週月曜日には、必ずそのページを開くようになった。

占いが特別好きというわけではない。かといって嫌いなわけでもない。どんな占いも、読んでみて、心に響くところだけを記憶に留める。私の「占い」に対するスタンスはそんな感じだ。しかしその「しいたけ」を名乗る人の「占い」と名付けられた文章は、他と少し違った。そこに書かれている自分の(獅子座の)性質は、思い当たる節がありまくりなのだ。何かにつけて頑張りがちで、いつも張りつめた気持ちで全力投球してしまうから、「楽しむ」ことが得意ではない。白か黒かの結論を急ぎ、まるで修行みたいにして、目の前の物事を獲得しようとする。

そんな私たちに「しいたけ」さんは、力みを抜く方法を教えてくれる。力みを抜くのが下手な私たちにも、わかる言葉に翻訳して。それはそれは懇切丁寧に。

これは、もはや占いではない。人生訓の類(たぐい)である。

「しいたけ」さんはきっと「占い」を紡ぐ時、占う相手を目の前に置く。もっと言うなら、自らの身と心を、その相手に重ねてさえいる。テーブルには数珠でも水晶玉でもなく、おそらくは1杯の温かいお茶。その湯気越しに、彼は相手と対峙する。対話する。湧き出た言葉を文章にする。そこにこそ、愛がある。温度がある。この本は、いわば彼の「対談集」なのである。

ピンク色を主体にデザインされた可愛らしい1冊を、手に取るときには若干照れたが、しかし読み進めるうちにはっきりと思った。もっと読みたい。「しいたけ」さんが自分(たち)に向けて紡いだ言葉を、もっともっと浴びたいと。

「しいたけ占い」を「当たる当たらない」で論じてはいけない。これは彼から私たちへの、温かなラブレターなのだから。

(マガジンハウス 1300円+税)=小川志津子



『静かな雨』宮下奈都著 薄皮を脱ぎながら変わりゆく人々


主人公が勤める会社が倒産するところから物語は始まる。クリスマスの時点で「今年いっぱいで会社をたたむ」と告げられた彼は、パチンコ屋の駐輪場に佇む小さなたいやき店に目を留める。1匹買い求めて食べ歩くことにして、1口かじったところで彼は店へ引き返す。店の女性に「これ、おいしい」と伝えるためだけに。

こんなふうにして2人の関係は、とても丁寧に積み重ねられていく。会社の残務整理をしながら主人公は、あのたい焼きを思って軽やかな気持ちになる。たい焼き屋の女性はお客から「こよみちゃん」と呼ばれ、やがて主人公と彼女は「こよみさん」「ユキさん」と呼び合うようになる。片足が悪い主人公の心を、こよみさんは初対面の時点で静かに見抜いていた。

「あきらめを知ってる人ってすぐにわかるの」

「あきらめ方を間違えると、ぜんぶだめにしちゃうの。あきらめることに慣れて、支配されて、そこから戻ってこられなくなるのね」

「ユキさんはだいじょうぶだよ。あの人たちとは目が違ってる」

この言葉が、物語の後になって効いてくる。こよみさんが交通事故に巻き込まれて、脳に障害を負うのだ。日々、新しい記憶を、積み重ねていくことができない。

こういう設定を採り上げる物語作品が、ジャンルを問わず、そこらじゅうにあふれている。けれどこの作品が他と違うのは、それが物語の主軸ではなく、あくまで静かに、登場人物の特徴の1つとして描かれていることだ。主人公はこよみさんと生活を共にし、彼女に寄り添う。寄り添うどころか、どんどん惚れ直していく。めろめろである。彼女も、そんな主人公をすでに受け入れている。人生の途中で出会った2人が、最初からずっと一緒だったみたいにして、毎日を紡いでいく。こよみさんは主人公の家族と意気投合する。自分のシャンプーを勝手に使われると怒る。お団子をこしらえて満月を見上げる。やがて雨が降る。こよみさんも、涙する。

こういう描写に、読み手は逐一しびれるのだ。

物語に何らかの劇的な事件を求める向きには合わないかもしれない。けれど、事件があろうとなかろうと、日々はいつだって気づきに満ちている。薄い薄い皮を1枚ずつはぎ取りながら、人と人は自分を見せあい、伝え合う。それだけで世界は十分、ドラマに満ちていると思うのだ。

(文藝春秋 1200円+税)=小川志津子



『満潮』朝倉かすみ著 自意識という名の厄介なもの


たいていのことは、経験を重ねれば、うまく操れるようになっていく。自転車だって、いったん乗れるようになってしまえば、もはや乗れなかった頃の恐怖を思い出すことはほぼない。けれど、どうしても制御不能なシロモノがある。何よりも自分に近しい――どころか「自分」の大半を占める存在。「自意識」である。

肥大する自意識に絡め取られた男女の物語だ。大学生の茶谷は、披露宴会場でボーイのバイト中、花嫁に魅せられる。ライトの中で人生史上最高に幸せな笑顔を振りまく女を、俺が落とすと心に決める。あんなにやけた新郎は彼女にふさわしくない。ふさわしいのは俺だ。いかにして出会うか。いかにして近づくか。ありとあらゆる手立てを使って、茶谷は会社を営む新郎の部下の座につく。

女は女で、これまた自意識のかたまりだ。幼い頃から美しく、ちょっととっつきづらい変わった子として扱われてきた眉子。彼女は「自分がどうしたいか」よりも「相手がどうしてほしいか」に知覚過敏で、実際その通りに行動することに生きがいを感じている。そんなに親しいわけでもない女友だちが失恋すれば、大親友かのように涙目で抱きしめる。憧れの存在である伯母からもらった恋愛小説と同じキスをボーイフレンドにせがみ、成長して夫を得た今は、夫からのOKが出ないと安らぐことができない。

物語は、眉子が歩んできた時系列を行き来しながら進んでいく。元同級生から伯母や行きずりの男たち、あるいは立ち寄ったカフェのバイト店員まで、彼女に接したあらゆる人たちの証言と分析がつづられていく。それと並行して、茶谷の自意識が宇宙規模でふくらんでいく様が語られる。そのテンポ感はまるで映画でも観ているみたいだ。

2人のふくらみきった自意識は、それぞれの方法で着地を見せる。「自分」なんてものは存在しないみたいに、相手に合わせて生きてきた眉子は、ついに、自分が幸せになることを自分に許す。一方、茶谷は、そんな彼女のあり方に焦れる。きみの隣にいるべきは、ぼくなのに。こんなにも、ぼくがふさわしいのに。ふさわしいに決まっているのに。どうしてきみはそのことに気づかないんだ。相手への叫びを脳内でこじらせて、彼はある決意を固める。

「自分らしく生きること」が尊ばれる昨今。じゃあ何をもってして「自分らしい」とジャッジするのか、考え出すと混乱してくる。誰に対しても同じ「自分」で接している人なんて、果たしてどこにいるだろう。接する相手によってキャラを変えながら人は生きている。自意識って厄介だよなあ、とわかっているのに止められない。そんな現代人の宿命を、考えさせられる1冊である。

(光文社 1800円+税)=小川志津子



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