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新刊レビュー
『ガーデン』千早茜著 男を密林から引きずり出すものとは


この主人公、なんかちょっとイラッと来るのだ。

30代序盤の男。素敵なライフスタイルを提案する雑誌の編集部で働く。仕事柄、見目麗しいモデル女子たちと親交があり、向こうからもモーションをかけられたりもするけれど、彼は決して心の扉を開けることはない。彼がすべての緊張をゆるめるのは、自分の部屋。幼いころを過ごした異国を思い起こさせるような、生命力むんむんに生い茂った観葉植物に埋め尽くされた部屋。それらから立ちのぼる、湯気のような命の気配を吸い込みながら眠りにつくのだ。

幼少期を異国で過ごし、思春期に帰国したことが彼のアイデンティティの原点である。人と人は、同じ何かを見ていても、まるで違う景色を見ている。使用人つきの住宅に住み、家を出ると物乞いにジュースをねだられる。何をどうしようが、人の立場は変えがたく、打ち破ることができない。だから誰にも何も求めない、求められても応えない。そんな諦観の中を彼は生きてきた。何人の女に去られても、彼のスタンスは変わらない。あなたといると、自分は孤独なのだと、何度言われても心を揺らさない。むしろ「そんなの当たり前じゃないか」くらいに思っている。

物語の中にも、幾人かの女たちが彼の景色に登場する。編集部の気さくなアルバイト嬢。モデルの女の子たち。入社同期のファッション誌編集者。取材を通して知り合った、建築家の愛人。相手から差し伸べられた手からスッと身を引きながら彼はゆく。そうすることがなぜか許されているのは、たぶん、なんとなくイケメンだったりするんだろう。女たちは空いてしまった手を、虚しく引っ込めるしかない。

しかしこの「建築家の愛人」が、彼の密林を少しだけ揺らす。妻子ある建築家にかこわれていることを受け入れているような、でも静かに憤り続けているような、不思議な女性。ラスト数ページは、物語序盤とはまるで反転したかのような、主人公の切実な願いにあふれているのだ。

(文藝春秋 1400円+税)=小川志津子



『インタビュー』木村俊介著 一球入魂の325ページ


全部で、325ページ。厚さ的には、2センチに近い。余白と呼べる余白は、ほぼない。章替わりさえもどかしいように、著者は自らが20数年間で獲得してきたインタビューの極意を、すみずみまでみっちりと、読者に手渡そうとしている。

本を開く前、というか手に取ること自体、実はちょっとだけ怖かった。私もだいたい同じくらいの間、インタビューを生業としてきた身である。こんなふうにメソッドとして体系化できるほどではないけれど、ある程度の信条というか、「私はこうする」が積み重なっている。そしてまた、この著者の仕事を、私は少なからず尊敬している。その人からダメ出しをされて、長年の「私はこうする」を覆されてしまったら、人生のちゃぶ台がひっくり返ってしまうのではないか。買うか、やめるか。いや、買うか。買ってしまった。買ってしまったんである。

本書は2つの章に分けられている。ひとつめは「道具としてのインタビュー」。著者が積み重ねてきた、いわゆるインタビュー術を詳細に記す。もうひとつが「体験としてのインタビュー」。インタビューの実感を通してこの世界を俯瞰する、そんな視点を展開する。そんなに教えてくれちゃっていいの? と思うほど、著者は自身の経験と実感を詳らかにする。だからこの著者がどんなインタビューをするのか、それが質感で伝わってくるのだ。

おそらく、ごく素朴に相手を訪れる。取り出すべき最小限の道具をてきぱきと並べ、レコーダーが回り出す。「うわあ、それは特ダネですねえー!」とか「いやあ、いいお話を聞きましたあー!」的な、過度な拍手やリアクションはない。彼の眼差しは一点に注がれている。相手への深い理解欲。この人にしか見えていない景色を見て伝えるのだという信念。

書かれてあることは、何せストイックである。自分の人生の多くの時間をこの仕事に注いできたけれどまだ足りない、と著者は実にあっさりと言う。一方で、インタビュアーとしては冷や汗がにじみ出そうな沈黙についても率直に書かれている。そして「日常会話にも同じことが言えますよね!」的な、安易な敷衍も見当たらない。ベクトルは、まっすぐに一方向。規模や経験値はどうあれ、インタビューという代物に、何らかの志を持って取り組もうとする人にめがけて、渾身の一球が投げ込まれている。そして取材現場で起こりうる出来事の、一瞬一瞬についての詳細な記述。まるでピッチャーが、自身のピッチングフォームを超コマ送りで解説するみたいだ。

手に取るまでは怖かった本を読み終えて私は、救われた、と思った。ダメ出し本なんかじゃ全然なかった。書き手が磨き抜いた信念の言葉は、読み手を萎縮させたりしない。自らの持ち駒をすべてさらして、著者は怖れを払拭してくれた。代わりに私の中に残ったもの。それは、勇気だ。

(ミシマ社 2200円+税)=小川志津子



『間取りと妄想』大竹昭子著 物語を俯瞰で眺める不思議


短編小説集である。そしてそのひとつひとつの扉に、小さな間取り図がついている。そのページに指を差し入れ、いつでも見返せるようにスタンバイしながら物語を読み進める。それぞれの物語の舞台となっている家の構造を、俯瞰で眺めながらページをめくる。

……楽しい。

それぞれの物語において、とりたてて劇的な何ごとかが起こるわけではわりとない。そこに暮らしている人の、ほんのひとときの心のスケッチが淡々と重ねられていく。あれ、終わっちゃった。え、この後どうなるの。ほんのりと残る宙ぶらりん感を、しかし間取り図が不思議な余韻に変える。初めてひとつ屋根の下に暮らし始めた恋人同士。息を潜めるようにして、窓のない一室で新聞の三面記事に熱中する女。線対称型の2部屋で育った双生児たちの成長記。間取り図がなかったら、ただの風景として読み流していたであろう、具体的な構図の数々。言葉を読解するのとは別の脳みそが、読書中に働くという奇妙な実感。

やがて読み進むうちに、脳みそがそれらに慣れてくる。「間取り図がある」ことに心躍っていたのが、「間取り図がある」だけではあんまり驚かなくなってくる。というか「間取り図がある」ことが普通、みたいな感覚になる。ふと、本に何かが挟まっているのに気づく。開いてみると、全ての間取り図を並べた屏風折りの小冊子だ。扉ページに指を差し入れて、行きつ戻りつ読んでいたのが、俄然、楽になる。

……画期的。

しかしふと、この小冊子だけを客観的に眺めてみると、なんだか可笑しくなってくる。載っているのは、それぞれの短編のタイトルとページ数、そして間取り図のみである。ちょっと、小説を読まずにこっちだけ眺めてみようかなと思う。妙な家だらけである。居住空間よりベランダの方が断然広い家。何しろ部屋数ばかりがめちゃくちゃ多い家。ここでこれから何ごとが繰り広げられるのか、ちょっとわくわくしてくる。

この時間。この時間こそが本書の醍醐味、まさに「間取りと妄想」であることに気づく。

そもそも間取り図って妄想の種である。手の届くはずのない分譲マンションのチラシを、胸躍らせながら眺める習慣のある人も多かろう。あるいは、もはや自分には無縁の代物であると、いつからかその習慣をやめてしまった人もいるかもしれない(私である)。

物語に登場するのは、読み手とは無縁の人たちだ。なのに、間取り図に思いを巡らせるのはちょっと楽しい。一気に読み進めるのではなく、一篇一篇、ちびちび楽しむのがおすすめである。時には本を手放して、小冊子のみを眺めながら。

(亜紀書房 1400円+税)=小川志津子



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